2017年5月29日月曜日

自然選択による血縁淘汰と「タカ‐ハトゲーム」

 1964 年、ウィリアム・ハミルトンの論文「社会行動の遺伝的進化」が出ている。
 そのなかでハミルトンは、個体の適応度 (individual fitness) に加えて、血縁者の適応度も含めた包括適応度 (inclusive fitness) を進化の基準として用いた。
 これにより、自然選択が遺伝子レベルではたらく、理論的な基盤が与えられたとされている。

 1964 年にジョン・メイナード・スミスは、「血縁淘汰」の仮説を提唱した。
 それまで、自然選択による種の淘汰は「群淘汰」の説が有力だった。
 ちなみに自然淘汰も自然選択も同じ「ナチュラル・セレクション」の日本語訳である。
 選ばれて、淘汰されるということから、生き残りをかけた「サバイバル・ゲーム」が自然と連想される。

  Maynard Smith, J., and G. R. Price. 1973. The logic of animal conflict. Nature, London, 246(5427): 15-18.

「進化的に安定な戦略」は、この論文 “The logic of animal conflict” で提案された。
 1973 年にメイナード・スミスがジョージ・プライスと共同で『ネイチャー』誌に発表したものだ。
 1975 年に刊行されたエドワード・ウィルソンの著作でも、この論文を参照して次のように述べられている。

その仮説は、非常に多くの動物において実際には二つの形の争い方があると考えている。すなわち、儀式化された戦いとエスカレートした戦いとである。エスカレートした戦いが起ると、一方の個体が相手を傷つけることになる。このような特別な形の行動の縮尺は、すぐにエスカレートした戦いをするようになっても、また逆に全然そのような戦いをしなくても、どちらも不利になるので、そのために進化的に安定化するものと考えられる。
〔エドワード・O・ウィルソン『社会生物学』合本版 (p.262)

―― このウィルソンの記述は、
「タカ‐ハトゲーム」を概念的に説明したものにもなっている。
ゲームの具体的な説明は、次の資料を参照したい。

 彼らがこの論文のなかで展開した例は、「タカ‐ハトゲーム」とよばれるものである。いま、V という価値のある資源をめぐって、「タカ」と「ハト」という二つの戦略のなかからどちらかを選ぶ個体同士が争う状況を考えてみよう。
 「タカ」は、必ずや一騎打ちにでる戦略であり、「タカ」同士が出会うと必ずや死闘が繰り広げられる。その闘いに勝てば V という資源の全部を得るが、負けると傷を負うので、C という損失を被る。いま、「タカ」同士の間に資源保有能力や戦闘能力に差はないと仮定すると、「タカ」同士の闘いで 1 匹の「タカ」が勝ったり負けたりする確率は半々である。
 「ハト」は、闘いを好まない戦略であり、「ハト」同士が出会うと仲良く資源を分け合うので、双方が V / 2 ずつの利益を得る。「タカ」と「ハト」が出会うと、「タカ」は必ず攻撃し、「ハト」は必ず逃げるので、常に「タカ」が V という利益を得、「ハト」の利得は 0 となる。
〔長谷川眞理子「行動生態学の展開」/『進化ゲームとその展開』第 7 章 (p.183)

  The essential concept Maynard Smith introduces is that of the evolutionarily stable strategy, an idea that he traces back to W. D. Hamilton and R. H. MacArthur. …………
  An evolutionarily stable strategy or ESS is defined as a strategy which, if most members of a population adopt it, cannot be bettered by an alternative strategy. …………
〔Richard Dawkins “The Selfish Gene”New Edition (p.69) 〕

 メイナード=スミスが提唱している重要な概念は、進化的に安定な戦略 (evolutionarily stable strategy) とよばれるもので、もとをたどれば W・D・ハミルトンと R・H・マッカーサーの着想である。…………
 進化的に安定な戦略すなわち ESS は、個体群の大部分のメンバーがそれを採用すると、べつの代替戦略によってとってかわられることのない戦略だと定義できる。…………
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』日高敏隆(他)訳〕

 1976 年にその初版が刊行された、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』で、ESS は自然選択の中心概念として取り上げられ、英国 BBC のドキュメンタリー番組「利己的な遺伝子」では、メイナード・スミスが解説を担当した。


J. Maynard Smith & G. R. Price, 1973. 進化ゲームへの展開
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/development.html

2017年5月26日金曜日

戦略的クローンが邂逅するシナリオ

 進化の戦略で多数派となるためには、まず、自分にそっくりなやつとの相性が良くなければならない。
―― 成功する戦略は自分自身のコピーと遭遇する可能性が高いという説に、異論の余地はない。

 重要な点は、成功する戦略は、かならずしも特定の競合関係において、相手の戦略に勝つものとはかぎらないことである。成功する戦略は数的に集団で優位なものである。そして数的に優位な戦略は、その定義から、自分自身のコピーと遭遇する可能性が高いのであるから、それは自分自身のコピーの存在するところで繁栄できるときにのみ、数的に優位なままでとどまれるだろう。これが、メイナード・スミスの ESS における「進化的に安定」の意味である。私たちは自然界で ESS が見られると予測する。なぜなら、ある戦略が進化的に不安定であれば、ライバルとなる戦略に追い抜かれて、集団から姿を消すことになるからである。
〔リチャード・ドーキンス『好奇心の赴くままに』ドーキンス自伝Ⅰ (p.390)

 上の引用文と同内容のことはすでに『利己的な遺伝子』 (“The Selfish Gene”New Edition, 1989) の「補注」 (Endnotes, pp.282-283) で語られている。日本語訳では、第 5 章の補注「進化的に安定な戦略……」と題されたものになる。

 誰でも危険な戦闘状態で、自分のクローンとの遭遇が最悪の事態となれば、いい気はしないだろう。―― 自分が最凶の存在でないことを願うばかりだ。
 できれば「いいやつ」であって欲しいものだ。
 けれど、自分との戦闘に「わくわくする」ような生命体も、シナリオとしては不自然ではない。どの戦略パターンが増殖していくかという展開で、そういう、強い敵に「わくわくする」ようなパターンが繁茂するとは予想し難いが。
 地獄に突き落としたい卑怯者にも、戦闘場面で、それなりの、利はあるだろう。

 進化的に安定な戦略 (ESS) というのは、戦略的クローン集団が安定して存続しているとき、異なる戦略パターンは一切の侵入を許されない状態をいう。
 その戦略クローン集団に対しては、破壊工作としての他のいかなる戦略パターンも通用しないということだ。
 ここで疑問がある。戦略パターンとは方向性であって、状態をいうのではない。
 遺伝情報が変化しないこととは、一致しないのだ。
 すなわち、同じ戦略パターンのもとでは、そもそも遺伝子の変化は前提されているらしい、もとの理論基盤が進化論だからだ。
 遺伝情報の変化を許す戦略に、異なる遺伝情報が侵入可能なセキュリティ上の問題はないのであろうか。
 進化ゲームはここからはじまった。

2017年5月23日火曜日

ナッシュ均衡と囚人のジレンマの年譜

 1949 年 11 月、
『米国アカデミー会報』にジョン・ナッシュの 2 ページの論文が掲載された。
〔シルヴィア・ナサー/著『ビューティフル・マインド』塩川優/訳 新潮社刊 (p.165) 参照〕

 のちに〈ナッシュ均衡〉と呼ばれる画期的な証明が世に出た年は、一般にこの年とはなっていないようだ。
 日本語訳資料として次のものが、『ナッシュは何を見たか』(日本語版/シュプリンガー・フェアラーク東京刊)に収録されている。

Proceedings of the National Academy of Sciences, 36 (1950), 48‑49
n 人ゲームにおける均衡点」

 いずれにせよ、年明け早々には、動きがあった。〈ナッシュ均衡〉を受けて、ランド研究所で新しい形の戦略ゲームが開発された。
 1950 年 1 月、ランド研究所のメルヴィン・ドレッシャーとメリル・フラッドの考案した実験「非協力的な二人」が、アーメン・アルキアンと、ジョン・D・ウィリアムズを被験者として行なわれたのだ。
〔ウィリアム・パウンドストーン/著『囚人のジレンマ』松浦俊輔(他)/訳 青土社刊 (p.139~) 参照〕

 1950 年 5 月、ナッシュの博士論文の指導教授アルバート・タッカーが、スタンフォード大学で、「囚人のジレンマ」についての講演を行なった。
 1950 年、ナッシュの博士論文「非協力ゲーム」が完成した。その年の夏、ナッシュはランド研究所の顧問研究員として着任した。
 1954 年夏、ナッシュはランド研究所を去った。同年ジョン・フォン・ノイマンはランド研究所の顧問を降りて原子力委員会の委員となった。
 1994 年 10 月、ナッシュのノーベル経済学賞受賞が決定した。

 20 世紀のなかばにナッシュが最初の脚光を浴びたころの世界では。
 1943 年にフォン・ノイマンがマンハッタン計画に参加した。
 1945 年 3 月、「 EDVAC 報告書の 1 次稿」のコピーが世界中にバラまかれた。それは、フォン・ノイマン型といわれる「プログラム内蔵方式」のコンピュータの青写真であった。
 弾道計算に、高速計算可能な新型コンピュータの開発が求められていた。
 1950 年の当時にフォン・ノイマンが語ったという、証言の記事がある。1957 年に彼を追悼して、クレイ・ブレイ・ジュニアが『ライフ』誌に寄稿したものだ。
「明日ソ連を爆撃しようと言うのなら、私は今日にしようと言うし、今日の五時だと言うのなら、どうして一時にしないのかと言いたい」

 1949 年 8 月には、ソ連が原爆開発に成功した。
 1950 年 6 月に、北緯 38 度線の侵犯をきっかけにはじまった朝鮮動乱は「朝鮮戦争」といわれた。第二次世界大戦終結時の陣営の構図が明確化されるとともに、アメリカの対日政策は大きな転換点を迎えることになった。
 1952 年、アメリカは水爆実験に成功し、翌年にはソ連も実験を成功させた。
 1953 年 7 月に朝鮮動乱の休戦協定が結ばれて、それは現在も継続しているが、その「戦争」状態が終わったわけではない。
 1950 年代初頭という時代は、いわゆる〈非協力ゲーム〉が導く数学的〈ナッシュ均衡〉を支持する方向で推移しているようでもあった。
 1970 年代になると、ゲーム理論は生物学からの協力を求められた。理論そのものは、他分野に協力的であった。

 そして〈協力ゲーム〉における〈ナッシュ均衡〉を模索する形で、再評価がはじまる。
 結局、〈ナッシュ均衡〉がもたらしたジレンマは、論理上の〝落とし穴〟であるということらしい。
―― 最悪の事態を想定し備えるばかりが、合理的なのだろうか、と。
 それでも、やはり短期的には、裏切り戦略は有効なのだ。かつてヒトラーが実践したように。


John F. Nash ; ナッシュ均衡
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/Nash.html

2017年5月20日土曜日

合理的経済人はどこまでリアルか

 〝しっぺ返し〟というのは、当面は友好的な態度を示すけども、「やられたらやり返す」という単純な機械的反応をプログラムされた戦略に用いられる。
 まったくもって、最初の人情的ふるまいは、冷酷な戦略のはじまりにすぎないのだ。
 いわゆる〈ナッシュ均衡〉の実験を現実の人間で繰り返せば、時に戦略が「しっぺ返し」的にもなるらしい。
 いずれにせよ、〝合理的経済人〟のとるべき戦略ではない。裏切られる可能性の高い戦略は戦略ともいえないと、限定された線形理論では、単純・明解に一蹴されようか。
 1950 年以来、そういう一連の実験的状況は、「囚人のジレンマ」と呼ばれるようになった。
 互いに協力し合えば明るい未来が約束されているのに、もし一方的に裏切られたなら、悲惨な地獄が待っている。けれど、こっちも裏切れば、被害は最小に抑えられるのだから……
 ここで〝ジレンマ〟にさいなまれるのは、〝合理的経済人〟ではない現実の理性的人間だ。
 経済人が合理的ならば、理論的には「裏切り戦略」以外を選択することなどありえない。

 では、その最初から〈ゲーム理論〉に登場する〝合理的経済人〟というのは、仮想現実にすぎないのか。
 なれば〈ゲーム理論〉がリアルへとつながるきっかけは〈ナッシュ均衡〉に与えられたこととなる。
 天才に閃いた最強の「裏切り戦略」が現実を覚醒させたともいえる。
 確実に生き延びることを目的とする生命が、ただ計算高ければ、「裏切り戦略」以外を選択することはありえないのだから。
 だけど現実と理論は乖離(かいり)していく。

 ここに、線的〝合理性〟の限界が、理論的あるいは実験的に示されたことともなる。
 そういう合理性だけを追求した生命進化に、繁栄は、決して保証されないのだ。
 だが自然は、もっと非道なサイコパスの存在を許さないわけでもない。
 かれらはふたたび現実を覚醒させる切り札として用意されているのだろうか。

2017年5月18日木曜日

宇宙船地球号の〈零和遊戯〉

 ゲームの前後で、獲得されるべき資源の総量が変わることはない。全体の利得が増えも減りもしないのは、ゼロサムゲームの大前提だ。
 フォン・ノイマンのゲーム理論ではさらに、ゲームのプレイヤーは完全に理性的だと、制限を受ける。
 合理的な経済人であることが、ゲーム参加への必須条件なのだ。
 だからゲーム理論でも「ケーキ分割問題」の正解は、二者間の場合、
〝片方が分けて、もう片方が選ぶ〟ということになる。

 けれど、その役割は、どのように決まったのか。
 分ける方が多少なりとも〝損をする〟と最初から理論づけられた状況で、ケーキを分けるべきはどちらなのか。
 これには偶然が、からまざるを得ないだろう。
 公平なのは、ジャンケンで、まず一戦を交えることだ。
 ふたりとも理性的なのだから、切り分けのジャンケンに負けてナイフを渡されても、いきなり相手を刺し殺したりなどしないし、ケーキをうっかりとけっこうな泥水に落っことすなども、しない。
 ゲームを完結するには、相手が必要なのだし、ゼロサムゲームなのだから、資源の総量にも変化は起こらない。
 ゲームの前提が、そうなっている。
 だから興奮していきなり「いかさまだ!」と叫んで、卓をひっくり返すのは、御法度(ごはっと)だ。
―― てやんでい! と、鼻をこするのはかまわないが。
 参加者は、相互に協力して、ゲームを完遂しなければならないのだ。

 そもそもが。フォン・ノイマンの〈戦略ゲーム〉の特徴は、協調ゲームだった。
 基本が〈ゼロサムゲーム〉という、完全対立の構図になっているので、そこには出し抜こうとする戦略以外は見えてこないような気がする。
 しかしながら、それは出発点となる〈ふたり・ゼロサムゲーム〉の場合であって、人数がそれよりも増えた際には、部分的に二者対立の構図を見ていく必要が出てくる。その戦場には二極化された勢力があると仮想しよう。すると、一時的にせよ、自軍の勢力を維持し増強するには味方と数えられる勢力が多いほど都合はよくなる。つまり協力して〝敵〟と戦っていくゲームへと変貌していくのだ。この展開ではどうやら蜀の劉備を第三勢力とした『三国志演義』の想いは、西欧へは届いていない。
 この群雄の、統合の過程では、協力ゲームになる。
 また〈ゲーム理論〉の大前提が、「経済行動」の解明なので、資源の分配をめぐる戦略としての協調は、必然なのだともされる。

 だが勝利のあかつきには、群雄割拠に向かう分散が始まるだろう。
 突如として、出し抜く限界へ挑戦した〈ゲーム理論〉が姿をあらわす。
 非協力者とのあいだに、「解」としての妥協点は、数学的に存在するのか?
 その答えが、〈ナッシュ均衡〉だという。
 そのときゲームの総得点は〝ゼロ〟である必要はなくなる。
 J. Nash に降臨したのは、宇宙船地球号を舞台とした〈非・零和遊戯〉なのだ。


ゼロサムゲーム:フォン・ノイマンの〈戦略ゲーム〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/Neumann.html

2017年5月15日月曜日

最大効率の神話

「最大多数の最大幸福」に個別性は一律だと塗り潰される
数学的合理性が最大の効率をもたらすというのだろう
…………
 現実のすべてが計算できるわけではないのに。
 功利主義者たちの末裔は、〝幸福度さえも数値化できる〟と考えることをやめられなかった。
 ポアンカレに提示された「三体問題」に衝撃的な限界が見えていた。
 合理的な手順というのも、おそらくはきっとその当時には、合理的だったのだろう。頭の中から、はみでないかぎりは。
 唯一の「解」というのも頭のいいひとたちの、神話でしかない、かもしれない。

 フォン・ノイマンがそもそも考えた〈ゲーム理論〉は、すべてのゲームが有限な可能性によって考察できるかどうか、といったものだったらしい。
 つまりはゲームの有限性が、大前提となる。
 有限であるから、いくら膨大であろうと計算も完結できる。ようするにゲーム理論は現実のすべてに対応できるとは書かれていない。ひとつの視点の提案なのだ。
 現実の諸問題へのアプローチ可能な側面があることの立証を目指したものであることは、その著書の「序文」に述べられている。

その適用は 2 つの種類に分けられる。1 つは、本来の意味でのゲームへの適用であり、もう 1 つは、経済学的問題や社会学的問題のなかで、ゲームの理論の視角から接近するのが最良であるような問題への適用である。
〔フォン・ノイマン/モルゲンシュテルン『ゲームの理論と経済行動 Ⅰ』「第 1 版への序文」 (p.3)

 理論は現実の断面を切り取って示したものでしかない。
 非常に限定された範囲からはじめて、適用範囲をじわじわと拡大していく手法は有効だろう。
 やがてそれは、もはやゲームという範疇におさまらなくなっているかもしれない。
 ゲームの理論はどこまで現実を描き出せるのか。
 戦略ゲームは、進化戦略に適用された。
 生命のいとなみに、「ルール違反」という言葉は通用しない。


Evolutionary Games : 進化戦略のゲーム理論
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/index.html

2017年5月13日土曜日

偶然の支配と〈ゼロサムゲーム〉

この前書いた、〝キリスト教徒にとっての「くじ運」は、〈神のはたらき〉と同等の意味をもつ場合があるということ〟の、具体的な記述例は聖書に直接求めることができます。参考までにその箇所があげられた資料から引用させていただきますと。

 ……、人間的に「偶然」としかいえない出来事のうえにも神の支配はある、というのが聖書の立場で、箴言 16 : 33 では「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」と記されています。決定が主から来ても、くじは人間にとって「偶然」です。したがって、自然現象を人間の視点に立って説明する科学にとって「偶然」というのは正当な概念であり、神の支配と矛盾することはありません。
 さらに、人間は「偶然」の出来事を左右できないので、聖書は「偶然」に積極的な意味を与えています。くじのような偶然による決定は、主による決定で、公平なものである、というのが聖書の立場です。これを箴言 18 : 18 は「くじは争いをやめさせ、強い者の間を解決する」と表現しています。じじつ、聖書のなかに、イスラエルの民や使徒がくじをもちいる例がいくつかあります。イスラエルの民が約束の地カナンにはいったとき、モーセの命(民数 34 : 13 )に従って、ヨシュアがくじを使い土地を分けました。「ヨシュアはシロで主の前に、彼らのため、くじを引いた。こうしてヨシュアは、その地をイスラエル人に、その割り当て地によって分割した」(ヨシュア 18 : 10 )と記されています。…… また、新約聖書の使徒は、イスカリオテのユダの後継者を、くじを使って選びました。「そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた」(使徒 1 : 26 )と記されています。
 聖書に叙述されている、さまざまな歴史的な出来事を読むと、人間の目からすれば「偶然」としかよべない状況によって、実に多くの出来事が展開されます。…… これらは、人間の視点からすれば、すべて「たまたま」あるいは「偶然」とよばれる状況を指します。しかし、聖書は、これらの「偶然」とよばれる状況を、神が支配している、と主張します。
〔大谷順彦『進化をめぐる科学と信仰』 (pp.109-110)

―― ここで認めるべきは。繰り返しになるのですけれども、この偶然の支配を〈神のはたらき〉とみるかどうかが、各自の信念と切り離せない関係性をもつということなわけです。

 それぞれの文化に応じた、枠組みがあります。ひとが知らずにその環境に縛られる状態は構造主義ともいわれます。
 日本では、不信心や〈無神論〉を大言壮語しても、かといって〈神〉やそれに類するものを頑固に否定することはそれほど多くありませんが、西欧での〈無神論〉への賛同は、〈神〉の存在を積極的に否定する立場となります。
 日本人は、そのあたりをあいまいにしておける、希少な思想の持ち主といえるかもしれません。思想的には不可知論とか、いうようですが、そういう意識すらも、日本人には無関係なようです。

 ところでフォン・ノイマンが開発した〈ゼロサムゲーム〉の理論では、問題となるそういう偶然は考慮されず、すべてが理性的・合理的に決定されると、前提されます。
 モルゲンシュテルンとの共著『ゲームの理論と経済行動 Ⅰ』(ちくま学芸文庫)の 51 ページにある脚注を参照すれば、天候などの予測しがたい事態は〝統計的〟な確率計算の手続きによって、《数学的期待値》の概念を導入することで除去可能であるとされています。
 その〈ゲーム〉はすべて想定内であるルールが基準となります。
 そうしてルール違反も、想定内と計算されます。そこに、想定外の事態は、想定外であるがゆえに、想定内とはならずしたがって記述されません。
 けれども、現実のすべてにルールがあるわけではありません。
 ルールのないところには、ルール違反もないわけです。ゲームのルールにもとづく戦略とルール違反への対応だけでは、現実の記述は不可能です。
 するとどうなるかというと。その〈ゲーム〉の理論は想定外の事態にまったく無力であることを露呈する、と予測されるわけです。
 ですから、おそらくその段階では、現実的でないと判断されたのでしょう。そして、ブレイクスルーがありました。

Nash は、シンプルではあるがゲーム理論において重要な(今日では「 Nash 均衡」と呼ばれる)概念を発見した。Nash 均衡は進化的に安定な戦略 (ESS) という概念と非常に似ている。2 つの概念は進化ダイナミクスで重要である。Nash の博士論文は Proceedings of the National Academy of Sciences USA (1950) に載った 1 ページの学術論文であったが、Nash に 1994 年のノーベル経済学賞をもたらした。
〔 Martin A. Nowak 『進化のダイナミクス』 (p.39)

 モルゲンシュテルンは経済学者であり、数学者フォン・ノイマンは、ゲーム理論を経済学に応用することを想定していました。
 〈ゼロサムゲーム〉は漢字で〈零和遊戯〉と書けましょうか。
 その後、当初からの想定内であったかどうか、生物学に援用された〈ゲーム理論〉は、〈進化ゲーム理論〉と呼ばれ、生命のダイナミックな〈遊戯(いとなみ)〉を記述していくことになります。
 生命の戦略でも、相手が次の一手をどう考えているかが、最大のジレンマとなるわけです。
 新しい生命の力学が生存戦略として進化論に新しい展開をもたらしました。
 その力学に「ルールブック」は、極限の状況で役に立たなくなり、パラダイムシフトが余儀なくされていきます。


偶然の支配と進化 及び ジレンマ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/dilemma.html

2017年5月11日木曜日

芋虫は蛹をへて蝶蛾となり空に舞う

 王の死を宣告した革命は、その空席を襲わんとして。
 みずからの死を呼び込む。

 策に溺れることも知らずいもむしはさなぎを経て蝶となる。
 どういう偶然の重なりが必然となって、かれらは空を目指したのか。
 その仕組みをプログラムとして描き出せる人間がどこにいるのか。
 それが可能なら、もはや〈神〉であろうものを。
 人間は、どこまで愚かに、「何でも知っている」のか?

 神々の遺伝子を手に入れてクローンを創造しようとでもいうのか。
 その長い道の途上にあって、空を見つついつも夢想に舞い上がるだけなのか。
 みえない〈神の手〉をいつかわがものにと。

2017年5月9日火曜日

「いくつかの進化理論」と「神のそなえ」と

藤井清久氏による邦訳からの、引用です。

 二十世紀に入って、自然選択による進化は、キリスト教著作家の多数派によって次第に受け容れられるようになった。さらに、一九五〇年の回勅「フマーニ・ゲネリス(人類について)」(Humani generis) のなかで教皇ピウス十二世は、生物学的進化がキリスト教信仰と両立し得ることを認めた。もっとも、人間霊魂の創造に、神の介入が必要であると論じたけれども。教皇ヨハネ・パウロ二世は、一九九六年十月二十二日の教皇庁科学アカデミーに対する教書のなかで、聖書の語句を宗教的教えとしてより科学的言明として解釈することは、遺憾に思うと述べた。

 我々は、新しい科学的知識により、進化論が単なる仮説ではないことを理解するようになった。この理論が、知識の種々の領域における一連の発見に続いて、研究者によって次第次第に受け容れられるようになったことは、実に驚くべきである。求めたわけでも、造りあげたわけでもなく、独立に行なわれた研究結果の一致は、それ自体この理論を支持する意味のある論証である。
〔フランシスコ・J・アヤラ『キリスト教は進化論と共存できるか?』 (pp.131-132)

また、『現代思想』 1998 年 6 月号 (vol.26-7) には、
「ヴァティカンと科学 (承前)」として、
川田勝氏による邦訳と解説文が掲載されています。
そこには次のような記述もあります。

 そして、実を言えば、私たちは「進化論」と言うのではなく、「いくつかの進化理論」と言うべきです。このように複数の理論があるのは、進化のメカニズムについて提出されたさまざまな説明があるせいであるのですが、それだけでなく、進化のメカニズムを説明するもとにある哲学がさまざまであることのせいでもあります。
〔「 1996 年 10 月 22 日の科学学士院あての教皇ヨハネ・パウロ 2 世の書簡」より〕

―― 日本発の「今西進化論」があります。本人による次の談話があります。

今西 西田幾多郎さんの哲学論文集というのがあるねん。第一巻から第五巻ぐらいまであったやろ。その第二巻に生物論というのがあるねん。それは繰り返し繰り返し読んだ。それをもとにして『生物の世界』を書いたんや。
柴谷 ははあ。その系譜はぼくは全然知らない。
今西 『生物の世界』の最後の章が「歴史について」だけれども、そこで進化論が出てくる。わしはその時からダーウィニズムには反対派ですけどね。しかし、ひじょうにはっきりしたノン・セレクショニストになるのは、それからだいぶしてからのことで、人文科学にいる時、一九六四年に「正統派進化論にたいする反逆」というのを書いた。これではじめてノン・セレクショニストの正体が出てきます。適応しているものが生き残るのとちごうて、生き残るか生き残らんかは運で決まっているのやということは、この時に出てくるねん。
〔今西錦司・柴谷篤弘/対談『進化論も進化する』 (p.19)

 ここで、ふと思ったのは、キリスト教徒にとっての「くじ運」は、〈神のはたらき〉と同等の意味をもつ場合があるということです。
 であれば、自然選択に「運」をもちこむ考え方は、キリスト教徒にとっては、〈神の摂理〉をはたらかせやすいかもしれません。
 そういう偶然の積み重ねを、〈神の摂理〉と観ずるのか、それとも無神論的に〈ただの偶然〉の結果と考えるかが、「哲学的立場の違い」ということになるのでしょう。
 日本人の庶民感覚としては、自然の摂理にも「お天道(おてんと)さまが、みてごじゃる」と、したほうが、世間的に通用しやすいようにも思えます。
 するとそのあたりに、キリスト教の〈摂理〉すなわち「神のそなえ」との、理解の共有点が見えてきます。
 進化論者は必然的に「無神論者」になるわけではないでしょう。
 そうやってみていけば。進化論の自然選択が「無神論」を導くのではなく、進化論を理由として、無神論の立場の表明がなされただけなのかも、しれません。


〈神の国〉と進化の理論
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/evolution.html

2017年5月6日土曜日

神の物語を科学する「創造科学」

 一神教が語られる『聖書』で、主なる神が複数形の箇所があります。

新共同訳『聖書』旧約聖書「創世記」 11 章 5 節から 7 節までを引用
 主は降(くだ)って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた、
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」。

 ここに語られた、神による「我々」という複数形の一人称は、子であるイエス・キリスト及び父なる神と解釈されて、やがては〝三位一体〟説へと発展していきます。
 解釈は自由です。ですから、自由な信仰の立場からの反対意見もあるようです。
 神ないし神々の物語をどのように信じるか、それともてんで信じないかは、各人の内面の問題でしょう。
 神の物語を「神話」といいます。神々の物語も「神話」です。
 神が単数形でも、複数形でも、同じ「神話」です。

 それはさておき、そのような神の物語を科学的に考察しようという社会的な働きがあります。
 再現性という点で壊滅的な弱点を有する進化論も、科学ではないと、疑われる展開もあるようです。進化論を疑うというのは、ようするに、検証不可能な進化論を科学的というなら、同じように、「創世記」も科学的らしいのです。
 特にアメリカ合衆国でそれは衰えることを知らず盛んに検討が続けられているようです。

 ここに深い、とても深い、事情があります。
 新世界アメリカはキリスト教徒の理念を体現すべき〈神の国〉でありつつ、政教分離という国策があるので、特定の宗教にかたよったものは、公立の教育機関では授業に採用されないからなのです。
――、っちゅうことなら、「創世記」を資料とした、「創造科学」の研究が自然科学として国家に認められたなら、『聖書』を堂々と授業に持ち込めるという次第なのであります。そういうことが真剣に画策される時代なのであります。
 でも、もし神の物語の記述が文献として、まともに科学されたなら、その都合の悪い場所も平等に扱われてしまうでしょう。

口語訳『聖書』旧約聖書「レビ記」 19 章 27 節
あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。

 この文言は、多くのひとびとにとっては、無視したいか、気にならないものでしょう。
 しかしながらもたとえば、ひとの道を『聖書』のいいつけを根拠として主張するなら、こういうこともすべて忠実に守られなければならないはずなのです。
 やはり宗教は自然科学とはジャンルが違うと思われるのですが、こういうところにも、科学的な根拠は見つけられるのでしょうか? それともこのあたりは科学とは関係ないのでしょうか。
 神の言葉に忠実でありなさいというひとは、こういう些細なことこそ、忠実でなければならないのではないかと、思ったりもします。
 あろうことか、聖書の語句に忠実であろうとするひとびとは、自分で聖書を読まないという風聞さえ耳にします。
 自分に都合のいいだけの信仰は、擬似科学と同じような、擬似信仰なのではないかと思われてなりません。

 云々、云々、と――。
 このあたりの新しい闘争が、創造論と進化論で、続いているわけです。
 日本では、もともとそういう闘争神話が浮世離れしているため、アメリカの世情が理解しがたいのですが。

 1968 年に、アメリカ合衆国の連邦最高裁は、反進化論州法が「国家と宗教の分離」を定めた合衆国憲法修正条項第一条に反するという判決を下しました。
 1970 年代後半に、自然科学の博士号をもち「創造科学」を研究する、「創造科学者」が登場します。
 創造論と進化論は対等の科学的な仮説だから、両者にあてられる授業時間は等しくなければならない、とする「授業時間均等化」が訴えられ、それに則した州法が、1980 年代にアーカンソー州とルイジアナ州で成立しました。
 1987 年、連邦最高裁は「均等化」法にたいし、「生物進化論は科学であるが、創造論は特定の宗教に基づいたドグマである」から「公立学校の科学の時間にそれを教えることは国教樹立を禁止する合衆国憲法修正条項第一条に違反する」という判決を下しました。
 1990 年代になると、かつてはダーウィンも学んだ、ウィリアム・ペイリの設計論が、復活しました。
 知的設計者を想定する、新しい科学です。
 進化全体に、知的な存在がかかわっていることを「知的設計(インテリジェント・デザイン)」説といいます。

ジョン・E・ジョーンズ判事は、二〇〇五年十二月二十日のドーヴァー判決で、次のように書いている。「 IDM[ Intelligent Design Movement, 知的設計運動(インテリジェント・デザイン・ムーヴメント)]の提唱者は、この設計者が宇宙異星人あるいは時空旅行する細胞生物学者であるかも知れないことを時折示唆するけれども、設計者が神ではないことを示すまじめな代案を、IDM 会員が提出したことは一度もなかった」。
〔フランシスコ・J・アヤラ『キリスト教は進化論と共存できるか?』 (pp.103-104)

 興味深いのは、著者が違えば、創造論者に関して次のような記述も見えることです。

国有林や国立公園内の資源利用に利害をもつ林業、鉱業、畜産業の関係者とファンダメンタリストを中心とするキリスト教保守派は共和党保守派を支え、米国の反環境運動の中心に立っています。
 天啓的歴史観に立つファンダメンタリストにとって、全地球的な環境問題は終末が近いことを示す兆候にすぎません。全地球の環境を保護しなければならないとする環境主義は反キリストが支配する世界政府樹立につうじる道になるとし、地球を救うことができるのはキリストの再臨、神による新しい天と地、新しいエルサレムの樹立によるのだから、そのためには救いの福音をのべ伝える伝道をいっそう活発にし、祈りをもって終末に備えるのがクリスチャンの使命だ、とファンダメンタリストは主張するのです。
 …………
 進化論を拒絶するかぎり、ファンダメンタリストは生態学的視点を理解できず、現代の環境問題を十分に理解できなくなります。
〔大谷順彦『進化をめぐる科学と信仰』 (p.212)

 多くのキリスト教の信仰者が環境問題に積極的に取り組むなかで、ファンダメンタリストは反環境運動を推進しているというのです。
 その理由が、進化論を信じないからだということのようです。
 これはもう、完全に信教の自由の問題が絡むので、自然と手をこまねく以外にどうしましょう。


信仰と創造科学と知的設計
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2017年5月4日木曜日

進化論と優生学そして〈数字〉への信仰

 1858 年 6 月 18 日、チャールズ・ダーウィンはアルフレッド・ラッセル・ウォレスから「変種がもとのタイプから無限に遠ざかる傾向について」という論文を受けとった。
 同年 7 月 1 日、リンネ学会の会合でダーウィンの研究とウォレスの論文が報告され、ダーウィンとウォレスは自然選択による進化論の共同発表者と認められた。
 1859 年 11 月 24 日、ダーウィンは『種の起原』を刊行する。
 ウォレスは、1864 年の「自然選択により演繹される人種の起源と人類の古さ」という論文以降、人間の知的道徳的精神は「指導魂(ディレクティヴ・マインド)」という超自然的な存在者によって導かれていると主張するようになる。
 以上は、丹治愛『神を殺した男』を参考にまとめたもの。
 同書には優生学についての記述もある。次は、その箇所の引用文。

 ちなみに、ダーウィンのいとこ(エラズマス・ダーウィンの孫)でもあり、『遺伝的天才』(一八六九)において近代優生学の父となったフランシス・ゴールトンが「優生学」という言葉をつくったのは、一八八三年、『人間の能力とその発達に関する研究』においてのことである。
 それ以後、ある種の結婚を禁止し(消極的優生学)、別な種類の結婚を奨励する(積極的優生学)優生学的運動は、メンデリズムの再発見(一九〇〇)以後に発展する遺伝学とあいまいにむすびつくかたちで、二〇世紀をつうじて不吉な力を発揮しつづける。
 たとえば、ゴールトンの弟子のひとりにカール・ピアソンがいる。ヴィクトリア朝中期の経済的繁栄の結果として労働者の生活水準(とくに栄養水準)が大幅に改善されていくなかで、自然選択の度合いを示す死亡率が急速な低下を示したことに危機感を覚えた彼は、「もし自然が行なう効果的ではあるが手荒い人種改良をわれわれが拒むのであれば、その仕事をわれわれみずからの手で引き受け、精神的・肉体的に劣る者が多産化せぬよう手段を講じなくてはならない」(バーナード・センメル『社会帝国主義史』)と主張していた。このような優生学のもつ不吉な本質は、ほどなくナチズムの反ユダヤ主義的政策のなかに顕在化していくことになる。
〔丹治愛『神を殺した男』 (p.51)

 かくして〝科学的〟な新しい教義は、〈数字〉への信仰心をたかめていったわけだが。
 数字への信仰は、ダーウィンの進化論を待たずとも、すでに萌芽していた。
 1851 年に死去したサミュエル・ジョージ・モートンの研究は、さまざまな人種の頭蓋骨を収集して、それをできるだけ、自己の信念に従って正しく計測することだった。残念なことには、彼の信念の強さが、観察と計測の結果に相応の影響をもたらしたらしい。
 その信念とは、頭蓋骨の大きさから客観的に人種をランクづけられるというものだった。
 モートンの研究をたいへんに評価して「厳密で注意深い」と称賛した、オリヴァー・ウェンデル・ホームズには同名の息子がいた。オリヴァー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、1927 年、ヴァージニア断種法を支持する最高裁の判決を申し渡した。

精神薄弱といわれている子どもを持つ若い母親のキャリー・バックは、スタンフォード=ビネー式で精神年齢九歳であると採点された。キャリー・バックの母親は当時五十二歳であったが、精神年齢を検査したところ七歳であった。ホームズは、二十世紀における最も有名で冷酷な言明の中で、つぎのように述べている。
 「公共の福祉が善良な市民たちに、その生命を要求する場合があることを一度ならず見てきた。現在まで国力を弱体化してきた人々に、このわずかな犠牲すら求められないとするならばおかしなことである。……三代もつづく痴愚はもう結構である。」
 …………
私は、一九八〇年二月二三日の『ワシントン・ポスト』紙の記事にショックを受けた……。「ヴァージニア州で七五〇〇人以上を断種」がその記事の見出しであった。ホームズが支持したあの法律が一九二四年から一九七二年まで四八年間も実施されていたのである。手術は精神衛生施設で、「未婚の母、売春婦、軽犯罪者、訓育上問題のある子ども」を含む精神薄弱や反社会的であると考えられる白人男女に主として行なわれていた。
〔スティーヴン・J・グールド『増補改訂版 人間の測りまちがい』 (pp.457-458)

 知能指数が、人間の価値を定めようとする時代は、日本では、戦後の高度経済成長期以降も続いた。
 かつて優生学に関する資料を調べてみたことがある。
 すると「ゆとり教育」の話題まで、でてきたので、びっくりしたものだった。
 そのときの資料から、それに限定して引用させていただくと。教育課程審議会会長を務めたことのある三浦朱門氏の証言が紹介されているものから。

……〝ゆとり教育〟を深化させる今回の学習指導要領の下敷きになる答申をまとめた最高責任者だった。
「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
 …………
 今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら〝どうせ俺なんか〟で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。
 平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが〝ゆとり教育〟の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
 ―― それは三浦先生個人のお考えですか。それとも教課審としてのコンセンサスだったのですか?
「いくら会長でも、私だけの考えで審議会は回りませんよ。メンバーの意見はみんな同じでした。経済同友会の小林陽太郎代表幹事も、東北大学の西澤潤一名誉教授も……。教課審では江崎玲於奈さんの言うような遺伝子診断の話は出なかったが、当然、そういうことになっていくでしょうね」
 それまで取材したさまざまな事実、いくつもの言葉が思い出された。…………
〔斎藤貴男『機会不平等』 (pp.40-41)

 20 世紀に、進化論と創造論と無神論と優生学とは、まさに〝科学的〟という同じ言葉で語られるようになった。
 アメリカでは、1920 年代から、ファンダメンタリストが反進化論運動を展開しはじめた。
 それについては「スコープス裁判」( 1925 年 7 月)での論戦が有名だ。
 同じ言葉で語ろうとして、進化論と創造論に、明確な、対立が生まれた。
 やがて〈創造科学〉が反進化論運動の先頭に立つが、それについては次回の話としたい。


1859 年:ダーウィンの衝撃
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2017年5月2日火曜日

カインの妻はアダムとイブの子孫ではないような

 有名な〝カインとアベルの物語〟は、旧約聖書「創世記」の第 4 章に描かれている。
 アダムの妻イブは、邦訳聖書ではエバとも表記されるが、彼らの最初の子供である長男がカインであり、同じく第二子のアベルが次男となることは、おおかたの共通認識となっている。
 人類というのは、この 4 人家族のことであった。はずなのだが。

 カインは弟殺しの罪で、当時、両親がエデンから移り住んでいたエデンの東から、追われて、同じくエデンの東に移り住んだらしいが、追放される際に〝砂漠の危険な無法地帯〟でなぶり殺しになることを極度に恐れていたように記述されている。
 が。だれに? ――殺されると、思っていたのか。
 人類はもはや、その時には他に、彼の父母しか残されていない状況下で、流浪の地で〝誰が〟カインに出会うというのか。
 どうやら、『聖書』では語られていない、別の人類創造の物語が、外伝として想定されているようだ。 ―― というわけで。

「最初の殺人」 ― カインの物語 ― と、都市文明(2016年3月4日金曜日)でも、このことは書いていた。

あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう。
〔『聖書 口語訳』旧約聖書「創世記」第 4 章 14 節〕

カインが殺されることのないよう、《神》はカインに「しるし」をつけ、
そして、このあとで、カインは妻を得て、子をもうける。

―― と、いう具合に、書いていて、かなり以前から、そういう疑念を抱いていたのだ。
そしてこのたび、進化論と並行して創造論などを調べていて、同種の見解を発見した次第だ、というのは。

 アガシはアメリカでの多起源論の指導的スポークスマンにもなった。彼はこの理論をヨーロッパから持ち込んだのではない。アメリカの黒人とはじめて接した経験が、彼をして黒人は別の種であるという人種理論に変えさせたのである。
 アガシは政治的教義として意識的に多起源論を受け入れたのではない。人種をランクづけることの妥当性は決して疑わなかったが、奴隷制の反対者として自分を数えていた。彼が多起源論を支持したのは、もっと早くから別の目的で行なっていた生物学の研究によるものである。まず、彼は信心深い創造論者であり、反進化論者として唯一のちのちまで留まった一流の科学者である。一八五九年以前は、ほとんどの科学者は創造論者であり、多起源論者にはならなかった。
 …………
 そこでアガシは、つぎのような論を提示する。多起源論は人間の単一性という聖書の教義を攻撃することにはならない。たとえそれぞれの人種が個別の種として創造されたとしても、人間は共通の構造と、共感によって結ばれている。聖書は古代の人々には未知だった世界の地域については語っていない。アダムの物語はコーカサス人種の起源のみに言及しているのである。……
〔スティーヴン・J・グールド『増補改訂版 人間の測りまちがい』 (p.85, 88)

 つまりはようするに、ダーウィンの進化論に断固として反対していた、ルイ・アガシは、〈人種多起源論者(ポリジェニスト)〉であったということだ。
 彼の場合に、聖書に基づく創造論と人種多起源論は、まったく矛盾しないのだ。
 このあたりの事情は、相当に複雑な関係性をもつようなのだが……。

 1873 年に、アガシが亡くなると多くの科学者がダーウィンの進化論をうけいれた。と、これもまた共通認識のようで。
 ひとびとは真理という〈神〉にいたる学として自然科学を信仰しはじめる。
 以下、邦訳聖書の、原文資料など。


〔参考資料 1〕
口語訳『聖書』旧約聖書「創世記」第四章

 (pp.4-5)
 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。カインは主に言った、「私の罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
 カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。…………

〔参考資料 2〕
『口語 旧約聖書略解』創世記

 (pp.20-21)
〔四・一-一六〕 カインとアベルの物語。……【人はその妻エバを知った】「知る」とは結婚の行為に関連している。【カイン】という言葉の意味は「得る」である。……【アベル】の意味は「息」である。……【わたしを見つける人はたれでも私を殺すでしょう】作者は人類がいかにして増殖しているかについては説明を省略している。ここでカインの恐怖の理由は、殺された近親者の復讐というよりも、むしろ砂漠の危険な無警察の状態を意味するものであろう。……【一つのしるしをつけられた】彼が殺人者であるというしるしではなく、保護のためのしるしである。……【ノドの地】さすらいの地の意味。
〔四・一七-二二〕 カインの子孫と文明。文明の発達に並行したバビロニヤの物語はない。ローマの文明にはこれに並行したものがある。ラチユルスの古伝には、「ラチユルスはその弟レマスの血をもってローマの基礎を築いた」とある。都市の文明は血の上に建てられるのである。カイン族の文明は、ノアの洪水によって絶滅させられるまでつづいたものと信ぜられた。…………