2017年4月30日日曜日

新世界アメリカの独立と南北戦争

 1534 年、ヘンリー 8 世の公布した国王至上法によって国教会「イングランド教会」は成立した。これによってイングランドはローマ・カトリック教会から離脱した。

 このころの日本史をみると、織田信長の生まれた天文三年が、西暦で 1534 年のことになる。
 1603 年、スコットランド国王ジェームズ 6 世が、イングランド国王ジェームズ 1 世として統治を開始。「同君連合」のもと、king of Great Britain と自称したという。
 同じ、1603 年(慶長八年)、日本では天下統一を果たした徳川家康が「征夷大将軍」となって、江戸に幕府を置いた。

 1620 年、Mayflower に乗り込み、イギリスから、新世界へと向かった清教徒たちは、「メイフラワーの契約」で結ばれた。彼らが自分たちの居場所を確保するために、新天地アメリカで行なったのは、先住民を追い払うことだった。
 当時、キリスト教徒がまだ到達していないアメリカの西部は〈フロンティア〉と呼ばれた。

 日本語で「清教徒」と翻訳された「ピューリタン」が、祖国イギリスで起こした内戦を「清教徒革命」という。
 最近では「ピューリタン革命」のほうが通じやすいかもしれない。最終的にイギリス国王を処刑するに至った、市民革命のことだ。
 クロムウェルの率いるピューリタンを中心とする議会軍が王軍を打ち破ったこの戦いでは、対立するどちらの陣営も〈神の摂理〉を自軍の大義として掲げた。

1642 年 イギリスで内乱が勃発。
1649 年 国王をギロチン台で処刑して、共和制を樹立。クロムウェルによる軍事独裁の開始。
1660 年 王政復古。ところがまたも議会と対立。
1689 年 名誉革命。プロテスタントによる無血革命で、この年に「権利章典」が制定され、立憲政治の基礎が確立された。

 抗議する者・改革者の意味をもつ「プロテスタント」は、日本語で「新教徒」と翻訳されている。宗教改革でローマ・カトリック教会から分離した新教のキリスト教徒をさすからだろう。
 そのプロテスタントが主流となった植民地、新大陸アメリカの独立革命は、独立戦争と呼ばれている。

1775 年 アメリカ植民地は、ジョージ・ワシントンを独立軍の総司令官とした。
1776 年 アメリカの独立を宣言。
1783 年 パリ条約によりアメリカ合衆国の独立が承認された。

 …………
 われわれは、つぎの事柄を自明の真理と考える。すべての人々は、平等に創られたものである。すべての人々には、彼らの創造主によって、一定の譲渡すべからざる権利があたえられている。これらの中に、生命、自由および幸福追求の権利がある。これらの権利を安全ならしめるために、政府は人々の間に設けられたものであって、その正当なる権力は、被統治者の承諾から引き出されたものである。政府のいかなる形態も、これらの目的を破壊するにいたれば、人民にはいつでも、それを変更あるいは廃止する権利があり、また人民の安全と幸福とに最も効果的と思われる原則に基礎をおき、またそのように権力と形態とが組織されている新しい政府を設ける権利がある。………… 現大ブリテン王の歴史は、くりかえされた侵害と、簒奪の歴史であって、すべてこれらの州に絶対的な暴君政治をうち立てようとするのが、その直接の目的であった。このことを証明するために、事実を公平なる世界の前に提出せしめよ。…………
 故に、われわれアメリカ合衆国の代表は、一般会議に集合して、世界の最高法廷にたいして、われわれの考えの公正なことを訴え、これら連合植民地が自由かつ独立の国家であり、また当然あるべきこと、彼らが英国王にたいするすべての忠誠から解除されたこと、彼らと大ブリテン国とのすべての政治的結合関係が完全に解除されたこと、また当然さるべきであったこと、自由独立の国家として、彼らは宣戦講和、同盟締結、通商その他独立国家が当然なしうるすべての行動および事物にたいし完全な権利を有することを、これら諸州の善良なる人民の名前と権威によって厳かに公示し宣言するものである。しかしてこの宣言を支持するため、われわれは神の冥助に確固たる信頼をもって、われわれの生命、財産およびわれわれの神聖な名誉を賭して相共に誓うのである。
〈世界各国人権宣言集〉より

 アメリカの正義は、帝国支配からの独立を要求して、それを果たした。
 しかしそれは「人民」の解放であって、黒人奴隷はその「人民」に含まれていなかった。
 アメリカの独立戦争で、その事実を非難したイギリスにおいて、奴隷の解放が進んだ。

1807 年 イギリスで、帝国全体での奴隷貿易を違法と定めた奴隷貿易廃止法が成立した。
1833 年 イギリスで「奴隷制度廃止法」。
1850 年 アメリカで「逃亡奴隷取締法」。
1861 年 南北戦争勃発。
1865 年 南北戦争の終結。アメリカ議会は憲法に修正第 13 条(奴隷制の全廃)を制定した。
1870 年代 アメリカ南部の「リデムプション(復古)」で、白人優越主義者が組織化。
1896 年 アメリカの最高裁判所は、ルイジアナ州の鉄道列車での差別が合憲であると判決した。

 ハリエット・ビーチャー・ストウ(ストウ夫人)は、1851 年から『アンクル・トムの小屋』を奴隷制度廃止派の雑誌に連載し、1853 年それは単行本となって出版された。
 1870 年代になってから、ストウ夫人は白人優越主義を主張するようになったという。
 エイブラハム・リンカーンは「人民の人民による人民のための政治」というゲティスバーグの演説で有名だ。
 1863 年の南北戦争下に奴隷解放を宣言し、翌年大統領に再選されたが、南北戦争終結直後の 1865 年に暗殺された。
 1854 年、イリノイ州ペオリアでのリンカーンの演説が残されている。奴隷制廃止論者は黒人にたいしてどのような立場に立つべきかを述べたものだ。

「かれら黒人を自由にし、政治的・社会的にわれわれと同等にするのか。私の個人的な感じでは、それは許されることではない。私がそれを認めたとしても、周知のように、大多数の白人はそれに反対するだろう。こうした感情が、正義にかなった健全な判断かどうかは、どうでもいいこととは言わなくても、たいした問題ではない。一般の人びとの感情は、理にかなっていようといまいと、無視することはできないのである。となれば、われわれは、いずれにせよ、かれらを平等にすることはできない。」
〔ジョン・ホープ・フランクリン『人種と歴史』 (pp.57-58)

 リンカーンにとっても「人民」というのは聖書を信じる「白人」のことだった。
 その当時の一般論としても、白人でない人間は、自由の国アメリカで平等に扱われるべきではなかったのだ。
 南北戦争後に、解放された黒人たちと、人種差別との戦いは、新しいアメリカの正義が世界から問われる継続された闘争だ。

 ところで南北戦争の直前には、アメリカはアジアの極東にも目を向けはじめ、日本に軍艦を派遣した。
 中国とは、すでに貿易が成立している。捕鯨船などの寄港地として日本の開国は求められたのだった。
 1846 年、アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが、浦賀に来航した。
 1853 年 6 月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、軍艦 4 隻とともに、浦賀沖に現れた。
 1854 年 1 月、ペリー提督は、今度は軍艦 7 隻とともに、ふたたび来航した。
 1858 年、日米修好通商条約締結。
 1868 年、江戸幕府崩壊、明治元年。


19 世紀:解放の神学 と アメリカ南北戦争
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2017年4月27日木曜日

進化する進化論と「戦略ゲーム」

 19 世紀に、ヒューエルが「サイエンティスト」という単語を発明しました。
 1834 年のこととされています。
 物理学が自然哲学から独立していく過程で、自然科学者の登場となります。文明開化後の日本でそれは「科学者」という言葉になりました。
 1859 年には、ダーウィンの進化論『種の起原』が発表されています。ダーウィン以前にも、さまざまな「進化論」があったようです。
 ダーウィンの進化論が衝撃的だったのは、その仮説が、神を必要としなかった点です。
 1865 年にはメンデルが遺伝の研究を発表しましたが、その発見はあまり注目されませんでした。それが〝再発見〟されたのは、1900 年とされています。その年に、波乱に満ちた 19 世紀が終わります。
―― 激動の 20 世紀は、1901 年から始まります。
 進化論は、20 世紀になって新しくできた「ゲーム理論」を味方につけて、さらなる進化を遂げようとしている感があります。
 ダーウィン以来、進化論も進化しなければ淘汰されてしまうのですよってに。
 その新しい理論が「進化ゲーム理論」です。
 進化ゲームにでてくる、ESS (Evolutionarily Stable Strategy) は、日本語で「進化的安定戦略」と翻訳されています。

MAYNARD SMITH, J. (1982) 
Evolution and the Theory of Games. Cambridge University Press.
メイナード=スミス, J. 『進化とゲーム理論』寺本英・梯正之訳(産業図書)

 上記資料が、その筆頭参考文献にあげられます。たとえば次のように紹介されています。

J・メイナード=スミスの力が必要であった。彼は、G・R・プライスと G・A・パーカーとの共同研究で、ゲームの理論とよばれる数学の一分野を利用した。…………
 メイナード=スミスが提唱している重要な概念は、進化的に安定な戦略 (evolutionarily stable strategy) とよばれるもので、もとをたどれば W・D・ハミルトンと R・H・マッカーサーの着想である。「戦略」というのは、あらかじめプログラムされている行動方針である。…………
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』 (pp.113-114)

 フォン・ノイマンが考案した「ゲーム理論」は、プレイヤーを、自分の勝利だけを目的とする完全に合理的な存在として始まりました。
 その想定は現実の問題ではなく数学の問題を解くために、設定されたのです。
 それが、経済学など現実の社会の問題にも適用できると、評判になりました。
 21 世紀にいたるも「ゲーム理論」は、進化を続け、コンピュータが人間に、将棋で勝つ時代が到来しています。
 人工知能が、人間のデザイン(設計)のもと、進化を開始したのです。


ESS : 進化的に安定な戦略
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2017年4月25日火曜日

人間中心主義の進化論

 神から自由になること。
 これが、重大問題となる、らしい。
 自己判断の自由。その自由には大いなる責任が伴う。
 神に与えられた使命などはなく、存在の目的、そのすべての意味も、自分の自由にできることが、西欧の無神論の極限であるような気がする。
―― それが全部ではないだろうけれど。つまり権威と支配からの自由。

 その、理論的な根拠が、生命進化とその結果である人間としての自己存在であるらしい。
 よくわからないのだが。
 無神論になると自分が〈神〉とはいわずとも〈神の代わり〉になれるらしいのだ。

2017年4月22日土曜日

地球の温暖化と自然の多様性

 二酸化炭素というのが、地球の温暖化に最適な気体であることは、これまでのさまざまな研究によって、立証されているようです。
 するとにわかに、「地球の温暖化⇒地球の金星化」という線形の構図が短絡的に立ち現れてきたのでした。
 この因果関係は、かのホーキング博士の支持も得ているほどの人気ぶりだそうで、そのことは次の文章で知ることができました。

 二〇〇一年一一月に来日し、東大で講演した宇宙論のスターであるホーキング博士も、地球の温暖化問題に関連して発言し、新聞報道によれば、人類がこのまま二酸化炭素の排出を続ければ、金星のようになる、と警告したそうだ。しかし、人類の二酸化炭素放出によって地球が金星化することはない。地球はシステムとして地球温暖化に応答し、その地表温度を下げるからである。
松井孝典『地球システムの崩壊』「太陽系の現在:二酸化炭素の温室効果について」より

 一般常識的な前提として。地球から海がなくなるためには、現在の 1 気圧の条件下で、摂氏 100 度を超える環境に覆われ続ける必要があると思われます。
―― いまのところの環境ではそうはならず。暖かいのは二酸化炭素が原因であるとするなら。
地球はシステムとして地球温暖化に応答し、その地表温度を下げるからである。とされた理由は。
 地球の表面が暖かくなって、海面から大量に蒸発した水蒸気は、その後、大量の雨となって降り注ぎ、その際に、大気中の二酸化炭素を除去するので、結果として、地表の温度は下がっていく、ということのようです。
 これは地球に海があるからこそ可能な、生命維持のシステムとなっています。
 ここで、2010 年に刊行された書籍から、引用させていただきますと。

2007 年に気候変動に関する政府間パネル (IPCC) がアル・ゴア元米副大統領とともにノーベル平和賞を受賞したことで、地球温暖化を科学的に裏づける組織の重要性が理解されるようになった。
吉田正人「生物多様性の現状」『改訂 生態学からみた野生生物の保護と法律』所収 (p.1)

―― この直後のことになりますが。
 2011 年の東日本大震災以降、原子力発電所の評判は悪くなりました。
 電力事情だけでなく、日本の論者のあいだで、それに伴って具合が悪くなったのは、二酸化炭素排出の抑制論なのでした。
 そもそも、人類による二酸化炭素乱造が地球温暖化を招くというのは、原子力発電所の推進派にとっては、好都合な話でした。それが、原子力発電所の安全神話崩壊と同時に、火力発電所が必要となってしまったのです。
 日本では、このような事情も絡んでいました。
 ところが、世界では、それ以前に問題が勃発していたのです。

 2009 年に〝クライメートゲート事件〟が発生して、二酸化炭素による温暖化論の元締めであるところの組織、国連のノーベル平和賞受賞者「気候変動に関する政府間パネル」(IPCCIntergovernmental Panel on Climate Change) に対しての信頼性が相当に失われたようなのです。この事件は、「二酸化炭素による温暖化論」に不都合な真実を覆い隠すために、データを捏造(ねつぞう)したとされているものです。
 少なくとも、データを改変するというのは、都合の悪いところがなければ、当事者の発想にすら出てこないでしょう。
 この事件の問題点は、科学者への信頼感に関わることなのですが。
 不都合な真実というのは、『不都合な真実』の著者アル・ゴア元米副大統領の側にも、あったでしょうか。

日本では無報道に近いが、年が明けた二〇一〇年二月には、一〇〇年ぶりという記録的な大雪に見舞われて震え上がるワシントンの議事堂前にエスキモーの雪の家が作られ、「アル・ゴアの新居」と書いた看板が立てられた。
広瀬隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』 (pp.25-26)

 日本のメディアへの信頼感も、揺らぐような事態であります。
 〝クライメートゲート事件〟が日本では大きく報道されなかったのにも、それなりの理由とか因果律があるのでしょうから。
 これらを線形理論だけで解決できるとは、もはや誰もいえないでしょう。
 人間の構築した「因果関係」とは、結局のところ、主観に基づいて「自分に都合よく解釈された合理的な枠組み」以上の価値をもち得ないのでしょうか。

地球の自然と生命の多様性は、複雑なネットワーク構造になっていて、
「人間に都合よく解釈された合理的な枠組み」から、容易にはみ出ていくことでしょう。

 ひとによる自然の操作は、有名な話ですが、農耕にはじまりました。
 そのように、自然を操作する方法の発見は、自然を管理したり支配したりできることと、同じではありません。
 現在でも、日照不足などの少しの天候不順が、農作物の収穫に多大な影響を与えています。
―― あと、少しでいいから、日が照ってくれたらいいのに……と。願いは尽きず。

それでも、人間は地球を管理する能力があって、それが可能なのだと思い込みたいのだし、
神のごとき人々は、いずれは「人類保護計画」にも乗り出していくのかもしれません。


チューリング・パターン:自然という複雑系
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2017年4月20日木曜日

生命の形態形成の過程と チューリング・パターン

 流体力学の先にある〈非線形〉の現象を扱うのは、「複雑系の科学」と呼ばれるものでした。
 単純な 1 対 1 の相関関係や因果関係はこの世界が見せる一面でしかないわけです。
 複雑な系は〈カオス〉とも称され、その物語は、一般に「チューリング・パターン」の数学的な発見から始まるようです。

 1952 年、数学者のアラン・チューリングは、生命の「形態形成」の過程に興味をもち、その数学的な公式化に取り組みました。
 細胞の分化では、どのような刺激によって空間的に均質な対称性が破られていくのか。
 そのときに示されたのが「チューリング・パターン」で、それが実験で立証できたのはチューリングの提言から、約 40 年後のこととされています。
 その間に、〈非線形〉の科学は、ひとつの〝フロンティア〟を発見していました。
 それが複雑系の科学です。
 そもそもは、ポアンカレが 1889 年に示した、「三体問題」が、科学の宇宙を震撼させたのでした。それは簡単にいうと、3 つの天体が引力の相互作用に従って運動するとき、どのように運動するかという問題は、完全には解けないことが証明されてしまった、ということなのです。
―― この世界には、数学的に完全には解けないニュートン力学の問題が、存在する。
 線形の(一本線の)因果関係に、たったひとつ第三の存在がからむだけで。
 たったそれだけのことで。限界が垣間見えてしまったのでした。
 すでにすべてがわかったつもりでいた、世界最高の物理学者たちはさぞや慄(おのの)いたことでしょう。

 1936 年、チューリングは、コンピュータの原型になる概念を発表しています。
 現在でも「チューリング・マシン」という名で語られるものです。
 それは、仮想機械と人間との、いわば、メールでやりとりされる会話です。
 人間がその状況下で、相手を機械だとみなす基準がクリアされ解消されたとき、人間は相手を機械であると判断できないという課題なのです。
 機械と意思をもった生命の違いとは何なのか? ―― その命題は、やがては。

生命は、どのようにしてその独自の姿を形作って誕生するのか。
―― という問いとなって、巡りゆき。

 数学者チューリングは、人間であることの意味を、生命の起原にまで溯って考えようとしていたのでしょう、か。
 無機物から、いかにして有機物が合成され、生命が発生したのか。から、始めようとして。
 研究とは無関係なことに起因して人間としての尊厳を奪わるような強制を受け、チューリングは、1954 年に自殺しました。

2017年4月17日月曜日

対称性の自発的破れと超対称性の問い

 『宇宙と素粒子のなりたち』(2013年 京都大学学術出版会)に収録された論稿、南部陽一郎「二十世紀の物理から二十一世紀の物理へ」の「おわりに」 (p.161) で、次のような展望が述べられています。

 大まかにいえば、極小から極大までを含む、本当の大統一が実現するであろうと期待しています。
 もう少し具体的にいえば、まず、前述したヒッグス粒子はじきにみつかるでしょう。それから超対称粒子。これが発見されると、自然の超対称性が検証されます。それから重力波の検出。これも観測装置が進展すれば、いずれは観測されるでしょう。第四世代以降の粒子の存在、超ひも理論が想定する多次元空間の実在性なども、重要なテーマになります。ダークマターやダークエネルギーの正体もわかるでしょう。

 南部陽一郎氏といえば、2008 年に「対称性の自発的破れの素粒子物理学における発見」でノーベル賞を受賞したことで有名です。その年は、国籍はアメリカながらも日本人である南部陽一郎氏の業績と同時に、益川敏英氏と小林誠氏の「クォークが自然界に少なくとも三世代あると予言する対称性の破れの発見」の業績で、つまり「対称性の破れ」の研究によって、日本人がノーベル物理学賞を独占したほか、下村脩氏のノーベル化学賞の受賞という、日本がノーベル賞の話題に沸いた年でありました。
 そういう「対称性の破れ」の研究でノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏が、自然の超対称性の検証について期待を寄せていたというのは、どういうことかと調べていくと、

「なぜこの宇宙は存在しているのか」という、より根源的な問いに対し、超対称性がその鍵を握っているからです。
〔小林富雄『超対称性理論とは何か』 (p.47)

という、物理学の究極の問いともいえる命題に行き当たりました。

 ここから、にわかに、フランスの画家ポール・ゴーギャンが晩年の 1897 年に完成させた作品のタイトルでもある、人類の普遍的かつ根元的な問いに発展していきます。

われわれはどこから来たか。われわれとは何か。われわれはどこへ行くか。
本人による作品の解説ともいうべき引用がある『現代世界美術全集 7 』 (p.132)

 この作品の複製画を世界の多くの物理学者が所有しているという話もあります。
 日本でも、松井孝典『我関わる、ゆえに我あり』では、ゴーギャンの作品を紹介した上で、その問いかけを軸に一冊がまとめられています。
 同じ著者の惑星科学の立場から書かれた『宇宙誌』では、その表紙カバーと扉・目次の前ページにも、貫かれたテーマとして、ゴーギャンの作品タイトルが付されています。1993 年に徳間書店より刊行されたそのハードカバー『宇宙誌』は、2009 年に岩波現代文庫の一冊となり、2015 年には、講談社学術文庫としてあらためて刊行されています。講談社学術文庫版では、裏表紙カバーの内容紹介にそのテーマは書かれています。
 松井孝典氏の著作では、宇宙からの視点で、人類と、地球の自然と、生命とは、何か、という命題が普遍的な問いかけとなって巡っていくのです。


対称性と普遍性と関係性
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2017年4月14日金曜日

普遍化と細分化の科学

 それまでは関連性のなかったデータから共通項を見つけだし、それを法則として一般化する作業が自然科学であるとすれば、それは個別から普遍を探求する、統合への道程(みちのり)だと思われます。

 養老孟司氏は著書『環境を知るとはどういうことか』 2009 年 PHP研究所)の、岸由二氏との対談で、次のように語っています。

たとえば、「リンゴ」という言葉について考えてみましょうか。感覚的にとらえると、具体的なリンゴは一つひとつ全部が違います。英語でいえば、それぞれのリンゴが the apple になっちやうわけですね。でもそれを概念化して an apple にすれば全部同じです。さらに、リンゴやナシやブドウをまとめて同じにすると果物、果物と肉や魚を集めると食べ物、言葉の階層はこのようにして築かれていきます。それをとことん突き詰めていくと、最後に一個にまとまる。同じ、同じ、同じで重ねていって、その一個になったのが唯一絶対神ですね。

 なるほど、簡潔にして明快とはこういうことかと ――。
 階層構造が狭まっていく最尖端には、最終的な統合形態があると予想され、それはたとえば、一神教の絶対神になるというわけです。
 ここからさらに、ひるがえって考えてみれば。
 一般的に科学というのは、科目別の学という名に示されるように、逆に枝分かれして、細分化される宿命にあるようです。いわゆる「要素還元主義的に細分化」されてから、個別に考察が始まるのです。
 そしてこれは、個別性・多様性という、新しい可能性の発見に結びつきます。
 現在では〔前回にも見たように〕、階層構造の科学ではなく、ネットワーク構造の科学が、すでに始まっているようなのです。
 NASA では、新しい試みを「アストロバイオロジー」という名称で開始したと、松井孝典/著『宇宙人としての生き方』 2003 年 岩波新書)に書いてありました。知の総合化なくして、その目的は達成できないだろうとも。
 この〝知の総合化〟が語られている原文は、次のとおりです。

生命の起源と進化の解明は、二元論と要素還元主義を超えて、あらゆる知の体系を総合化しない限り解明できません。
〔松井孝典『宇宙人としての生き方』「はじめに」最終段落より〕

 階層構造という観点を考慮すると、統合と、総合は、異なるもの、と解釈できます。
 統合・統一されていない、分散型のネットワークでも、多様な知の個性を総合・結集することは可能なのですから。

2017年4月11日火曜日

流体の物理学と複雑系

 治山治水に、流れの学は必要でした。雲の流れは天候の目安となりました。
 やがて気体と液体を合わせた流れの学は、「流体力学」という物理学の分野になります。
 それは鉄をも天空に浮かす力を秘めていました。

 そういうわけで、船や飛行船が海や空に浮く〈浮力〉というのは、アルキメデスの原理で解決でしょうけど、何百トンもある飛行機が空に浮く〈揚力〉の原理について調べていると、
揚力の原理の説明には諸説あり、作用・反作用の法則によって説明する方法などもある。
と、図解雑学『飛行機のメカニズム』水木新平・櫻井一郎/監修 (p.10) に書いてありました。
 また、別の資料には、次のようにあります。

ベルヌーイの式が結果であり、原因は流れが曲げられることにあるとする説である。実際には、ベルヌーイの式の微分形である流れ方向の運動方程式と、それに垂直な方向の運動方程式、圧力こう配=遠心力、が同時に成立しているので、どちらが先とはいいがたいが、専門家はこちらのほうの解釈を好んでいるようだ。
『飛行機の百科事典』平成21年12月25日 丸善発行 (p.96)

 こういうことを読むと、〝揚力の解釈は種々あれど飛行機は好みの理論で飛ぶわけじゃない〟と思ったりします。
 どうやら基本的には流れる場所が狭くなると速く流れて圧力が低くなるという〈ベルヌーイの定理〉というのが、揚力の原因として説明に用いられているらしいのです。

その法則は、次のように、解説されています。

ベルヌーイの定理とは、こうした連続した気体や液体の流れにおいて、速度エネルギーと圧力エネルギーと位置エネルギーの合計はどこでも一定であると理想化した法則のことだ。
〔図解雑学『飛行機のメカニズム』 (p.12)

巨大な機体すらも空高く浮かす〈揚力〉の実験というのは、けっこう重要なものらしく、
宇宙ステーションでも、紙飛行機らしきを飛ばして映像記録が取られたりしています。
空気はあるけど、無重力、という狭い空間内での、短い軌跡です。
子供向けの科学実験ビデオなのでしょうか。もっと、意味深いものかもしれません。

 さてそのような、重力にさからう自然の力はさまざまな現象として顕れ、時に予測不可能な発生のしかたで猛威を振るいます。
 大気の温度差が原因となって、対流が起きますが、それが激しい乱流になると、突然の竜巻で、校庭のテントが飛ばされたりもするのです。
 竜巻が屋根までもすっ飛ばすのは、風の勢いなのでしょうか、それとも、〈揚力〉の作用が大きいのでしょうか。
 竜巻予報は、いまのところ、当たらずとも遠からず、の辺りが限界のようです。
 この〝あたり〟が、現代科学の限界であり、現在も人知の及ばない自然の作用なのです。
 こういう現象は〈カオス〉といわれたり、〈複雑系〉といわれたりしています。
 20 世紀までは、樹形図で描かれる、細分化の科学が探究の中心にありました。
 20 世紀の後半から、21 世紀にかけて、ネットワークの科学が開始されています。
 それは〈非線形〉の科学といわれ、これまでの一本の筋道で理路を辿れる科学は〈線形〉と呼ばれるようになっています。
 そういう非線形科学の立場について、印象的な、一節がありました。

 モノを「主語」とすればコトないし現象は「述語」である。したがって、物理学の体系は自然の「主語的統一」にもとづいた知識体系だと言えるであろう。主語的統一にもとづく意味体系は基本的に樹状の構造をもつ。ある科学的知見は、この階層構造のしかるべき位置に組み込まれたとき、あるいは近い将来組み込まれることが期待されるとき、物理学的知見として認知される。ところが、樹状の知識体系の大きな欠陥として、末端に行けば行くほど細分化されるということがある。末端の多様性はすべてアトムから演繹できるとしても、アトムにまでさかのぼらず、あくまで複雑な現象世界にとどまりながら統合的な世界像を描こうとすると非常な困難に遭遇する。考えられる唯一の解決法は「多様な現象の中の不変な構造こそが自然のリアリティである」とする自然観に立つこと、つまり「述語的統一」にもとづいて自然を理解していくことであろう。そこでは対象の物質的成り立ちは重要でなくなる。…………
 非線形科学は物理学の階層的秩序構造の中に位置づけられることを特に望まなかったかわりに大きな自由を手に入れた。そして複雑世界のただ中に非中心化された知識のネットワークをあらたに構築しようとしている。それは世界像をたえずリフレッシュしていく作業であり、科学言語にもとづいてはいるが芸術における創造活動と相通じる面がある。なぜなら、いずれにおいても個物間の関係を組み替えることでわれわれが慣れ親しんだ主語的統一にもとづく世界像を解体し、個物間の位置関係が著しく変化した新鮮な世界像を開示するからである。…………
〔蔵本由紀「開放系の非線形現象」岩波講座『科学/技術のニュー・フロンティア (1)』所収 (pp.197-198)

 世界を存在(対象)それ自体ではなく、作用(現象)の構造から問い直そうという、挑戦なのです。


流体力学から複雑系へ:ベルヌーイの定理と対流・乱流
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2017年4月8日土曜日

〝状態量〟と〝物理量〟の混同の反省と訂正

〈エントロピー〉は〝状態量〟であるということ
と題して書いたのは、もう早やひと月ほど前になる、3 月 7 日のことでした。
その、タイトル自体に問題はないのですが、最初と最後の本文を抜き書きしてみれば、

――〔参照開始〕――
 クラウジウスは、〝熱量÷温度〟を〈エントロピー〉という状態量であるとしました。

状態量というのは、たとえば、〝長さ〟や〝重さ〟などの状態をあらわす量で、
通常は数字に、単位(メートルやキロメートル・グラムやキログラムなど)をつけて、
その数値がどのことに関しての量であるかを、示すことになっています。
ほかにも、体積や気圧・圧力など、さまざまにあります。
つまり、状態量というのは、ぶっちゃけ、〝長さ〟や〝重さ〟などの数(かず)のことです。

そういうわけで、身長にも体重にもそれなりに、単位が、ついてきます。
でなければ、体重が、50 トンかも知れません。

…………

 しろうとなりに考えて、このような結論となった次第で、
――あとは専門家に確認してみてください。
――〔参照終了〕――

とまあ、最後には、いかにも「わたしゃしろうとですので責任はもてません」とばかりな言い逃れの保険と解釈するしかない終わり方をしていますが、実際に、このたび気になってたまたま読み返せば、とんでもない勘違いというか、デタラメが書かれていたので、ここである程度の訂正をさせていただきたく思います。
 どうやって、そんな思い込みができたのか、いまとなっては想像するしかないのですが、明らかに、〝状態量〟と〝物理量〟を混同して、書いています。

財団法人国際科学振興財団/編『科学大辞典』第2版(平成17年2月28日 丸善発行)
の 684 ページで確認すれば、状態量は、
物質の熱力学的状態によって定まる物理量。圧力、温度、体積、内部エネルギーなど。
と簡潔に明記されていますので、そこからどうして〝長さ〟や〝重さ〟などの数になろうと勘違いして思い込めたのか、さっぱりわかりません。
それが物理量なら、『広辞苑』第六版の説明では、
物理系の性質を表現し、その測定法、大きさの単位が規定された量。位置・質量・エネルギーなど。
ということなので、まあ該当します。

 以上の再確認後に反省しつつ眺めれば。そもそもは、単位の説明のために持ち出した用語なので、最初は〝物理量〟として書き、途中に但し書きで、〝状態量は物質の熱力学的状態によって定まる物理量〟と追加説明をすれば、それなりに問題なかったろうかと思われるのですが、正確な表現方法は、やはり最後は専門家にご確認いただくしかありません。
 このたび、そのように、訂正させていただきます。

 それにしても。ひとは誰しも勝手に思い込むものなのです。
 ちょうどそのころに追加で引用させていただいた文献にも、事実確認を怠ったゆえに勘違いしたまま書くことの恐ろしさが刻まれていました。この機会にまた改めて、なのです。著者述懐の文脈に興味をもたれましたら、資料名のクリックで、そのときの引用文の全文に移動します。

花粉ではブラウン運動は到底考えられない。このように、物体が大きくなるとブラウン運動の影響は現れなくなる。わたしも一五年近く前に、著書の中にブラウンが顕微鏡で水の中で花粉の動いているのを見たと書いて人に注意された。それを書く前に多少気になっていたが、もとの文献の確認を怠ったことを心に恥じ、そのまま無反省に自分の著書に入れることの恐ろしさを知った。
ブルーバックス『エネルギーで語る現代物理学』小野周/著 (p.97)

 専門家の著述でもそうなのであれば、基本的には複数の文献にあたって〝裏〟をとる作業は欠かせない、ということになろうかと。
 とりあえずは、自身の間違いについては。今回確認できた状態量の混乱と正当な意味を訂正すべき当日分の末尾に「追記」しておくしかありませんでした。そのように為すべき訂正は、為して。
 そして、専門家でも錯綜する記述と自戒の一念を本日の最後に……。

☆ それ、は、わたしの希望と絶望に、
いまもしくは今後どのような影響をおよぼすのか。

 退屈かもしれない理論にもしや混乱や矛盾があったとして、それでいまの時間がフリーズするわけではない。
 明日にはまた新しい変化が起きるのだから。

2017年4月5日水曜日

〈宇宙船地球号〉とエントロピー経済学

 クラウジウスがエントロピーという造語を発表したのは 1865 年のことですが、エコロジーという言葉ができたのも、同じ 19 世紀後半のこととされています。
 クラウジウスは 1885 年に、資源とエネルギーにかかわる『自然界のエネルギー貯蔵とそれを人類の利益のために利用すること』という講演を行なってそれは論文として刊行されました。
 それから世界は資源と領土を巡る二次の大戦を経て、1962 年にレイチェル・カーソンが自然環境に関する告発の書『沈黙の春』を発表します。
 その 1960 年代に、経済学がエントロピーに注目しはじめたといえましょう。そしてエントロピーは、魔法の呪文になったようです。
 ボールディングによる〝エントロピーの経済学〟が 1960 年の「組織体の測定と評価にかんする諸問題」として問われ、1966 年には、「来たるべき宇宙船地球号の経済学」が同じくボールディングによって発表されました。

 その当時、〈フロンティア〉を喪失したアメリカは〈ニューフロンティア〉として、〝月〟を目指していました。
 アポロ 11 号による月面着陸の成功は、1969 年のことで、翌年の大阪万博に〝月の石〟が展示されることになります。

 宇宙から見た青い地球がエコロジーの象徴ともなります。
 国連総会の決議に基づいた報告書、地球の未来を守るためにが 1987 年に刊行され、地球の資源が枯渇しないように、持続可能な発展 (sustainable development) が定義されました。
将来の世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、今日の世代の欲求を満たすことと邦訳書に紹介されています。

 ボールディングの〈宇宙船地球号〉の経済学は、大きな反響を呼びました。が、そこで論じられたエントロピーには、批判的意見もあります。
 『思想』誌上( 1983 5 No. 707 )に掲載されたジョージェスク=レーゲンの「エントロピー法則とその経済的意味」(小出厚之助訳)の解題においても玉野井芳郎は、
K・ボールディングは、物質をエントロピー法則の妥当する次元から除外するという誤りをおかしている。
と指摘しています。
 一方、ジョージェスク=レーゲンは、数理経済学の立場から 1971 年の著書で(上記論稿でも)、ボルツマンによるエントロピーの確率論的解釈に異議を唱えています。

ボルツマンによれば、宇宙のエントロピー一定ということは、宇宙のなかでたまたまわれわれが住んでいるような部分でのエントロピーの増大が、その他の部分でのエントロピーの減少によってちょうど相殺されるという事実から引き出されたものである。この後者の部分では、熱は、冷たい物体から熱い物体へと流れるのである。…………だが、宇宙のいかなる部分においても、現存のエントロピーは決して減少することはない。例えば、わが太陽系ははっきりと〈熱死〉に、つまり究極的には消滅に向かっている。別の太陽系がそれにとって代るとしても、それはエントロピーの振り子運動によるものではない。
〔N. ジョージェスク ‐ レーゲン著『エントロピー法則と経済過程』 (p.266)

 また、人類学者のレヴィ=ストロースは 1955 年に脱稿した『悲しき熱帯』のラストで、人類学が〝アントロポロジー〟といわれることから、次のように記しています。

人類学よりもむしろ「エントロポロジー〔エントロピーの学〕」と書かれるべきかもしれない
〔レヴィ=ストロース著『悲しき熱帯Ⅱ』 (p.426)

 そこでは、人間の機械文明を憂えて、「歩みを止めること」が提言されています。
 当時は、日本でも、高度成長の時代に突入して、消費は美徳と信じられていました。
 オイルショックが来るまでは。
 そしてバブルに浮かれたあとにはまた、空白の 10 年が待っていました。
 そんな日本にも全地球的な 21 世紀の情報化社会とインターネットの文明開化が訪れるのです。
 レイ・カーツワイルは、20 世紀の機械化文明から類推して、21 世紀には人間が機械化する文明の到来を予言しています。


エントロピーとエコロジー
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/entropy/Boulding.html

2017年4月2日日曜日

「持続可能な」江戸の〝人口停滞型〟経済

 江戸時代がエコロジーの見本として語られるようになって久しく。
 そりゃ誰だって、のどかな里山の風景を否定したくはないでしょうし。
 だけど心情とは無関係に、時代の人口の推移を同時に語るとなると、「持続型=停滞型」の構図が見えはじめます。
 遠望して朧に見えるのはすでに〈平衡状態〉に達してしまったかのような、まるで限界状態で謳歌している春の景観だったでしょうか。
 開発が極限に達した停滞型の社会に求められる理想は他人よりも多くを望まない、つまり自己実現など考えてはいけないような、閉塞的な春爛漫かもしれません。

 江戸初期の 1600 年代というのは、ヨーロッパでニュートンが科学革命の立役者となった、17 世紀です。
 人類は、真空と大気圧がもたらす大いなる〝力〟の存在に気づきはじめていました。
 一方、新しい潮流に気づきたくないまま、その後の 100 年間で日本の人口は約二倍となり、新田開発も、河川敷にまで押し寄せていくのでした。
 すると人口がたぶん限界近くまでなった 18 世紀以降は、無理な開発の余波で起きる山津波だけでなく、河川の氾濫がそのまま人命を奪ってしまうような時代となっていくのです。
 飢饉のせいばかりでなく。
 18 世紀の前半には 3000 万人を越えていた日本人の数は、それから 19 世紀に向けて、少し減りはじめます。

  1721 年( 3128 万人)
  1750 年( 3101 万人)
  1804 年( 3075 万人)

このような数字が、鬼頭宏著『[図説]人口で見る日本史』の 71 ページと 87 ページにあります。

 他人よりも子宝を望まず、長命も望まず、新しい世界を見ようなどとも考えず、現状維持を見果てぬ夢とする社会。
 江戸時代が必ずしもそうだったとは思いたくもありませんが、自己実現を否定するような時代には生きたくない気がします。

 全人類が、抜け駆けを考えたりしない、他人よりも多くを望まない社会を理想とするのは、19 世紀を生きたイギリスのジョン・スチュアート・ミルによっても語られているらしく。
 〈定常状態〉という概念はそういう状態を理想としていうようです。