2015年12月28日月曜日

暁の星 ― あかつきのほし ―

黎明の子 〈 ベン・シャハル 〉


 今年も年の瀬が見えて、ようよう『聖書』の「イザヤ書」第 14 章に辿りついた。
 〈ルシファー伝説〉はここから始まる。
 ここでラテン語〈ルーキフェル〉のもとになっているヘブライ語は、これまで見てきたように、「ヘレル・ベン・シャハル」ないしは「ベン・シャハル」である。「ヘレル」は「輝く」とか「栄光の」を表現する語であって、それがいわゆる「ハレルヤ」となるのだが、また同時に「狂った・愚かな」というような意味をあわせもつ。

 このあたりを詳しく辞書で見るのは、年を越してからになるが、残りの「ベン・シャハル」で「黎明の子」を意味することは、今回、『新聖書大辞典』で確認した。

 それが〈七十人訳ギリシャ語聖書〉で「ヘオースポロス」と翻訳される。――以下、そのあたりの、こたびの確認済事項を、ここに再掲しておこう。

「ヘオースポロス」はギリシャ神話の神々のひとりで、「ポースポロス」に同じと、ある。
「ポースポロス」は、ローマ神話の「ルーキフェル」と同一視され、
「ルーキフェル」はいずれにせよ、《光をもたらす者》の意をもち、暁の明星なのだ。
「ルーキフェル」というラテン語は、「光+運ぶ」という合成語で、それが神話で「光を運ぶ者」となるのは必然ともいえよう。
「ルーキフェル」は、ギリシャ神話の「エーオース」=ローマ神話の「アウローラ(オーロラ)」の息子であり、「アウローラ」は〈曙の女神〉なのだから、――そういう次第で――
「ルーキフェル」は、〈〔輝ける〕曙の子〉となるわけだ。

 3 世紀オリゲネスという人が、『諸原理について』という本で、その「ヘオースポロス」に堕天使伝説を重ねる。
 その「ヘオースポロス」は、405 年、ヒエロニムスのラテン語〈ウルガタ聖書〉で「ルーキフェル」と翻訳された
 ヒエロニムスはまた、「朝方に昇った明けの明星[ルキフェル]は天から落ちました」と書簡に書いている。
 またそのころ、ラテン語聖書を見た〔と思われる〕アウグスティヌスが『神の国』で「明けの星なるルキフェルが落ちたとき」と書き記すという次第で、ついに「堕天使伝説」が、〈ルシファー伝説〉として始動することになる。

――が、神話から伝説が誕生するあたりのいきさつは、次項の話となる。一応、資料の半分程度はこれまでに固まっているけれども、話が拡散していく一方で、なかなかにまとまりがつかない現状なのでござる。


〈 暁の星 ― あかつきのほし ― 〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Origenes.html

2015年12月24日木曜日

聖なる夜に大岡裁きをひとつ

その昔、イエスが処刑されるとじきに日が落ち、その日が終わった。


かように、昔むかしは、一日が、夕暮れから夕暮れまでなのでした。
ですからして、一日は、「イブニング」から始まります。
――これは、西欧のお話しです。

 その頃は、一年も、現在の暦の日付でいえば、3月25日から始まっていました。
 そして、その頃もいまも〈聖夜〉というのは、一般に〈クリスマス・イブ〉を指しますが、これは現在の暦の感覚では12月25日ではなく、前の日(24日)の夕暮れ以降を指しています。――が、その当時の常識では、前日の晩ではなく、もうお分かりのように、すでにその時には、12月25日が始まっていたのでした。

そういうわけなので、〈クリスマス・イブニング〉というのは、
12月25日が始まった瞬間からの、〈聖夜〉のことをいったものなのです。

 現在の一日ではそれが、まだ12月24日だというわけなのでした。
 その日の夜に、キリストと呼ばれたイエスが、誕生するのです。

――ここで唐突ですが。

 話は変わって、『聖書』を読んでいると、大岡裁きの見事さを思い出すひと幕もございます。
 そのことを対比させた、読み物などもありまして、すると――、

大岡越前は、講談本の人情話に名前を使われただけなのに、
奉行として落第だなどと、云われる始末でございます。


ソロモンの知恵 VS. 大岡裁き
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/justice.html

2015年12月21日月曜日

〈ディアボロス〉という『聖書』のギリシャ語訳 と……

ヘブライ語の〈サタン〉は『七十人訳ギリシア語聖書』では、
多くは〈ディアボロス〉と意訳されていますが、
〈サタン〉あるいは〈サタナス〉というギリシャ語は存在しており、また、
ラテン語『ウルガタ聖書』では、
〔ギリシャ語聖書だけでなく、ヘブライ語の原典を参照しているため、〕
そのまま〈サタン〉と音写されていることがあります。

『ウルガタ聖書』のはじめに〈サタン〉が記述されている箇所を、
今回は〔ラテン語・英語・日本語・ギリシャ語・ヘブライ語で〕引用してみました。


サタン ⇒ ディアボロス 〈 diabolos 〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/diabolos.html

2015年12月15日火曜日

スピノザの《神》 と ミルトンの〈摂理〉

今回は 2015年11月27日金曜日
― 神 もしくは 自然 ―  〈 God or nature 2 〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Spinoza.html
の続きになります。が――

 スピノザの謂うところの《神》の概念を見直すこととなりました。
 そうこうしているうちに、同時代を生きた人でイギリスの革命戦士でもあった思想家のミルトンのことが思い起こされたのです。

● ミルトン [ 1608 ‐ 1674 ] 
● スピノザ [ 1632 ‐ 1677 ] 

 これまで見てきたように、イングランドの清教徒革命では、
1649 年、国王チャールズ 1 世が斬首された、
という経緯があります。
 その首謀者クロムウェルは、1660 年の王政復古の翌年、
1661 年、墓から引きずり出されて、八つ裂きにされたうえで、さらし首、
ということにあいなりました。
(詳しくは、先だっての「〈神の摂理〉と清教徒革命」のページにあります。)

 この堕地獄の戦乱の嵐を生き残った〔クロムウェルのラテン語通訳のポジションにいた〕、ミルトンの夢見た〈千年王国〉は、その後の著書、『失楽園』と『複楽園』に、記されているのだと思います。

 その『失楽園』の邦訳文に目を通すと、〔これから調べようとしている、〕魔王〈ルシファー〉の名は、二度出てくるようです。
 その、ミルトンの思想に大なる影響を与えたと思われる、ダンテの『神曲』にも、ルシファーの名は、〈ルチーフェロ Lucifero 〉として、刻まれています。

ダンテ『神曲』は、先だっての千年紀の最高の文芸作品らしい、のですが……。

堕天使ルシファーの起源を調べる、資料調査の導入として、今回は、
17 世紀の同時代における、スピノザの《神》からミルトンの『失楽園』をみると。

いうことで……。


〈天〉と〈地〉の記
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Milton.html

2015年12月10日木曜日

失われた楽園 と 堕天使の伝説

 その名を、ラテン語で、“Lucifer” という

 ギリシャ語では、“phosphoros” で、ヘブライ語では、“heilel” だとある
 それは「光輝くもの」という意味の通常の名詞を示す。
 英語の “lucifer” はラテン語起原であり、「光を運ぶ者」が転じて、「明けの明星」を特に指し示す。

『聖書』の堕天使伝説は「創世記」を起源とし、外典「エノク書」に結実する。
そこに至る過程ではまだ、ラテン語〈ルキフェル〉の名は論外だ。

そもそも新約聖書は、ギリシャ語で記述されているが、
旧約聖書の言語はヘブライ語であり、その権威あるギリシャ語訳が
「七十人訳(しちじゅうにんやく)ギリシャ語聖書」と、いうことらしい。
『七十人訳ギリシア語聖書』という本邦初訳のシリーズもある。
ラテン語聖書は、他の言語であるそれらの原典からの、〔そのような〕翻訳聖書なのである。
そういう次第もあって、ラテン語〈ルキフェル〉が、ヘブライの天使の名であろうはずもない

 それがなぜ、魔王ルシファーとして世界に名を馳せたのか。
 ――伝説のルシファーとは、「智の天使」らしい。
 原典としての『聖書』を重んじつつも、ヘブライ語よりもギリシャ語聖書に拠ろうとし、なおそれよりも、みずからの日常言語であるラテン語で、知識ある権威によってその教説が形成されてゆく過程で、堕天使ルシファーは誕生する。
 みずからの言語を《神》の民の言語よりも、中心に考えてしまったせいだ。
 知の権威による誤読と、〔さらに〕また、それらの思い込みによる、追随が原因であるには違いない。
 ――いつの世も、同じなのだ。
 堕天使ルシファー伝説そのものが、その「人の高慢」に起因する〈神話〉なのだ。
 その、魔王誕生の経緯[いきさつ]を、これからしばらく見ていくことにしたい。

17 世紀、フランシス・ベーコンが繰り返し訴えたことにも見られるように、
高慢が標準装備された人類には、「楽園喪失」の神話が似つかわしい。
それは、責任転嫁の原理が適用されて、堕天使の神話を生み出した。

 あたりまえのことなのだが、悪いのはオレではなく、諸悪の根源なのである。
 我が国、日本には「東大生は自分の間違いを認めない」という、神話すらある。

――
『聖書』の「レビ記」には最初の〈スケープゴート〉の記述がみられる。
〈贖罪の雄山羊〉に民族の罪をなすりつけて、荒れ野に放つというものだ。
まったく、キリストといわれたイエスがそうしたように、全人類の罪を一身に背負って死ぬのである。
そしてその〈スケープゴート〉を受けとる〈魔神〉がアザゼルだといわれている。
『聖書』の「レビ記」には〈アザゼル〉の名が記されていないという見解がみえるのは、
みずからの言語である英語『聖書』を、中心に考えた結果であろうと、推測される。

そのアザゼルは、ルシファーよりも早く、堕天使の首長となり、
ダンテの『神曲』よりも先に、暗い地下の牢獄に縛りつけられている。

 そのことが書かれた「エノク書」の思想は「新約聖書」にも影響を与えたというが、やがて外典として姿を消した。
 それが、再発見されて、脚光を浴びることにもなる。

今回は、邦訳の「エノク書」を概観し、そして『聖書』に書かれたアザゼルの記述の該当箇所を、
日本語、英語、ラテン語、ギリシャ語、またその名称の記述部分に限定されるがヘブライ語の原典を、
引用文献として用いた。
 ↓

堕天使アザゼル
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Henoch.html

2015年12月3日木曜日

織田信長の「虫メガネ」

織田信長が持っていたのは「遠眼鏡」ではなく「虫眼鏡」である


 遠眼鏡[とおめがね]は、また遠目鏡とも書く。望遠鏡のことである。
 その「望遠鏡」は江戸時代、徳川家康への献上品目にすでに見受けられる。おそらくはそれが日本にもたらされた最初の望遠鏡であり、日本側の記録では靉靆 [あいたい]という言葉が用いられている。これは「メガネ」を意味する。長さ一間[いっけん]= 1.8 m[メートル]ほどの巨大なものであった。

 また一方、戦国時代に日本に伝来した「メガネ」は、老眼鏡であり、遠視矯正用のレンズは一般に「凸レンズ」と決まっているので、それならば「虫メガネ」と同じ形になるわけだ。
 だからつまり、
織田信長が持っていたのは「遠眼鏡」ではなくどちらかというと「虫眼鏡」である、ということになる。

 望遠鏡について調べていたら、そういうことになった。
 その「望遠鏡」を家康に献上したのは、イギリス人らしい。

1608 年、オランダで望遠鏡が特許許可される。
1609 年、ガリレオ・ガリレイがその噂を聞きつけて、さっそく自作してみる。
1610 年、ガリレオが天体観測をもとにした『星界からの報告』を出版する。
1613 年、ガリレオ式の望遠鏡が、日本にやって来る。

 なんと、年表にすると。望遠鏡は西欧で発明されてから、わずか5年で、日本にまで到来している
 ヨーロッパの一部学者のあいだではいまだ、「望遠鏡は悪魔の発明品」とばかりに恐れられていた時代のことである。
 自分たちの立場を危うくするのは恐るべき悪魔の仕業に決まっているのである。
 ちなみに、オランダでは、望遠鏡は軍需品扱いだったらしいが、家康が望遠鏡を手に入れた、その翌年の「大坂の陣」に望遠鏡を持ち出したという記録はないそうだ。

 そういえば――。
 こたびの、そもそもの最初は、「惑星」という日本語の起源について調べ始めたらなぜか徳川吉宗に行きついた、という話のはずであった。


【惑星】―― 天体望遠鏡と徳川吉宗 ――
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/planet.html

2015年11月30日月曜日

ホッブズ「知は力なり、されど乏し」

 まず、最初に見たのは、こういう原文でした。

Scientia est potentia

 次に見たのは、こういう形でした。

scientia potentia

 いずれも、フランシス・ベーコンに「帰される格言」であり、「唱道した」ものであるという触れ込みなのでした。それで――。
 その触れ込みの表現と、それなりに信頼できそうな「辞書」に記述された原文が異なる、という条件があいまって、ベーコン自身は言ったこともない成句なのだろうと、この時点でほぼ確信できたものです。

 はたして、次に見た解説文には、こうありました。

「知は力なり」というダイレクトな表現はベーコンの著作には見いだされない。ホッブズの『リヴァイアサン』ラテン語版の第一部第一〇章に ‘scientia potentia est’ というダイレクトな表現が見いだされるが、むしろそれはネガティヴな文脈で出現しているにすぎない。つまり、学問的知識は小さなものでしかない、なぜなら、それを有している人は少数だからである、という含意である。ベーコンについて言えば、『聖なる瞑想』(Meditationes Sacrae, 1597) に、‘scientia potestas est’ という表現が見いだされるが、それはあくまで、神において、その知は神の力である、という意味であって、一般に流布している意味とは異なる。

 その後しばらくして、こういう説明に巡り合うことができました。

ホッブズも「知は力なり、されど乏し[パルウア]」(19) と言っている。
(19)  T. Hobbes, De Homine, cap. X. またホッブズは「力」の種々相をあげ、「諸学は小さな力である」と言っている。『レヴァイアサン』第一部、一〇章。 

 同様な説明は、次のようにも、あります。

 このベイコンのモットーとされている言葉は、実際は彼のものではなく、ホッブスのものである。これに対応するベイコン自身の章句は『ノヴム・オルガヌム』(一-三)にある、「人間の知と力は同一のものに帰する」(scientia et potentia humana in idem coincidunt.) である。

 いずれも、我が国の第一人者と思われる研究者たちによる研究成果なのです。
 ちなみに、ホッブスは、ベーコンの秘書をしていたという、経歴の持ち主でもあります。
 これはもう、ベーコンではなくて、ホッブズによる成句として構わないのでないでしょうか。
 そうしてもって、

17 世紀 イギリスの「知と力」と革命と
〔前半〕: ベーコンとホッブズ:「知と力」と魔術
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Hobbes.html

のページ冒頭部分で、

“Scientia potentia est, sed parva.”
「知は力なり」とホッブズはいった「だがそれはたいした力ではない」と

とばかりに断定しました。

 しかしながら、まだそのラテン語原文を、資料として、確認できたわけではありゃしません。

そういうわけで、鳥取県立図書館で原文資料を探してもらい――、
その結果、国立国会図書館から、相互貸借システムを利用して借り受けることができました。
鳥取県立図書館まで届けられた資料(館内閲覧限定)で、必要なコピーを取ってもらうこともできました。

 そうして、上の原文に間違いのないことが、確認できたのです。
 これはこれは、いかにも、図書館利用の一例のご紹介です。
 この便利な図書館機能の利用代金はというと、複写(コピー)料金以外は、無料です。
 これはこれは、いつもお世話になっている鳥取県立図書館の宣伝文句のようになっております。
 まあそういうつもりです。

その、ラテン語原典に、興味のあるかたは――、
資料名等はページ上にて、ご確認ください。ページ上の、

“LEVIATHAN” VOLUME 2

をクリックすることで、詳しい資料名が記述してある、自前の参考文献ページに移動できます。
その名を頼りに、国会図書館で、捜してみてください。〔ここで漢字が違うのは「探索」と「捜索」の違いです〕


ホッブズ「知は力なり、されど乏し」ラテン語版
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Hobbes.html#Leviathan


 また、このたびは、別のページにも【付記】として、次のような参考資料(引用文)を挿入いたしました。
『科学革命の新研究』(日新出版、1961 年初版)に収録された、M. E. Prior による 1954 年の論文です。
 ベーコンの「博愛」について、「バーレイにあてた彼の有名な手紙」として、引用および論述されています。

 M.E.プライアー(渡辺正雄訳)「ベイコンの科学者観」より
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/philanthropy.html#Prior_Bacon

2015年11月27日金曜日

〈神もしくは自然〉 の句にまつわる曖昧さ と……


「数学的帰納法」とは「演繹」である


 長い間、誤解していた。――その誤解がようやく解けたのは、上のような一文を見たときのことです。
 つまり「数学的帰納法」というのは、

条件1 すべてのAはBである
条件2 すべてのBはCである
結論  すべてのAはCである

という感じのもので、これはいわゆる「三段論法」というものなので、すなわち、「帰納法」というのは、「三段論法」なのだ――という誤解です。

∴ 帰納法は三段論法のことをいう

 この「」が間違っているのは、「帰納法」と「数学的帰納法」を同じものとみなしたことによります。
 ところが「数学的帰納法」とは、いわゆる「帰納法[きのうほう]」なのではなく、まさに「演繹法[えんえきほう]」なのでした。

条件1 数学的帰納法とはぶっちゃけ三段論法のことをいう
条件2 演繹とはぶっちゃけ三段論法のことをいう
結論  数学的帰納法の中身が演繹なのはどちらもぶっちゃけ三段論法だからである

という感じの「三段論法」が実は正しいのです。

専門家でもないものが、参考資料も見ずに、うろ覚えで書いているので、
以上の記述が、どこまで厳密な正しさを確保しているかは、とりあえず置いといて、
ぶっちゃけおおまかには、正確であるはずです。「おおまかに精確」では句が矛盾してしまいますが……。

 ここで、いま一度、確認しておきましょう。
 いわゆる「帰納法」の説明でよく引き合いに出されるのは、
「過去に観察されたカラスがすべて黒かったのでカラスは黒いことにする」という内容のものです。
 これは「反対の事例がない限り」正しい、ということを意味します。
 つまり、「すべて」ではなく「いまのところ」なのです。これが「帰納法」の正体ということになります。

∴ 帰納法は三段論法のことをいうのではない

 最初の誤解については、つまり問題は、中身が「演繹」なのに「数学的帰納法」などという紛らわしいネーミングにあったわけです。しかしながら、「数学的帰納法」はやはり「帰納法」なのであり、通常の「帰納法」と違うのは、条件に「すべて」が記述されている点にあります。

∴ 「数学的帰納法」は「いまのところ」ではなく「すべて」のカラスを黒くしてしまう手法なのである

 そしてどうやらこのあたりの曖昧さが、17 世紀の自然哲学者たちにかぎらず、現在に至るまで、受け継がれているようなのです。

 と、いうわけで――。
 いわゆる「機械論的」自然哲学者が証明に用いる手法は、「演繹法」なのであり、その代表者とされるのは、デカルトです。
 それによく対比される自然哲学者がベーコンであり、その手法は「博物誌的」な、「帰納法」なのです。
 両者の手法は異なるけれど、結論はよく似ています。その結論とは、いわゆる「人類による自然支配の可能性」についてです。

条件1 デカルトは無論「完全な自然支配」を目論[もくろ]んだ
条件2 一方のベーコンは「可能な限りでの自然支配」を目論んだ
結論  デカルトもベーコンも「自然支配」を目論んだ

 ということになって、この両者の違いの大きさが判らない御仁が多くおられるようだ、――です。
 そしてまた。
 スピノザは、「〔機械論的〕幾何学的」な論証方法で記述された『エティカ(倫理学)』を残したので、その「神の証明」は完全なものであると、スピノザが言っていると、一般には思われているようです。

 しかしながら、――スピノザは、《神》は〈無限〉という「属性」をもつ実体だと定義しているので、――人類に〈無限〉が語りつくされようはずもなく、そういうこともあってか、ゆえにゲーテは「スピノザは神の存在を論証してはいない」と手紙に書いたという話です。ちなみに、ゲーテは、スピノザを擁護する目的でこの手紙を書いたようです。
参考文献:ジョゼフ・モロー/著『スピノザ哲学』白水社、竹内良知/訳 140~141 ページ


 またあの、ヘーゲルも、スピノザを擁護して、

「スピノザによると、神こそ唯一の実体であり、自然や世界は、スピノザのいいかたを借りると、実体ではなく、実体の情動ないし様相にすぎない。」
「スピノザの悪口をいう人びとは、神をまもろうとするのではなく、有限なものや世界をまもろうとしている。かれらは、有限なものが実体と見なされないのが、つまり、有限なものが没落していくのが、気にいらないのです。」
と、『哲学史講義』に残しています

ここで、量子力学による〈世界は影〉理論と、スピノザの〈永遠の相のもとで観想される世界〉の記述が、結びつきました。


― 神 もしくは 自然 ―  〈 God or nature 2 〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Spinoza.html

2015年11月24日火曜日

〈神という自然〉 を記述する〔機械論的〕自然哲学者たちの誤謬

 太字は、このたび、アップロードした、ページの一部(冒頭)です。

 【ガリレオの場合〔参照〕
一六一八年に天に三つの彗星が観測されたとき、ガリレイには、それを自分では「眺める」ことをしない十分な理由があった。すなわち、それらの彗星に認めなければならないであろう軌道は、彼がそもそも天体を天体として承認したとすれば、あらゆる天体が描く軌道は円形だという、彼が頑強に堅持する教義に矛盾したからである。ガリレイの光学も彼自身の教義学に屈服したのであり、彼は、自分にとって不都合な現象を錯視として説明することによって、敵対者たちが木星の月に使ったのと同じ言い逃れを用いて切り抜けたのである。

 【デカルトの場合〔参照〕
 スピノザのデカルト批判は、デカルトの「松果腺」仮説への批判を起点とする。彼はいう、「スコラ学者たちが曖昧な事柄を隠れた性質 (qualitate occulta) によって説明しようとしたことを、あのようにしばしば非難した哲学者自身が、一切の隠れた性質よりも更に隠れた仮説をたてるとは、まったく驚きいったことである」(『エチカ』第五部序文)と。

 【ニュートンの場合〔参照〕
~~、17 世紀になると、感覚にかからないものでも、知性によって知ることができると認められるものがあると考えられるようになり、従来オカルトとされた対象も科学の研究対象となった。しかしニュートン自身の重力概念が、従来通りの意味でオカルトであると批判されたのである。

――

 たとえば地雷原では、先人の足跡を辿[たど]って行けば、たとえ前人がどこか途中で失敗していたとしても、その失敗した場所までは安全に移動できて、通常は、そこで自分が改めて、爆発することもない。そこから、さらに、前人未到の地に足を踏み入れることも可能だ。
 同じ場所に、新たに地雷が埋め込まれていない限りは……。
 だから、最初が肝心だ。一番信頼できそうな足跡に、自分の足を乗せることから、はじめるべきだ。そうすれば、足跡が続く限りは、安全が保障されている。
 ところが、いままでみてきたところによると、哲学理論の場合には、「同じ轍[てつ]を踏む」ことで、自分もまた、そこで同じように、爆発してしまうようだ。
 機械論的・数学的〔幾何学的〕自然哲学者の、ガリレオ然り、デカルト然り、ニュートン然り、なのであった。と、いうことなのである。

 そのついでに、次に、以前このブログにも書いた(2015年10月14日水曜日)、パスカルの遺稿中の、一節にも触れた。

 そういえば、あのパスカルも、ひとは都合のいいことばかり聞きたがるといって、都合よく改竄[かいざん]された『聖書』からの引用をしていた……。
  パスカルのその書は自身で公刊したものではない(死後に発見され遺稿として出版された)のだけれども――つまり、未定稿となる(決定稿ではない)のだが――、未定稿とはいえ、とにかく彼は下記のごとくに記述した。

 〔「幾何学的精神について」より〕
〔 4 〕~~。「耳に快いことを語ってください。そうすればあなたの言うことに耳を傾けます」とユダヤ人はモーセに述べていた(59)。快適かどうかによって信じるかどうかが決まるはずだといわんばかりに。~~。

 (59)  「出エジプト記」二〇章 19 節、「モーセにいった。あなたが私たちに語ってください。そうすれば、私たちは聞きます」の大胆な脚色。 

と、本日付のページに、記述した。
 しかしながらも、である。ひとは間違えるものなのだ。いつ、自分が同じ〈轍〉を踏むのかと、いつも気になっていたし、いまも気にしている。
 それで。今回のページは、一応はこれで決定稿なのだが、下書き状態で放置したままのページは、まだ残っている。
 参考文献ページからのリンクがある都合上、できたところまでを、とりあえず、アップロードしてある。
 ――で。次回に一応の決定稿とする予定のページに、本日、けっこうなエラーを発見してしまったのだ。
 もうすでに修正は済ませたが、そのページは、ながながと、放置状態のままで、公開されていたのだ。
 たまたま、そのページだけを、見たひとに、「これは下書きです」と、文頭に説明するのもおかしい、
「ならば、公開せぬがよかろうが」
と、一刀両断の憂き目にあうに決まっている。

 ひとは、間違えるものなのだ、問題は、それが指摘されたあとの、対応なのだ。と、しておこう。

結果ありきの推論と過程と結論では、きっとそううまくはいかない、のだろう。


― 神という自然 ―  〈 God or nature 1 〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Eriugena.html

2015年11月20日金曜日

〈隠された性質〉 ― ニュートン力学による神 ― もしくは 《量子エンタングルメント》

量子力学は〈現象〉を完全に記述できるか?


16 世紀に発表されたコペルニクスの天体力学を完成させたともいえる、
17 世紀のニュートン力学が残した謎は、運動原理としての〈万有引力〉の原因であった。

20 世紀、アインシュタインが、一般相対性理論を発表し、その重力理論を完成させるが、
そのころ新たに発生した謎が、シュレーディンガーの言葉で、《エンタングルメント》 というものだ。
そしてその謎に、新しい力学である量子力学は、波動方程式でこたえたのである。――が、
しかしながら、波動方程式は、なぜそうなるのか、についての解答は導かない。

アインシュタインは、そのことが不満だった。量子力学が気に入らなかったわけではない。
量子力学でも解けない謎があることに、彼は不満だったのだ。
だから、アインシュタインらは、量子力学の不完全さを論文にして提出した。
それが、上記の副題がパクったところの
「物理的実在の量子力学的記述は完全だと考えることができるか?」
――いわゆる 《EPR論文》 である。

アインシュタインは、宇宙の完全な記述のできる物理学を、信じていた。
ガリレオと同様に 〈数学的言語は天を表現可能な神の言葉〉 と、考えていたのだろう。

ところが、現実は、そうではなさそうだ。

そもそも、自然科学は、ガリレオが「天の運行」についていったごとく
〈どのように〉 を解き明かすものであって、〈なにゆえに〉 にはこたえないものだ。
現象そのものを記述するのであり現象の意味や目的は対象からはずされる。
現代物理学でもそのことは変わらない。

宇宙は、ひとの内宇宙[インナー・スペース]と同じく、必ずしも、記述可能なものではない。


ニュートン力学と〈隠された性質〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/occultQualities.html

2015年11月18日水曜日

最初の〈情報戦略〉=《情報ネットワーク》構想

たとえば、
内乱(市民革命)という点で、日英で近い事件を並べてみるならば、

1649 年 国王チャールズ 1 世が斬首される (イギリスの市民戦争)
1651 年 由井正雪が反乱未遂事件で自殺する (慶安の変)

また、その後には、

1657 年 明暦の大火
1666 年 ロンドン大火

かくのごとくに江戸時代には、花のお江戸もロンドンも、大火事の記録が残されている。
そういう時代、イングランドで「王政復古」が行なわれた、その直後に、

1660 年 ロンドンの〈王立協会〉は誕生した。

 その〈ロンドン王立協会〉の事務局長に、現在に至るまで続く「科学雑誌」を創刊した、オルデンバーグというドイツ人がいる。
 〈ロンドン王立協会〉が正式に発足するのは、1662 年で、パリとロンドンで最初の雑誌が創刊されるのは、1665 年である。

金子務『オルデンバーグ』(中公叢書、2005 年)という本には、

 いま、まず『トランザクションズ』に先行してパリで刊行が始まったフランスの学術誌、『ジュルナル・ド・サヴァン』との関連を見ておこう。 (P. 141)

とあり、ロンドンの「フィロソフィカル・トランザクションズ」と、
創刊がそれに二ヵ月先行したフランスの雑誌にも触れてある。

 その本の「第四章」には、また、《学会》の起源としての勉強会などの必然性が、
――つまり――
面[つら]つき合わせて語ることの必要性として、語られる。……このことは重要である。
そこに記述された〈暗黙知〉の理論は、まさに〈クラスター理論〉の核心に迫るものだ。
――ありがちな話ではあるけれども――
飛躍のヒントは、記号化された言語では語られない部分に潜んでいることがある。

 科学の共同体形成の上で、大枠としての科学通信システムという神経ネットワークの形成が不可欠であることについては、まず異論はないであろう。しかし、同時に見逃されてならないのは、もう一つのヒューマン・ネットワーク、フェイス・ツー・フェイスの人物リンケージの重要性である。 (P. 194)
 というのは、科学通信の手段がなんであれ、通信によるネットワークは知識が言葉で表現できること、情報パッケージに分割可能なことを前提にしている。あくまでもそれは、顕在知について有効な手段なのである。 (P. 195)
金子務『オルデンバーグ』(中公叢書、2005 年)「第四章」

 この続きも、引用文として、多少記させていただいている。
 最後に、今回オルデンバーグについて学んだことを、自分の言葉として、書いた内容を、書き写させていただきます――。このオルデンバーグの戦略的発想は、まさしく現代のインターネットに受け継がれているのです。

 ほとんど単独で行われた――フランシス・ベーコンの理想を受け継ぎ、衆知を集めんとして、ヨーロッパの全域を網羅し、また新大陸アメリカをも結ぶ最初のネットワーク構築による〈情報戦略〉――


王立協会の設立とオルデンバーグの〈情報戦略〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Oldenbourg.html

2015年11月16日月曜日

《自然支配》 批判 を展開する文芸作品のこと

 前回に 「このお話は また次回」 と書いちまいましたが、その、
イギリスで〈情報戦略〉が継承された時代のことを話題にする前に、ひとつ、
今回は、自分のための覚え書きという体[てい]の内容を挿入するのであります。
――

デカルトは、自明の理であると主張して、ほぼ独断に近い推論で〈自然哲学〉を構成しました。
〔このことでデカルトの天才を否定しようというつもりは毛頭ありませんけれども、しかしながら〕
それを「デカルト自然学というロマン」と語ったホイヘンスと、
「仮説を捏造しない」と言い放ったニュートンのことには、前回触れました。が、
そのときリンクを記載した、

ニュートン-17世紀科学革命
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/theRevolution.html

の引用文中にある、
自然破壊の首謀者として引き合いに出されるベーコンについて書かれた一段で、

 そこで、論者の中には、フランシス・ベイコンを指弾して、このような事態を引き起こした元凶はベイコンであると言う人々がいる。しかし、読者にはすでにおわかりのように、これは、ベイコンを知らず、歴史的認識をもたぬ人々の、ベイコンヘの見当外れの責任転嫁に他ならない。
渡辺正雄『文化としての近代科学』講談社学術文庫版 255 ページ

という表現によって、擁護が行なわれていることが、かなり印象に残っているのです。
この引用文は、かなり以前に記録させていただいていたもので、それは「魔女狩り」について調べはじめるより前のことなのです。
――実はそれで当時のイギリスの時代背景などを調べてみたという経緯[いきさつ]もございます。


ここまでをまとめますと、以下のごとくです。

「デカルト自然学」は〈自然哲学〉として、論ぜられました。
この自然学理論が間違っているなら、〈自然哲学〉の分野から批判が行なわれてしかるべきです。
それでもって、結果として、ニュートンによって、否定されるべき部分は否定されたのです。

いっぽう、ベーコンに対して行なわれている批判は、どうやらそういう類[たぐ]いではなさそうなのです。
そのことが気になって、今回の件を調べてみたという次第です。

 ――
先だって(2015年11月5日木曜日)のこのブログ上で、
「文芸作品」というのは〈省略〉で構成されており、その〈行〉を介して〈行間〉を読ませるものだけれども、
「学術論文」の場合はすべてを〈明示〉しなければならない、というようなことを書きました。
それは、両者の分野が違うということでもあります。

実はその際にリンクを記載したページに、その翌日に追加した、最後の箇所があります。
あまりにも厖大な注釈の量に圧倒されていくらか血迷ってもおりました。

前田達郎「レトリックと方法―― F.ベーコンの二つの顔 ――」 の注釈の部分です。
その最後の最後に、

 ベーコンの「知は力」の思想が、現代における自然と人間の疎外の根源として現代哲学で非難されることがある(フランクフルト学派)。しかしベーコンこそ科学の背景にある宗教的エートスを明らかにし、それからの歪曲を警告し、科学を文化、倫理、宗教などとのトータルな連関で捉えることを説いた人なのである。
リンクにて参照のこと

という、記述がありまして、結果として、それにヒントを得ることができました。
〈フランクフルト学派〉について調べてみることにしたわけです。
いや、本当に、それまで〈フランクフルト学派〉という名称さえも知らない、無知な状態だったのです。

悪戦苦闘で一週間は夢のうち――。
キーワードが 「ベーコンの悪口を言っているフランクフルト」 だと、どうにも料理の悪口のようになり、
検索もままなりませんでしたが、多くの〔巨人の〕肩たちの協力により、果たして、
〈フランクフルト学派〉というのは、文芸作品による社会学のような位置づけにあるらしいことが、
これはまるで予言されていたかのように、わかってきたのです。

〈フランクフルト学派〉が人文科学である社会学のそれも 《文学》 であるならば
それはもう完全に 《表現の自由》 の世界なのであり、「世界観の違い」 で片づけるしかないようにも思われます。

すると、今後は、違う畑からそれに文句をいうほうが、〈お門違い〉 のようにもなってきまして、
あぁ、これは、どの土俵で相撲を取るかという、お話しになってしまいましょうか……。

今回はこれでおしまいです。まったくもって鵺[ぬえ]のようにわけのわからぬ話になっちまいました。
最後に、〈フランクフルト学派〉文献の訳者の解説を引用文として、提示させていただきます。


 『啓蒙の弁証法』は永らく「幻の名著」と言われてきた。アドルノの、あるいはフランクフルト学派の代表作と言われ、もっとも大きな影響を与えたともてはやされながら、その名のみ高く、内容は暗闇に包まれていたからである。この本の難しさは、ユダヤ神学などの背景にもあるだろう。しかし、ドイツ語原文を覗いた方ならおわかりのように、それは何よりも、そこに記されている文章の――無類のと言っていい――難解さに基づく。極端に省略を利かせ、語順を倒置し、アレゴリーと逆説と飛躍に充ちた論旨を、絢爛たるボキャブラリーをちりばめながら緊張をはらんで展開していく文体――それはアドルノに固有のもので、この本における彼の主導性を推測させる一つの論拠となるものだが――、こういう文体を生かしながら、文意を解読し、転調の中に一貫した筋道を浮し出し、それを「わかる日本語」に移し代えることは、きわめて困難な作業だった。(以下略)
〔M.ホルクハイマー他/著『啓蒙の弁証法』徳永恂訳、岩波書店 1990 年、「訳者あとがき」 420 ページ〕

2015年11月12日木曜日

ニュートン 〈最後の魔術師〉

 「第二次世界大戦」と呼ばれるほどの大きな戦争が終わった翌年のこと。
――
経済学者のケインズは、1946 英国ケンブリッジ大学の
「ニュートン 300 年祭」における講演で、並みいる学生たちを前に、こう語りました。

「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師であり、最後のバビロニア人でまたスーメル人であり、一万年には少し足りない昔にわれわれの知的遺産を築き始めた人たちと同じような目で、可視的および知的世界を眺めた最後の偉大な人物であった。」
〔J.M.ケインズ「人間ニュートン」『人物評伝』 316 ページ〕
と。

 イギリスで、最後の魔術師が生きた時代は、同時にまた、フランシス・ベーコンからロンドン王立協会に連なる、最初の〈情報戦略〉が継承された時代でもありました。 〔このお話は また次回……〕

 そしてまた、

デカルトの親友の息子で著名な物理学者(光の波動説)のクリスティアン・ホイヘンスは、デカルトについて「デカルト自然学というロマン」と評している。
〔前田達郎「レトリックと方法 ―― F.ベーコンの二つの顔 ――」『哲学の展開 哲学の歴史 2 』 80 ページ〕

とかいう、こともございまして、――宇宙戦艦並みの――その「デカルト自然学というロマン」による
「仮説の捏造」 に、ニュートンとしては、どうにも我慢がならぬのでありました。

ニュートンの有名な決めゼリフ――

「私は仮説を作らない」


は、実のところ、デカルト一派に対して、
「私は仮説を捏造しない」と、

高言したもののようであります。

その、最後の魔術師の最大の功績は、『プリンキピア』 1687 年)で、
ついに地球を完全に動かすことのできる運動理論(力学)を完成させたことでした。
ニュートンは、〈魔術師〉の名にもふさわしく《本当に!》地球を動かしてしまったのです。

――「地動説」はこれ以降、なぜか〈異端審問〉に引っかからなくなったようでごじゃります。
〔デカルトの「幾何学」はもっと評価されてしかるべきだと思うのではありますが、それは、〕
デカルトが「ガリレオ裁判」に慄[おのの]いて慌てて自説を〔巧妙に〕隠蔽しようとした
『方法序説』 1637 年)から、ちょうど 50 年後のことでした。


ニュートン-17世紀科学革命
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/theRevolution.html

2015年11月10日火曜日

戦略としての〈フィランソロピー〉と そのはじまり

マイケル・E・ポーターは、現代の経営戦略の旗手といえようが、
彼の〈クラスター理論〉は、日本国家の公式な刊行物にも、
ほとんどそのまんまの文章が用いられるほどの、人気と権威を博している。
その該当箇所について詳しくは、今後触れる機会もあろうかと思うが、
とりあえずは、日本政府による文献資料の明示だけしておこう。

文部科学省編 『平成14年版 科学技術白書』 (P.71) 〔平成 14年 6月 7日発行〕
(M.E.ポーター『競争戦略論Ⅱ』 67 ページ)

その彼が発表した論文に、〈フィランソロピー〉が謳われたのは、2002 年のことだった。
『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌に発表されたそれは、
「競争優位のフィランソロピー」 と題された邦訳がある。
DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2003 年 3月号 ダイヤモンド社/発行)

Michael E. Porter
“The Competitive Advantage of Corporate Philanthropy”
Harvard Business Review, Dec. 2002.

この邦訳は、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』 2010 年 9月号に、抄録されている。

さて、日本政府も全面的な推進を行っている〈クラスター理論〉というのは、
アメリカの「シリコンバレー」に見られるような形態を、
〈産業集積〉の概念として、積極的に推し進めていこうというものだ。
「情報産業」でさえも、企業が一ヵ所に集約されることで、相乗効果を生むのだ。

――

で。今回は、〈フィランソロピー〉なのであるが、「競争優位のフィランソロピー」には、
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』 2010 年 9月号(抄録)の冒頭部分(P.97) を見ると、

「フィランソロピー(企業の社会貢献活動)が低迷している。」

という一文があり、おおよその、概念が、日本語化されて示されている。

〈フィランソロピー〉というのが、「企業の社会貢献活動」なのであれば、
――いまさらながらではあるが――、そのようなことは、

日本の故松下幸之助が、昭和の初期、第二次世界大戦敗戦前の日本で、
「水道哲学」と称される経営理念として掲げているのである。
それは、1932 のことであった。


そういう、いわば、21 世紀型の経営理念として、再評価を受ける〈フィランソロピー〉は、
〈人類愛〉とも邦訳されるが、そもそもそれが英語で用いられるようになったきっかけは、
どうやらフランシス・ベーコンあたりの、時代らしい。

“The Oxford English dictionary” Second Edition
『オクスフォード英語辞典』〔第二版〕にも、
最初の用例として挙げられているのが、ベーコンの著作物からの引用なのである。

どういうわけだか、はこれ以上問わないことにして、
――今回は〈人類愛〉が戦略として有効であるということではない――
そういうわけで、ベーコンの〈 Philanthropyが、注目されるのである。


 ロンドン王立協会は、ベーコンの理念を受け継いでいると、評される……。
 そしてヨーロッパは、〈科学革命〉から〈産業革命〉の時代へと移行していく。


17 世紀 イギリスの「知と力」と革命と
〔後半〕: ベーコンと実験哲学:「知と力」の革新
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/philanthropy.html

2015年11月5日木曜日

蟷螂の斧 ― とうろうのおの ―

「ひとはパンのみにて生きるにあらず」
と、誘惑する悪魔に告げたイエスは、
彼にしたがう飢えた群衆に、パンだけではなく、魚もあり余るほどに与え、
十字架の上で死んだのち弟子たちの前に現れた際には、
肉体をもって復活した、あかしとして、焼いた魚を食べてみせた。


『聖書』の解釈が困難であるというのは、そこに記述されていることが、寓意に充ちているからだろう。
〈聖書〉――特に〈旧約聖書〉はそもそも預言者による〈預言書〉であり、
「預言[よげん]」とは、「預[あず]けられた神の言葉を知らしめるために語る」ことだったのだ。
それは、いわゆる「民間宗教」などによる「予言」とは、根本的に性質を異[こと]にするものだが、
一般の「予言書」と比較して、〈聖書〉が寓意に充ち満ちていることは、同様なのである。

それは、読者のそのときどきの状況により、いかようにも解釈可能なものなのである。
そういうことと、関係があるないか、
今回は、次のような文章を、下記のページ〔前半〕に記述した。

 寓話は、特定の意味をもたない。特定の比喩も想定されてはいない。暗喩さえも意図されない。
 そこに意味を見つけるのは、読者の想像力だ。
 あなたの頭の中にある「筋書き」にしたがって、その「物語[ストーリー]」が示唆する、特定の意味が見いだされていく。寓話というのは、そのようなものをさす。

――

上述のように記したのは、「論文」が「文芸作品」のようであってはならない、と突然思ったからだ。

「文芸作品」というのは〈省略〉で構成されており、その〈行〉を介して〈行間〉を読ませるものだ。
一方「論文」はすべてを〈明示〉しなければならない。
「書かれていないこと」を〈論拠〉として論を進めるのは、「暴論」というものだ。
「あとはご想像におまかせします」というのでは、まるで「芸術」もどきなのである。

いったい「藝術」をやりたいのか「学術的な論文」をものしたいのか、どうなのか。

 データは、意味をもたない。だが情報は意味をもつ。そこには解釈が介在する。
 つまり、結果が意味をもつのは、ひとの主観がそこに加わったときである。

宇宙という時空そのものが、ひとつの寓話なのだ。

最近は、ゴミのようにしか扱われなかったデータを再検討することでノーベル賞につながった、
――とかいうような、事例に遭遇することが多い気がする。

「芸術は〔爆発力ともいわれる〕発想力〔と技術力〕がすべて」みたいな、厳しい世界のようだ。
その入り口だけを都合よく拝借して、それで「何かが完成する」というような、都合のいい話にはならないだろう。
いずれにせよ、中途半端なままでは、中途半端にしかならない。

ああ、なんだか中途半端な書き方にしかならない。
肝に銘じたい――。

 でも、ドン・キホーテで構わない。


17 世紀 イギリスの「知と力」と革命と
〔前半〕: ベーコンとホッブズ:「知と力」と魔術
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Hobbes.html

2015年10月30日金曜日

〈神の摂理〉と「帝国の逆襲」

イングランドに共和制がもたらされた、ピューリタン革命の約 10 年後、
王政復古により、処刑された王の息子であるチャールズ 2 世が、英国の国王として迎えられます。

そして、王政復古では、まさに「帝国の逆襲」が、遂行されました。

「帝国の逆襲」というのは、あの『スターウォーズ』の第 5 部のタイトルですが、
いやはや、時を経て、40 年間かけて完成させるという触れ込みの超大作の、
最後の三部作が、ついに、公開されようとしてます。

そういうわけで、冬には雪が降り積もり、雪景色も幻想的な、鳥取砂漠の、
「砂の美術館」には、砂漠を横断中に電池切れとなったか、あのロボットが、
砂の像となって、展示されています。

「鳥取砂丘 砂の美術館」(「スターウォーズ」公式砂像の情報 ↓ )
http://www.sand-museum.jp/

砂像として世界で初めてルーカス・フィルムが公認

ウォルト・ディズニーがデザイン監修!
「鳥取砂丘に“スター・ウォーズ砂像”10月8日登場! | 鳥取砂丘 砂の美術館」
http://www.sand-museum.jp/?p=18005

もしくは
「鳥取市公式ウェブサイト:鳥取砂丘に“スター・ウォーズ砂像”登場!」
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1441858623309/index.html


閑話休題(それはさておき)――


イギリス内戦である、ピューリタン革命の過程で、
国王を断頭台に送るための正当な論理として、革命軍は〈神の摂理〉に頼ることになりました。
なぜなら、神は「力の神」であり、勝ったものが神の側にあり、大義はそこにあるからです。
すなわち、「勝利が正義の証[あかし]」なのでした。

――それ以外に、正当な理由が、見つからなかったようです。

あきれたホッブズは、かの『リヴァイアサン』をぶちあげます。
革命軍で、ラテン語通訳をしていた、ミルトンは、その後、
失明してなお、『失楽園』と『復楽園』を完成させ、そして死にます。

一方、ことわりもなく勝手に国王を処刑されたスコットランドは、無論怒って、
殺された王の息子であるチャールズをただちに即位させ、

神の摂理による、疑う余地のない王位継承と血統の合法的な権利による、ブリテン、フランス、アイルランド」からなる複合王国の「正統な相続者であり、合法的な継承者」と宣言した。
『ピューリタン革命と複合国家』 59 ページ


という次第なので、〈神の摂理〉も、すでに「言ったモン勝ち」の様相を、呈しはじめ、
いやはや、凄い戦いになってきました。
というか、「宗教戦争」は、いつの世も、同じありさまでして……。

そういえば。

王政復古で行われた「帝国の逆襲」というのは、
国王処刑の首謀者どもの死体を墓から引きずり出して、刑場に送り、
晒[さら]し台に晒したうえで、八つ裂きにして、それからなお、
さらし首にするという、念の入れようだったと、伝えられております。


〈神の摂理〉と清教徒革命
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/puritan.html

2015年10月28日水曜日

神に責任転嫁しきれなくなって責任をサタンに押しつけようとする話

  だから、いずれにせよ「わしは悪くない」のである。


宗教改革から革命へ



 聖職者たちの想像力豊かな悪魔的発想力によって、ヨーロッパの大陸で魔女狩りの嵐が吹きすさぶ中、海峡の向こう、イングランドでは、宗教改革に、独自の路線を確立しようとしていました。
 そもそも同じ島国(ブリテン諸島)でも、スコットランドでは、魔女狩りの裁判に拷問が取り入れられていたのですが、国境を接するイングランドでは、魔女裁判といえども、積極的に拷問が行われた形跡はありませぬ。

――ところで。

1534 年は織田信長の生まれた年でありまして、その九年後、日本に鉄砲が伝来いたします。
1543 年、種子島に漂着したポルトガル人によって、火縄銃という新兵器がもたらされたのですね。
 《火器だけに画期的新兵器というわけで……》
……やがて。宣教師とともに、キリスト教も伝来しまして、切支丹大名が誕生するという勢いであります。


同じころ。欧州では――。(西欧で宗教といえば、キリスト教のことなのですが)
1534 年、総本山であるローマ・カトリックから、イングランドは、宗教的独立を果たします。

その後、「血のメアリ」の世に迫害されたプロテスタントの一部が、イングランドから大陸に逃れ、
そこで、さらなる「カルヴィニズム(カルヴァン主義)」を叩き込まれて、
エリザベス 1 世の時代に、強化型プロテスタントとして、故国に戻ってくるのですが、
それが 〈ピューリタン〉 誕生のいきさつだと、いわれています。
徹底的な神の正義という〈摂理〉のもとに革命を遂行する清教徒たちの祖が、ここに登場するのですね。

そういう、熱心なプロテスタントたちの信仰も手伝って、
女王エリザベスの時代には、イングランドにも、「魔女狩り旋風」が吹き荒れます。

そして――。

 17 世紀初頭、時は到り、「魔女狩り王」として名高いスコットランドの国王ジェームズ 6 世が、エリザベス 1 世の死後、イングランド国王ジェームズ 1 世として即位し、その統治 1 年目には、「魔女狩り法案」が強化されるに至るのでありまする。
……が。こはいかに。

魔女狩りの炎が燃え広がったエリザベスの時代とは逆に、なぜか魔女裁判は鎮静化へと向かうのです。
ジェームス 1 世は、自ら拷問を行った話でも有名ですが、
「魔女を捏造する裁判」を憎んでもいました。それは、彼の求める正義ではなかったからです。

彼の死後。――
次回はやっと、革命的 〈神の摂理〉 に手が届く。と、思いつつ……


Witchcraft Act 1604
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/WitchcraftAct1604.html

2015年10月23日金曜日

「魔女狩り」という名の 魔女狩り

いちど、魔女の嫌疑を受けたら、溺死か、火刑か。それとも恩赦による絞首刑か。
――と、いう時代があった。

西欧の〈魔女狩り〉の話だ。
最悪は、それを覚悟しなければならない、ご時世なのだ。
過激に過ぎる〈魔女狩り〉は、新大陸アメリカにまで飛び火している。

そういう話を読めば、その、
あまりの非道さに、誰かを糾弾したくなる。
誰かを悪者にしなければ、これはもう、おさまらぬ。
現代の魔女狩りは、そういう正義の「魔女狩り」の時代だ。
そうなのかもしれない。

それは、ようするに、自然に対する人間の無力さに繰り返される、歴史か。


誰が、本当の《魔女》なのか。何が本当の《差別》や《偏見》なのか。
糾弾する側は、いつも正義だ。

ヨーロッパを飢饉が襲った、17 世紀――。
当時、イギリスのピューリタン革命でも、〈神の摂理〉が振りかざされた。
それは、「勝てば官軍」の正義だ。

だから、パスカルはいった。

「人は正義にしたがうことを力であるとすることができなかったので、力にしたがうことを正しいとしたのである。正義を強くすることができずに、力を正しいとしたのである。」 『パンセ 299


ジェームズ 1 世の『悪魔論』 と 魔女狩り法案 と 内戦 と
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/James1st.html

2015年10月21日水曜日

女王陛下の魔術師

1603 年に即位した、英国王ジェームズ 1 世と魔女狩りの関係についての資料を調べていて、
彼が自称した “king of Great Britain” あるいは “the empire of Great Britain” は、

その前の世紀(16 世紀)、女王エリザベス 1 世の時代に、
彼女の戴冠式の日取りをも定めた、魔術師ディーによって、

〈ブリテン帝国〉 “British Empire” として構想されていた という、
そういう展開となりおりはべり……いまそがり。


ちなみに、
「魔術」の英語 magic は、『聖書』に記述のある「東方の三博士」の名称、
the (three) Magi を、その語源とします。

イエスの復活を目撃した
「マグダラのマリア (the Magdalen : Mary Magdalene)」も、
語頭に「マギ (mag-)」を含みます。
興味を持たれましたなら、『聖書』の
「マタイ伝福音書」第 2 章、「マルコ伝福音書」第 16 章をご覧くださいませ。
――もうひとつ、ちなみに。maggie は、Margaret の愛称となります。


そういうわけで「マギ」というのは、かの「エヴァ」のトリプル合議制スーパーコンピュータのシステム名ですが、すなわち、それは、この三賢者を模したものなのですね。

Magi は、三博士の総称(複数形)でして、ひとりを指す場合には、Magus となります。

で。――「魔導士・魔術師・占星術師」の単数英語は、Magus なのです。

それは、日本的には、宮廷で活躍した天文博士である「陰陽師」と、なりましょうか。
そういえば、日本の陰陽師も、江戸時代(17 世紀以降)には、暦の作成に、名が出る程度でして。


エリザベス 1 世 と 女王陛下の魔術師
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/Dee.html

2015年10月14日水曜日

パスカル「力のない正義は無力であり、反対される」

少林寺拳法の開祖も、極真空手の創始者も、同様な教えを語る。

「力のない正義は無力であり、愛のない力は暴力である」

かくの如くである。

これは、今回の表題に掲げた、パスカルの言葉を、容易に連想させる。

そういうわけで、かどうか、最強の「神」が最も正しい、ということになる。
では「神」なき時代の正義はどこにあるのか。

――だから、なのか。「強いアメリカ」がアメリカによって常に語られる


西欧の革命の時代の、文献に当たっていて、
フランシス・ベーコンの「知」と「力」についての、誤解めいた慣用句について、
詳しく調べていくと、やはり、歪曲という常套手段を免れようもないことが知れる。

ひとは都合のいい話ばかりを聞きたがる、と、
パスカルもまた、都合よく、聖句を変えて、引用していたりする。
未発表原稿なのだし(遺稿)、たぶん、ちょっとした、勘違いなのだろう。
と、都合よく、解釈しておく――。

で、それに絡めて、

パスカルの「知」と「力」についての言葉も、ピックアップしてみた。

そんなこんなで、また、
「無知」を力とした、ファインマンさんの語り口をも、思い出す。
われわれは、まだ何も知らないのだ。だから――。

「知らないことから、はじめよう」

――とりとめもない、疲れるだけの、話だ。

だから。ここで、一度、

無知は力なり、と、開き直ってみる。


ベーコン 及び パスカル の 「知と力」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Pascal.html

2015年10月8日木曜日

ファブラボとっとり 見学記

というわけで、今日は「ファブラボとっとり」というところに、
見学に行き、そこでお話を伺ってきました。

ファブラボとっとり
http://www.fablab-tottori.jp/

鳥取大学が運営する「ものづくり協力会議」の主導のもと、
鳥取県と鳥取市が協力して、「鳥取市文化センター」に開設されたものです。
(開設日: 2014 年 5 月 17 日)

現在の入会対象年齢は、小学校5年生以上となっていますが、
開設当初の半年間は「年齢制限ナシ」だったということで、

2015 年 10 月 8 日現在の会員数 210 名の年齢幅は、

7 ~ 72 才となっているそうです。

今年、鳥取県中部と西部にも、拠点が増え、ますますの発展が望めそうな勢いを感じますが、
地元の、若い世代の力が、もっともっと必要だとのことです。

簡単なレポートですが、ホームページで情報収集し、実際に、足を運んで、
自分の目で、実地の(リアルな)、活動内容は、ご確認ください。

パソコン用の、高価な、「リアル物作り」の設備が、整っている場所です。

FabLab(ファブラボ)とは世界のものづくりネットワークです。

と、ホームページにも、そう書いてありまする。

2015年10月1日木曜日

三木清の『省察』

 三木清著『人生論ノート』(新潮文庫)という一冊の薄い文庫本がいつからか本棚にある。
 どういうわけで、そこに並んでいるのか、買った覚えがない。また読んだ覚えもない。
 しかしながら、今回、デカルトの邦訳に三木清がかかわっていることを知って、手に取ってみた。
 昭和 29 年に発行されたものが、昭和 42 年の改版を経て、昭和 51 年に 53 刷とある。カバーにある定価は、160 円である。
 三木清の記した「後記」には、「昭和十六(一九四一)年六月二日」とある。
 徴兵され、戦禍をくぐり抜ける以前の、記録である。
 敗戦後まもなく獄死。と、辞書(『広辞苑』)にあるので、死後に新潮文庫に収録されたものと思われる。
 その三木清の遺作のひとつが、デカルト『省察』の、邦訳である。
 創元社版『デカルト選集』が、それでやっと完結した。
 そのいきさつは、死んだ三木清にはもう書けぬが、「解説」と「後記」に詳しい。
 岩波文庫の一冊として、その後刊行された。


三木清・訳/デカルト『省察』 のこと
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/MikiKiyoshi.html

2015年9月29日火曜日

神という形而上学

 17世紀初頭というのは、徳川家康が江戸に幕府を置いたころのことになる。
 日本の「江戸時代」は、1603年から始まっている。
 その、2年後、西欧では 1605年に、ベーコン『学問の進歩(学問の発達)』を出版している。
 それは自然哲学を「自然学」と「形而上学」に分離しようとする最初の試みだったと、いえるかも知れない。彼は、想像力ではなく、実験による結果をもとに、「自然の解明」を行うべきであると、繰り返し主張した。

 ニュートン『自然哲学の数学的〔諸〕原理』(1687) を発表したのは、デカルト「幾何学」を附した『方法序説』(1637) 刊行の、ちょうど 50年後のことになる。

 ニュートン力学は、「重力」の説明以外には、神を必要としないものであった。――が、このように幾何学的(数学的)に美しい宇宙体系は、神の実在なしには考えられないといって、ニュートンとしては、確実に神が存在する証明になったと思ったのである、らしい。
 だが、後世、ラプラスにより、神が必要でなくなったのは、ニュートン力学のおかげです、と、彼(ラプラス)はいっているようである。

 このように錯綜する 17世紀の〔神の〕形而上学について、当事者たちはどのように考えていたのか、その文献を追っていて、ガリレオはさすがにそうそうは、書き残していないだろうと思っていたら、20世紀のローマ法王、ヨハネ・パウロ二世により引用されるような、文献を遺していたのである。
 とんでもないことには、それはもともと教会側の人物による言葉であったにもかかわらず、さも、ガリレオの創意であるかのように流布しかねない勢いが、その言葉にはある。

 無論、ヨハネ・パウロ二世は、正しく「バロニウス」による警句とされている、として、引用している

まったくもって、散惨、調べ倒してから、次のような便利なものがあることに、気づいたのであった。

ヨハネ・パウロ2世によるガリレオ・ガリレイの名誉を回復する講演の掲載資料。(国立国会図書館(National Diet Library))
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000006-I000126457-00

――

そういうわけで、思いもかけず「天〔へ〕の道程[みちのり]」。


自然学とメタ自然学 《 Physica et Metaphysica 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/metaphysica.html

天の行き方と天への行き方 《 How the Heavens Go 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/HowtheHeavensGo.html

2015年9月25日金曜日

続・神という仮説

もう、三カ月も前の話です。夏は、台風とともに去りました。

―― 覚え書き

2015年6月22日月曜日
ラプラスの「神という仮説」に関する資料

ラプラスの魔
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Laplace.html

『数学をつくった人びと』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Bell.html

――

 それから、ゼロとアリストテレスとデカルトとラプラスに関係しそうな資料を積み重ねてきました。

 結局、ライプニッツの「充足理由律」で、いったんしゅうそくの運びです。

 あと――、
資料がけっこう散乱してきたので、グーグルのカスタム検索機能を使った
「サイト内検索窓」を設置しました。


ライプニッツ「充足理由律」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/monadologie.html



追記:http://theendoftakechan.web.fc2.com/

トップページにも「Google カスタム検索」ボックス装着完了しました


2015年9月18日金曜日

すべての現象には 必ず理由がある 《 Leibniz 》

この表題の語句の言いだしっぺは――いまや、誰かはわからないんですけれど、

慣用句の如くに有名にしたのは、まぎれもなく、――それはガリレオではなくて、

その数十年後に登場したライプニッツ、なのであります。

この天才の物語は、戦禍に荒廃した祖国ドイツを出て、花の都パリへと出張したあたりから、
次第に加速して、始まるようです。
――伝記は、まだ読んでいません、が下村寅太郎『ライプニッツ研究』に、そう書いてありました。

フランスの都、パリに上京した当時のライプニッツはまだ、

デカルトの「幾何学」さえ、知らなかったといいます。
それが数年にして、世界的な、数学の最先端に位置するようになったという、天才ぶりです。

彼が、その画期的な微分法を開発したのは、ニュートンとほぼ同時期で、
現在の微積分の方程式の記号には、ライプニッツの方式が使われています。
ライプニッツは、記号学の覇者でもあったのです。

その「微分積分」にかんしては、
風の噂によりますと、ニュートンの祖国イギリスでは、ニュートンの先取権に拘泥するあまり、
世界の風潮に逆らってニュートンの「流率法」のやり方に従ってその後の数学を運用しようとして、
世界の数学界から、かなり水をあけられてしまった、という話です。
――あくまで小耳に挟んだ、風聞にすぎませぬが。

ちなみに、表題の、
ライプニッツの主張は、「充足理由律」と、いいます。


ライプニッツ『形而上学叙説』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Leibniz.html

2015年9月7日月曜日

カントのデカルト批判

このところ、ベーコンからデカルトへの思想の流れを追ってきたわけなのですが、
整理のためもあって、いま一度、関係資料を〔再度〕ピックアップして、

その典拠なども並べた挙げ句に、

キリスト教の最初期に「異端」宣告を受けた、オリゲネスのことなども、調べてみました。


さて――。

デカルトの何がいけなかったのか、カントがじっくり詳しく、その
『純粋理性批判』 に書き記しているので、そのあたりを、引用してみたところ、

ライプニッツに行き当たったため、次は、「充足理由律」つまり、

  すべてのものには、必ず原因がある。

などという話になろうかと、思われます。


哲学の系譜 ―哲学に属するもの―
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/philosophiae.html

2015年9月2日水曜日

デカルトの座標と「デカルト座標」

かつて、
デカルト『幾何学』(ちくま学芸文庫)という本をめくってはみたけれど、
そこに所謂―いわゆる―「デカルト座標」は皆目、見受けられなかった。

――にもかかわらず、デカルトの座標は「デカルト座標」でなければ、
どうにも説明がつけられず、その当座(今年の7月)に、自身でそう決着をつけた。

デカルトは、直交するふたつの数直線を幾何学に合体させることで、図形の長さやらなにやらを、それらふたつの数直線の交点を基準とする、二種の数値で表現してしまったのだ。

このように書いたのである。

――が、やはり、未確認の情報を勝手に決めつけるのは、誤謬の元である。

このたび、デカルトの座標は「デカルト座標」ではないと書いてある、
文献に出くわした、のである。

いま一度探してみたところ、デカルトの座標がどのようなものであり、
そこからデカルトはどのように解析幾何学を創出していったのかが解説してある、
『近藤洋逸数学史著作集 [ 2 ]』「数学思想史序説」というありがたい書物に辿りつけた。

そういうわけで、このたび情報の修正されたページをアップする、ことができた。
幸いなことである。

デカルトの座標と「デカルト座標」についての修正
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/geometrie.html#tetsugaku5r01


ページのトップは、こちら。

デカルト「幾何学」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/geometrie.html

2015年8月27日木曜日

ガリレオの望遠鏡

ガリレオが開発した天体望遠鏡は、悪魔の発明と恐れられ、世の自然哲学者たちから忌み嫌われた。
ガリレオの失敗とは何だったのか?

ひとは、見たくないものは、見たくないのだし、だから見えないのだし、
かりに見えたとしても、ちゃんと認識できないのであって……、と、いうことに尽きるようだ。
そのことは、それを嘆いたガリレオにしても、同様に思われた――。

人間は自然を、結局は見たいようにしか、見てないのだろうし、見えてないのであろう。

『コペルニクス的宇宙の生成 Ⅲ』 に、詳しい説明がありましたので、その引用文にて。

 ⇒ ガリレオの望遠鏡


覚え書き
 そのための、新しいインデックスページに、これまでの主な文献登場人物の生没年を、時代に従ってまとめてみました。
 それと、このブログへの逆リンクをトップページと、マップページに、設置しました。


ガリレオの望遠鏡
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/GalileoGalilei.html

at Dawn (これまでの主な文献登場人物年表)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/

Top Page
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Site Map Page
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2015年8月21日金曜日

『デカルトの誤り』及び養老孟司『唯脳論』での推論

アントニオ・R・ダマシオ『デカルトの誤り』という本で、

デカルトの誤りを一つだけ選ぶとすれば、デカルトの〈どの〉誤りを選ぶべきかが、考察されて、
『方法序説』にフランス語で “Je pense donc je suis” と書かれ、あるいは、
『哲学の原理』にラテン語で “Cogito ergo sum” と書かれた、あの有名な
「我思う、ゆえに我在り」が選ばれるべきだろうというようなことが、記述されているが、

「『原理』では ego cogito, ergo sum (私は考える、ゆえに私はある。第一部七節)」

という、山田弘明『方法序説』ちくま学芸文庫 (P. 235) の「訳注」は残念ながら、
彼らには遅すぎたようだ。

この件は、日本のウィキペディア「我思う、ゆえに我あり」にも掲載されており、
日本の読者なら、そのラテン語の誤りは、その気になればすぐにでも調べがつくはずだ。

どうやら著者は
R. Descartes (1637). The Philosophical Works of Descartes, rendered into English by Elizabeth S. Haldane and G. R. T. Ross, vol. 1, page 101. New York: Cambridge University Press (1970).
を参照したようだが、あいにく、その該当箇所を確認するには至っていない。
そういえば、コピーライト表示のページの原書名にも、ささやかなエラーが見受けられた。


そういえば――ということで、ついでに養老孟司『唯脳論』の勘違いにも言及しようとして、
まったくの悪口になるはずが、こちらはどういうわけか、
「調べなかったがゆえの、前進」を発見することになり、
「デカルト自身は、自らの出版物に “Cogito, ergo sum” と書いたことは一度もないようだ」
と知っていたなら、とてもこのように見事な論説は不可能であっただろう、という、ようわからん結論に現在は至っている。

そういえば――ということで、夏目漱石の『吾輩は猫である』にもデカルトは出現していた。


 そんなこんなで、デカルトの「コギト」について、自分なりに資料をまとめてみました、とさ。


デカルトの「方法」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/methode.html

デカルト 「第一原理」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Descartes.html

2015年8月14日金曜日

自然の光 という自然哲学的思想

自然神学と自然哲学との関わりから、

2015年7月1日水曜日
謂ゆるスピノザの「神即自然」というガラパ学説 について

2015年7月8日水曜日
《知は力なり》という学説 というより慣用句

という表題でこの場に文章を書いてから、はや、ひと月以上が経過して、

スピノザが論点とした、デカルトの「思惟」と「延長」について、
あるいは、ベーコンやデカルトが、拠り所としようとした「自然の光」について、
もしくは、打ち破ろうとしたアリストテレス主義というものについて、

『アリストテレス全集』の解説でも触れられていたボエティウスから、

トマス・アクィナスに続く道が、ようやく見えてきたような感じです。

それに加えて、イスラム経由のアリストテレス哲学がなぜ危険視され、異端視されたか、
その理由もある程度、明確化された記述にも、行き当たることができました。

ぶっちゃけ、新しい思想は、その完成度が高ければ高いほど、
危険視され、排除されようとする、ということのようです。
それは、つまり、
旧(保守)勢力の既得権益がそれだけ阻害され、破壊されてしまう危険性が高くなるためなのです。

そしてそれと同じことは、アリストテレスがキリスト教神学の礎となった後[のち]にもまた、
繰り返されることになったのです。

異端視される者たちは、現在のように刷新された当時と同様の思想を「新しい言葉」で語り、
それが受け入れられた後には、もっと「新しい言葉」で語られた彼らの思想を、
異端として、敵視してしまうようなのです。

トマスもベーコンもデカルトも、「神の知」と「人の知」について、
結局は、同じことをいっているように思われます。

――すなわち、ひとは思い上がってはいけない、と。

デカルトの言葉を、『デカルト著作集 3』(P. 77) から引用してみましょう。

 しかし、他のすべてに先立って、最高の規則として記憶に銘じておかなければならないことがある。それは、神によってわれわれに啓示されたことは、すべてのうちで最も確実なものであると信じなければならないということである。そして、たまたま理性の光が何かそれとは他のことを、このうえなく明晰で明証的なこととしてわれわれに暗示するように思われることがあっても、われわれ自身の判断によりもむしろ神の権威のみに、信を置くようにすべきである。~~。  〔第一部 76〕


ちなみに、トマス・アクィナスは『神学大全』第 3 問第 2 項で、「延長的量」に言及しており、

「延長的量」quantitas dimensiva とは、縦、横、高さの三次元に拡がる量である。
という解説が訳者により施されています。


〔再 (7月1日)〕 スピノザ ―― 《 自然という書物 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/LiberNaturae.html

〔再 (7月8日)〕 ベーコン ―― 自然の光 1
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Bacon.html

自然の光 2
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/LumenNaturale.html

2015年7月30日木曜日

アリストテレスのラテン語

アリストテレスの新たな思想が中世ヨーロッパにもたらされたとき、
それは最初、アラビア語からのラテン語訳に拠っていた、らしい。

しかしながら、やがて

アリストテレスのギリシア語に忠実なラテン語訳

というものが、中世ヨーロッパにおいて訳出されるにいたる。

であるからして、中世ヨーロッパのアリストテレスは、
最終的には、正統なアリストテレスである らしい。

どうやって、「アリストテレスのギリシア語に忠実なラテン語訳」であることが、
見極められたのか、そこのところは不明であり、推測に依らざるを得ないが、
とにもかくにも、イスラム思想の混入したアリストテレスではなかった、という次第である。

1600 年に、「地動説」で、火あぶりとなったジョルダーノ・ブルーノ も、
アラブの影響を受けたアリストテレスに基づいたキリスト教による断罪では、
死にきれないところであっただろう。

まずは、ひとつの懸念がこれで、払拭されたことになるわけではある。

詳しくは、以下にて。


アリストテレス主義 Ⅱ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/scholar.html

2015年7月22日水曜日

イスラムの神と「紙の道」

トマス・アクィナスのキリスト教的アリストテレス主義というものについて、
文献を抜き書きしていたら、その前段階における、

イスラムとアリストテレス主義の関係性について、
「神の道」ならぬ「紙の道」が大いに影響するような気がしてきました。

アリストテレスの思想は、彼の愛弟子である、
アレキサンダー大王と共に、インドにまで行きました。
その途中で、バビロニアから、‘zero’ の起源が加わっています。

領土の広さで、そのマケドニアの帝国にまさる、イスラムの大帝国は、中国にまで達しています。

イスラムの神が東進した結果、サマルカンドで、中国軍と激突

751 年 タラス川の戦いに勝利

その結果、それまで中国からの輸入品のみであった紙が、西洋に技術として
もたらされたのでした。


日本では、仏教と共に、大陸やら近場の半島やらから、大量の技術者が伝来し、
いにしえより、紙は日常の品となり、やがて日用の品となったと思われるのですが、
西欧では、そうではなかったのです。

紙はルネッサンスと共に中世のヨーロッパにもたらされた、画期的な技術であったわけです。
その結果として――
活版印刷の技術が発明され、本が大量に流布するようになった、という次第です。

コペルニクスの有名な本が出版されたのは、活版印刷の開発からおよそ 100 年後のことになります。


アリストテレス主義 Ⅰ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Aristoteles.html

2015年7月15日水曜日

プトレマイオス『アルマゲスト』とコペルニクス的転回


たとえば、コペルニクスにより、大いなるちゃぶ台返しの憂き目にあったとかいう噂の、

当時のキリスト教総本山が「天動説」の拠り所として絶大なる信頼を置いていたのが、


プトレマイオスの『アルマゲスト』という、ラテン語の書物なのです。

これはもともとギリシア哲学の流れにある、つまりギリシア語で書かれた、
アリストテレス主義の宇宙体系を決定づけたその代表的理論の書なのであります。

ギリシア語の原題は『数学的総合全 13 巻』
“ ἡ μαθηματικῆς συντάξεως βίβλια ιγ 

それがなぜラテン語の ‘Almagest’ というタイトルで読み継がれているのかというと、

―― 実は そのラテン語は ――


アラビア語に翻訳された際に付けられたタイトルである、
“ al-Majisṭī ” [マジェスティー] という書物の翻訳であり、
そのアラビア語のタイトルをラテン語で音写したのが、“ Almagest ” [アルマゲスト]、
という次第であることが、おおむね明らかではあるのです。

つまり、キリスト教会が後生大事にしていたキリスト教的アリストテレス主義というのは、
大いなるイスラム帝国が中国にまで及ぶ大帝国を築いた際に、
その新たな領土の学術的文化を摂取・保存した図書館を建設するという、
血と汗と涙の、一大事業の結果なのであります。

ようするにその典拠というのは、イスラム帝国の領土拡張の時期に、
当時の学術用語であったシリア語に翻訳されていた、ギリシア哲学原典を、
キリスト教圏が取り戻した際に、
アラビア語で再保存されていたものを、さらに中世風なラテン語化したものであったわけです。

無論、翻訳は、イスラムの思想で理解しやすいように、考慮されていたものなのであります。
それらイスラム的アリストテレス主義は、キリスト教徒が再発見した際には、
その翻訳されたラテン語文献は、当時のキリスト教会により禁書の憂き目にあっています。

「1210年、パリの管区教会会議はアリストテレスの自然学および形而上学を教えることを禁じた。1215年には、第四回ラテラノ公会議が同様の、しかしもっと厳しい反-アリストテレスの勅令を発表した」〔トマス・クーン『コペルニクス革命』常石敬一/訳 (P. 154)〕


それが、トマス・アクィナス『神学大全』などの功績により、
キリスト教のバイブル的扱いを受けるようになったという、次第なのであります。

そしてその結果、悲しいことには――すなわち、

コペルニクスの熱狂的なファンであったジョルダーノ・ブルーノは、
その著書のみならず、本人にまで火をつけられ、焚書と共に、
火あぶりの刑に処せられ、憤死した、という歴史が西暦1600年に刻まれることになりました。

これは、最初に禁書扱いをされたアリストテレスの呪いが、
キリスト教会総本山の感情に、火を点けたのでしょうか?――


そういうような、とても入り組んでいて、二転三転の説明が必要な、
大どんでん返しの、単純なちゃぶ台返しではとてもおさまらない、
ややこしい話になっていて、

――最終確認を怠っていた、

「コペルニクスの原理」の後半部分である、
「コペルニクス的転回」の資料チェックを一応は済ませました。

そもそも、カントが自身の立場を「コペルニクス的転回」で表現したという、
後世の哲学的主張が、
カント自身の直接的表現では確認できない、という話であったはずなのですが……

そこから、そもそも「コペルニクスの原理」は、
「人間原理」に対比されるところの「宇宙原理」に基づくものであるような、
それとも、「宇宙原理」が「コペルニクスの原理」に基づくのか……
日本語とても、かなり混乱するわけのわからなさに、
投げ出した、コペルニクスもびっくりの、お話しなのでした。


コペルニクス的転回
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/CopernicanRevolution.html

2015年7月10日金曜日

『神学大全』とアリストテレスとデカルト

アウグスティヌスの《自然的神学》以降に、
《自然神学》の資料としてあるのが、

トマス・アクィナス『神学大全』なのですが、
これはもはや、
キリスト教というよりも、アリストテレス思想の書といってもよさそうな気がするのです。
実際、辞書にも、トマス・アクィナスは、

その立場はキリスト教的アリストテレス主義であるが、アウグスティヌス主義やディオニシウス・アレオパギタ偽書の神秘思想にも深く影響された。

とか、書いてあるのです。

この後、キリスト教と ‘zero’ とデカルトの関係のあたりの資料を整理しようとしたのですが、
まだまだ中途半端です。

今後、もう少し書き加えたく思います。


トマス・アクィナス『神学大全』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Aquinas.html

2015年7月8日水曜日

《知は力なり》という学説 というより慣用句

つまりは


 ひとは間違えるものだ、といったベーコンの言葉を間違えて解釈した自然哲学者たちの系譜がある。――その通り。ひとは間違えるものなのだ。《知は力なり》といって、彼らは、ベーコンの言葉を自らの人生をかけて実証した。
  ここに、「巨人たちの肩」には「反面教師としての価値」すらも認められるのである。ありがたいことだ。先達には、あらためておおいに、感謝しなければなるまい。

ようするに


◆ 「《知は力なり》という名言を遺して自然支配を唱導した元祖とされるベーコン」という〈パラダイム(すりこまれた前提)〉を外してベーコンの邦訳文を読めば、ベーコンがそういうことをテーマに語る際の「知」は「人の知」ではなく「神の知」であり、その「力」は「神の力」であることは容易に読み取れるので、したがって、その支配は「神による支配」なのだという結論もまた、容易なはずであって、「人による自然支配」ということにはならないはずなのだが、どうもそうならないのはこれはきっと邦訳文が間違っていないのなら〈哲学者たちの前提〉には通常の人知の及ばないものがあるのだろう、と推測せざるを得ないものがあるのである。――それにしてもベーコンは、ひとは「神の知」に到達できると思いあがってはいけない、と繰り返しているではないか。

※ それともそれはやはり、最初に書いたように先達の「反面教師としての力」にすぎないのだろうか?


岩波文庫『学問の進歩』(p. 377)によれば、ベーコンは結論に付記して、次のように書いている。

……。しかし、それにもまして、わたくしは、他人がわたくしをふたたび追い越してくれることを望んでいるのであって、このことは、わたくしが論破によって他人の判断の自由を奪おうとはせずに、わたくしの意見をいわば裸のまま無防備のまま出したということによって、いっそうあきらかであろう。……。そして、わたくしが誤りを犯したような点においても、わたくしは、論争をこととする議論によって、真理をそこなわなかったと確信する。……。しかし、誤りは、わたくし自身のものとしてわたくし自身がひきうけよう。……


《 自然の光 》及び
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Bacon.html

2015年7月7日火曜日

「ZERO」とデカルトと解析幾何学

以前に見た、
『数学をつくった人びと Ⅰ』 に、

出版しないというデカルトの決心は、すべての著作におよんだ。しかし一六三七年、四一歳のとき友人たちは、不承不承の彼を説き伏せて、ある傑作の印刷を許可させた。その傑作の題名を訳すと、『理性を正しくみちびき、科学における真理を探究する方法に関する叙説、さらに本方法による試論としての光学、気象学、幾何学』となる。この著作は簡単に『方法序説』という名で知られていて、一六三七年六月八日に出版された。従って解析幾何学は、この日に誕生したわけである。

と、近代数学の元祖のような紹介の仕方がされていたので、
数学者デカルトについての補足資料を、ピックアップしてみました。


すると、西欧に ‘zero’ が導入された際に、キリスト教会の総本山が震え上がり、

――彼らがよりどころとしていたはずの書物は『聖書』ではなく――

バイブルとしての『自然学』とその神としてのアリストテレスという著者を死守しようとした、
という構図が見えてきました。

その当時の権威はキリスト教会にあり、

――すなわち――

絶対者としてのアリストテレスに逆らうものは、火あぶりとなったのです。

というように読める内容で、あんなことこんなことが、
『異端の数 ゼロ』 という本に書かれていました、という話です。


Stage Zero
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/zero.html

2015年7月1日水曜日

謂ゆるスピノザの「神即自然」というガラパ学説 について

Deus sive Natura

 「スピノザの所謂神即自然」なのである。
 それが我が国日本では古来より、哲学的に「いわゆる」が抜け落ちたまま、
 「スピノザの神即自然」という思想、として伝統的に語り継がれ――流布しているのである。
 これはもう「わが国独自の進化を遂げた」としかいいようのない、いわば(いわゆる)
 ガラパ学説なのである。
 スピノザはどうやら日本以外の国では、そんなことは語っていないのである。
 しかし例えば、次の如くである。

『近代科学と聖俗革命 〈新版〉』
村上陽一郎/著
新曜社/発行
新版第 1 刷発行 2002年07月05日

 (P. 55)
 もちろん、「自然の光」という着想は、イデアの世界から発する光を受け取ることこそ「知」の本質である、というプラトン的な――したがってまた「反アリストテレス的な」ギリシア思想にまで遡ることのできるものであって、そこに、新プラトン主義を媒介として、近代の自然観、すなわち神即自然という理神論的傾向へと向っていく足がかりもあったと言えよう。

 (P. 56)
 こうしてみると、序章で提案した聖俗革命の最も重要な截断面の一つが、ここに現われていると言える。つまり、中世的な聖構造のなかでは、「理性」は、自然界に生起するあらゆる現象を理解するには不充分・不完全であり、「理性」が被覆するところは、その一部に過ぎないと考えられているのに対し、ガリレオが「神は数学の言葉で自然という書物を書いた」と主張したのを一つのきっかけに、スピノザの「神即自然」《 deus sive natura 》に到るまでの動きのなかで次第に明らかになっていったのは、人間の理性は、自然の光として、自然界すべてを原理的に覆うという立場が現われ、やがては、その光の源泉としての神自身が棚上げされることによって、俗構造が完成される、という移行過程が、この場面で起っていることが読みとれるだろう。

 (P. 145)
 明らかにベーコンは、人類の神学的、哲学的な知識の双方が、「無限の進歩と上達」を遂げ得ると信じていたように見える。ここには、明示的ではないが、人類の歴史が、世俗的な意味で、直線的進歩の歴史なのだ、という暗黙の前提がある。「救済」の世俗化ともいうべきこの前提は、たとえばベーコンの場合には、明らかに前代の羅針盤などの技術的発展に刺激されている。

 ……救世主は、理性の一般概念と言語の規則とによって、聖書の真の意味を理解することができるように、われわれの理解力を啓き給うばかりでなく、とりわけわれわれの信仰の目を開いて、神の御業にとくに明確に刻印されている神の全能を、十分に省察するよう、われわれを導き給うのである。

と言って、学問の進歩が神の意志に叶うものであることを保証してみせたあと、技術と学問の進歩がいかに人間の進歩に連るものであるかと、いろいろな角度から記述するのである。


講談社学術文庫
『デカルト、ホッブズ、スピノザ』
上野修/著
2011年10月12日 講談社/発行
《本書の原本『精神の眼は論証そのもの』は 1999年、学樹書院より刊行されました。》
 (P. 10)
 それぞれの哲学体系の中心部には、だれもが知るように「コギト」があり「神即自然」があり「可滅の神リヴァイアサン」がある。~~。

講談社現代新書 1783
『スピノザの世界』
上野修/著
2005年04月20日 講談社/発行
 (P. 75)
「神あるいは自然」(Deus seu Natura)。「神即自然」と訳されることも多いこの言葉はたいへん有名で、ほとんどスピノザ思想のキャッチコピーの感がある。~~。



 これではもう「だから日本は歴史認識が間違っているのだ」などという、
 わけのわからぬいいがかりにも、
 「スピノザに関しては、一部同意せざるを得ないものがあります」
 と答弁せざるを得なくなってしまうのである。
 つまり例えば、次の如くである。


『岩波 哲学・思想事典』
廣松渉・子安宣邦・三島憲一・宮本久雄・佐々木力・野家啓一・末木文美士/編
1998年03月18日 岩波書店/発行
 (P. 261, l)
 神即自然 〔ラ〕Deus sive Natura
 スピノザの汎神論を特徴づけることば。スピノザはユダヤ・キリスト教の伝統的な神(創造主)と自然(被造物)の二項対立の考え方をとらず、神と自然とを同一視した。しかしこの場合の自然とは従来の被造物としての、あるいは単なる現象としての可視的、物質的自然ではない。むしろそれはまず唯一、永遠・無限の実体としての〈能産的自然〉である。それはそれ自身の本性によってあらゆるものを実体の様態あるいは変様として自己のうちに産出する内在因である。産出されたあらゆる様態、つまり〈所産的自然〉は実体のうちにあると考えられるため、因果的には能産的自然から区別されても、実在的には区別されない。両自然は対立しているのではなく、一つに統一されている。かくて彼において存在するものは実体とその諸様態のほかにないとすれば、結局この統一された自然のみが存在することになる。神即自然である。18 世紀のドイツ・ロマン主義哲学者たち、たとえば、シェリング、ヘルダーリンなどはこの意味の神即自然をとらえて、スピノザ哲学をヘン・カイ・パーン(一即全)と特徴づけ、新スピノザ主義の時代をつくった。
 〘文献〙 E. Curley, Behind the Geometrical Method, 1984   〔工藤喜作〕


【再掲】
Oxford Reference
http://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780199541430.001.0001/acref-9780199541430-e-908

deus sive natura

(Latin, god or nature)The slogan of Spinoza's pantheism: the view that god and nature are interchangeable, ...


※ 引用に誤植があれば、お知らせくだされば、訂正いたします。


 というわけで、以下に、
「自然神学」という用語の概念について、モンテーニュとアウグスティヌスに関して、
資料を抜き出してみました。

それにともない、デカルトを後に回して、スピノザにまで、手をかけてしまったわけです。


モンテーニュ「レーモン・スボンの弁護」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Montaigne.html

アウグスティヌス『神の国』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Augustinus.html

《 自然という書物 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/LiberNaturae.html

2015年6月26日金曜日

自然哲学者と モンテーニュの『自然神学』

1595年10月3日付の恩師への手紙で、ケプラーが、
「私はこれらを発表しようと思います。自然の書の中において認められることを望みたもう神の栄光のために」

と書き、翌年に出版された『宇宙の神秘』(1596年)でも、

「神秘な何かを知ろうとされるのならば、事物の自然の中にこそ最も秘め隠されたものがあるのです。いやむしろあったのです。ただわれわれの題材は、そのもたらす利益が無思慮な人々にははっきりわからないため、すべての人々を満足させるというわけにはまいりません。とはいえ、ここに、聖書であれほどほめそやされている自然という書物がございます」

と主張したのを皮切りに、有名どころが続々と、

ベーコン『学問の進歩』(1605年)で、

「それゆえ、結論としていえば、穏当というたわいない観念やはきちがえた節度からわり出して、人間は神のことばをしるした書物〔聖書〕、あるいは神のみわざをしるした書物〔自然〕の研究に、すなわち、神学あるいは哲学において、ふか入りしすぎたり、よく通じすぎたりすることがありうるなどと考えたり、主張したりしてはならない」

ガリレオ『偽金鑑識官』(1623年)で、

「哲学は、眼のまえにたえず開かれているこの最も巨大な書〔すなわち、宇宙〕のなかに、書かれているのです。しかし、まずその言語を理解し、そこに書かれている文字を解読することを学ばないかぎり、理解できません。その書は数学の言語で書かれており、その文字は三角形、円その他の幾何学図形であって、これらの手段がなけれは、人間の力では、そのことばを理解できないのです」

デカルト『方法序説』(1637年)で、

「わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問〔人文学〕をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした」

ついには、スピノザ『エチカ』(1663-1675年)で、

いわゆる「神即自然」と語ったとかされるわけですが、

この「神即自然」の「即」は、英語では正しく ‘or’ と翻訳されているようですね。

Oxford Reference
http://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780199541430.001.0001/acref-9780199541430-e-908

deus sive natura

(Latin, god or nature)The slogan of Spinoza's pantheism: the view that god and nature are interchangeable, ...



〔閑話休題〕
この流行のきっかけは「ベルギー信仰告白」(1561年)とする考えもあるようなのですが、
ここはひとつ、
モンテーニュ『自然神学あるいは被造物の書』(1559年)の原著の流行をそのはじまりとしたい、とばかりに、いろいろと、資料にあたってみました、とさ。


『自然神学あるいは被造物の書』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Sebonde.html

2015年6月22日月曜日

ラプラスの「神という仮説」に関する資料

『数学をつくった人びと』 という本に、

ラプラスの発言が引用されていました。

「閣下、私にはそのような仮説は必要ございませんでした」

これは、どうも、ド・モルガン の、

“A BUDGET OF PARADOXES” からの、

引用と思われるのですが、

著者の ベル は、
「この本では、史実を述べるたびに典拠をあげるとしたら、たいへんな量の脚注が要るであろう」

と、「おぼえがき」で述べてしまっているので、これはどうにもならない話なのでしょうか?

詳しい資料内容は、以下のサイトにて公開中。


ラプラスの魔
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Laplace.html

『数学をつくった人びと』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Bell.html

2015年6月19日金曜日

科学革命の着地点

「アルキメデスの原理」と「コペルニクスの原理」からはじめて、
ケプラーとガリレオを経由し、
ニュートンの「プリンキピア」への道を辿ろうとして、
…………
すったもんだの「自然哲学」と「自然神学」のパラダイムシフトの結果としては、
「ラプラスの魔」により「神という仮説が必要なくなった」、19世紀。

ナポレオンに重用されて、讃美を極めて「献辞」を書いたラプラスは、
情勢の変化にも聡く、あっという間に今度は「ナポレオンの追放令」に署名する始末とは、
こりゃ、酸鼻の極み。――にもかかわらず、順風満帆な人生を送ったようなのではあるが。


この想定外の長丁場も、

あとは、ラプラスの発言に関する資料と、「人間原理」に始末をつければ、
やっとこ「パレート原理」に移れそうな気もしつつ、
「自然神学」関連の資料も、この際、見渡しつつ……。


自然哲学 ( 自然という書物 )
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Kepler.html

プリンキピア “Philosophia Naturalis Principia Mathematica ”
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Principia.html

2015年6月12日金曜日

ファインマンが言ったとかいう有名な作り話

そちこちの「科学哲学」関連の書物でみかけたものですから、
その原典を探してみるってえと、

『現代思想』 1998年 11月号 vol.26-13

に、参考文献として紹介されていました。ありがたや……。

で、「国会図書館」に在架していたところの該当の本を取り寄せて貰い、
(県立図書館ともどもにありがたや……)

(1) Noretta Koertge ed., A House built on sand, Oxford Univ. Press, 1998, p. 32.

という、註釈に従って、その紹介文を見ると、

Richard Feynman's famous (perhaps apocryphal) judgment that philosophy of science is about as useful to scientists as ornithology is to birds has been quoted and echoed by Steven Weinberg, who entitles an entire chapter of Dreams of a Final Theory  “Against Philosophy.”

それで、但し書きの (perhaps apocryphal) は、なんと「たぶん作り話」!!

つまりは、「有名な」作り話の、紹介なのでした。

どういうことだ、これは!

そういうような話も、ページの最後の部分に、資料として、テキスト化しております。
と、いう、最近アップロードした、マイ・ページの話なのでした。

新「科学哲学」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/kuhn.html


あと、参考資料の書誌情報のページを、やっとこさ、
HTML5 + CSS バージョンに、修正いたしましたと、さ。

Reference (文献・資料 等)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/reference.html

2015年6月3日水曜日

ユニコード入力支援ページ

以前に作っていた JavaScript による
「ユニコードの入力支援ページ」を リニューアルしました。

HTML5 + CSS という形式で タグを書き換えつつ、少々、手直しも加えてみたのです。


ユニコード一覧のページ(255 文字 × 255 頁)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/unicode.html

10 進数コード・16 進数コード・文字 の相互変換ページ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Recode.html

ラテン文字
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Latin.html

ギリシャ文字
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Greek.html

アラビア語
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Arabic.html

デーヴァナーガリー文字
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Devanagari.html

サンスクリット語の五十音表の母音参考形など(入力方法とかも)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Sanskrit.html

2015年5月29日金曜日

「コペルニクスの原理」とパラダイムシフト

トーマス・クーン( Thomas S. Kuhn )というひとは、

『コペルニクス革命』 “THE COPERNICAN REVOLUTION”
という本のあとで、

『科学革命の構造』 “THE STRUCTURE OF SCIENTIFIC REVOLUTIONS”
という本を書いています。

‘THE COPERNICAN REVOLUTION’は、
「コペルニクス革命」とも「コペルニクス的転回」とも日本語に翻訳される言葉です。

「コペルニクスの原理」について調べようとしていたら、とりあえず、
トーマス・クーンの著作に行き当たってしまったというわけです。

ついでながら、
「目からうろこ」のたとえのはじまりは、新約聖書にあります。
――と、『広辞苑』に書いてありました。

そういうわけで、ギリシア語の原典部分を、デジタル化してみました。


コペルニクスの原理
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Copernicus.html

目からうろこの パラダイムシフト
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/paradigm.html

2015年5月27日水曜日

《錯視図》

《錯視図》 というのは、
「明らかに違う絵を描いておきながら、『ほら、違うように見えるでしょう?』とかいう愚劣な手法とは異なる、学術的かおりの豊かな、視覚の特性を活用した、不思議のひとつ」
です。

 ――が、どうしたって、「明らかに違う絵」にしか見えないものもあります。

 その各種 《錯視図》 をウェブ上で、即刻、大きさの比較確認をしてしまえるサイトを、自分なりに作ってみました。

矢とか、扇とか、円とか、いずれ劣らぬ見慣れた図形どもなのですが、
専門家の秘儀に、翻弄される始末であります。

その――どうしたって、「明らかに違う絵」にしか見えないもの――

の代表格に「シェパードの平行四辺形」があり、その図柄を

『試してナットク! 錯視図典』 (Amazon のページにリンクしています)

より、コピーして、またその他の図案もまた、拝借して、1ページ作ってしまいました。

そういうわけで、図を重ねてみて、試して、確認して、楽しんでもらえたなら、
改めて、本の各著者に感謝いたしましょう。

《錯視図》 のページ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Opticalillusion.html

2015年5月24日日曜日

光子の奇妙なふるまいと「量子電磁力学」

 ファインマンさんは、いいます。
どんな形で現れようと、それが自然の性質ってもんで、自然はありのままの姿で現れるもんなんだぜ!

 また、スペースシャトル《チャレンジャー号》事故調査報告書で、こう述べます。
テクノロジーを成功させるためには、広報よりもまず現実を優先すべきである。なぜなら自然を欺くことはできないからである

 そして、
「~~、電子のほかに僕らが光子として表す光の電気力がある。ということは光と電気力が一つにまとまって光子と呼ばれるものになるということだ。だからいうなれば外の世界、つまり核の外には電子と光子があることになる。その電子の振舞いに関する理論が量子電磁力学だと、こういうわけだ」
と、あっさり説明してのけます。

 かたや、朝永振一郎さんは、光子を裁判にかけて、
すなわち、被告は姿を現さない時には二つの窓の二つとも一緒に通りぬけていく、と考えねばならぬということであった
と、いう核心を、ベクトルの合成を例に、簡明に解説してしまいます。

 むずかしくいうと、
「こういうものは、その状態が一つの無限次元複素空間内の原点から射出する一本のヴェクトルで示されるようなものであったのである」
ということらしいのですが、X軸とY軸であらわされる「向き」の話であるならば、多少は我々も聞く耳を持とうというものです。

 そいでもって、図書館に、ファインマンさんの洋書があったので、英語原文と日本語の翻訳を一部、対照してみました。


量子電磁力学(QED) quantum electrodynamics
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/qed.html


量子電磁力学 朝永振一郎「素粒子は 粒子であるか」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/tomonaga.html


《 英文対照:ファインマン 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Feynman.html

2015年5月22日金曜日

「アルキメデスの原理」とガリレオ

「アルキメデスの原理」というのは、「浮力の原理」なわけですが、
当のアルキメデスといえば、

満水の浴槽にざっぷりと身を沈めたところ、
湯が怒涛のごとくにあふれて、結果、
なにやら叫び続けながらギリシャの町中を、

元祖。ストリーキング、というわけのわからん伝承で有名なわけで……。

そのアルキメデスの伝説の誤解を解こうと、ガリレオが立ち上がったわけです。

ということについて、また「科学者」という名称について、資料をデジタル化してみました。

アルキメデスの原理
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Archimedes.html

2015年5月18日月曜日

「宇宙原理」のはじまり

「コペンハーゲン解釈」についての補足が、中途半端なままだったのを、
言葉としての「コペンハーゲン解釈」の初出とされるハイゼンベルクの英文資料が手に入ったので、
それらしい箇所をデジタル化しておきました。

http://theendoftakechan.web.fc2.com/matrix.html#copenhagen


「量子力学」について書いている最中に、
なにやら「量子電磁力学」という言葉を出して終わっていたため、
ここで、ファインマンの本などを引用しようとして、「宇宙原理」に行きあたりました。

どうやら、「宇宙原理」という言葉の言いだしっぺは、
エドワード・アーサー・ミルンというひとらしいのです。

「宇宙原理」に関するページ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Milne.html

以上、覚え書き、というわけで……。

2015年5月15日金曜日

ズレるとひとつ消える線


Canvas MouseMove改 ExArrow
http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKaiExArrow.html

上のページについては、その後、
“Arrow” バージョンの目的のひとつでもあった、
まっすぐな線の先っちょに「矢印マーク」をつけることに、ようやっと成功しました。

「ツール・ボックスを開く」→「図形の種類」→「矢印 ・ 直線 [線分]」 で、
「OK」を選択 ⇒ 「ツールボックスを閉じる」

★ キャンバスの上で ドラッグする と 矢印になります

また、
「矢印」の追加で、錯視図形の矢印など、作成しました。
その他、特に理由もなく、別の錯視図形数種も、追加してあります。
重ねてみて、確認して、遊べます。


そんなこんなで、「ズレると1本ズラかる線」の錯誤ページを作ってみました。
「消える妖精」の体験コーナーもあります。

隠れた分配の原理 ↓
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Gardner.html

2015年5月8日金曜日

「お絵描きキャンバス」ExArrow 追加情報

その後、
ファイルの「参照」二種で パソコン内の画像ファイルのイメージ化と、
そのまま画像として貼り付け に対応しました。

「矢印」の追加で、ベルギーアロー等の、色と大きさの設定が可能になりました。

幾何図形の描画に便利な、格子ラインを 間隔設定可能にしました。
それに ともない、黒色だけ消すボタンを設置しました。


消し色の 「消しゴム」化により、
これまでは、背景色を 上塗りしていたのを これからは ちゃんと 色を消します。

これで、

◎ 背景色の変更 (画像では 透明色)
◎ 背景の透明な部分に着色 (画像でも 色がつきます)

が 可能になりました。


その他、操作性の向上を目指しました。

◎ スポイト (色情報の取得)
◎ 色の塗り替え (指定された色を残さず)
◎ インクの流し込み (小さい範囲での)


サンプルは ここ ↓
Canvas MouseMove改 ExArrow

http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKaiExArrow.html

2015年4月30日木曜日

「お絵描きキャンバス」新バージョン

Tool Box が機能の限界に達したので 新しいデザインに変更しました

Canvas MouseMove改 ExArrow


Image IN モードを改善しました

ファイルの「参照」で パソコン内の画像ファイルの読み込みに対応しました。
これで、
編集中のファイルを保存して、改めて、作業を続けられるように、
今後、対応可能になります。


「矢印の追加」をクリックすると、テストモードなので、
いまのところ、3種類の矢印をキャンバスに乗っけられます。

幾何図形の描画に便利なように、格子ラインの描写も可能にしました

その他、操作性の向上を目指しました。


サンプルは ここ ↓
Canvas MouseMove改 ExArrow

http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKaiExArrow.html


追記 :

これまでのバージョンは、どれも、ひとつの HTML ファイルにして公開しています。

CSS も JavaScript も、新しいコードが混ざり込むと、動作に不具合が発生してしまうので、
別の名前で、スクリプトコードを保存していくと、どれがどれやら、
わけわからんようになったため、過去のコードは、ページ内にすべて記述するようにしました。

つまり、ソースの表示で、全部丸見え状態なわけです。

ちなみに、
Canvas MouseMove 改 Ex は、74KB と、なっております。

ページ自体は、画像ファイルを使っていないため、軽いのです。

2015年4月27日月曜日

「お絵描きキャンバス」追加情報

Image IN モードを追加しました


「フリーライン」をクリックすると
表示が「Image IN」に変わって 左上に新しい窓がのっかります

画像ファイルをここにドロップしてください
と書いてあるので そこに

デスクトップなどにある画像のファイルを ドラッグ アンド ドロップ
しますと

背景などにある色の白い部分はすべて透明色にして ページにコピーします


 たとえば この矢印などをコピーして デスクトップ上に置き




 サンプル・ページに ドロップしてみてください


組み込まれた画像アイテムは ドラッグで自由に移動できて
また マウスで押すと 時計回りに回転します
マウスを動かしたり ボタンを上げたりすると 回転は止まります

ダブルクリックで キャンバスにコピーします
アイテムを残すかどうか聞かれますので
どっちかに決めてください

表示の「Image IN」をクリックすると 左上にできた新しい窓が閉じます
残されているアイテムがあろうがなかろうが 一方的に
アイテムを残すかどうか聞かれますので
また どっちかを選択してください

以上の操作は 現在のところ Internet Explorer と
Google Chrome で 動作確認ができています


サンプルは ここ ↓
Canvas MouseMove改 Ex

http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKaiEx.html

2015年4月25日土曜日

Canvas に JavaScript で 楕円を描く サイン・コサイン関数

ここはひとつ Excel の手法にヒントがあるに違いないと見込んで探し求めたところ

酒井恒[さかい・ひさし]/著『Excel でわかる数学の基礎 〔新版〕』

という本の(42~44ページに)「5.1 楕円曲線」とあり

 [引用開始]

 Excel で、a=3, b=2のときの楕円を描くには、次のように行います。
 まずA列に t を 0 から 6.3(約2π)まで 0.3 ごとに入れます。次に B2 セルに =3*SIN(A2) を、C2 セルに =2*COS(A2) の数式を入れます。

 そして B2 と C2 セルを同時に選択し、オートフィルで t=6.3 まで計算させます。

 x と y のセル(つまりB列とC列)のみを選択してグラフを描けば、次のような曲線が得られます。

 [引用終了 : 図は省略

ということでした――

数値の意味は、次の通りです。

a=3 は、長径。
b=2 は、短径。
t は、ラジアン(ラジアン=角度/180×π)。

 パソコンの関数には、角度をラジアンで指定するようになっているようです。
 πラジアンが、180 度になる模様です。
 2πラジアンが、360 度になるので、2 × 3.14 = 6.28 で、約 6.3 ラジアンが、360 度というわけです。
 これを、0.3 ラジアンごとに計算するという手法なのですが、今回は、0.1 ラジアンごとに計算しました。
 360 ÷ 63 ≒ 5.7
 つまり、5.7 度ごとに角度をかえて軌跡をペンでなぞるわけです。

今回チャレンジしたのは、キャンバス上でマウスの左ボタンを押して描かれた
その始点と終点を対角線とする長方形内にぴったりと楕円を描くという JavaScript です。

var x_s = MouseDown の x 座標;
var y_s = MouseDown の y 座標;

var x_e = MouseUp の x 座標;
var y_e = MouseUp の y 座標;

var x_m = MouseMove している間の x 軸変化数;
var y_m = MouseMove している間の y 軸変化数;

x_m = x_e - x_s;
y_m = y_e - y_s;
mPen.beginPath();
mPen.lineWidth = 1;
mPen.strokeStyle = '#000';
mPen.moveTo(x_s + x_m/2 + Math.round(x_m/2*Math.sin(0)), y_s + y_m/2 + Math.round(y_m/2*Math.cos(0)));
for(var i=1;i<=63;i++){
mPen.lineTo(x_s + x_m/2 + Math.round(x_m/2*Math.sin(i/10)), y_s + y_m/2 + Math.round(y_m/2*Math.cos(i/10)));
}
mPen.stroke();

1. 位置変化情報を計算したら、角度 0 の位置にペンを移動させる
2. 1 から 63 まで計算された軌跡をペンでなぞる
3. その軌跡をペンで描く

 たったの 実質3行で 完結です。

 上に書いた Script 部分は、線の太さと色以外は、すべてそのまんまコピペしたものです。
 結果は、いつものサイトで確認できます。

 「ツールボックス」を開いて「図形の種類」から選んでください。
 「幾何図形」ボタンに(x, y)の開始座標が出ます。
 その、「幾何図形」ボタンをクリックすると、「自由描線」モードに戻ります。

Canvas MouseMove改 Ex

http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKaiEx.html

2015年4月24日金曜日

「お絵描きキャンバス」修正情報


近頃
Undo, Redo の正当な書式と思われる

リドゥ配列.push(アンドゥ配列.pop());

アンドゥ配列.push(リドゥ配列.pop());


を 発見しまして、処理手順を全面的に書き直したところ、

アンドゥ・リドゥ処理が大幅に軽くなりましたので、
アンドゥ最大回数を 30 回に増やしました、とさ。

この Array.メソッド については Java などの参考書が有効かと思います。

現状をただちに保存するボタンはつけてありませんが、
一度、UnDo ReDo を繰り返しますと、その画面は保存された状態になる仕組みです。

追加の機能として、直線・三角・四角・円の幾何学図形描画に、
ようやく対応できました。楕円は、研究中です。


あと、それと、ローカル(自分のパソコン)に保存されていない状態で、
「リセット」ボタンを押しますと、サーバーに再読み込みに行きますので、
オフラインの際には、

「全 消」ボタンで、よろしく願います。


Canvas MouseMove改 Ex
「お絵描きキャンバス」改 Ex

http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKaiEx.html

2015年4月21日火曜日

「お絵描きキャンバス」改 Ex

改善点は 次の通りです

アンドゥ 及び リドゥ に対応しました
Undo, Redo (安藤, 梨藤)

テストモードで 10 回 可能にしてあります

キャンバスの画面を イメージエリアに独立して表示させることで
現在の画像の保存が 容易になりました
Image ボタン

イメージを表示させたら 右クリックで 「画像の保存」です


Canvas : 動作環境

HTML5 + CSS3 + JavaScript + 最新のブラウザ

つまり、最近のパソコンならそのまま動作します
ページを表示させたあとは オフライン

――インターネットにつながっていなくても――


一端ページを閉じてしまわない限りは 動作可能です


Windows8.1 タッチパネル搭載機 + Firefox

での 動作確認事項


「オフ・モード」のときに一度 指でクリックしてから

―― 「オフ・モード」で 一度クリック動作を指で行う ――


―― 「オン・モード」になります ――


いったん指を離した後で そのまますかさず
もう一度指で触れて 画面を指でなぞります

―― ダブルクリックの 二回目を ドラッグする感じで ――


指で 自由にラインを描くことができます

線の色と太さは設定ボタンが小さいので マウスでどうぞよろしく


Image 画面を表示させた場合に

―― この ダブルクリックの 二回目を ドラッグする感じで ――


 その位置を 指で動かすことができます

もちろん マウスでは 普通にドラッグして イメージ画像の位置が変えられます

「お絵描きキャンバス」改 Ex


http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKaiEx.html



もう少し スクリプトの整理ができたら 要望があればですが
ソースコードは公開可能です

前回のバージョン

「お絵描きキャンバス」改


今回こっちのページは、全コードを一つのページに入れ直したため、

――つまり 右クリック ⇒ ソースの表示で――


そちらのサンプルコードは、全部確認可能になっています。

2015年4月17日金曜日

「お絵描きキャンバス」改

お絵描きキャンバス」の使える色を
RGB 256 × 256 × 256 色に改良しました

線の太さは、1~100 ピクセルで、選べます。

あと、指定した文字の描画にも対応しました。

フォントの種類も何種類か、設定してあります。
フォントサイズは、一応、100 ピクセルまでです。

インターネットエクスプローラなら、ページを開いて、
そのまますぐに、上下のカーソルキーを押すと、
左上にあるバーの色が変わり、それが設定色にもなります。


最新のブラウザでないと、キャンバスには対応していないようです。
動作条件は、次の仕様が動作するブラウザになります

HTML5 + CSS3 + JavaScript

「お絵描きキャンバス」改
Canvas MouseMove Kai

http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemoveKai.html


2015年4月10日金曜日

「お絵描きキャンバス」テストモード

先だって、HTML5 仕様の Canvas に JavaScript で線を引きながら、
「これからは、いままでのやり方では、通用しなくなるんだ」
と実感した次第ですが……。

あれこれの参考資料を、目を点にしながら通読していて、さらに、
「UTF-8」なるキーワードが、すっかり点と化した目に、しきりに飛び込んでまいりました。

現在利用させていただいているところのエディタを確認してみたところ、
「ああぁ……文字コードが対応していない」
というわけで、人気の「サクラエディタ」をダウンロードしてみました。
「ああぁ……どうやって使えばいいんだぁっ」

というわけで、ページ体裁の仕上がりまでは、今までのエディタで、
一応の恰好がなんとかかろうじてととのったところで、
「サクラエディタ」にバトンタッチして、あと、
「TeraPad」を併用する、というあたりの折衷策に行きあたりばったり。


そういうわけで、今後は新しい仕様に徐々に移行していくべく、
とりあえずようやっとこさ、サイト・マップを作りました。
ここまでのページを並べただけですが、それなりに、
HTML5 + CSS で、作成しました。

http://theendoftakechan.web.fc2.com/map.html


それと、Canvas を利用した「お絵描き」がそこそこ可能な感じがしましたので、
ここまでの、動作具合を、テスト・モードとして、アップロードしました。
先日、いきなりバグって、中止にしていたページの再公開版になりますが。
――
スクリプトは、読み込み部分と動作部分で、二ヵ所に分けて書いてありますが、
コードはこのページ内で、すべて完結しています。――

http://theendoftakechan.web.fc2.com/JavaScript/mousemove.html


下記のページからも、リンクしています。
これまでの自作「ユニコード入力支援」ページのリンク集になります。

http://theendoftakechan.web.fc2.com/reference.html