2015年8月21日金曜日

『デカルトの誤り』及び養老孟司『唯脳論』での推論

アントニオ・R・ダマシオ『デカルトの誤り』という本で、

デカルトの誤りを一つだけ選ぶとすれば、デカルトの〈どの〉誤りを選ぶべきかが、考察されて、
『方法序説』にフランス語で “Je pense donc je suis” と書かれ、あるいは、
『哲学の原理』にラテン語で “Cogito ergo sum” と書かれた、あの有名な
「我思う、ゆえに我在り」が選ばれるべきだろうというようなことが、記述されているが、

「『原理』では ego cogito, ergo sum (私は考える、ゆえに私はある。第一部七節)」

という、山田弘明『方法序説』ちくま学芸文庫 (P. 235) の「訳注」は残念ながら、
彼らには遅すぎたようだ。

この件は、日本のウィキペディア「我思う、ゆえに我あり」にも掲載されており、
日本の読者なら、そのラテン語の誤りは、その気になればすぐにでも調べがつくはずだ。

どうやら著者は
R. Descartes (1637). The Philosophical Works of Descartes, rendered into English by Elizabeth S. Haldane and G. R. T. Ross, vol. 1, page 101. New York: Cambridge University Press (1970).
を参照したようだが、あいにく、その該当箇所を確認するには至っていない。
そういえば、コピーライト表示のページの原書名にも、ささやかなエラーが見受けられた。


そういえば――ということで、ついでに養老孟司『唯脳論』の勘違いにも言及しようとして、
まったくの悪口になるはずが、こちらはどういうわけか、
「調べなかったがゆえの、前進」を発見することになり、
「デカルト自身は、自らの出版物に “Cogito, ergo sum” と書いたことは一度もないようだ」
と知っていたなら、とてもこのように見事な論説は不可能であっただろう、という、ようわからん結論に現在は至っている。

そういえば――ということで、夏目漱石の『吾輩は猫である』にもデカルトは出現していた。


 そんなこんなで、デカルトの「コギト」について、自分なりに資料をまとめてみました、とさ。


デカルトの「方法」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/methode.html

デカルト 「第一原理」
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Descartes.html

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