――
経済学者のケインズは、1946 年英国ケンブリッジ大学の
「ニュートン 300 年祭」における講演で、並みいる学生たちを前に、こう語りました。
「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師であり、最後のバビロニア人でまたスーメル人であり、一万年には少し足りない昔にわれわれの知的遺産を築き始めた人たちと同じような目で、可視的および知的世界を眺めた最後の偉大な人物であった。」
〔J.M.ケインズ「人間ニュートン」『人物評伝』 316 ページ〕
と。
イギリスで、最後の魔術師が生きた時代は、同時にまた、フランシス・ベーコンからロンドン王立協会に連なる、最初の〈情報戦略〉が継承された時代でもありました。 〔このお話は また次回……〕
そしてまた、
デカルトの親友の息子で著名な物理学者(光の波動説)のクリスティアン・ホイヘンスは、デカルトについて「デカルト自然学というロマン」と評している。
〔前田達郎「レトリックと方法 ―― F.ベーコンの二つの顔 ――」『哲学の展開 哲学の歴史 2 』 80 ページ〕
とかいう、こともございまして、――宇宙戦艦並みの――その「デカルト自然学というロマン」による
「仮説の捏造」 に、ニュートンとしては、どうにも我慢がならぬのでありました。
ニュートンの有名な決めゼリフ――
「私は仮説を作らない」
は、実のところ、デカルト一派に対して、
「私は仮説を捏造しない」と、
高言したもののようであります。
その、最後の魔術師の最大の功績は、『プリンキピア』( 1687 年)で、
ついに地球を完全に動かすことのできる運動理論(力学)を完成させたことでした。
ニュートンは、〈魔術師〉の名にもふさわしく《本当に!》地球を動かしてしまったのです。
――「地動説」はこれ以降、なぜか〈異端審問〉に引っかからなくなったようでごじゃります。
〔デカルトの「幾何学」はもっと評価されてしかるべきだと思うのではありますが、それは、〕
デカルトが「ガリレオ裁判」に慄[おのの]いて慌てて自説を〔巧妙に〕隠蔽しようとした
『方法序説』( 1637 年)から、ちょうど 50 年後のことでした。
ニュートン-17世紀科学革命
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/theRevolution.html
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