2015年10月28日水曜日

神に責任転嫁しきれなくなって責任をサタンに押しつけようとする話

  だから、いずれにせよ「わしは悪くない」のである。


宗教改革から革命へ



 聖職者たちの想像力豊かな悪魔的発想力によって、ヨーロッパの大陸で魔女狩りの嵐が吹きすさぶ中、海峡の向こう、イングランドでは、宗教改革に、独自の路線を確立しようとしていました。
 そもそも同じ島国(ブリテン諸島)でも、スコットランドでは、魔女狩りの裁判に拷問が取り入れられていたのですが、国境を接するイングランドでは、魔女裁判といえども、積極的に拷問が行われた形跡はありませぬ。

――ところで。

1534 年は織田信長の生まれた年でありまして、その九年後、日本に鉄砲が伝来いたします。
1543 年、種子島に漂着したポルトガル人によって、火縄銃という新兵器がもたらされたのですね。
 《火器だけに画期的新兵器というわけで……》
……やがて。宣教師とともに、キリスト教も伝来しまして、切支丹大名が誕生するという勢いであります。


同じころ。欧州では――。(西欧で宗教といえば、キリスト教のことなのですが)
1534 年、総本山であるローマ・カトリックから、イングランドは、宗教的独立を果たします。

その後、「血のメアリ」の世に迫害されたプロテスタントの一部が、イングランドから大陸に逃れ、
そこで、さらなる「カルヴィニズム(カルヴァン主義)」を叩き込まれて、
エリザベス 1 世の時代に、強化型プロテスタントとして、故国に戻ってくるのですが、
それが 〈ピューリタン〉 誕生のいきさつだと、いわれています。
徹底的な神の正義という〈摂理〉のもとに革命を遂行する清教徒たちの祖が、ここに登場するのですね。

そういう、熱心なプロテスタントたちの信仰も手伝って、
女王エリザベスの時代には、イングランドにも、「魔女狩り旋風」が吹き荒れます。

そして――。

 17 世紀初頭、時は到り、「魔女狩り王」として名高いスコットランドの国王ジェームズ 6 世が、エリザベス 1 世の死後、イングランド国王ジェームズ 1 世として即位し、その統治 1 年目には、「魔女狩り法案」が強化されるに至るのでありまする。
……が。こはいかに。

魔女狩りの炎が燃え広がったエリザベスの時代とは逆に、なぜか魔女裁判は鎮静化へと向かうのです。
ジェームス 1 世は、自ら拷問を行った話でも有名ですが、
「魔女を捏造する裁判」を憎んでもいました。それは、彼の求める正義ではなかったからです。

彼の死後。――
次回はやっと、革命的 〈神の摂理〉 に手が届く。と、思いつつ……


Witchcraft Act 1604
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/WitchcraftAct1604.html

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