2016年6月30日木曜日

終戦二か月:治安維持法の廃止

 19 世紀後半、明治維新によって、新しい時代の夜明けを迎えた日本は、
大日本帝国と称して、欧米列強に対抗すべく、帝国主義と対外戦争への道に突入しました。
 20 世紀前半、大東亜戦争、太平洋戦争というのは、
世界戦争である〈第二次世界大戦〉の一部として構成されることになります。
 20 世紀なかば、1945 年の敗戦により、日本は戦争の終結を自覚的に「終戦」と宣言します。

 戦後復興の時代というのは、新たなる夜明けの〈昭和維新〉であったでしょう。
 しかしかつて明治維新を支えた「志士」たちは、その昭和維新の時代には、
すでに悪名高き〈治安維持法〉の露と消え去ろうとしていたのです。

 2015年10月1日木曜日のブログで、
「三木清・訳/デカルト『省察』 のこと」
という、当時作成したての、わがページにリンクして以来、
先日には、彼の死にざまについて資料をやや詳しく調べてみたのですが、その新しく作成したページに、〔補〕として、このたび追加の参考文献を引用掲載させていただきました。

 朝日新聞の三木清訃報記事と、治安維持法の廃止日( 10 15 日)等が記載されていました。
 また、廃止前夜の、次のような資料も見られます。
 三木清の死で、在野の思想家たちは……どのように行動したのか?
――という、おはなしです。


三木の親友であった松本慎一は、「新日本はあまりにも遅く来た」と悔やんでいる。

 私はむりに病床をはいだして三木さんの通夜の席にあらわれ、政治犯即時釈放を連合軍に嘆願しようと、人々に提案した。しかし、私の提案は少し唐突過ぎ、場所がらにもふさわしくなかったらしい。私は嘆願書の草案を用意していたが、それを取りだす機会はなかった。
『戦後史の汚点 レッド・パージ』 (p.91)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/NishidaKitarou.html#myojin2013r01

三木清の『省察』〔2015年10月1日付〕
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/MikiKiyoshi.html

2016年6月25日土曜日

三木清〈最後の書簡〉と西田哲学

 前回紹介させていただきました 『西田幾多郎 Ⅰ』 に引き続いての話題になります。
 中村雄二郎著『西田哲学の脱構築』 の新編集版が 『西田幾多郎 Ⅱ』 となるのですが、
新編集版においては、「第Ⅰ章」がはずされて、「第Ⅱ章」が「第 1 章」となっております。
 (なお「序章」はそのまま「序章」でした。
また、新しく追加された稿もあり、さらに「総索引」は『ⅠⅡ』をまたぐものとなっています。)

 この本で繰り返されるテーマ(主題)のひとつが、〝三木清による新しい日本の哲学への遺言〟とでもいうべき、彼の昭和二十年一月二十日付の〈最後の書簡です。
 中村雄二郎氏による文を参照しますと、
友人の坂田徳男に宛てて、(全集に載っているものとしては)生前の最後の手紙を書いているのです。
と、いうことになります。氏の、そのあとの文を引用させていただきます。

 そのなかでこんなことが書かれている。《今年はできるだけ仕事をしたいと思ひます。まづ西田哲学を根本的に理解し直し、これを超えてゆく基礎を作らねばならぬと考へ、取掛つてをります。西田哲学は東洋的現実主義の完成ともいふべきものでせうが、この東洋的現実主義には大きな長所と共に何か重大な欠点があるのではないでせうか。……ともかく西田哲学と根本的に対質するのでなければ将来の日本の新しい哲学は生れてくることができないやうに思はれます。これは困難な課題であるだけ重要な課題です。云々。》
 この三木清のことばは、第二次大戦後の日本の哲学界に対するたいへん重要な遺言になっていると私は思うのですが、振りかえってみると、今日に至るまで日本の哲学界はどれだけ、ここに含まれる課題に対し答えてきたと言えるでしょうか。折角の、またさすがに三木らしい、このような問いかけが十分生かされなかったのは、残念の極みです。
岩波現代文庫『西田幾多郎 Ⅱ』 (pp.4-5)

 ――
 三木清の獄中の死が、朝日新聞の朝刊二面で報じられたのは、第二次世界大戦が終わったその年。
 彼の 9 26 日の死から数日が経過した、昭和 20 (1945) 9 30 日のことでした。
 いまだに、治安維持法下の体制が存続している状態だったのです。そして――。
 8 15 日の終戦から、二ヵ月たらずの 10 10 日に、政治犯は釈放されたのですが……、
 それは、三木清の死亡記事(事件)を知った GHQ の圧力によるものだったということです。


西田幾多郎と三木清
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2016年6月23日木曜日

文明開化と新しい日本の哲学

 1901 年というのは、20 世紀のはじまった年ですが、その年にこの世を去った土佐藩出身の思想家、中江兆民は「我日本古より今に至る迄哲学無し」と、書き遺したといいます。
 このことについて、中村雄二郎氏が現代文で解説されている一節があります。

 すなわち、本居宣長や平田篤胤などの国学者は古い御陵やことばを探索する一種の考古家にすぎず、したがって天地自然の理についてはまったく暗い。他方、伊藤仁斎や荻生徂徠などの儒学者たちは、聖人のことばについて新しい解釈を生み出したが、所詮はただ昔の聖人の教えをあれこれとあげつらっているだけにすぎない。わずかに仏教の僧侶中には、創意をもって新しい宗派を開いたものがあったが、それとても宗教家の域を出でず、純粋の哲学とは言えない。明治以後になると、加藤弘之や井上哲次郎などがみずから哲学家と称しているが、実はただ西洋の学説を輸入し知識をひとりじめしているだけのことにすぎない。哲学は誰にでもわかるようにすぐ役に立つわけではないが、無用の用をなしており、哲学を欠いた国民はなにごとにも思慮が乏しく浅薄であるのを免れない。
 …………
 兆民はなにも、日本における哲学の可能性を否定し去ろうとしたのではない。むしろ、その可能性を願っていたために、日本人として厳しい自己批評を行なったのである。
岩波現代文庫『西田幾多郎 Ⅰ』 (pp.11-12)

 中村雄二郎氏の、この本は、
 《本書は、岩波書店より 1983 7 月に刊行された『西田幾多郎』(20世紀思想家文庫)を改題した新編集版である。》 と、「原著『西田幾多郎』あとがき」の、次のページに書いてあって、
その「あとがき」には、つぎのような記述があります。

 〈20 世紀思想家文庫〉の一冊として『西田幾多郎』を私が書くことが新聞広告などの予告に出てから、何人もの人たちから意外なことばを聞いた。みんな私に向かって言うのである。
 《中村さん大丈夫ですか》と。
 はじめは私も耳を疑った。それがなにを意味するのか皆目見当がつかなかった。が、やがて、みんなそれぞれに心配して下さっていることがわかった。
 …………
 《どうせ挑発的な西田論をお書きになるんでしょう》ということばにもひっかかった。私はものを書く場合、書くことで発見がないようなものは書きたくないと思っているし、読者になにがしかの知的刺激を感じていただくには、書いている本人自身のなかにたえず発見がなければならないと思っている。しかしそれは、徒らに鬼面ひとを驚かすというのとはちがうのである。

 また、氏により紹介されていました、小林秀雄「学者と官僚」(昭和 14 年)を、新しい文庫本で探しましたところ、その最後に印象的な句があり、それは以下のように結ばれていました。(辻褄 [つじつま] 合わせでただ合理化する理論が思想の正しさとは無関係であるという一文に続いて。)

 行為の合理化という仕事が、思想というものだと思っている。思想が行為である事を忘れて。
 過去の行為を合理化するのはやさしい仕事だ、未来の行為を合理化するのもやさしい仕事だ。予想出来る未来などというものは、一種の過去に過ぎないからだ。仕事がやさしいから、学者達は飛んでもなく遠くの方に馳け出して了う。世界史の運命まで行かないと承知しない。併し、人間は世界史などというものを、本当には了解した例しはなかったし、将来も絶対にないのである。そんなものの前で、人間は判断する事も、決心する事も、行為する事も出来ない。
講談社文芸文庫『小林秀雄全文芸時評集 下』 (p.226)

 哲学とか思想というのは、先人の注釈や解説書を書いて終わったり、予定調和的に――予測可能な未来の――、その、予測できることばかりを語ることではないのだと、このたび、あらためて知らされたように思います。
 結果論で語られる〈あと出しジャンケン〉のような理屈が〈哲学〉と無関係であることは、まあ当然かと……いうわけで。
 きっと、哲学を学ぶことと、哲学者になることとは、おおいに異なるのでしょう。


〖明治の末期〗日本の哲学の黎明
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2016年6月17日金曜日

隠れたる神を観るということ

 15 世紀のことです。
 教皇の友人でもあったニコラウス・クザーヌスは、旅先のあちこちで見かけた絵の手法を、彼の思想の手引きとして取り入れました。
 それは、絵に描かれた人物がその鑑賞者を見つめ続けるというものです。

 幾人もの鑑賞者の動きをその肖像は追いかけます。絵からの視線は、絵の前を右から左へ移動する鑑賞者と、左から右へと移動する鑑賞者を、同時に捕捉し続けます。
 なるほど。
 コンサート会場で「あこがれの芸能人と視線が合った!」という程度のレベルの話ではありません。
 まさにその絵は、いつも自分だけを見つめ続けてくれるのです。
 クザーヌスの思想と生涯を解説した本で、それは次のように語られています。
 〔K・フラッシュ『ニコラウス・クザーヌスとその時代』 2014 年、知泉書館 (p.90) / (p.91)

もし神が隠れているとしたら、それは、われわれが神の眼差しに自らを開いていないからにすぎない。われわれは思考する本質として、常にすでに、神によって見つめられている。

各人は、神が自分だけを見つめていると考えるが、それは、各々のムスリム、各々のユダヤ人が、彼らの儀礼と信仰箇条が直接神に由来する、と考えているのと同じである。

 この引用文にでてきた神が隠れているという考えは、有名な宗教改革者ルターの神学と結びつけても、論じられています。
 また、クザーヌスの反対対立の合致という考え方は、日本の哲学者西田幾多郎にも影響を与えました。
 西田哲学では、そのようなことを〈絶対矛盾的自己同一〉と九文字熟語で表現しています。
 熟語というより用語なのですが、いずれにせよ少し長いので、途中の「的」を「の」に置き換えて、書き改めてみましょう。――さいわいというか、中国語を翻訳する際にも、「的→の」という変換手法は常套手段 (じょうとうしゅだん) です。

 〈絶対矛盾の自己同一と少しだけ目にやさしくなりました。
 単語を覚えるだけで、あら不思議。なんだかわかったような気にもなってきます。


クザーヌス  Deus absconditus 〈隠れたる神〉
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ついでながらの記録として:
ここまでの作成ページの一覧表をまとめました
http://theendoftakechan.web.fc2.com/map.html

2016年6月11日土曜日

ヨハネ黙示録と阿吽の思想のこと

 世に「阿吽 (あうん) の呼吸」などと申しまして、息がぴったり合うさまを表現いたします。

 そういう、阿吽一対 (いっつい) の像といえば、まずは東大寺南大門の仁王 (におう) さんと、神社境内 (けいだい) に鎮座ましまする狛犬 (こまいぬ) でありましょう。
 仁王像は「金剛力士像 (こんごうりきしぞう)」ともいいまして、特に東大寺南大門にだけいらっしゃるわけではありませんが、阿吽の仁王像といえば、東大寺、という連想は、すでにもろびとパブロフの犬状態なわけでございます。
 一方、歴史上の文学的「狛犬」といえば、『徒然草 (つれづれぐさ)であっちむいてほい状態の「獅子・狛犬」を学んだ記憶がございます。
丹波に出雲といふ所あり」ではじまる有名なお話です。
 そういう一対の像なればこそ、仁王も狛犬も、通常、片方は口を大きく開け、片方は口を閉じて、そのように息を合わせて表現されるのでございます。
 これが「阿」と「吽」です。
 〔東大寺南大門の仁王さんは、通常のものとは阿吽像の位置が入れ替わっているようです。〕

 ところで新約聖書の最後に配置された「ヨハネ黙示録」には、「イザヤ書」の引用であるとされております「わたしは初めであり、わたしは終りである。」と、そして新しく、

「わたしはアルファであり、オメガである。」

の句が、繰り返しあらわれます。
 これはまさしく「阿吽の思想」でありまして、そもそも、
「阿・吽」とは仏教用語で「初めと終りの文字」を示しているのです。
 この字体の本来的な表現は、日本仏教文化にとけ込んだ梵字というもので麗々しく描かれるべきなのでしょうが、そのもともとの文字であるサンスクリットの表音文字、デーヴァナーガリーを用いますと、

(あ)हूं(うん)

のように、表記されます。

 新約聖書はギリシャ語で書かれていますので、
アルファ」はまちがいなく最初のギリシャ文字 〈α〉 であり、
オメガ」はギリシャ語アルファベットの最後にある 〈ω〉 と、いうことで、
それで世界のすべてを包括するするという発想は、洋の東西を問わずに同じであるわけなのです。

 ということを、比較しようとして、狛犬について調べておりますと、どうやら、
「伊勢神宮におみくじと狛犬はない」というキャッチフレーズのような定説と、
後朱雀天皇によって「金銀師子狛犬」が伊勢神宮に奉納されたという記事に行き当たってしまいました。
「師子」というのは「獅子」と同じでこの場合には「狛犬の阿吽の阿」のほうを指します。

 この「金銀師子狛犬」の記事は『後朱雀天皇実録』にも採用されていて、
『後朱雀天皇実録』には続けて、「太神宮諸雜事記」というものが引用してあります。

   種々神寶幣物、御馬銀師子依託宣荒祭宮令進給也

 この「太神宮諸雜事記」は伊勢神宮関連の記事ですので、伊勢神宮で「銀師子」を扱ったことがあるのはどうやらこうやら明白と思われます。

 ここでのキーワードは「荒祭宮」でしょうか。
 ですが「太神宮諸雜事記」にはその前に、「臨時幣物、自今以後永應東寶殿奉納」とも記録されておりますので――、
「東寶殿」も「金銀師子狛犬」鎮座の候補地となりましょう。

 そういう次第ですので、黙示録の話題は、最後にすっかり影を潜めます。

「ヨハネ黙示録」から思想の共通性を取り上げようとして――
阿吽の思想に転じて、あとは転、転、転、とばかりに……明らかになっていく事柄を追ってしまいました。
そもそも「アポカリプス」というギリシャ語は「明かになること」を意味するものですからして……


Α & Ω : Apocalypse II
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2016年6月6日月曜日

旧約聖書の黙示録「ダニエル書」

 たわたわと言の葉を連ねて、ようようこたびが、101 回目となるようだものひとまずそれを記録しておき。そしてどうやら日付は 2016.6.6. である。
 特に関係するわけではないが “666” が聖書に登場するのは、「ヨハネ黙示録」第13章18節だ。
 それは獣の数字であり、人間をさしているという。

 さていつの世にも、終末の日を語りたがる新興宗教というのは、一部の人々にもてはやされるようだ。
 ――
 黙示録というのはそういう、終わりの日、終わりの時の幻視を書き留めた記録であるとも、解釈されようか。

 日本語で「黙示録」というと、ほぼ「ヨハネによる黙示録」のことである。
 英語で The Apocalypse というのは、やはり「ヨハネ(による)黙示録」のこととなる。
 つまり「黙示録」といえば、すなわち新約聖書の「ヨハネの黙示録」のことであるとほぼほぼ決まっているのだが、その「ヨハネ黙示録」に描かれる幻視の原体験は、旧約聖書の「ダニエル書」にある。
 部分的に、そっくりなのである。
 ただ、「ダニエル書」の幻視は時代的に〝バビロン捕囚〟の終わりの日を待望するものなのだけれども、「ヨハネ黙示録」に登場する、邪悪の都市〝大いなるバビロン〟というのは、当時キリスト教徒を支配していた〝ローマ〟の暗喩となっているらしい。
 つまり新約聖書で倒されるべき〝大バビロン〟とは、現実の〝ローマ〟のことであり、未来や近未来の悪の帝国のことなのではない――という解釈は、遅くとも 20 世紀以来の定説となっているようだ。
――が。まっとうな (?) 学説などが、信仰とは無関係であることは、古来からのしきたりでもある。

 学者は、いつの世にも、わかったようなことばかりをいい、しかし新興する宗教ほどには信頼を勝ち取れないでいる。
 そうして旧約聖書の黙示録「ダニエル書」はイエスの死後に練り直されて、やがて『聖書』の末尾を飾ることとなる。
 その当時はまさに、イエスの弟子たちと使徒パウロは、審判の日を待ち望む新興宗教の一派であった、のだから……。
 いまではそれが、多くの人々の信心となっていて――そうして、その待望される「審判の日」はどうやらこうやら未だ来ていない。
 ちなみに、「黙示録」と呼ばれる文書は、いにしえの時代以来いくつも作成されているとやら。


ダニエル書とヨハネ黙示録
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2016年6月4日土曜日

ラテン語ルキフェルの両義性

 日出前、太陽に先駆けて、夜空に昇る星がある。
 日没後、黄昏の残照の中に、一番星が光を放ちはじめる。

 明けの明星(みょうじょう)といい、宵(よい)の明星という。
 いまではそれは、金星という同じ星であると、教えられている。
 太古のひとには、しかし別の意味を知らす輝きであっただろう。
 その星について紀元前のローマ人キケロは、同じひとつの惑星であるウェヌスの星すなわち金星と、書き残している。

 夜明けには「ポースポロス」と呼ばれてそのラテン語を「ルキフェル」といい、黄昏(たそがれ)には「ヘスペロス」と名を変えるが、それは同じ星だ。
 宵の明星はまたラテン語で “vesper” ともいうらしいが、キケロは、「ヘスペロス」の語を用いている。
 夜明けと黄昏に、それぞれ空の東西で光る星。
 イエスが生まれる前に、ラテン語ルキフェルは、両方の意味を、すでに含んでいたのだ。

 英語のルシファーは、サタンの異名(いみょう)であり、もっぱら、明けの明星を指し示す。
 ところが、その同じ暁(あかつき)の星は、ユダヤの教えでは、メシアの暗喩(あんゆ)であるという。
 明けの明星はまた、新約聖書でイエスの象徴であって、それは黙示録でも言及されている。
 さらに、カトリックの教義では、夜明けの星は、イエスの母――聖母マリアをも、意味する。
 彼女はイエスに先駆けてこの世に生を受け、そしてひとびとの太陽であるイエスを産んだのだから。

 夜明けの星は、なぜかここでも多くの意味を具有する。
 おそらく人類は未だ神話の時代を生きているのだ。


phosphoros : 夜明けの星
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