2015年6月26日金曜日

自然哲学者と モンテーニュの『自然神学』

1595年10月3日付の恩師への手紙で、ケプラーが、
「私はこれらを発表しようと思います。自然の書の中において認められることを望みたもう神の栄光のために」

と書き、翌年に出版された『宇宙の神秘』(1596年)でも、

「神秘な何かを知ろうとされるのならば、事物の自然の中にこそ最も秘め隠されたものがあるのです。いやむしろあったのです。ただわれわれの題材は、そのもたらす利益が無思慮な人々にははっきりわからないため、すべての人々を満足させるというわけにはまいりません。とはいえ、ここに、聖書であれほどほめそやされている自然という書物がございます」

と主張したのを皮切りに、有名どころが続々と、

ベーコン『学問の進歩』(1605年)で、

「それゆえ、結論としていえば、穏当というたわいない観念やはきちがえた節度からわり出して、人間は神のことばをしるした書物〔聖書〕、あるいは神のみわざをしるした書物〔自然〕の研究に、すなわち、神学あるいは哲学において、ふか入りしすぎたり、よく通じすぎたりすることがありうるなどと考えたり、主張したりしてはならない」

ガリレオ『偽金鑑識官』(1623年)で、

「哲学は、眼のまえにたえず開かれているこの最も巨大な書〔すなわち、宇宙〕のなかに、書かれているのです。しかし、まずその言語を理解し、そこに書かれている文字を解読することを学ばないかぎり、理解できません。その書は数学の言語で書かれており、その文字は三角形、円その他の幾何学図形であって、これらの手段がなけれは、人間の力では、そのことばを理解できないのです」

デカルト『方法序説』(1637年)で、

「わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問〔人文学〕をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした」

ついには、スピノザ『エチカ』(1663-1675年)で、

いわゆる「神即自然」と語ったとかされるわけですが、

この「神即自然」の「即」は、英語では正しく ‘or’ と翻訳されているようですね。

Oxford Reference
http://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780199541430.001.0001/acref-9780199541430-e-908

deus sive natura

(Latin, god or nature)The slogan of Spinoza's pantheism: the view that god and nature are interchangeable, ...



〔閑話休題〕
この流行のきっかけは「ベルギー信仰告白」(1561年)とする考えもあるようなのですが、
ここはひとつ、
モンテーニュ『自然神学あるいは被造物の書』(1559年)の原著の流行をそのはじまりとしたい、とばかりに、いろいろと、資料にあたってみました、とさ。


『自然神学あるいは被造物の書』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Sebonde.html

2015年6月22日月曜日

ラプラスの「神という仮説」に関する資料

『数学をつくった人びと』 という本に、

ラプラスの発言が引用されていました。

「閣下、私にはそのような仮説は必要ございませんでした」

これは、どうも、ド・モルガン の、

“A BUDGET OF PARADOXES” からの、

引用と思われるのですが、

著者の ベル は、
「この本では、史実を述べるたびに典拠をあげるとしたら、たいへんな量の脚注が要るであろう」

と、「おぼえがき」で述べてしまっているので、これはどうにもならない話なのでしょうか?

詳しい資料内容は、以下のサイトにて公開中。


ラプラスの魔
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Laplace.html

『数学をつくった人びと』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Bell.html

2015年6月19日金曜日

科学革命の着地点

「アルキメデスの原理」と「コペルニクスの原理」からはじめて、
ケプラーとガリレオを経由し、
ニュートンの「プリンキピア」への道を辿ろうとして、
…………
すったもんだの「自然哲学」と「自然神学」のパラダイムシフトの結果としては、
「ラプラスの魔」により「神という仮説が必要なくなった」、19世紀。

ナポレオンに重用されて、讃美を極めて「献辞」を書いたラプラスは、
情勢の変化にも聡く、あっという間に今度は「ナポレオンの追放令」に署名する始末とは、
こりゃ、酸鼻の極み。――にもかかわらず、順風満帆な人生を送ったようなのではあるが。


この想定外の長丁場も、

あとは、ラプラスの発言に関する資料と、「人間原理」に始末をつければ、
やっとこ「パレート原理」に移れそうな気もしつつ、
「自然神学」関連の資料も、この際、見渡しつつ……。


自然哲学 ( 自然という書物 )
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Kepler.html

プリンキピア “Philosophia Naturalis Principia Mathematica ”
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/Principia.html

2015年6月12日金曜日

ファインマンが言ったとかいう有名な作り話

そちこちの「科学哲学」関連の書物でみかけたものですから、
その原典を探してみるってえと、

『現代思想』 1998年 11月号 vol.26-13

に、参考文献として紹介されていました。ありがたや……。

で、「国会図書館」に在架していたところの該当の本を取り寄せて貰い、
(県立図書館ともどもにありがたや……)

(1) Noretta Koertge ed., A House built on sand, Oxford Univ. Press, 1998, p. 32.

という、註釈に従って、その紹介文を見ると、

Richard Feynman's famous (perhaps apocryphal) judgment that philosophy of science is about as useful to scientists as ornithology is to birds has been quoted and echoed by Steven Weinberg, who entitles an entire chapter of Dreams of a Final Theory  “Against Philosophy.”

それで、但し書きの (perhaps apocryphal) は、なんと「たぶん作り話」!!

つまりは、「有名な」作り話の、紹介なのでした。

どういうことだ、これは!

そういうような話も、ページの最後の部分に、資料として、テキスト化しております。
と、いう、最近アップロードした、マイ・ページの話なのでした。

新「科学哲学」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/kuhn.html


あと、参考資料の書誌情報のページを、やっとこさ、
HTML5 + CSS バージョンに、修正いたしましたと、さ。

Reference (文献・資料 等)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/reference.html

2015年6月3日水曜日

ユニコード入力支援ページ

以前に作っていた JavaScript による
「ユニコードの入力支援ページ」を リニューアルしました。

HTML5 + CSS という形式で タグを書き換えつつ、少々、手直しも加えてみたのです。


ユニコード一覧のページ(255 文字 × 255 頁)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/unicode.html

10 進数コード・16 進数コード・文字 の相互変換ページ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Recode.html

ラテン文字
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Latin.html

ギリシャ文字
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Greek.html

アラビア語
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Arabic.html

デーヴァナーガリー文字
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Devanagari.html

サンスクリット語の五十音表の母音参考形など(入力方法とかも)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/unicode/Sanskrit.html