慣用句の如くに有名にしたのは、まぎれもなく、――それはガリレオではなくて、
その数十年後に登場したライプニッツ、なのであります。
この天才の物語は、戦禍に荒廃した祖国ドイツを出て、花の都パリへと出張したあたりから、
次第に加速して、始まるようです。
――伝記は、まだ読んでいません、が下村寅太郎『ライプニッツ研究』に、そう書いてありました。
フランスの都、パリに上京した当時のライプニッツはまだ、
デカルトの「幾何学」さえ、知らなかったといいます。
それが数年にして、世界的な、数学の最先端に位置するようになったという、天才ぶりです。
彼が、その画期的な微分法を開発したのは、ニュートンとほぼ同時期で、
現在の微積分の方程式の記号には、ライプニッツの方式が使われています。
ライプニッツは、記号学の覇者でもあったのです。
その「微分積分」にかんしては、
風の噂によりますと、ニュートンの祖国イギリスでは、ニュートンの先取権に拘泥するあまり、
世界の風潮に逆らってニュートンの「流率法」のやり方に従ってその後の数学を運用しようとして、
世界の数学界から、かなり水をあけられてしまった、という話です。
――あくまで小耳に挟んだ、風聞にすぎませぬが。
ちなみに、表題の、
ライプニッツの主張は、「充足理由律」と、いいます。
ライプニッツ『形而上学叙説』
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Leibniz.html
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