2015年12月3日木曜日

織田信長の「虫メガネ」

織田信長が持っていたのは「遠眼鏡」ではなく「虫眼鏡」である


 遠眼鏡[とおめがね]は、また遠目鏡とも書く。望遠鏡のことである。
 その「望遠鏡」は江戸時代、徳川家康への献上品目にすでに見受けられる。おそらくはそれが日本にもたらされた最初の望遠鏡であり、日本側の記録では靉靆 [あいたい]という言葉が用いられている。これは「メガネ」を意味する。長さ一間[いっけん]= 1.8 m[メートル]ほどの巨大なものであった。

 また一方、戦国時代に日本に伝来した「メガネ」は、老眼鏡であり、遠視矯正用のレンズは一般に「凸レンズ」と決まっているので、それならば「虫メガネ」と同じ形になるわけだ。
 だからつまり、
織田信長が持っていたのは「遠眼鏡」ではなくどちらかというと「虫眼鏡」である、ということになる。

 望遠鏡について調べていたら、そういうことになった。
 その「望遠鏡」を家康に献上したのは、イギリス人らしい。

1608 年、オランダで望遠鏡が特許許可される。
1609 年、ガリレオ・ガリレイがその噂を聞きつけて、さっそく自作してみる。
1610 年、ガリレオが天体観測をもとにした『星界からの報告』を出版する。
1613 年、ガリレオ式の望遠鏡が、日本にやって来る。

 なんと、年表にすると。望遠鏡は西欧で発明されてから、わずか5年で、日本にまで到来している
 ヨーロッパの一部学者のあいだではいまだ、「望遠鏡は悪魔の発明品」とばかりに恐れられていた時代のことである。
 自分たちの立場を危うくするのは恐るべき悪魔の仕業に決まっているのである。
 ちなみに、オランダでは、望遠鏡は軍需品扱いだったらしいが、家康が望遠鏡を手に入れた、その翌年の「大坂の陣」に望遠鏡を持ち出したという記録はないそうだ。

 そういえば――。
 こたびの、そもそもの最初は、「惑星」という日本語の起源について調べ始めたらなぜか徳川吉宗に行きついた、という話のはずであった。


【惑星】―― 天体望遠鏡と徳川吉宗 ――
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/planet.html

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