2016年2月29日月曜日

イスラエル ――砂漠の民―― の歴史

その昔、ヘブライ人は多く、傭兵部隊――戦闘民族――であったとも、される。
彼らは過酷な砂漠の生活を生き抜いた人々でもある。
聖書の《神》によって与えられたその名称〈イスラエル〉の意味が、
「神が戦う」とも「神と戦う」であるとも、いわれている。
ユダ王国に定住した後には、彼らが拠り所とした信仰が「ユダヤ教」と称されるようになった。

そしてその「外伝」として――、
たとえば、このような古文書がある。

そして人間の息子たちが増えたとき、うるわしく美しい娘たちが、その頃かれらに生まれることになった。そこで天の息子である見張り(天使)たちは彼女たちを見て、彼女たちを望んだ。~~。かれらはみんなで二〇〇人おり、エレデの時代にヘルモン山の頂きに降りた。
「エノク書」6 章『古代悪魔学』p.223 より〕


一見して、「神降山(かみふるやま)」の記録であると見える。
ギリシャ神話でいえばそれは「オリンポス山」となる。
日本神話でいえば、――クシフルダケ――あるいは「高千穂の峰」だ。

どこにでも、似たような話はあるものだ。だから、慌てて同一視する必要はない。
同一視した時点で、全く同じものとしか、見えなくなる危険性がある。
そして、その前提で、新たなる「神話」が形成されることとなる。

フィクションとリアルの境目が見えなくなっていくのだ。


Israhel : 西暦紀元に至る王国の歴史
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2016年2月23日火曜日

バビロン ― 神の門 ― の神話

筑摩書房刊 『筑摩世界文學大系』 1 古代オリエント集 によると、
「アッカド」の粘土板には、次のように、刻まれていた。

 わたしが土を固めておいた下界の予定地に、
 (もう一つ)神殿を、満ちたりた住いをわたしは造営したい。
 そのなかに祭儀の場所をもうけ、
 聖室をつくり、わたしの王権を末ながく堅固なものにしたい。
 きみたち(下の神々)がアプスーから昇って(神々の)集会にくるとき、
 そこはきみたち全部を受けいれる夜の安眠の場所となり、
 きみたち(上の神々)が天から降りて(神々の)集会にくるとき、
 そこはきみたち全部を受けいれる夜の安眠の場所となることだろう。
 わたしは〔その〕名を〔バビロン〕《偉大な神々の家々》と命名したい。
『筑摩世界文學大系』 p.125


 これを一読して連想されたのは、あの「出雲大社」の〈神有月 [かみありづき] 〉の伝承である。

年に一度、全国から、神々が終結するための、あの巨大な神殿の物語だ。
その物語の主人公、大国主命 [おおくにぬしのみこと] は、別名を「オホナムチ」といい、
この名を意訳すれば「大蛇」となる。「海を渡って来る光る蛇」を神体として祀る、ともいう。

 これだけで、もう、シュメールは日本神話の「ふるさと」ともなりかねない、勢いなのである。

ところがこのたびは、聖書をテーマにシュメールにまでさかのぼったものだから、
それどころではないのである。

驚愕すべきは、上掲本によれば、
「ウガリット」の粘土板には次のように、刻まれていた。

 おまえは悪い蛇 レヴィアタンを打ちくだき
 まがりくねる蛇を破った
 七つ頭のシャリートを。
『筑摩世界文學大系』 p.298


――で。『聖書』には、次のような記述があるのである。

 その日、主は
 厳しく、大きく、強い剣[つるぎ]をもって
 逃げる蛇レビヤタン
 曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し
 また海にいる竜を殺される。
〔『聖書 新共同訳』旧約聖書「イザヤ書」第 27 1 節〕

これはもう、似ている――近似性がある――、というようなレベルの話ではないのである。


Myths : バビロン ― 神の門 ―
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2016年2月19日金曜日

ギルガメシュ と 《神の杉の森》

最古といえるこれら神話において……
《神の杉》とはそのまま《神》のことであり、
《神の杉の森》もまた《神》に等しい存在だ。

「ギルガメシュ叙事詩」では《神の杉の森》の番人は、
〈フワワ〉もしくは〈フンババ〉という名をもつ。
ギルガメシュは、《神》に等しいその〈フワワ〉を殺して、
〈フワワ〉の生首をギルガメシュの《神》に捧げる――。しかし、
《神の杉の森》の番人〈フワワ〉は、彼の《神》の支配下にある存在であった。
その生首を見て、《彼の神》の怒りは、ギルガメシュ彼自身に向けられる。

太古の時代、森林への人類の侵食はこのように始まったと思われる。
自然という《神》に善悪はない。
ただ〈自然の息吹〉がそこにあり、〈生命の躍動〉がそこにある。

〈フワワ〉の森はアニメ「もののけ姫」の〈シシ神〉の森と重なる。

正邪はなく――ただ〈生命〉が、そこにはある。

人類の定住と農耕(文化)は、森林破壊へと直結していく。
農耕とは「カルチャー」であり、すなわち「文化」を意味する。
それが人類の〈文明の曙〉だ。

レバノンの杉は、聖書でも繰り返し、切り倒される。
レバノンの杉は、「イザヤ書」で、バビロンの王が切り倒されるのを喜ぶ。

そのレバノン杉の、《神の杉の森》 は、世界遺産に登録されたが、
レバノン共和国全体では、いまや無惨ともいえる状況であるという。
神話「ギルガメシュ叙事詩」の課題は、21 世紀に至ってなお、解決されていない。


レバノン 《 神の杉 》
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2016年2月15日月曜日

〈 Sumer 〉――シュメールの神話

小林登志子 『シュメル ― 人類最古の文明』 という本に、
Sumer が日本ではなぜ「シュメル」ではなく「シュメール」と表記されるようになったのか、
はじめに、説明がありました。それは、
第二次世界大戦中に流布(るふ)した俗説との、混同を避けるための策としての歴史があります。

そうして「シュメル」の歴史が語られていくのですが、
その中に、〈蛇神ニンギシュジダ〉の前身でもあったと、考えられている、
「異形のもの」ムシュフシュについての、記載がありました。

 グデアがニンギシュジダ神に奉献した鉢には二頭のムシュフシュが左右対称に向き合い、真ん中に二匹の蛇が絡みあった図像がある。この二匹の蛇が絡みあった図像をカドゥケウスと呼ぶ研究者もいる。カドゥケウスつまり二匹の蛇が絡みついた杖といえばギリシア神話に登場するヘルメス神の持ち物(アトリビュート)を指す。
『シュメル ― 人類最古の文明』(p.235) 中公新書 2005


さて前回、WHO の〈蛇〉の紋章について、
 この「蛇が巻きついた杖」は、ギリシャ神話に登場するアスクレピオスの杖を意味します。
と、紹介させていただいたところであります。
今回は、〈蛇〉がダブルで、
 二匹の蛇が絡みついた杖といえばギリシア神話に登場するヘルメス神の持ち物、
ということとなりまして……、

〔参考〕 → アスクレピオスの杖 - Wikipedia

はてさて、いずれにしても、いままでのお話しからすると、
シュメル版の〈蛇〉のオリジナル性は疑う余地はありませぬ。

また「ギルガメシュ」の物語などと「神武東征」あるいは「日本武尊 [ヤマトタケルノミコト] 」の
日本神話との近似性も、否定はできないものがありまするので、『ギルガメシュ叙事詩』を読めば、
「スメルのみこと」説も、沈黙したままではいられなさそうなのです……。

そういうわけで、このたびは、シュメルにまでさかのぼり、
記録された神話の最初ともいえる時代の、文明の暁の星から、繙(ひもと)かれてまいります。


〈 Sumer 〉神話の源流
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2016年2月8日月曜日

WHO 〈蛇〉の紋章

最近の、世界的な話題によく登場する「世界保健機関 (WHO)
――ダブリュー・エッチ・オー (World Health Organization) ――
の紋章は、「杖に巻きついた蛇」の図案が採用されています。
記者会見の会場には、背景となる壁にその紋章が描かれているはずです。

この「蛇が巻きついた杖」は、ギリシャ神話に登場するアスクレピオスの杖を意味します。
アスクレピオスを医学の祖とする、古来からの言い伝えがもととなって、
彼の杖が、医療のシンボルとなっているのです。
そもそも蛇は、歴史の黎明期以来、〈いやしのシンボル〉であり、それは〈生命の象徴〉といえます。
また、〈知恵の象徴〉でもあり、それは聖書でも同様です。

聖書で最も有名な〈蛇〉は「創世記」に登場するものでしょうが、その次に有名なのはやはり、
「ヨハネ黙示録」で〈古き蛇〉と称される〈サタン〉のことになりましょうか。
そこから、堕天使伝説が膨らんで、都市伝説として流布していくことにもなります。

――その天使たちの伝説と、聖書の《神》がひとの間に送り込んだ〈火の蛇〉の伝承は、
なにやら関係がありそうです。
 実は、「出エジプト」の流浪の旅の最中に《神》の怒りが〈火の蛇〉となって、ひとびとを襲います。
モーセの祈りによって、《神》はモーセに「死を免れる法」を伝授します。
思わず知らず、『風土記』にある〈ムタ神〉の伝説を思い出しておりました。
それは日本では「茅(ち)の輪くぐり」の起源神話ともなっています。

「備後国風土記」逸文
☆疫隅の国つ社 [えのくまのくにつやしろ] 蘇民将来 [そみんしゃうらい]
(前田家本『釈日本紀』巻七「素戔嗚尊乞宿於衆神」条

――『聖書』の伝承に戻りますと。
《神》の指示によって、モーセは青銅の蛇をこしらえ、
それを仰ぎ見たひとは〔蛇に咬(か)まれても〕生きながらえることになります。
 なんと! 『聖書』でも、〈蛇〉は〈いやしのシンボル〉でありました。
そして、〈火の蛇〉という、その災厄を送り込んだのが《神》自身であることもまた、事実なのです。

――で。〈火の蛇〉といえば、天使〈セラフィム〉のことでもあります。

さらには、なんとっ!!
新約聖書では、この〈蛇〉はイエスと同一視されているようです。
〔「ヨハネによる福音書」第 3 14 節〕

そうしますと……。WHO の紋章に劣らず、キリスト教でその象徴としての〈蛇〉は、

 天使〈セラフィム〉も〈蛇〉なら、悪魔〈サタン〉も〈蛇〉、そして《神》の独り子である〈キリスト〉もまた〈蛇〉という次第とあいなりまして……


― 火の蛇 ― の伝説 と〈 angelos 〉
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2016年2月3日水曜日

ジョン・ウェズリ 「悪魔なければ、神もなし」

〈サタン〉の語源がもともと、「〔道を〕さえぎる者」にせよ「〔道を〕さまたげる者」であるにせよ、
敵する者――「敵対者」としての役割は、そもそも、対立する概念を想定しているのです。

それ――サタンの対立概念――は最初、「ひと」であったのが、「キリスト」へと移り変わります。
これが、新約聖書で完成を見た、〈キリスト〉対〈サタン〉の図式となります。
ここで、
キリストであるイエスは、神の子でありますから、《神》対〈サタン〉の図式も同時に成立します。

このように〈サタン〉は独立しては存在し得ないのですが、それと同時に、
創造者である善なる《神》も、悪の原理を〈サタン〉に依存することになりました。

そいうわけで、今回の、上の標題のような展開とあいなります。

先月末に最初の紹介をさせていただいた、『古代悪魔学』には、

ジョン・ウェズリ(一七〇三-九一年、オクスフォード大学教授、メソジスト派の祖)のことばを借りれば「悪魔なければ、神もなし」というわけであるが(16)

(16) Rudwin 1931 : 106. The Trial of Maist. Dowell (1599, p.8) の「悪魔なければ神もなし」という表現 (K. Thomas 1978 : 559 で引用されている ) と比較せよ。

とあります。
どうやら、1600 年頃にはすでに、そういうことが言われていたようです。

新約聖書で描かれる有名なユダの裏切りも、それによって、
イエスの十字架上での死が、いっそうの栄光に包まれることになるわけですので、
『ユダの福音書』も説得力をもつのです。
――つまり、もっともイエスに忠実な使徒がもっとも辛い役目を負った、という。
そういう方向性の解釈では、
サタンもユダも、その使命により、地獄に落ちたのです。

果たして《神》は、彼らに、
――よろしく頼むよ。

と、言ったのでしょうか? そういえば、
ミルトンの『失楽園』でも、サタンにそういう役割の陰翳(かげ)が見え隠れしているようです。
つまり、
――闇がなければ、光も認識できない、ということなのですね。


Enemy : 敵対者の神話
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