2015年2月26日木曜日

アインシュタインが追求しようとしたこと



Wir müssen wissen.
Wir werden wissen. 
  
われわれは知らねばならない。
われわれは知るであろう。 
  
ヒルベルトの墓標 ―― 墓に置かれた碑文 ―― に刻まれた言葉です。


 アルバート・アインシュタイン  相対性理論関連の文献発表時期

1905年 特殊相対性理論 発表 
1915年 一般相対性理論 重力方程式の最終形 
1916年 『特殊および一般 「相対性理論」について』執筆 
1917年 『特殊および一般 「相対性理論」について』初版発行 
1938年 『物理学はいかにして創られたか』初版発行


 アインシュタインが何を知ろうとしていたのか。
 ―― ヒルベルトについての資料を詳しく見る前に、アインシュタインの相対性理論について文献を調べて見ました。

 

『神は老獪にして… ―アインシュタインの人と学問―』

  (P. 311)
 1915年11月25日に、プロシア科学アカデミーの物理-数学部会で、アインシュタインは、「最終的に一般相対性理論は一つの論理構造として完結する」という内容の論文を発表した[E1]。

 ⇀ (P. 342) 〔文献〕 E1. A. Einstein, PAW, 1915, p. 844. 
 ⇀ (P. 14) 〔引用文献について〕 PAW:プロシア科学学士院会報。 
 

■ この本では、【アインシュタインの日本講演】の記録 について言及してあります。■
 
 (P. 142)
 さて、アインシュタインがまだほとんど無名だった時期に戻り、マイケルソンがアインシュタインの特殊相対性理論にどのように反応したか、そしてマイケルソン‐モーリーの実験が、アインシュタインの1905年のあの理論の体系化にどんな影響を与えたかをたずねよう。
  (P. 148)
 最後に京都講演がある。それはドイツ語で話され、石原純によって日本語に訳された†[I1]。日本語原文の一部が英語に再訳された[O1]。この英語訳から数行引用する:(この訳文は原著『アインシュタイン講演録』東京図書(1971)p. 81より該当部分をそのまま引用する。)
  
 † 1912年から1914年まで、石原はドイツおよびスイスで物理学を学んだ。彼は当時からアインシュタインを個人的に知っていた。彼はまた多数のアインシュタインの論文を日本語に翻訳した。
  
 ⇀ (PP. 171-174) 〔文献〕

I1.  J. Ishiwara, Einstein Kōen-Roku, Tokyo-Tosho, Tokyo, 1977. 
O1.  T. Ogawa, Jap. St. Hist. Sci. 18, 73 (1979). 
I1.  石原純『アインシュタイン講演録』東京図書, 1971. 
  

『アインシュタイン講演録』

原著解題  〔1971年 4月 広重徹〕

 (PP. 195-196)
 アインシュタインは1922年(大正11年)の末、約1ヵ月半にわたって日本を訪れて各地で講演し、熱狂的な歓迎を受けた。本書はそのときの講演の内容を、通訳としてアインシュタインに同行した石原 純が紹介し、解説したものである。と同時に、日本における人間アインシュタインの横顔を伝える記録でもある。石原のいくつかの文章のほか、岡本一平の漫画とそれにそえた小文とが、生き生きとアインシュタインの風貌を描きだしている。
 [慶応大学での講演は、] ところどころを、原文のままでなく、石原の解説文でつないでいるのも、読者の理解を容易にするであろう。
  もうひとつ特に興味深い文章は、京都大学で学生を相手に語った「いかにして私は相対論を創ったか」である。

(七) 京都大学演説

=いかにして私は相対性理論を創ったか=

 (P. 81)
 しかし私がまだ学生としてこれらの思考を自分にもっていたときに、このマイケルソンの実験の不思議な結果を知り、そしてこれを事実であると承認すれば、おそらくはエーテルに対する地球の運動ということを考えるのは私たちの誤りであろうと直覚するに至りました。つまりこれが私を今日特殊相対性原理と名づけているものに導いた最初の路であったので、このとき以来私は、地球が太陽のまわりを回っているけれども、その運動は光の実験によっては認知し得ないものであることを思うようになったのでした。


『物理学はいかにして創られたか 上巻』

  (PP. 4-5)
 自然という書物を「読む」ことによって私たちはいろいろなことを知りました。~~。科学はその発達の途上にしばしば行詰りの来ることがありますが、そんな時「読む」ことは喜びと刺激との源泉となりました。私たちは随分多く自然界を読んでこれを理解するようになりました。しかしながら真の解決――そういうものがあり得るものとしても――はまだ程遠いのです。~~。一見完全と思われる理論も、更に「読ん」で行くと不完全なのがわかったことも非常に多いのです。その理論に矛盾する、あるいはそれでは説明の出来かねる新しい事実が現われて来るのです。読めば読む程、「自然の書物」の構成には非の打ちどころのないのがわかります。もっとも私達が進むにつれて真の解決は却って遠ざかって行くようにも思われますけれども。
  コナン・ドイルの名作以来、どの探偵小説にも大概は、探偵が少なくとも問題のある方面に関しては、必要なだけの事実をことごとく集めてしまう時期があります。これらの事実は多くの場合に、全く異様な、支離滅裂な、何の関係もないもののように見えます。しかし名探偵は、その時はもうそれ以上の調査は不必要で、ただ思索のみがその集められた事実を関係づけるものだということを知っているのです。~~。
 科学者が「自然という書物を読む」――まずい言い方を繰り返すことになりますが――にあたっては自分で解決を見出さなければなりません。というのは、他の物語を読む場合など性急な読者はよく書物の終りをめくって見るものですが、「自然の書物」を読む場合にはこんなことは出来ないからです。
  (P. 35)
 物理学の概念は人間の心の自由な創作です。そしてそれは外界によって一義的に決定せられるように見えても、実はそうではないのです。
  (P. 86)
 科学には、永遠に変らない理論はありません。理論によって予期せられた事実のどれかが実験で否定されるのはいつも見られることです。どの理論も最初にはそれが漸次に発展して凱歌を挙げますが、その後では急激な没落を経験するかも知れないのです。~~。科学の上で大きな進歩の見られるのは、殆んどいつも理論に対していろいろな困難が起り、危機に出遇った際にこれを脱却しようとする努力を通じてなされるのであります。私たちは、古い観念や、古い理論を検討してゆかなくてはなりません。過去にはそれでよかったものの、同時にその検討によって新しいものの必要を理解し、かつ前のものの成立する限度を明らかに知ることが大切です。

『物理学はいかにして創られたか 下巻』

  (P. 36)
 科学ではいつもそうである通りに、私たちは深く根づいてはいるものの、これまでしばしば無批判に繰り返されて来た偏見から離れることが何よりも大切です。
  (PP. 48-49)
すなわち、もし光の速度がすべての座標系で同じであるならば、動いている棒はその長さを変え、動いている時計はそのリズムを変えなければならないのであって、かつこれらの変化を支配する法則は厳密に決定されます。
 これだけの事柄には何も不思議はなく、また不合理もありません。古典物理学では、動いている時計も静上している時計も同じリズムをもち、動いている棒も静止している棒も同じ長さをもつと、いつも仮定していました。しかし光の速度がすべての座標系において同じであるなら、すなわち相対性理論が成り立つならば、私たちはこの仮定を犠牲に供しなくてはならないのです。~~。相対性理論から発展した所のその後の科学的進歩から見ますと、この新しい見方は一つの必要な果実としてのみ見なすべきではないことがわかります。なぜならこの理論の功績はそれ以上更に顕著であるからです。
  (P. 152)
 科学は新しい思想や、新しい理論を創るように私たちを強要します。それらの目的は、しばしば科学の進歩の道を阻むところの矛盾の牆壁を破壊することであります。科学におけるあらゆる本質的な思考は、実在とこれを理解しようとする私たちの企図との間の劇的な争闘において生まれて来ました。
  (P. 185)
 簡単のために、ここでは量子物理学以外のすべてを古典物理学と呼ぶことにしましょう。そうすれば、この意味での古典物理学と量子物理学とは根本的に異なっています。古典物理学は、空間に存在する対象の記述と、時間の経過によるそれらの変化を支配する法則を立てることを目的としています。
  (P. 186)
 科学は決して完結した書物ではなく、またいつになっても、そうでありましょう。重要な進歩はいつも新しい問題を起して来ます。どんな発展にしても、それは長い間には、新しいかつ一層深い困難を現わして来ます。


『NHKアインシュタイン・ロマン 第1巻 黄泉の時空から』

  (PP. 70-71)
 アインシュタインは一般相対性理論で、幾つかの予言をした。この理論の最大の特徴は、実験や観測で集められたデータを矛盾なく説明するために作られたものではないことだ。アインシュタインは何度も述べている、「経験をいくら集めても理論は生まれない」。データから帰納的に理論を構築する道はアインシュタインは採らない。そうではなく、揺るぎがないと考えた原理にのっとって、既成の理論に潜む形式上の矛盾を解決していくことが、彼にとっての理論形成だった。


『ペンローズの〈量子脳〉理論 心と意識の科学的基礎をもとめて』

「ツイスター、心、脳――ベンローズ理論への招待」 茂木健―郎の解説

  (PP. 271-273)
  
量子力学を最初に理解したのは誰か?

「ニュートンカ学を最初に完全に理解したのは誰か?」 
 というなぞなぞがある。その答えは、アインシュタインなのである。なぜならば、アインシュタインが相対性理論を構築して初めて、ニュートンカ学が前提にしていた「絶対時間」や「絶対空間」という概念の問題点、限界が明らかになったからだ。 一般に、ある理論を私たちが完全に理解したと言えるのは、その理論の限界、欠点が明示的に明らかになったときである。~~。
 誰も、まだ、量子力学を理解した人はいないのである。なぜならば、誰も、その不完全さをきちんと把握した人はいないからだ。私たちは、量子力学を超える理論体系を手に入れて、はじめて量子力学を理解することになるだろう。ニュートンカ学を最初に理解したのはアインシュタインだった。量子力学を最初に理解するのは、誰なのだろうか?
 

『あなたにもわかる相対性理論』

 (P. 91)
 ニュートンによって発見された重力つまり万有引力の法則は、地球上だけでなく、天体の運動をも正確に説明できる。だから、この法則を疑おうとする科学者は誰一人いなかった。
 しかし、アインシュタインは、ここにも疑いの目を向けた。
 そういう根源的な問いかけができる人は、実際にはほとんどいない。エルンスト・マッハはできたが、量子論の創始者であるドイツの物理学者マックス・プランクでも、できていたか疑わしい。


『相対性理論の矛盾を解く』

  (P. 67)
 現在の相対論に出てくる「ローレンツ収縮」は、ローレンツたちとはまったく違う考え方からアインシュタインが導いたものですが、先人に敬意をあらわして、同じ名前を使っています。


  

☆ 特殊相対性理論では、運動する物体は、運動方向に縮んで見え、また時間と空間の座標は、「ローレンツ変換」により相互に入れ替えが可能となっています。
 
◎ さて、アインシュタインの「特殊相対性理論」を数学的に整理したのは、アインシュタインの数学の師である、ミンコフスキー[*1]なのですが、アインシュタインの理論に「ローレンツ変換」を組み込んだのは、他ならぬそのミンコフスキーです。「時空」[*2]とは特殊相対性理論で「ローレンツ変換」の成立する「四次元時空(時空世界)」でありそれを「ミンコフスキー空間」ともいいます。 ローレンツ[*3]は、アインシュタインよりも先に「空間が縮む」ことを提唱した人物で、そこで「ローレンツ変換」が示されているのです。アインシュタインは独自の計算式で、ローレンツの理解と同じ結論に達したようなのですが、ミンコフスキーにとってはアインシュタインの計算式よりも、ローレンツ変換のほうが親しみやすかったのでしょう。ミンコフスキーは数学者であり、彼の友人にヒルベルト[*4] がいます。―― 『ヒルベルト』という本の「14 空間、時間そして数 (PP. 217-226)」にはミンコフスキーについての記述があります。 

[*1] ミンコフスキー、ヘルマン Minkowski, Hermann [1864.06.22-1909.01.12]
[*2] 時空 = スペース・タイム [英 space-time, 独 Raum-Zeit]
[*3] ローレンツ、ヘンドリク・アントーン Lorentz, Hendrik Antoon [1853.07.18-1928.02.04]
[*4] ヒルベルト、ダヴィッド Hilbert, David [1862.01.23-1943.02.14]
  

アインシュタインの『特殊および一般 「相対性理論」について』では《時空連続体》に言及してあります。「第17章 ミンコフスキーの四次元空間」の冒頭でも、それに触れてあります。
 ――また、第三版(1918年05月)に追加された、付記 「2 ミンコフスキーの四次元世界」では、ローレンツ変換について簡便な説明をもってして、稿を締めくくっています。


『特殊および一般 「相対性理論」について』

「第17章 ミンコフスキーの四次元空間」

  (P. 74)
 数学者でないものが〈四次元〉と聞くと、ある神秘的な戦慄、舞台の幽霊が生むそれに似ていなくもない感情に捉えられる。にもかかわらず、われわれの住む世界は四次元の時空連続体であるということほど、陳腐な言明もないのである。

付記 「2 ミンコフスキーの四次元世界」

  (PP. 159-160)
 ミンコフスキー的世界は、形式的に一つの四次元ユークリッド空間(虚数の時間座標をもった)と見なすことができる。すなわちローレンツ変換は、四次元〈世界〉における座標系の一つの〈回転〉に相当する。


 

【用語について】

『物理学辞典』三訂版

  (P. 2531, l)
 ローレンツ変換 [英 Lorentz transformation, 独 Lorentz-Transformation, ......]
  慣性系の間の時間・空間の座標変換。最も一般的には、座標軸の原点の移動、原点のまわりの回転、空間・時間のそれぞれの反転、時刻 t  = 0 で原点が重なるような一つの空間軸の方向への等速度運動、およびこれからの重ね合せである。~~。

『科学大辞典』第2版

  
 (P. 1615, r)
ローレンツ  [Lorentz, Hendrik Antoon] 〔1853~1928〕
 オランダの物理学者。物質の中に電子ありとして、光の屈折率と密度の関係、磁場と偏光の関係を論じ、ゼーマン効果の理論によってその存在を立証、金属電子論を基礎づけた。高速度で動く物体に関しローレンツ収縮やローレンツ変換を導いたが、エーテルの概念を捨てきれなかった。1902年ノーベル物理学賞受賞。
  (P. 1616, l)
ローレンツしゅうしゅく  ――収縮  [Lorentz contraction]
 特殊相対論によると、速度 v で運動する物体は運動方向に長さが | √1-( v  / c )2 | ( c  は光速)倍に縮んで見える。これをローレンツ収縮とよぶ。光速度不変の原理、またはそれから導かれるローレンツ変換によって説明される。
  (P. 1616, r)
ローレンツへんかん  ――変換  [Lorentz transformation]
 特殊相対論における時間・空間座標の変換。~~。一般に四次元ベクトルは同一の変換に従い、テンソルはベクトルの積の変換に従う。
  
 (P. 1468, l)
ミンコフスキーくうかん  ――空間  [Minkowski's space]
 1908年、H. Minkowski によって導入された時間と空間の四次元空間。時空世界と同じ。
  (P. 594, r)
じくうせかい  ――時空世界  [world of space and time]
 三次元の空間に時間を加えた四次元空間。1908年、H. Minkowski によって導入され、ミンコフスキーの時空世界ともいわれる。相対論では、事象はこの四次元空間の一点で、物理量や物理法則は四次元空間のスカラー、ベクトル、テンソル量で表される。



☆ 時空連続体 [ space-time continuum ] についての記述ですが、1916年のアインシュタインの論文でも、英訳で確認できます。またその次に揚げた、1909年の文献では、目次にその用語が用いられています。
 
(1916)
 by Albert Einstein, translated by Satyendra Nath Bose
 German original: Die Grundlage der allgemeinen Relativitätstheorie, Annalen der Physik 354 (7), 769-822, Online
 


 BY J. L. SYNGE
 H. Minkowski, Raum und Zeit [Physikalische Zeitschrift 10 (1909)104]
Chapter I.
 THE SPACE-TIME CONTINUUM AND THE SEPARATION BETWEEN EVENTS


◇ “Oxford English Dictionary” のデータでは、次の情報がありました。◇
 (こちらのサイトは、表示可能なタイミングとそうでない時とがあるようです。)

 B. n.
1927 S. Ertz Now East, now West viii. 117
  I've got quite drunk on theories about the space-time continuum.



アインシュタインの著書には、次のようにありました。

Geometrie und Erfahrung

by Albert Einstein
 (P. 20)
As to the part which the new ether is to play in the physics of the future we are not yet clear. We know that it determines the metrical relations in the space-time continuum, e.g. the configurative possibilities of solid bodies as well as the gravitational fields; but we do not know whether it has an essential share in the structure of the electrical elementary particles constituting matter.


☆ 「問題の発生」とは「前進の機会だ」、という話をヒルベルトがした、という問題について、次回。

2015年2月14日土曜日

《アインシュタインが述べたとされる言葉》

問題解決のレベル その2



◎Webで、次のような気になる文章を見つけました。

名言ナビ☆名言データベース

[ 名言 ]
今日我々の直面する重要な問題は、その問題をつくったときと同じ考えのレベルで解決することはできない。
[ 出典 ]
アインシュタイン
[アルベルト・アインシュタイン]
(20世紀の理論物理学者、ノーベル物理学賞受賞、1879~1955)
[ 別表現/別訳 ]
(ver.1)
この世の重要な問題は全て、それを作りだした時と同じ意識レベルで解決することはできない。
(ver.2)
今日世界に存在する問題は、それを作った考えのレベルでは解決できない。
(ver.3)
いかなる問題も、それを作りだした時と同じ意識レベルで解決することはできない。
[英文]
The problems that exist in the world today cannot be solved by the level of thinking that created them.



◎書籍では、次の文章が確認できました。


『ストーリー思考 ――「フューチャーマッピング」で隠れた才能が目覚める』

神田昌典[かんだ・まさのり]/著
2014年12月05日 ダイヤモンド社/発行
 「第2章 あなたの中に眠っているストーリーの力」
  ストーリー思考がもたらす5つの仕事力――その③
「ストーリーは、真の問題をあぶりだす」
 (P. 39-40)
「我々の直面する重要な問題は、その問題をつくったときと同じ考えのレベルでは解決することはできない」――アインシュタイン
 要は、目の前の問題は、自分が創りだしたのだから、自分の考え方を変えない限り、また同じ問題を創りだしてしまう。だから「考え方」自体を根本的に変えなければならないのだ。しかし、しかし……、
 思考の習慣を変えるのは、日常生活の繰り返しの中では、簡単ではない。



◎さらに“Google books”では、次のような文章を見つけました。


 では、どうすればいいのでしょうか。
 私は、難しい問題に遭遇するたびに、アインシュタインの次の言葉を思い出します。

今日我々の直面する重要な問題は、その問題をつくったときと同じ考えのレベルで解決することはできない
 (Problems cannot be solved by the same level of thinking that created them.)」

『こんなに働いているのに、なぜ会社は良くならないのか?: 人と組織がパワフルに生まれ変わる方法』
森田英一/著
2012年09月 PHPエディターズ・グループ PHP研究所/発行 (国立国会図書館データより)

このアインシュタインの言葉は、同じ本の中で再掲されています。



◎この言葉の原典を求めていくと、次のような文章に遭遇することができました。


 “Healing and Transformation Through Self-Guided Imagery”

by Leslie Davenport
Copyright ? 2009 by Leslie Davenport
 (P. 46)
 Alice Calaprice’s The New Quotable Einstein attributes Einstein with saying,The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking we were at when we created them. ” How can you shift levels? One way is to shift the framework entirely.



 ☆このことに力を得て、斜体で引用した箇所を検索すると、同様の記述が、次のサイトにありました。該当箇所を、またも斜体にします。


Wikiquote

Albert Einstein



・ A new type of thinking is essential if mankind is to survive and move toward higher levels.
 ......
 ・ In The New Quotable Einstein (2005), editor Alice Calaprice suggests that two quotes attributed to Einstein which she could not find sources for, "The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking we were at when we created them" and "The world we have created today as a result of our thinking thus far has problems which cannot be solved by thinking the way we thought when we created them," may both be paraphrases of the 1946 quote above. A similar unsourced variant is "The world we have created is a product of our thinking; it cannot be changed without changing our thinking."
 ......


【上記の引用文献について】

“THE NEW QUOTABLE EINSTEIN”

Edited by Alice Calaprice.
c 2005 by Princeton University and The Hebrew University of Jerusalem
Forewordc 1996, 2000, 2005 by Freeman Dyson.
『増補新版 アインシュタインは語る』
2006年08月23日 増補新版 大月書店/発行

「アインシュタインが言ったとされる言葉」

アインシュタインのものである可能性がある、あるいは可能性が高い言葉

 (PP. 314-315)
私たちが直面する重大な問題は、私たちがそれを生み出したときと同じレベルの考え方では解決できない。(バリアント――私たちが思考の結果生み出した世界には、それを生み出したときと同じような考え方をしていたのでは解決できない問題がある。)
これもよく問い合わせがあるもの、アインシュタインが1946年に言った言葉、「人類が生き延び、さらに高いレベルに向かって進むには新たな種類の考え方が不可欠だ」の言い換えかもしれない。(ネイサン/ノーデン-383ページ。)



☆この本に、アインシュタインの「ノーベル賞受賞」について記述がありました。

【アインシュタインが前年度分のノーベル賞を受賞した件】


「年表」
1922 年 統一場理論についての最初の論文を仕上げる。10月から12月にかけて、日本に旅行し、極東に行く途中、他にも何か所かに立ち寄る。11月、上海で、自分が1921年度ノーベル物理学賞を受賞したことを知る。(「アインシュタインについてもっともよく聞かれる、科学以外の疑問にたいする答え」を参照。)

 (PP. 365-366)
  ノーベル賞
 1922年11月、アインシュタインは雑誌『改造』(日本)に招かれて極東にいたとき、自分が1921年のノーベル物理学賞を受賞したという正式な知らせを受け取った。授賞理由は「理論物理学への貢献、とくに光電効果の発見」だった。受賞の知らせにどう反応したかについては記録がなく、旅日記もこれに触れていない。(パイス・1982年-503ページ。)~~。


☆他にもいくつかの言葉を、この書籍から紹介したいと思います。


 (P. 245)

主なる神は老獪だが、意地悪じゃない。

もともと、1921年5月にプリンストン大学の数学教授、オスカー・ヴェブレンに向かって言った言葉。~~。
学部のラウンジ、ジョーンズ・ホール(この名称のプリンストンの数学科の新しい建物が建つまでは、ファイン・ホールと呼ばれていた建物)の202号室の暖炉の上の石には、もとのドイツ語“Raffiniert ist der Herr Gott, aber boshaft ist Er nicht”が永久に刻みこまれている。(“Herr Gott”は“Herrgot”が正しい。)この言葉はさまざまな翻訳で広く引用されている。パイス・1982年、フランク(英語版)-285ページ、ホフマン・1972年-146ページなど。


考え直したよ。もしかすると神は意地悪かもしれないね。

ヴァレンタイン・バーグマンに、現実には理解しているどころではないのに、神は私たちに、何かを理解したと信じこませるという意味。セイエン-51ページ。


 (P. 300)

私たちの思考が大体、記号(言葉)を使わずに、それどころか、相当程度、無意識に進行していることに疑いはない。そうでなかったとしたらどうして、ある体験について、まったく自発的に「不思議に思う」などということが、ときどき起こるだろうか? この「不思議に思う」ということは、ある経験が、われわれの内部ですでに十分に不動のものになっている多数の概念と衝突するときに起こるように思われる。

シルプ・1979年-8-9 ページに引用。


 (P. 318)

あらゆる困難の真ん中に機会がある。

アインシュタインよりはるかに古いものである可能性が大きい自明の理。

  (P. 414)
参考文献

シルプ編 『哲学者・科学者としてのアインシュタイン』 [Schilpp, Paul, ed. Albert Einstein: Philosopher-Scientist. Evanston, III.: Library of Living Philosophers, 1949.]
――編・訳 『アインシュタイン――自伝的ノート』 [――. ed. and trans. Albert Einstein: Autobiographical Notes. Paperback ed. La Salle, III.: Open Court, 1979. (この「ノート」は上掲書にも収録されているが、ページ数が異なっている)]


【参考として:上記の引用文献 (パイス・1982年)】

“'Subtle is the Lord...'
The Science and the Life of Albert Einstein”

Abraham Pais

『神は老獪にして… ―アインシュタインの人と学問―』

昭和62年01月30日 産業図書/発行

 (P. 140)
「神様は老獪である、しかし悪意があるのではない ††」
†† Raffiniert ist der Herr Gott, aber boshaft ist er nicht.


【上記(パイス・1982年-503ページ。)の邦訳箇所】

「30 アインシュタインは如何にしてノーベル賞を手にしたか」
 (PP. 666-667)
 1922年の11月10日、ベルリンのアインシュタインの住居に電報が配達された。それには‘Nobelpreis fur Physik ihnen zuerkannt naheres brieflich [署名]アウリヴィリウス’†とあった。その同じ日に全く同じ内容の電報がコペンハーゲンのボーアの所にも届いた筈であった。また同じその日、スウェーデン科学アカデミーの幹事クリストファー・アウリヴィリウス教授はアインシュタインに手紙を書いた。「すでに電報でお知らせ致しましたように、昨日開催されました王立科学アカデミーの会合では貴下に昨年度[1921年]のノーベル物理学賞を授与することに致しました。それは、貴下の理論物理学における業績、とりわけ光電効果の法則の発見を考慮致したわけですが、将来に、確認された後で価値を与えられることになるであろう貴下の相対論や重力理論は考慮に入れておりません」[A1]。ボーアは1922年の物理学賞を授与された。
 アインシュタインは電報や手紙を受け取るべき家にはいなかった。彼とエルザは日本への旅行の途次にあった。~~。受賞の知らせは彼の旅行の途中に届いたに違いなかった。しかし、いつ、どこで彼がその言葉を受けとったか私は知らない。旅行中彼がつけていた旅日記はこのことについて何も触れていない。††

†  ノーベル物理学賞が貴下に授与される。詳しくは手紙で。
†† (訳注) 金子務は電報が11月10日に船にとびこんできたとしている(『アインシュタイン・ショック』Ⅰ巻、河出書房新社、1981、p. 12)。ホフマン・ドゥカスは神戸着(11月17日)の数日前としている。

 (P. 678)
文献

A1. C. Aurivillius, letter to A. Einstein, November 10, 1922.


「アインシュタインの伝記についての追記」
  (P. 63)
A.アインシュタイン「自伝的覚書き」、Albert Einstein : Philosopher-Scientist (P. Schilpp, Ed.) (『アルバート・アインシュタイン:哲学者‐科学者』(P.シルプ編))に含まれる、Tudor, ニューヨーク、1949。以下Eと引用。アインシュタインの自叙伝に近い、不可欠。(中村誠太郎・五十嵐正敬訳『自伝ノート』。東京書籍、1978。)


資料【上記引用文献 (シルプ・1979年)】について

『自伝ノート』

A. アインシュタイン/著
中村誠太郎[なかむら・せいたろう] 五十嵐正敬[いがらし・まさたか]/訳
1978年09月25日 東京図書/発行

 (P. 121)
訳者あとがき
この本は、P・A・シルプ博士の編による『アルベルト・アインシュタイン――哲学者・科学者』に寄せられた、アインシュタインの『自伝ノート』(Albert Einstein “Autobiographisches” in “Albert Einstein: Philosopher-Scientist.” edited by P.A. Schilpp)の訳と、アインシュタイン財団の好意によるアインシュタインの写真とを載せたものである。~~。

 (P. 8)
 私にとっては、われわれの思考がかなりのあいだ、記号(言語)なしで進み、それ以後もかなりの程度意識されないでいることは疑いもない。というのは、そうでなければ、ときにある経験についてわれわれがまったく同時に〝驚く〟ということが起こるはずがないではないか。この〝驚き〟というのはある経験がわれわれの内面にすでにしっかりと固定されている概念の世界と矛盾するときに起こるように思われる。このような矛盾がはっきり強烈に経験されたときはいつでも、それはわれわれの思考の世界に決定的な方法で反応をおよぼす。この思考世界の展開はある意味では〝驚き〟からのつづけさまの飛翔である。



☆ アインシュタインと同様に、「矛盾」を乗りこえる「無矛盾性」を追求した同時代人として、ヒルベルトがいます。ヒルベルトは、アインシュタインの数学の師であるミンコフスキーの友人でもありました。

「失敗学」と「創造学」

問題解決のレベル その1


 まだ日本が「昭和」だったころ、半村良の『妖星伝』に、その問題解決のヒントが「黄金城」への夢の中に隠されていました。
 その一部をご紹介したいと思います。


『妖星伝』


第五部=天道の巻
半村良[はんむら・りょう]/著
昭和54年01月24日 講談社/発行

「逆襲黄金城」 二
 (P. 8)
 夢助はそのとき、妙な焦燥感の伴なう夢を見ていた。
 どこかにとじこめられているようなのだ。目の前に五分角ほどの桟が並んだ格子の扉があり、その格子の隙間から外の道を見ているのだった。格子の扉は片側が一間ほどの大きで、それが対になった両開きの扉であった。
 門かも知れない。
 夢助はそう思った。格子に触れると冷たい。鉄格子であった。桟を握ってためして見るが、押せども引けどもびくともしなかった。
 これは出られぬ。
 夢助はくやしく思いながら両側を見ると、その門扉は両側の巨大な石柱にとりつけられていて、石柱の先は左右とも高い石の塀がつらなっている。
 地面には短い草が生え、それがびしょびしょに濡れている。空を仰げば陰鬱な雲が重苦しくたれこめている。風はまったくない。
「出してくれ……」
 その重苦しさが焦りを掻きたて、夢助はつい大声で叫んだ。両手に力をこめて鉄格子をゆさぶるが、頑丈な鉄格子は力タリともしない。
「出してくれえ……」
 おのれの夢の観察者である夢助は、その様子を村のはずれに立って眺めていた。白樺の林が夢助の背後にあり、少し風が吹いているようだった。
 夢助は鉄格子の門扉の内側で外に出たがっている自分を、もどかしく眺めていた。その門扉と林を背にした夢助の間には、幅の広い道が左右に坦々と続いていて、その両側には短い草が生えているのだ。
 草は立っている夢助の足もとにもある。つまり、夢助は門扉の真正面の道をはさんだ反対側に立っており、道にそって石の塀と平行に林がつらなっているのである。
「向こうへ行け。左だ、いや、右だ」
 夢助は一度言い間違え、いっそうもどかしくなって門扉の中の自分に、右手の指で左のほうを示して教えている。
 向かって右側の石の塀は、えんえんと道ぞいにはてしなく続いているが、左側の塀は門扉の中の夢助から、ほんの四、五間のところで欠け崩れ、そこから先、門の内と外を区切るものは何ひとつないのだ。


 ☆以上、問題を俯瞰する立場を身に着けることの重要性をつくづく思い知らされた次第であります。



◎ さて、より高いレベルでの問題解決法を、「上位概念」に登る、という表現で記述した文献として、『創造学のすすめ』という単行本がありますが、まずは、その数年前に刊行された『失敗学のすすめ』という本の内容から見ていきたいと思います。


【失敗学サイト参照リンク】


『失敗学のすすめ』 書籍紹介 (CiNii)


失敗知識データベース


【失敗学と創造学】


『失敗学のすすめ』

畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2000年11月20日 講談社/発行

 (P. 216)
 そうなると、実際の異常の発生にも、どうしても反応がにぶくなりがちです。同時に、日ごろから「考えないこと」に慣らされているため、本来、異常を起こさないようにするためのTQCが逆に、発生した異常を前にして、担当者を思考停止状態に陥れる危険性があることはすでに述べたとおりです。

 (P. 220)
 TQCの問題で見られるように、現実に読者のあなたがいる組織でもいろいろ失敗を誘発し、創造力をそぐ仕組みや人間が存在しているかもしれません。
 俗に「せんみつ」などといわれるように、新しいことに挑戦するときには、千のものを手がければ、そのうちの三つ程度がかろうじてうまくいくといわれます。~~。

 (P. 221)
 ダメ上司の典型例は、「そんなことをやってもうまくいかない」「自分も過去にやったけど、ムダだったからやめておいた方がいい」などと軽薄な失敗談を語って部下のやる気をそいでいる人です。実際は、考えられるあらゆる問題を想定して徹底的に試したことなどなく、適当にちょっとかじった程度の体験談に基づいて話していることがほとんどですから、この種の失敗体験談のほとんどは信用するに値しません。
  いわゆる偽ベテランに多いダメ上司が軽薄な失敗体験談を話す背景には、多くの場合、それまで慣れ親しんだ方法を変えられるのが面倒だという身勝手な感情があります。とくに老齢化の著しい組織でよく見られるパターンで、その中で真剣に改革を提案していこうとする人は、ダメ上司の説得に時間を浪費し、心を疲弊させられることになりかねないので本当に困った存在です。


『創造学のすすめ』

畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2003年12月20日 講談社/発行
 (P. 53)
 共通概念で括ることの大きな意義のひとつは、括ることで個別の要素の概念が「上位概念」の登ることです。~~。
 上位概念に登ることの意義は、実際に創造作業を進める際、最初に集めた要素が自分が求めている機能に必要なものかどうかをまず検討できることです。これが「使う概念(要素)を取捨選択する」ということであり、そして「必要な下位概念を探し出す」ということです。
 (P. 56)
 ~~使おうとする概念(要素)がそのままではうまくいかないとわかった場合は、一度上位概念に登って選択し直すという作業をすると創造の幅は確実に広がります。


『畑村式「わかる」技術』

講談社現代新書 1809
畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2005年10月20日 講談社/発行
(P. 90)
 現代社会で本当に必要とされていることは、与えられた課題を解決する「課題解決」ではなく、事象を観察して何が問題なのかを決める「課題設定」です。課題解決と課題設定のちがいは、「HOW」と「WHAT」のちがいと言ってもいいでしょう。


『図解雑学 失敗学』

畑村洋太郎[はたむら・ようたろう]/著
2006年08月10日 ナツメ社/発行
 (P. 118)
 ~~。課題は問題意識という言葉でも置き換えられます。
 (P. 119)
  ◇課題設定とはどんなものか◇
 ある事柄を見たとき、それのどこに問題があるかを発見するのは、ちょっと頭のいい人なら誰でもできる。これは「問題発見能力」というが、それらの問題のなかから自分がやるべきことを課題として選定するのが「課題設定能力」だ。身につけるべきは、問題発見より課題設定の能力である。




☆ しかしながら、畑村洋太郎氏の「失敗学」等を紹介した文献の中にも、「問題発見能力」の大切さを主張の中心に置いているように疑えるものがあるのは、私の非力さゆえの読み間違いなのでしょう。

2015年2月2日月曜日

〈巨人の肩の上に乗っている矮人〉

“Nani gigantum humeris insidentes”
柴田平三郎 『中世の春 ソールズベリのジョンの思想世界』 より

この言い回しは、ニュートンも使用した比喩である。
ということの根拠を過去の文献等に求める。――と、いうこと。

資料・参考文献の参照
 すなわち、つまりは今から「巨人の肩に乗る」。

◎Web
「巨人の肩の上」 Wikipedia

「参照文献はなぜ必要か : その目的と機能」


◎文献

〔特装版〕 岩波新書 評伝選
『ニュートン』
島尾永康[しまお・ながやす]/著
1994年06月20日 岩波書店/発行
《本書は 1979年06月20日に岩波新書(黄版)として刊行されたものです。》
「Ⅲ 巨人の肩にのって」
  2 フックとニュートンの光学論争
 (PP. 82-83)
 「~~。デカルトがやったことは、よき一歩でした。あなたは種々の点で、とくに薄膜の色の考察で多くを付け加えられました。もし私が、より遠くを眺められたとすれば、それは巨人たちの肩にのったからであります。………(以下略)」(フック宛、一六七五/六年二月五日)
  ~~。
 「巨人の肩にのって」の句は、ニュートンが使ったことで有名になったが、ニュートンが創り出した表現ではない。巨人の肩にとまる小人という比喩は中世以来のものである。われわれが先人よりも多くを見ることができ、遠くまで眺望できるのは、われわれの視力が優れているからでも、背が高いからでもない。巨大な先人たちの肩にのっているからである。そういう意味に使われた。文字通りにとれば、それはニュートンの非常な謙虚さの表現である。しかし果してそうだろうか。両者のこの手紙のやりとりは、和解とみてよいのだろうか。
 ~~。圧倒的な影響をうけたデカルトについても、「デカルトのやったことは、よき一歩だった」と軽くあしらったにすぎず、フックが、「種々の点で、多くを付け加えた」ことは認めても、それは薄膜だけのことだとする。

【この(往復)書簡の邦訳文献】

「知の再発見」双書 139
『ニュートン ――宇宙の法則を解き明かす』
ジャン=ピエール・モーリ/著
田中一郎/監修
遠藤ゆかり/訳
2008年08月10日 創元社/発行
「資料篇」
 (PP. 118-122)
  1 巨人たちの肩
フックからニュートンへの手紙
 ケンブリッジ、トリニティ・カレッジ
 敬愛なる友人、アイザック・ニュートン氏へ
  1676年01月20日  ロバート・フック
ニュートンの返信
  ケンブリッジ、1676年02月05日  アイザック・ニュートン


 ――「巨人の肩にのって」の句は、ニュートンが使ったことで有名になったが、ニュートンが創り出した表現ではない。
 とあるように、つまりその言葉は古くからの言い回しなのでした。

『引用する極意、引用される極意』
林紘一郎[はやし・こういちろう] 名和小太郎[なわ・こたろう]/著
2009年04月15日 勁草書房/発行
「第1章 学問における引用の役割」
3.引用と学問の発展 (P. 11)
 この点をより良く理解するために、「私が遠くを見ることができたのは、巨人の肩に立つことによってである」という文章に関する逸話を、紹介するのが有益でしょう。通常この言葉は、ニュートン自身が最初に発したと信じられていますが、坂本[2008]によれば、12世紀のシャルトルのベルナールに始まっており(P.169)、ニュートンはその後継者に過ぎないといいます。

【上記の根拠を「坂本[2008](P.169)」以外の文献に求める】

『中世の春 ソールズベリのジョンの思想世界』
柴田平三郎[しばた・へいざぶろう]/著
2002年05月20日 慶應義塾大学出版会/発行
  第Ⅰ部 文芸思想
第1章 〈巨人の肩の上に乗る矮人〉 ――ソールズベリのジョンの思想世界―― (PP. 13-14)
  序
 十二世紀西欧世界が生んだ、傑出した人文主義者ソールズベリのジョン(John of Salisbury, ラテン名 Johannes Saresberiensis, 1115/20-80)は齢四〇歳頃に執筆した『メタロギコン]』(Metalogicon, 1159)のなかで、若き日の自分の修業時代を振り返り、次のように述べている。
   シャルトルのベルナルドゥスはわれわれをよく巨人の肩の上に乗っている矮人に準えたものであった。~~。(Ⅲ,4.)
 〈巨人の肩の上に乗っている矮人〉(Nani gigantum humeris insidentes)――シャルトル学派の総帥ベルナルドゥスの語ったこととして、ジョンによって伝えられたこの言葉は、~~。

【『メタロギコン』の邦訳】

『中世思想原典集成 8 ――シャルトル学派――』
上智大学中世思想研究所|岩熊幸男[いわくま・ゆきお]/編訳|監修
2002年09月17日 平凡社/発行
「メタロギコン…………ソールズベリーのヨハネス」 (P. 581 ~)
甚野尚志+中澤務+F・ペレス/訳
 第三巻第四章
 (PP. 730-731)
 シャルトルのベルナルドゥスは、われわれはまるで巨人の肩に坐った矮人のようなものだと語っていた~~(訳註 302)。

(訳注 302)――――「巨人の肩に乗った矮人」の比喩はすでに、ヨハネスの師であったコンシュのギヨームが『プリスキアヌス註釈』(Glosae super Priscianum)の中でも述べている。ヨハネスはおそらくこの比喩をギヨームから学んだと思われる。だがギヨームの場合、それはシャルトルのベルナルドゥスが語ったものとはされておらず、一般に古代の著作家が同時代人より偉大であることを称えるために、この比喩を用いている。~~。


 かなり遠くまで見えてきたと思うので、ここでいったん「巨人の肩」から降ります。
 が――。

☆ ちなみに、巨人の肩の上の巨人、ニュートンは次のような言葉も残しているのです。

Isaac Newton
OPTICKS, 3rd ed. 1721
『光学』
ニュートン/著
島尾永康/訳
岩波文庫〔青 904-1〕
1983年11月16日 第1刷発行
 (P. 302)
疑問 1
 物体はある距離をおいて光に作用し、その作用によって光の射線を曲げるのではないか。そしてこの作用は(他の事情が同じならば)最小の距離において最も強いのではないか。


☆ ニュートンのこの言葉は、1919年5月29日の日食観測を行った、イギリスのエディントンによって証明されることになります。そのことをきっかけとして、アインシュタインにノーベル賞が授与される気運が高まります。――ようするに、このことは、よく言われているように、ニュートンの「古典力学」を完成させたのはアインシュタインであり、それは「一般相対性理論」に結実されたということのようです。

 この件でまた、さっそく巨人の肩によじ登りましょう。


【一般相対性理論とニュートンの関係について】

Subrahmanyan Chandrasekhar
“TRUTH AND BEAUTY Aesthetics and Motivations in Science”
c1987 University of Chicago Press
『真理と美 科学における美意識と動機』
叢書 ウニベルシタス 585
スブラマニアン・チャンドラセカール/著
豊田彰[とよだ・あきら]/訳
1998年07月28日 法政大学出版局/発行
 (P. 222)
 ニュートンは事実まさにこの点〔物体の作用により光線が曲げられること〕を『光学』の疑問1でほのめかしたのでありまして、彼の提案からは半分の値が導かれるでありましょう。


【アインシュタインに関して】

『科学の世紀を開いた人々 (上)』
「ニュートン」編集長 竹内均[たけうち・ひとし]/編
1999年04月10日 ニュートンプレス/発行
「日食と一般相対性理論とエディントン」 (PP. 348-349)
 アインシュタインがいうように、太陽のような重い物質の引力によって光が減速されてその進路が曲げられるとすれば、日食のときに撮った空の写真には、普通のときの位置とは少しちがう位置に見える星がいくつかあるはずである。たまたま一九一九年五月二九日に日食があり、それはこの推論を確かめる絶好の機会であった。イギリスはエディントンを隊長とする観測隊を西アフリカのギニア湾にあるリンシペ島へ送り、もう一つの隊をブラジルのソブラルへ送った。この二つの場所では、日食が五分以上つづくはずであった。観測の結果は、アインシュタインの推論を完全に証明した。
 世界大戦の直後に、それまではたがいに敵国だったドイツの科学者が考えた理論を、イギリスの科学者たちの観測が確かめた。一般の人にはとても理解できない抽象的で数学的な理論が、日食という天空でのドラマによって確かめられた。この演出は完璧[かんぺき]であり、人々は熱狂した。一九一九年一二月二日にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジのホールで、一般相対性理論についてのエディントンの講演会が開かれた。~~。

〔同等内容の資料〕
『宇宙は科学の宝庫』 (PP. 157-159)
竹内均/編
2002年07月10日 ニュートンプレス/発行



【その他/問題解決の手法について】
「ビッグワード」という言葉があるようです。

『グロービズ MBA ビジネス・ライティング』
嶋田毅/監修
グロービズ経営大学院/著
2012年03月08日 ダイヤモンド社/発行
 (PP. 65-66)
◎――ビッグワードを避ける
 ビッグワードとは、何か正しいことを言っているようで、実際にはほとんど中身がない言葉である。~~。
 ~~。中身がないので、「具体的にどういうことですか?」と突っ込まれると答えに窮してしまう。口の悪い人などは、ビッグワードのことを「思考停止ワード」と呼ぶこともある。