――と、いう時代があった。
西欧の〈魔女狩り〉の話だ。
最悪は、それを覚悟しなければならない、ご時世なのだ。
過激に過ぎる〈魔女狩り〉は、新大陸アメリカにまで飛び火している。
そういう話を読めば、その、
あまりの非道さに、誰かを糾弾したくなる。
誰かを悪者にしなければ、これはもう、おさまらぬ。
現代の魔女狩りは、そういう正義の「魔女狩り」の時代だ。
そうなのかもしれない。
それは、ようするに、自然に対する人間の無力さに繰り返される、歴史か。
誰が、本当の《魔女》なのか。何が本当の《差別》や《偏見》なのか。
糾弾する側は、いつも正義だ。
ヨーロッパを飢饉が襲った、17 世紀――。
当時、イギリスのピューリタン革命でも、〈神の摂理〉が振りかざされた。
それは、「勝てば官軍」の正義だ。
だから、パスカルはいった。
「人は正義にしたがうことを力であるとすることができなかったので、力にしたがうことを正しいとしたのである。正義を強くすることができずに、力を正しいとしたのである。」 〔『パンセ』 299〕
ジェームズ 1 世の『悪魔論』 と 魔女狩り法案 と 内戦 と
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/James1st.html
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