2015年7月8日水曜日

《知は力なり》という学説 というより慣用句

つまりは


 ひとは間違えるものだ、といったベーコンの言葉を間違えて解釈した自然哲学者たちの系譜がある。――その通り。ひとは間違えるものなのだ。《知は力なり》といって、彼らは、ベーコンの言葉を自らの人生をかけて実証した。
  ここに、「巨人たちの肩」には「反面教師としての価値」すらも認められるのである。ありがたいことだ。先達には、あらためておおいに、感謝しなければなるまい。

ようするに


◆ 「《知は力なり》という名言を遺して自然支配を唱導した元祖とされるベーコン」という〈パラダイム(すりこまれた前提)〉を外してベーコンの邦訳文を読めば、ベーコンがそういうことをテーマに語る際の「知」は「人の知」ではなく「神の知」であり、その「力」は「神の力」であることは容易に読み取れるので、したがって、その支配は「神による支配」なのだという結論もまた、容易なはずであって、「人による自然支配」ということにはならないはずなのだが、どうもそうならないのはこれはきっと邦訳文が間違っていないのなら〈哲学者たちの前提〉には通常の人知の及ばないものがあるのだろう、と推測せざるを得ないものがあるのである。――それにしてもベーコンは、ひとは「神の知」に到達できると思いあがってはいけない、と繰り返しているではないか。

※ それともそれはやはり、最初に書いたように先達の「反面教師としての力」にすぎないのだろうか?


岩波文庫『学問の進歩』(p. 377)によれば、ベーコンは結論に付記して、次のように書いている。

……。しかし、それにもまして、わたくしは、他人がわたくしをふたたび追い越してくれることを望んでいるのであって、このことは、わたくしが論破によって他人の判断の自由を奪おうとはせずに、わたくしの意見をいわば裸のまま無防備のまま出したということによって、いっそうあきらかであろう。……。そして、わたくしが誤りを犯したような点においても、わたくしは、論争をこととする議論によって、真理をそこなわなかったと確信する。……。しかし、誤りは、わたくし自身のものとしてわたくし自身がひきうけよう。……


《 自然の光 》及び
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/Bacon.html

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