2015年11月16日月曜日

《自然支配》 批判 を展開する文芸作品のこと

 前回に 「このお話は また次回」 と書いちまいましたが、その、
イギリスで〈情報戦略〉が継承された時代のことを話題にする前に、ひとつ、
今回は、自分のための覚え書きという体[てい]の内容を挿入するのであります。
――

デカルトは、自明の理であると主張して、ほぼ独断に近い推論で〈自然哲学〉を構成しました。
〔このことでデカルトの天才を否定しようというつもりは毛頭ありませんけれども、しかしながら〕
それを「デカルト自然学というロマン」と語ったホイヘンスと、
「仮説を捏造しない」と言い放ったニュートンのことには、前回触れました。が、
そのときリンクを記載した、

ニュートン-17世紀科学革命
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/theRevolution.html

の引用文中にある、
自然破壊の首謀者として引き合いに出されるベーコンについて書かれた一段で、

 そこで、論者の中には、フランシス・ベイコンを指弾して、このような事態を引き起こした元凶はベイコンであると言う人々がいる。しかし、読者にはすでにおわかりのように、これは、ベイコンを知らず、歴史的認識をもたぬ人々の、ベイコンヘの見当外れの責任転嫁に他ならない。
渡辺正雄『文化としての近代科学』講談社学術文庫版 255 ページ

という表現によって、擁護が行なわれていることが、かなり印象に残っているのです。
この引用文は、かなり以前に記録させていただいていたもので、それは「魔女狩り」について調べはじめるより前のことなのです。
――実はそれで当時のイギリスの時代背景などを調べてみたという経緯[いきさつ]もございます。


ここまでをまとめますと、以下のごとくです。

「デカルト自然学」は〈自然哲学〉として、論ぜられました。
この自然学理論が間違っているなら、〈自然哲学〉の分野から批判が行なわれてしかるべきです。
それでもって、結果として、ニュートンによって、否定されるべき部分は否定されたのです。

いっぽう、ベーコンに対して行なわれている批判は、どうやらそういう類[たぐ]いではなさそうなのです。
そのことが気になって、今回の件を調べてみたという次第です。

 ――
先だって(2015年11月5日木曜日)のこのブログ上で、
「文芸作品」というのは〈省略〉で構成されており、その〈行〉を介して〈行間〉を読ませるものだけれども、
「学術論文」の場合はすべてを〈明示〉しなければならない、というようなことを書きました。
それは、両者の分野が違うということでもあります。

実はその際にリンクを記載したページに、その翌日に追加した、最後の箇所があります。
あまりにも厖大な注釈の量に圧倒されていくらか血迷ってもおりました。

前田達郎「レトリックと方法―― F.ベーコンの二つの顔 ――」 の注釈の部分です。
その最後の最後に、

 ベーコンの「知は力」の思想が、現代における自然と人間の疎外の根源として現代哲学で非難されることがある(フランクフルト学派)。しかしベーコンこそ科学の背景にある宗教的エートスを明らかにし、それからの歪曲を警告し、科学を文化、倫理、宗教などとのトータルな連関で捉えることを説いた人なのである。
リンクにて参照のこと

という、記述がありまして、結果として、それにヒントを得ることができました。
〈フランクフルト学派〉について調べてみることにしたわけです。
いや、本当に、それまで〈フランクフルト学派〉という名称さえも知らない、無知な状態だったのです。

悪戦苦闘で一週間は夢のうち――。
キーワードが 「ベーコンの悪口を言っているフランクフルト」 だと、どうにも料理の悪口のようになり、
検索もままなりませんでしたが、多くの〔巨人の〕肩たちの協力により、果たして、
〈フランクフルト学派〉というのは、文芸作品による社会学のような位置づけにあるらしいことが、
これはまるで予言されていたかのように、わかってきたのです。

〈フランクフルト学派〉が人文科学である社会学のそれも 《文学》 であるならば
それはもう完全に 《表現の自由》 の世界なのであり、「世界観の違い」 で片づけるしかないようにも思われます。

すると、今後は、違う畑からそれに文句をいうほうが、〈お門違い〉 のようにもなってきまして、
あぁ、これは、どの土俵で相撲を取るかという、お話しになってしまいましょうか……。

今回はこれでおしまいです。まったくもって鵺[ぬえ]のようにわけのわからぬ話になっちまいました。
最後に、〈フランクフルト学派〉文献の訳者の解説を引用文として、提示させていただきます。


 『啓蒙の弁証法』は永らく「幻の名著」と言われてきた。アドルノの、あるいはフランクフルト学派の代表作と言われ、もっとも大きな影響を与えたともてはやされながら、その名のみ高く、内容は暗闇に包まれていたからである。この本の難しさは、ユダヤ神学などの背景にもあるだろう。しかし、ドイツ語原文を覗いた方ならおわかりのように、それは何よりも、そこに記されている文章の――無類のと言っていい――難解さに基づく。極端に省略を利かせ、語順を倒置し、アレゴリーと逆説と飛躍に充ちた論旨を、絢爛たるボキャブラリーをちりばめながら緊張をはらんで展開していく文体――それはアドルノに固有のもので、この本における彼の主導性を推測させる一つの論拠となるものだが――、こういう文体を生かしながら、文意を解読し、転調の中に一貫した筋道を浮し出し、それを「わかる日本語」に移し代えることは、きわめて困難な作業だった。(以下略)
〔M.ホルクハイマー他/著『啓蒙の弁証法』徳永恂訳、岩波書店 1990 年、「訳者あとがき」 420 ページ〕

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