2017年6月28日水曜日

「やられたらやり返す」戦略の邂逅

 まずは下手(したて)に出て様子を見る。
 そうプログラムされている。
 それが協力的な態度を引き出すコツなのだ。
 見栄は禁物だ。自滅への道しるべなのだから。
 ―― だがしかし。
 相手がいじめっ子だったら、毅然(きぜん)として抵抗する。
 やられっぱなしじゃダメだ、即座に反撃せねばならない。
 相手のやり口をそっくりまねればいい。
 やりやすいヤツだと思われたら、カモにされるだけだ。
 徹底抗戦もいとわない。その覚悟も必要だ。

 自分と同じやり口のヤツなら危険はない。
 最初に下手に出た、こっちの態度をそっくり返してくれるに決まっている。
 そう。全部、決まっているのだ。
 変更はない。単純なプログラムだからだ。
 融通もきかない。だから、一度でも間違えれば、そのまま突っ走ることになる。
 もう少し、改良の余地がある。
 さいわい、クローンには、ときにコピー・エラーがある。
 間違いにだって、利用価値はあるのだ。だから ――。
 改良型に、そのうち出会えるかもしれない。
 そうすれば、この役目も終えることができるかもしれない。
 戦略的クローンの未来も、そう悪くはないかも、しれない。


Robert Axelrod ; Cooperation 協調性の進化
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/Axelrod.html

2017年6月26日月曜日

非ゼロサムゲームに勝つということ

 ゼロサムゲームは、ようするに「ケーキ分割問題」だった。
 非ゼロサムゲームは、それとは違う。
 その、非ゼロサムゲームに勝つ、には、戦略の視点を変えなければならない。
 それが「繰り返し型の囚人のジレンマ・ゲーム」で見えてくる。
 ジレンマ・ゲームに勝利する、ということは、ともにゲームを戦っている相手に勝つことを必ずしも意味しない。
―― 唐突に、知る。
 そのゲームが、相手に勝つ、すなわち相手よりまさる、ことを目標としないことに。
気づいたのだ。

 ともに戦っている相手に勝つ、のではなく、ゲームそのものに勝つ、ことを目的とすべきなのだと。
 そのためには、ゲームをともに撃破する友として、かつては戦火を交わした相手と共闘する必要さえ出てくる。
 これは、一種の〝ドラゴンボール理論〟だ。
 より強大な〝敵〟が現れたとき、それまでの戦闘は一時休戦状態となる。のみならず、一転、戦友にさえもなる。
 本当の〝敵〟は、ゲームそのものだったのだ。
 つぎなる〝敵〟には、ジレンマ・ゲームさえも戦友とすればよい。
 運命と戦い、運命を友として。

2017年6月24日土曜日

ナイス・ガイス・フィニッシュ・ファースト

 次の引用文に見られるごとく、リチャード・ドーキンスは 1976 年当時から、利己的な遺伝子がいかにして利他行動を表現型として発現させるにいたったか、をテーマとしたに相違ない。

この本の意図は、ダーウィニズムの一般的な擁護にあるのではない。そうではなくて、ある論点について進化論の重要性を追求することにある。私の目的は、利己主義 (selfishness) と利他主義 (altruism) の生物学を研究することである。
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』増補版 (p.16)

 それから十余年後、『利己的な遺伝子』の 1989 年版で追加された、
12 気のいい奴が一番になる」は、ロバート・アクセルロッドの成果を受けて書かれたものだ。その文中にも述べられていることであるが、ドーキンスはアクセルロッドに、ウィリアム・ハミルトンを紹介している。
 このいきさつは、アクセルロッド『つきあい方の科学』の第二版 (London, Penguin, 2006) に寄せた序文(1)から、その後の自著にさらに引用して触れられているので、そちらの邦訳で参照すると、次のような記述内容となる。

 私はロバート・アクセルロッドという、知らないアメリカの政治学者から突然に、タイプ原稿を受け取った。原稿には「繰り返し囚人のジレンマ」ゲームを競う「コンピューター試合」をとりおこなうと述べられていて、私にも参加を呼びかけていた。もっと正確に言うと ―― そしてコンピューター・プログラムは意識的な洞察力をもたないという理由によって、この区別は重要である ―― その原稿は、競技に出せるようなコンピューター・プログラムを投稿するよう、私に呼びかけるものだった。私は参加できるようなプログラムを書けなかったのではないかと思う。しかしこのアイデアには大いに興味を引かれたので、かなり受動的なものではあったが、その段階でこの企てに対する一つの貴重な貢献をした。私なりの党派心から、政治学の教授であるアクセルロッドには進化生物学者との協働が必要だろうと感じたので、私たちの世代ではもっとも傑出したダーウィン主義者である W・D・ハミルトンへの紹介状を彼に書いたのである。アクセルロッドはすぐにハミルトンと連絡をとり、二人は共同研究をした(1)

 ハミルトンは実際にはアナーバーにあるミシガン大学の、アクセルロッドと同じ研究所の教授だったが、私が紹介するまで、二人は互いに面識がなかった。二人の共同研究は結果として「協調の進化」と題する論文となり、賞をもらったこの論文は、のちにアクセルロッドの同じタイトルの本の一章となった。したがって、この本の誕生における裏方としての自分の役割をちょっとばかり手柄にしたい思いである。
〔リチャード・ドーキンス『ささやかな知のロウソク』 ドーキンス自伝Ⅱ (p.280)

 また、初版でも『利己的な遺伝子』第 8 章以降は、ロバート・トリヴァースの名が多く用いられ、第 11 章では「本書の内容が、R・L・トリヴァースのアイデアに負うところのあること」が公言されているが (p.311)

親切行為とそれに対する恩返しの間に時間的ずれが介在する条件下で、遺伝子の利己性理論は、相互的な背中掻き関係、すなわち、「互恵的利他主義」の進化を説明できるのであろうか。ウィリアムズは、先に名前を上げておいた一九六六年の著書の中で、この問題を簡単に論じている。彼は、ダーウィンと同様な結論に到達した。すなわち、遅延性の互恵的利他主義は、互いを個体として識別し、かつ記憶できる種においてなら、進化することが可能だというのである。トリヴァースは、一九七一年の論文で、この問題をさらに詳しく論じている。この論文を書いた時に、メイナード=スミスの進化的に安定な戦略 (ESS) の概念は、まだ彼の手元になかった。もしこれが利用できていたなら、彼は当然それを活用したはずだと私は考えている。それは、彼の理論を表現するのにぴったり合った方法を提供するからである。彼は、「囚人のジレンマ」―― ゲームの理論の有名なパズル ―― に言及しているが、これは彼がすでにメイナード=スミスと同じ線に沿って考えを進めていたことを示している。
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』増補版 (p.293)

と、あり、
その、トリヴァースは、アクセルロッドとハミルトンの共同論文を読んで、快哉したのだった。

  Axelrod, Robert, and William D. Hamilton. 1981. “The Evolution of Cooperation.” Science 211:1390‐96.

アメリカの政治学者リチャード・アクセルロッドと共同でハミルトンは、たえず裏切る (perpetual defection) という戦略とともに、やられたらやり返す (tit for tat) という戦略がナッシュ均衡であることを数学的に証明した。すなわち、反復的にかかわり合う場合には、自然淘汰は、短期的に適応度を下げるような社会行動を選り好みするだろう。互恵的利他行動は、囚人のジレンマと融合された。そして、たえず孤立するという戦略は、いつでも一つの選択肢としてあるが、協力のルールは細菌にとっても十分あてはまるほど単純であった。「協力的な生物は不釣り合いなほどの生きる上での利益を得られる」と、アクセルロッドとハミルトンは書き出し、そしてトリヴァース個人としては、それが「超弩級」の発見だと考えた。彼は、ある晩クラシック音楽をかけて椅子に座ってこの論文を読んだあと、「私の心は高揚した」と、ハミルトンに手紙を書いた。
〔オレン・ハーマン『親切な進化生物学者』 (pp.433-434)

 まさに生存の闘争が協力を余儀なくしていく、その理論が急速に進化していく、現場に彼らは当事者として立ち会っているのだった。
 見知らぬ人間のために自分のいのちさえも惜しまない、そういう善良さは、紛れもなく宗教とは無縁の世界からここに顕現するのだ、と。

2017年6月22日木曜日

優生論者フィッシャーが利他行為理論のきっかけとなる

 ロナルド・フィッシャーは、1890 年にイギリスで生まれた。数学的には比類なき天才だった。彼は優生主義者だったが、視力障害を理由に軍務にはつくことができなかった。その点では自身を無能だと思わざるを得なかったろう。それでも彼はダーウィンの理論に数学的な根拠をもたらして、集団遺伝学の創始者ともいわれることとなる。
 フィッシャーは、少なくとも、若かりし頃には優生主義者だった。そしておそらくは生涯ダーウィン主義者だった。
 ダーウィンの第三子レナード・ダーウィン少佐は、彼に経済的な援助も行なう、有力な支援者の位置にいた。
 優生論者というのは、人類の遺伝子に「優劣」の価値観を投影するものだ。そういう価値判断は自然選択にも当然、影響を与えた。生き残った「適者」は、自然の摂理に選ばれた良いものでなければならない、ということになる。
 フィッシャーの情熱が、自然選択によって性比が 1 対 1 となる条件を明示した。
 たとえ彼の業績はその思想にもとづくものであったにせよ、理論が設定したその数学的な条件というのは思想的価値観とは無関係だ。
 設定された条件とは、遺伝子をとりまく環境のことだ。環境が変われば性比も変わるのは当然となる。
 彼は、優生主義者だったけれども、優生学者ではなく、あくまでも数学者だった。20 世紀最大の数理統計学者ともいわれる。
 フィッシャーの『自然選択の遺伝的理論 (The Genetical Theory of Natural Selection) 』は、1930 年に出版された。

 ウィリアム・ハミルトンは 1936 年、エジプトのナイル川の島で生まれた。両親とも、ニュージーランド人だった。彼はケンブリッジ大学を卒業して、ロンドン大学の大学院に進んだ。
 ハミルトンが、フィッシャーに面会したときには、フィッシャーの心は別の場所にあるようだったと伝えられる。
 その頃のケンブリッジ大学の教授たちは、フィッシャーの理論には触れたくないようすだった。
 ロンドン大学のライオネル・ペンローズは『優生学紀要 (Annals of Eugenics) 』の雑誌名を『人類遺伝学紀要 (Annals of Human Genetics) 』に変更したばかりだった。
 性比が 1 対 1 となるというフィッシャーの理論をもとに、ハミルトンは利他的行為の進化を解明できると確信していた。
 他人には見えないものが見えたのだと思った。当時は周囲の誰もハミルトンを知らなかった。
 けれども。孤立していた彼が 1963 年に『アメリカン・ナチュラリスト』に投稿した 3 ページの短文はそのまま受理され、また別に『理論生物学雑誌』に送っていた長めの論文は、査読者ジョン・メイナード・スミスの指摘を経て、翌年、二部構成で完成されることになる。

  Hamilton, W. D. (1964). The genetical evolution of social behaviour, I, II. Journal of Theoretical Biology, 7, 1‐52.
 その完成のためにハミルトンは、ブラジルのジャングルへと研究に赴いた。

修正した原稿「社会行動の遺伝的進化、第一部および第二部」を再投稿するまでに九か月かかった。世界のことなど忘れていた彼は、この間に、ジョン・メイナード・スミスが、短いほうの『アメリカン・ナチュラリスト』の論文を引用するだけで、論文「血縁淘汰と群淘汰」を執筆・刊行し、その中で、「包括適応度」に「血縁淘汰」という惹句を与えたことを知らなかった。
 …………
ブラジルから戻ったハミルトンは独自のニュースをもっていた。……
メリトビア・アカスタは一例だ。これは小さな寄生バチで、雌はマルハナバチの生きた蛹(さなぎ)の体内に卵を産みつける。卵が孵化すると、幼虫はこの蛹の体を食べて外に出るが、その前に、唯一の男兄弟である一匹だけしかいない雄と交尾してからである。結局のところ、母バチにとって、蛹という限られた肉体を利用するために、できるかぎり多くの卵を産み、ただ一匹の雄に授精させるのは理に適っている。
〔オレン・ハーマン『親切な進化生物学者』 (pp.231-232, p.237)

 上の引用文献のタイトル『親切な進化生物学者』の原題は
“The Price of Altruism” だ。
 主人公ジョージ・プライスの名と「利他主義の対価」がもじってある。
 数学的天分に恵まれ身勝手なジョージは、ボロボロになりつつ、アメリカからイギリスにわたった。彼は、そこでハミルトンの論文に巡りあい、やがて回心して、利他主義者となる。
 プライスがその後『ネイチャー』に投稿した論文は、短くすれば掲載可能という評価をメイナード・スミスから得た。にもかかわらずその論文「枝角、種内闘争、および利他行動」は未発表のままとなった。
 メイナード・スミスは、プライスと共同研究を行なうことになる。
 そうして利他主義者たちは、「進化的に安定な戦略 (ESS) 」のなかに、理論的な根拠を与えられることになった。

  Maynard Smith, J. & Price, G. R. (1973). The logic of animal conflict. Nature, 246, 15‐18.

 ESS (Evolutionarily Stable Strategy) は、メイナード・スミスによって洗練されて
1982 年に『進化とゲーム理論 (Evolution and the Theory of Games) 』という、単行本となった。
 フォン・ノイマン、それに、ナッシュ ―― 時代を築いた利己的な数学の天才たちは、ゲーム理論で、利他主義の秘密と結びつけられる次第となる。
 そのためには、優生主義者フィッシャーの理論に加えて身勝手なプライスの天才がさらに必要なのだった。


George Robert Price ; altruism 利他主義のプライス(利他行動の進化)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/altruism.html

2017年6月20日火曜日

細胞内共生:協力の進化

 単細胞生物にも、細胞内で役割の分担が観察できる。
 それは多細胞生物のような生命個体内部での機能の役割分担だ。
 前回にも出てきたゾウリムシなど、細胞内の器官である細胞小器官(オルガネラ)に各種あって、あたかも多細胞生物のごとき様相を見せる。そういうわけで単細胞なりに生きるための機能はそこそこ充実している。
 なかでも有名なオルガネラに、ミトコンドリアがある。ミトコンドリアがなければ、酸素をエネルギー源に使えない。
 そのミトコンドリアはもともと独立した細菌だったという。
 それが、原核細胞が真核細胞になるきっかけでもあったろう、たまたま細胞同士が合体して、新しい細胞となったのである。
 合体前のもともとの細胞の得意技を発揮することで、お互いの不利をおぎないあい、強力なタッグが生まれた。
 そのうちいつのまにか、完全に融合した依存関係になった。ミトコンドリアは、自立するために必要ないくつかの遺伝子をおのれの染色体から失った。
 こういうのを、細胞内共生体という。今回のタイトル細胞内共生がはじまる。
 そもそも、DNA が合体してできている染色体からして、遺伝情報の染色体内共生であろう。
 生命は、共生関係を発達させることで、進化していったと思われる。
 なれば、多細胞生物同士の共生関係も、その延長上に容易に想定可能なのだ。
 お互い協力しあうことで、強力な生き物となることができる、と遺伝子レベルで、知られているはずだ。

 なぜに、生命に共同行為が発生するのか。理由はひとつでも充分だ。
 そのことは、遺伝子に刻まれているはずなのである。
 細胞レベルで、考えてみたら、そういうことになった。
 ただし各種遺伝子が発現するためのスイッチがいつどのように入るか、それも個性という多様性のひとつなのだし。

2017年6月17日土曜日

遺伝子多様性を加速する戦略

 ウイルス (virus)
遺伝情報をになう核酸 (DNA or RNA) とそれを囲む蛋白殻からなる微粒子、
と『広辞苑』にある。
〝生命の断片〟ともいえるウイルスが生きているといえるかどうかは境界線上にあるようだ。

 原核生物に属する単細胞の微生物バクテリア
細菌はいろんな方法で染色体の遺伝子の交換を行なって多様化を進めるという。

 有性生殖が進化を加速し種をもたらした
ゾウリムシは単細胞生物だが、ある程度の周期で減数分裂をすることが知られている。
減数分裂で起きる〝交叉〟による遺伝物質の交換の結果、
「ほとんど無限の多様性をもった配偶子の組合せが生じる」とされる。
(「」内は、リチャード・ドーキンス著『延長された表現型』邦訳の「用語解説/交叉」から引用)

 多細胞生物はカンブリア紀に爆発的多様性をみせた
多細胞の生命体の出現は約六億年前といわれる。
同じ遺伝子をもちながら、個体内で機能の異なるクローン細胞として分裂していく、
多細胞生物が、種の進化を加速させたことは容易に想像できる。

 人為選択
チャールズ・ダーウィンは「人為選択」に対する用語として「自然選択」を用いた。
「人為選択」とは人間による動植物のいわゆる「品種改良」のことである。
これに「優生学」が同梱されて明治期の日本に輸入された。
高橋義雄著『日本人種改良論』(明治十七年九月出版)という本がある。
「男女配偶ヲ求ムルノ際ニハ唯内国人ニ就テ良質美性ノ人物ヲ撰フノミナラズ」云々、
と書かれている。
明治十九年には加藤弘之が「人種改良ノ弁」を発表した。曰く。
劣等な日本人の改良には国際結婚もやむなしとした高橋義雄に対して、
加藤弘之は日本人改良の必要性は認めるものの、国際結婚には反対した。
自明の理として、雑婚が進むと、日本人の血がどんどん薄まりついには絶えてしまう。
これでは日本人の改良ではなく日本人の絶滅になりかねないというのである。
欧米でメンデルの法則が再発見されるのは、1900 年のことであり、
明治元年は 1868 年である、つまり、簡単な計算で明治三十一年が、1898 年だ。
先に、雑婚が進めば日本人の絶滅は自明の理のように書いたが、実はその根拠に乏しい。
しかしながらも当時としては、説明不要のことわりであったろう。
このような騒動が進行中の明治二十九年、福沢諭吉が「人種改良」をしたためた。
『福沢諭吉全集』第六巻から引用したい。
著作権者/慶應義塾 昭和三十四年 岩波書店発行のものより。
「福翁百話」人種改良(八十五) 344 ページ
爰に人間の婚姻法を家畜改良法に則とり、良父母を選擇して良兒を産ましむるの新工風ある可し。…………改良又改良、一世二世次第に進化するときは、牛馬鶏犬は其壽命短くして效驗を見ること速なるに反し、人類の改良は割合に遲々たる可しと雖も、凡そ二、三百年を經過する中には偉大の成績疑ふ可からず。

 遺伝子の組みかえ
都合のいい品種の開発が、必ずしも多様性を発現させることには、ならない。
それらの多くは管理された環境でしか生き延びられない「種」だろう。
そして新たにバイオダイバーシティの名の下に……。
合理性に基づく管理判断は、人類の可能性をもおびやかしかねない。
ひとの可能性というのもその多様性であり世代の存続可能性のことだ。

2017年6月15日木曜日

遺伝子がプログラムした神経系は心を創発するか

 ときに何かしらの意図が作用しているようにみえる、展開がある。
 電脳に判断力を求める取り組みと、想いが重なる。
 意識は脳の〝ゆらぎ〟から発現すると風が噂する。
 次の引用文で、ドーキンスは、一般的な理解からすれば逆説的な文章を書いていると、いえよう。

再三再四、生物学者に非ざる人たちが、遺伝子に事実上先見の明を導入することによって、私に群淘汰の一形態を認めさせようとしてきた。「遺伝子の長期的な利益は種というものの絶えざる存在を必要とし、したがって短期的な個体の繁殖成功を犠牲にしても、種の絶滅を阻止する適応を期待すべきではないのか?」というわけだ。私が自動制御やロボット工学の言葉を使い、遺伝的プログラム作成を指して「盲目的」と述べたのは、この手の誤りの機先を制しておこうとしたからなのだ。しかしもちろん、盲目的なのは遺伝子であって、遺伝子がプログラムした動物ではない。人間の造ったコンピューターと同じように、神経系は知性や洞察力を示しうるくらい十分に複雑になることだってできる。
〔リチャード・ドーキンス『延長された表現型』日高敏隆(他)訳 (pp.41-42)

 この邦訳引用文末尾で人間の造ったコンピューターと同じように、神経系は知性や洞察力を示しうるくらい十分に複雑になることだってできると明言され、つまりは人工知能が〝知性や洞察力〟を示すのと同じように、動物の神経系もまた〝知性や洞察力〟を示すことができるというのだ。
 原文を確認したわけではないけど、翻訳文がその趣意を正しく表現しているなら、人間にできることが〈自然選択〉のはたらきで不可能であるはずはないという論旨なのである。
 人間の科学技術はいまのところ、〈自然選択〉による進化の後追いをしているにすぎない。
 このことは、実は、「ブラインド・ウォッチメイカー」の主題の一つとして、著者の次作につながる。
 コンピュータとか、ロボットは、融通のきかない自動機械(オートマトン)だと当時すでに知れ渡っていた。
 執筆された時点で、一般的には、人工知能・人工生命にそれほどの期待感はなかったはずだ。
 近いうちに人間はチェスでコンピュータに勝てなくなる、といった確信はあったろうけれど。
 将棋はまだまだ無理だ、といわれていた時代だ。

 それも全部、過去の物語となった。


R. Dawkins, 1976‐1982. 加速する進化 Ⅱ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/replicator.html

2017年6月12日月曜日

アナバチがコンコルドの誤謬を犯す

 川はだいたい流れを海に注ぎ込むけれど、どの川も「海がどっちにあるか」を知らない。
 生命進化も「どこに向かっているか」を知らない。でも自然選択が、その効果のコストパフォーマンスに勝れているだろうことは予想可能だ。河川がやすきに向かって蛇行するように。
 英国で『利己的な遺伝子』が出版された翌年、リチャード・ドーキンスの研究室にジーン・ブロックマンがやってきた。
 1977 年からはじまった彼らの共同研究は、1980 年に発表された。
 まるで自然選択も「コンコルドの誤謬を犯す」かのような昆虫の生態についての研究だった。


 経済学者たちが注目する、埋没費用(サンク・コスト)の誤謬 ―― 失敗した事業にさらに資金を投じること ―― というものがある。その言葉を聞く以前、私は進化生物学の文脈においても同じ誤りを認めていて、それを「コンコルドの誤謬」と名づけ、一九七六年の《ネイチャー》誌にオックスフォード大学の学生であったタムシン・カーライルとの共著論文で発表し、ついで『利己的な遺伝子』にも書いた。
〔リチャード・ドーキンス『ささやかな知のロウソク』 ドーキンス自伝Ⅱ (pp.136-137)

残念ながら、現在、自然界の諸現象の費用と利益に実際の数値をあてはめるには、あまりにもわかっていることが少なすぎる。われわれは、自分で勝手にきめた数値から簡単に結論をひきださぬよう注意しなければならない。重要な一般的結論は、ESS が進化する傾向があること、ESS が集団の申し合わせによって達成されうる最適条件と同じではないこと、そして常識は誤解を招くことがあるということである。
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』増補版 (pp.123-124)

自然淘汰は、川と同じように、とりあえず利用できる道筋のうちでもっとも抵抗の小さい道筋を次々とたどりながら、盲目的にその道を改良していく。結果として生じる動物は、考えられるもっとも完全なデザインでもなければ、まずまずどうにかやっていくだけのものでもない。それは変化の歴史系列の産物であり、そのときどきの産物は、せいぜいその時たまたままわりにあった代替物の「良い方」を表わしているのである。
…………
 ドーキンスとブロックマン (Dawkins & Brockmann, 1980) は、ブロックマンの研究したアナバチの一種 Sphex ichneumoneus がいささか単純な人間の経済学者から不適応だとの批判を受けそうな方法で行動していることをみいだした。個々のハチは、将来的にそこからどれだけ利益を引き出せそうかではなく、いままでそこにどれだけ投資したかによって資源の価値を決定するという「コンコルドの誤謬」に身をやつしているようにみえた。
〔リチャード・ドーキンス『延長された表現型』 (p.99, p.102)


―― そういえば。
「シストロン内の交叉」の問題点について、『延長された表現型』邦訳 178 ページあたりに、くわしい説明があった。遺伝子にとってはたいして問題ないという説明だった。

 繰り返すけど、どの川も「海がどこにあるか」知らない。
 だから、ときに山を穿(うが)ち、ときに澱(よど)む。
 天変地異がまた、その堤(つつみ)を破る。
 流域は豊穣(ほうじょう)となる。
 進化は有益であろう「適応」によってもたらされた。それは「何に」対して有益だったのか?

2017年6月9日金曜日

交叉する遺伝子

 遺伝子の説明として、「染色体に含まれるもの」と、いうのは正しいらしい。
 遺伝子を構成する分子が DNA ということになる。
 DNA というのは、染色体の重要物質で遺伝情報を持つ。
 遺伝情報は広辞苑に「遺伝によって、子孫へまたは細胞から細胞へ伝えられる情報」とあり、DNA や RNA の塩基配列の中に符号化されて存在する、と説明されている。
 一方、遺伝子 (gene) は、生物の個々の遺伝形質を発現させるもとになるもの、と説明される。その実体は DNA 〔一部のウイルスでは RNA 〕の分子であり、染色体上の一定の区画で、生殖細胞を通じて遺伝情報を伝えるものである。云々。

  DNA (deoxyribonucleic acid) デオキシリボ核酸の略称。
  RNA (ribonucleic acid) リボ核酸の略称。

 有性生殖では、雌雄がそれぞれの染色体を持ち寄って、新しい一対の染色体を合成することとなる。
 そのために、まず生殖細胞では「減数分裂」によって、染色体の数を最初に半分に減らす必要がでてくる。
 半分と半分を合成してできあがった、ワン・ペアの染色体は、つかず離れずの生涯を送るが、「減数分裂」の際にはいったん合体してから、ふたつに裂ける。
 ここが、有性生殖の醍醐味となる。
 ワン・ペアだった染色体の一部が、合体・交換されて、生殖細胞には、それまでなかった、DNA の組み合わせが存在することとなるらしい。

 この過程は「交叉」と呼ばれている。交叉の実務はそこにある情報と無関係に、だた位置関係だけを頼りに行なわれるらしい。
 たとえば、同じ長さだけども色違いの二本のテープを並べ、その対応する位置だけを基準に、何度か切り貼り交換して、つぎはぎになった、新しい二本のテープを作ることになる。だから、それが音楽テープなんかだと、曲の途中で、いきなり違う曲が途中から流れ出す事態ともなりかねないと、予想される。
 この予想が、どれほど事実に即しているかはわからないけど、リチャード・ドーキンスの本には、次のように書かれている。

たしかに、「タンパク質連鎖メッセージの終止」と「タンパク質連鎖メッセージの開始」には、タンパク質メッセージと同じ四文字のアルファベットで書かれた特別なシンボルがある。これら二つの区切りのマークの間に、一個のタンパク質をつくるための暗号化された指令がある。望むなら、単一の遺伝子とは、開始と終止のシンボルの間にあって一個のタンパク質連鎖を暗号であらわしている一連のヌクレオチド文字である、と定義することもできる。シストロンという語は、このように定義される単位としてつかわれており、一部の人々は遺伝子ということばとシストロンということばを同じものとしてつかっている。しかし、交叉はシストロン間のしきりをまもらない。シストロン間と同様にシストロン内でも裂けることがある。
〔『利己的な遺伝子』日高敏隆(他)訳 1991年 紀伊國屋書店 (p.53)

―― それが稀な現象であるにしても。
 遺伝子の実体であるとされる DNA は、遺伝情報の途中で混ぜ合わすことが可能なのだ。
 そのように解釈できる。
 遺伝子というのは DNA で構成されるけれど、DNA と同じとは説明されていない。
 でもきっと、遺伝情報を発現させる DNA は遺伝子と認められるというのは正しかろう。
 その DNA のコピーミスで、遺伝情報を発現させるべき遺伝子にも、その都度エラーが起きることになる。


Richard Dawkins, 1976‐1989. 加速する進化 Ⅰ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/gene.html

2017年6月7日水曜日

弱いからこそ強くなれる

2016年11月30日水曜日(冒頭の再掲)
弱いからこそ ひとは強くなれる
 まよいがなければ、きっとさとりもなく、闇がなければ光も輝けない。

2016年11月17日木曜日(末尾の再掲)
一つの立場に拘泥しないという、一つの立場がある
 時代の、完全なる思想は、変化し得ないが故に、進化もしない。
 忘れ去られた宗教のように。
 きっと多くはあっという間に、古びるのだ。

2017年6月5日月曜日(末尾の再掲)
 生命は、不完全であるからこそ進化する。未知への旅の行程に完璧を求めては酷だ。
 完全体に進化は無縁だ。なのだし《完全》には「変化できかねる」という難がある。

かつても似たようなことを書き連ねてきた。永劫回帰の悪あがきだ。
半年かけて同じ繰り返しなのだ。だけど半年は永劫に、ほど遠いと気づく。
その愚かしさを再認しつつ以下同文。

 ひとは、弱いからこそ強くなれる、強さに安住する者がどうしてこれ以上に強くなれよう。
 強くなるために、弱さの自覚が必要だ。
 安心を求めるのは、不安だからだ。
 不安に脳の快晴は似合わない。
 強すぎないストレスは、努力を加速させる。
 強すぎるストレスは、自滅のサインだ。
 過度のダメージは筋骨を粉砕しそれを知った脳が記憶をつなぐ。
 破壊された肉体がより強度を増して復活するには未来の世代を待たなければならない。

2017年6月5日月曜日

安定から安定へと進化する戦略

リチャード・ドーキンス/著
『利己的な遺伝子』日高敏隆(他)/訳、1991年 紀伊國屋書店。
を読めばそこには、
負け癖のついたコオロギの物語が、書いてあったのです。なぜかなにげに悲しい話です。

 (pp.132-133)
コオロギは過去の戦いでおこったことについて一般的な記憶をもっている。最近多くの戦いで勝ったコオロギはタカ派的になる。最近負け気味のコオロギはハト派的になる。これは R・D・アリグザンダーによってみごとに示された。彼は模型のコオロギをつかって本もののコオロギを奇襲した。この処置を加えたあとでは、そのコオロギは他の本もののコオロギとの戦いに負けやすくなった。おのおののコオロギは、自分の個体群内の平均的個体の戦闘能力と比較しての自分の戦闘能力を、たえず評価しなおしているものと考えられる。………… 勝つことになれた個体はますます勝つようになり、負けぐせのついた個体はきまって負けるようになるというのが現象のすべてである。はじめはまったくでたらめに勝ったり負けたりしていても、おのずとある順位にわかれていく傾向があるのだ。これには、集団内の激しい争いを次第に減らしてゆく効果がある。

それが〝摂理〟なのでしょう。〝自然の摂理〟なのでしょうとも。
限定された状況下での実験であっても、自然選択は働くのですよって。
そのすぐあとにあった、ESS 「進化的に安定な戦略」の解釈について、
参考になりそうなあたりをピックアップしてみました。

 (p.139)
遺伝子プールは進化的に安定な遺伝子のセット、すなわちどんな新遺伝子にも侵入されることのない遺伝子プールと定義される状態に達するだろう。突然変異や組換えや移入によって生じる新しい遺伝子は、大部分が自然淘汰によって罰をうけ、進化的に安定なセットが復元される。ときおり、ある新しい遺伝子がそのセットに侵入することに成功し、遺伝子プール内に広がってゆくのに成功することもある。すると、不安定な過渡期を経て、やがて、新たな進化的に安定な組合わせにおちつく ―― ほんのちょっとだけ進化がおこったのだ。

補注 (p.459)
本文 139 頁 「進化とは、たえまない上昇ではなく、むしろ安定した水準から安定した水準への不連続な前進の繰り返しであるらしい
 この一文は、今日よく知られている区切り平衡説という理論の一つの表現の仕方についての、みごとな要約になっている。恥ずかしながら、この推測を書いたとき、私は、当時のイギリスの多くの生物学者と同様に、この理論についてまったく知らなかったと言わなければならない。ただし、この理論はその三年前にすでに発表されていたのである。


―― 上の文章から見るに、その引用文で構成すれば、
ようするに、遺伝子プールは進化的に安定な遺伝子のセット、すなわちどんな新遺伝子にも侵入されることのない遺伝子プールと定義される状態に達するのであるが、ときおり、ある新しい遺伝子がそのセットに侵入することに成功してしまうので、進化とは安定した水準から安定した水準への不連続な前進の繰り返しであることが理論づけられる。
 というわけで……

 つまり「進化的に安定な戦略」のセキュリティは、特定の条件の下では、一切の攻撃をはじき返すにもかかわらず、その防御力に〝完璧〟ということはありえないので、環境の変動などによって〝ときおり〟は、思いもかけぬセキュリティ・ホールが露呈してしまうこともあろう。
 そのエラーの糊塗ないし修繕への取り組み自体、ある程度の仕様の改変を伴わざるを得ないので、いずれにせよ、安定だったはずのセキュリティ・システムにも、新たな安定に向かっての進化が起きる。
 ドーキンスの記述によれば、そういうことになる。納得できる話だ。

 生命は、不完全であるからこそ進化する。未知への旅の行程に完璧を求めては酷だ。
 仕様の変更に〈完全〉はないだろうし、だから〈完全な進化〉はありえない。
 また《完全》な存在は、変化した瞬間に複数の〈完全〉の可能性を示す。
 となれば、どちらの〈完全〉が本当に《完全》なのか?
 より〈完全〉な〈完全〉とは〈不完全〉でしかないだろう。
 完全体に進化は無縁だ。なのだし《完全》には「変化できかねる」という難がある。
 ひとの論理性や合理性はそもそも不完全な代物だ。

2017年6月3日土曜日

変化的に安定な戦略

 形態変化がない、古くからの生命体を「生きている化石」とかいう。
 シーラカンスなどはまさに「進化的に安定な戦略」の真骨頂というところだろう。
 突然変異体の侵入を一切許さないというのは、そういうことだろう。
 戦略が「進化的に安定」であるというのは、どうやら「変化しない」ことであるらしい。
 つまり、それは「進化できなくなった」状態である。
 どうやら ESS ――「進化的に安定な戦略」を勘違いしていたのだ。
 異なる戦略パターンの侵入を許さないというのは、遺伝子が変化することを許さない状態であったのだ。
 ただ、進化しなくなった状態を「進化的に安定な戦略」とネーミングしたのだとすれば、センスが疑われるところでもある。

 それは〝進化の袋小路〟をさす。
 だから ESS が「変化的に安定な戦略」だなどというのはきっと、まだまだこちらの理解不足だ。
 どっかに手違いがある。「進化的に安定な変化」のほうが、まだ正解に近いと思いたい。
 それとも。
 どうすれば進化しなくなるかという研究が、〈進化ゲーム〉のはじまりだったか。
 それでも、環境の激変は、そこにいた生命を押し流す。
 いにしえの繁栄の歴史から生き延びるための戦略が語られなければならない。

“Evolution and the Theory of Games”
 邦訳タイトル 『進化とゲーム理論』
 ジョン・メイナード・スミスのこの著作には、「あとがき」の直前に「協力の進化」と題された 1 章がある。
 完璧に合理的なはずの利己的な「ナッシュ均衡」が、進化の歴史では、なぜ最強の戦略ではなくなるのか。
 短期的には、「裏切り戦略」は、サバイバル・ゲームで最も有効であると、前提されても。


John Maynard Smith, 1982. 適応への戦略
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/fitness.html

2017年6月1日木曜日

最適者生存 survival of the fittest

ダーウィンが「弱肉強食」の進化論を説いたことはないわけで、
スペンサーからの用語 “survival of the fittest” も
「優勝劣敗」ではあっても、意図的に「弱肉強食」ではなかろう。
スペンサーとしても、存在の「複雑化」が主題なのだから、
“evolution” は「前進・進歩」でり「高度化」だったはずだ。

 日本語で「優勝劣敗」、「(最)適者生存」、「弱肉強食」と訳される survival of the fittest は、ダーウィンのいう「自然選択(淘汰)」(natural selection) に代わるスペンサーの造語である。ダーウィンはスペンサーの用語を好まなかったが、『種の起源』の第五版(一八六九年)で「自然選択もしくは適者生存」と書き、同書の第六版と『人間の進化と性淘汰』(一八七一年)には「進化」を著作名に使っている。
〔スチュアート ヘンリ「文化(社会)進化論」『文化人類学20の理論』所収 (p.9)

このあたりのいきさつは、日本語文献でも繰り返し触れられている。
『現代思想』 2009 年 4 月臨時増刊号 vol.37-5 総特集=ダーウィン
から、引用させていただくなら。

松永俊男「日本におけるダーウィン理解の誤り」
 (pp.51-52)
 ダーウィンは『種の起源』の初版(一八五九年)以来、第五版(一八六九年)まで、「エヴォリューション」という言葉を一度も用いていない。第六版(一八七二年)の最後の部分ではじめて、この語を導入した。「エヴォリューション」はハーバート・スペンサーの進歩の哲学のキーワードであり、スペンサー哲学の流行にともなって生物進化の意味でも広く用いられるようになったのである。

池田清彦「ダーウィンが言ったこと、言わなかったこと」
 (p.62)
 ダーウィンが生まれた年は奇しくもラマルクの『動物哲学』が出た年です。ダーウィンはラマルクのことをあまり評価していなかった。それはなぜかというと、私は「進化時空間斉一説」と言っているのですが、ラマルクは定向進化を考えていたからです。生物は自然発生して単純なものから複雑なものに、下等なものから高等なものに、ただひたすら一様に進化していくという話です。ダーウィンは当然ながらこれには反対しました。ダーウィンの考え方はそれとはまったく違っていて、生物の形質の変化はその場限りの出来事として環境と変異の兼ね合いでアドホックに決まり、予測もできないし、一様に高等になっていくものではない、というものです。そういう考え方は、当時では斬新なものでした。
 (p.63)
………… したがって、ある交配集団があるとして、変異が遺伝するならば、環境に適した変異は集団の中に徐々に広まっていくはずだ、と考えるわけです。
 しかし環境というのはどんどん変わり、安定的ではない。ずっと安定しているならば生物の形質もそれに適して安定しているはずですが、環境は変わってしまう。そうすると、今までより適しているものが出現する可能性が高くなるので、結果として、環境の変化の後を追いかけて生物は適応をしていく。ですから、今いる生物は少し前の環境に適応していて、今の環境には追いついていない。それが進化の原動力になる。これが自然選択ということです。連続的な変異と獲得形質の遺伝と環境が生物の形を変える。それがダーウィンの考え方です。

北垣徹「社会ダーウィニズムという思想」
 (p.175)
………… ダーウィンといえば進化論と、多くの人が反射的に答えるだろう。ところで実は、一八五九年の『種の起原』初版においては、進化[エヴォルーション]という名詞は一度も使用されていない。類似の事態を指すのにこの版で用いられているのは、「変化をともなう由来 descent with modification 」という、やや据わりの悪い語である。

――
結局、『種の起原』(第5版)で「適者生存」をダーウィンは用いるに至ったが、
「適者」は必ずしも単純な戦闘力の「強者」を意味していない。

何に「適する」のかというと、「環境」に対してであり、
そのときどきの「自然環境」に応じた「(最)適者」が生存した、ということになる。
だが生き残りの闘いは、種の内部で争われる。だから、
強さを頼む疑心暗鬼の集団が殺し合いで自滅するストーリーは、なにせよ一般に好まれる。
結果として「自然選択」がサバイバル・ゲームを余儀なくする。