2016年5月30日月曜日

彼らの神を裁こうとする者たち

神はどこに、人間はどこに、いたのか


 オバマ米国大統領による、被爆地ヒロシマの訪問が実現したのは、今月 27 日のことだ。
 歴史的な一歩がそこに印されたと、いえよう。

 20 年ほど前、雑誌『世界』に、藤永茂氏による「ナチ・ホロコーストと原爆ホロコースト」という記事が掲載されている。
 それは、次のようにはじまる。

 一九九五年原爆五〇周年の記念行事としてワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館が企画した原爆展をめぐって、アメリカでは大論争が行われた。退役軍人、国会議員などからの熾烈な非難を浴びて、博物館側は全面降伏し、はじめの企画は破棄され、館長ハーウィットは辞職に追い込まれた。
〔岩波書店『世界』 1997 1 月号、p.185

 藤永氏はその稿の中で、原爆ホロコーストという言葉を、第二次世界大戦中の「ホロコースト」の一部として捉えるべく主張する。
 たしかに、「すべて焼き尽くす」という概念で「ホロコースト」を用いるなら、間違いとはいえないだろう。
 しかし「ホロコースト」を「燔祭(はんさい)」という祭儀であるとするならば、現在における第二次世界大戦中の事件に対する「ホロコースト」の使用例は全部不適切であると、思われる。
 それらは「政治」という〝まつりごと〟が遂行したものであって、「祭祀」という〝まつりごと〟によるものではない。
 そうするとそれらを解釈していく過程で、古い時代の〝まつりごと〟の混在した観念が、ひとしれず混ざり込んでいると、いえないだろうか。
 アウシュビッツを中心とする事件は、〈祭儀〉などでは、決してない。

――
 〝まつりごと〟というのは、われわれの「生命」ないしは「われわれの歩く道」つまりは「人生」に深くかかわるものだ。
 最近――今月 13 日に書いたことの繰り返しになるが、つまり……
〝そこに意味を見出そうとしてひとは「神」を創造した〟のだ。

 イスラエルでも、「アウシュビッツ」の事件を「ホロコースト」として、そこに意味を見ようとしているという。イスラエルにあるその国立記念館は、

“Yad Vashem. The World Holocaust Remembrance Center”

という、英語名を持つのだ。その深い意味は、おそらくわれわれには、わからない。
 しかし、推測するなら、意味もなく、「大量殺戮(たいりょうさつりく)された」のでは、彼らの「人生」が意味をもたない、からなのだろう。
 だが、それはひるがえって、彼らの「神」を裁き、彼らの「神」に死を宣告する道へとつながっていく。
 それでも、ひとには、意味が必要なのだ。つまり「神」ではなく、「意味」が……


anthropodicy : 「神義論」及び「人義論」のこと
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2016年5月28日土曜日

神の側に立って語らざるをえない「神義論」

〝神の側に立って語る〟ことの思い上がり(ごうまん)と……


 ひとが「絶対者」であり「超越者」である存在、
――《神》の正義を擁護するということは、どういうことであるか。
 それは例えば《神》を法廷に引きずり出して、自ら弁護人の役割りを買って出ることを意味する。
 だからそれは「弁神論」ともいわれる。実際、「神義論」を発明したライプニッツの著書は『弁神論』と邦訳されてもいる。

 法廷の場面で《神》に並び立つだけでなく、その弁護をするという、その、思い上がりは傲慢(ごうまん)であると、いえないのか?
 また彼らの《神》は、人間の援助を得なければ自分自身で義であると主張できないほどに、無力であるのか?
 少なくとも――、彼らは、彼ら自身が信仰する《神》を裁く権利があると、信じているようだ。
 なにやら、不可思議なる、信心ぶりであると、いわざるをえない。

 残念ながら、彼らではない、我々は、すでにその《神》を擁護して語るべき言葉を持たない。
 ことさらに「絶対者」でもない我々に、「超越者の側に立つ」ことなど、想定外であるからだ。
 だが、〈神の義〉ではなく、それが〈人の義〉であるならば、まだなんらかの余地は残されていよう。
 彼らの『聖書』は、当然のことながら、人間の言葉で書き残されているのであるから。


theodicy : 「ヨブ記」で論ぜられる〈神の義〉
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2016年5月21日土曜日

外に神を見るというならば……

 しばらく前に、
「外に神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない」
という、故西田幾多郎 [にしだ きたろう] による論述を知った。
 その文脈は如何なるものであったかと、調べはじめて、多少は西田哲学に触れることとなる。

仏教において観ずるということは、対象的に外に仏を観 [み] ることではなくして、自己の根源を照らすこと、省みることである。外に神を見るというならば、それは魔法にすぎない。

 昭和二十年の敗戦前、死の間際に完成された 「場所的論理と宗教的世界観」 に、そうあった。
 その少しあとの段落には、こうもあった。

我々の自己の自覚の奥底には、どこまでも自己を越えたものがあるのである。我々の自己が自覚的に深くなればなるほど、爾 [しか] いうことができる。内在即超越、超越即内在的に、すなわち矛盾的自己同一的に、我々の真の自己はそこから働くのである。

 西田幾多郎にとって、超越者であり絶対者である神は、自己に内在する神であり、それによって自己が働くのである。
 そもそも、ただ単に、人と相対 (あいたい)する神は、「相対者であって絶対者ではない」、という前提が、そこにはある。
 納得できる話である。

 宗教を語ることのできる哲学、は、ライフワークだったのだ。
 西田哲学というのは、自己と、自己を超越する絶対者をつなげ、合一させようとする――新しい試みの――第一歩なのだと、知れよう。
 しろうとなりに、そう思う。

 完成された哲学など、もはや、哲学ではないわけで……。それは、いつも途上にあるのだ、と。


the Absolute : 絶対者
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2016年5月19日木曜日

進化の頂点に立つ、西田哲学の神話

 西田哲学は、『聖書』を援用しつつ、進化論を説き、人類を進化の頂点と位置づける。
 即ち、人類は、進化の過程ではなく、最終形態なのである。
 どういうことであるか。説明せねばなるまい。
 西田幾多郎哲学論集Ⅱ『論理と生命』 上田閑照編 (岩波文庫、1988 8 16 日発行)より、抜粋引用する。

「弁証法的一般者としての世界」(昭和九年初出)
 (P. 168)
故に人間は神の似姿に造られたものと考えられる。我々人間は現実の世界に即しながら、いつも絶対に現実を越えたもの、絶対者に面しているのである。我々は絶対の肯定者、神に従うことによって生き、これに背くことによって死する。我々の生きるという意味は唯そこにあるのである。

「人間的存在」(昭和十三年初出)
 (PP. 380-381)
 人間がこの世界に現れたのは、幾千万年かの生物進化の結果でなければならない。而して生物発生以前にまた無限なる物質的運動の世界が考えられねばならない。生物は物質的世界の或結構において発生したと考えることができる。……。眼とか耳とかいうものができたのにも、過去幾千万年の進化の跡を思わざるを得ない。
 絶対矛盾の自己同一として、作られたものから作るものへと自己自身を形成する世界は、作られて作るものの極限において人間に到達する、人間はいわゆる創造物の頂点である。そこでは与えられたものは何処までも作られたものであり、否定せらるべく与えられたものである。作るものより作られたものへと考えられる。神がおのが像に似せて人間を作ったともいわれる所以[ゆえん]である。我々の身体というものも、既に表現作用的として、超越的なるものによって媒介せられたものであるが、作られて作るものの極限において、我々は絶対に超越的なるものに面するということができる。そこに我々の自覚があり、自由がある。


 以上の引用で、明確に記されているごとくまさにキリスト教徒の好む表現である 神の似姿 は、文庫の一冊に選ばれて収録されたわずか数点の論文中に、すでにして同様の表現が繰り返されていることが確認できる。これらが『聖書』を想定した言葉の選定であることは疑いをいれない。
 さらには、これらの論述がキリスト教の教義の紹介ではなく、西田哲学の思想の一環であることもまた、疑いをいれない。
 即ち、悠久の時間を経た進化の結果、人間はいわゆる創造物の頂点 に立ったという主張なのである。なぜなら、それが、神がおのが像に似せて人間を作ったともいわれる所以 だからだ。
 しかし、もし 人間がこの世界に現れたのは、幾千万年かの生物進化の結果でなければならない のであれば、『聖書』の人類創造譚は〈神話〉としなければならない、はずである。
 それゆえに、西田哲学は、神話を哲学の根拠としているのだと、せねばならない。

 そういう指摘をした上でなお、西田哲学は、さらなる発展を期待すべき哲学とせねばならない、と個人的には、思う次第だ。
 哲学に、信者とか、まるで信仰者のような信奉者は、必要ないだろう。
 西田幾多郎を哲学者ではなく、宗教家にしたい方々もおられるようだが……

 哲学者を神のごとくに崇めるのはアリストテレスだけで充分だ。


神の相対性
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2016年5月13日金曜日

神に捧げる儀式は生存のための免罪符であるか

 ひとは、進化の過程で「意味」をそこに求めるようになったらしいのだ。
 そこにある危機を、未然に察知できる者たちが、おもに生き延びてきたためだ。
 だから、何事でもそれに象徴される意味を正しく理解できた者が、生きる権利を与えられるのだと、支配者たちは知っていた。
 ひとは、森羅万象の意味を知る必要があった。

 そのために、ひとは「神」を創造した。
 知らなかったことを、また不用意にしでかしたことを、許してもらうためだ。
 そして、最高の権威者によって、必然と定められたルールこそが、自分であるとの証明のために。
 彼らの必殺技を、神にささげる儀式という。それは、犠牲を支払い、神から免罪という、祝福を得る行為である。
 彼らは、神から、命を買う。彼らはその契約による商行為を「あがない」といい、神聖な行為と称する。

 神を思いのままに操ろうとしているかに見える彼らはみずから、「神のしもべ」と称している、らしい。
 身代わりの犠牲を献げれば、神の怒りがおさまることも……。
 彼らは、神のことなら、何でもお見通しなのである。彼らはそのことを「知っている」。

 そのように、神をわがごとくに知る人間は多い。
 デカルトなどによっても、神は明瞭に知覚されたので、それがすべての証明となったほどである。


犠牲をささげる他者存在としての……
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2016年5月7日土曜日

神の備えを〈摂理〉といい「神の道」を人間が諭 [さと] す

 その昔、アブラハムが残したという名ゼリフがあります。
 英訳された、「創世記」 22 14 節の、
“On the mountain of the LORD it will be provided.”
『バイリンガル聖書』 2nd Edition (p.38)

――いわゆる 「主の山にそなえあり」 というフレーズを見れば、そこから 〈providence〉 が派生していくのは、容易に感じられます。
 〈providence〉 の和訳が〈摂理 (せつり) 〉です。

 古来より問題とされたのは、因果応報の神は、人類の思い込みなのか?――という問いです。
 古代ギリシャのエピクロス的には、「完璧な神々が人類に関わろうはずがない」ということになります。
 因果応報の神々は、人類の誤った思い込みによる迷信の押しつけにすぎぬという、思い込みなのですね。
 論理的にいって、完全なものが、不完全なものに関係するする道理がない、というのは、所詮は、「人の道理」によって「神の道理」を判断した結果にすぎないということが、エピクロス派には思いつけなかったということでしょう。
 ここから、「人の道」に照らされた神々のあるべき姿を観想する「神学」とやらが、花盛りとなります。
 ――たとえば、人の道に照らして、神々は非道である、といったって、「神はそもそも人間ではない」 のですから、ナンセンスな話です。
 それに警鐘を鳴らしたのが、イエスの時代の直前を生きた政治家キケロなのですが、時を経て、1711 年に生まれたヒュームにはそれすらも、エピクロスの言説なのでした。
 1707 年にイングランドとスコットランドが合併したため、英国の哲学者とひとくくりにされるスコットランド人デイヴィッド・ヒュームが書いた一節は、いわゆる神義論(しんぎろん)のあちこちで、見かけます。

 エピクロスの古い質問は、今なお未返答なのだ。
 神は悪を阻止する意志はもっているが、できないのであろうか。とすれば神は不能だ。彼はそれができるのに意志しないのであろうか。とすれば彼は悪意的だ。彼は能力があり、意志もあるのであろうか。とすればどこから悪が生じているのか。
法政大学出版局刊『自然宗教に関する対話』第 10 (p.116) より〕

 ところで「摂理」という日本語は、和訳された、ローマ人キケロによる『神々の本性』で繰り返されますが、ラテン語だと ”prōvidentia“ となります。
 キケロは、神の壮大にして深遠な計画である「摂理」を語りつつ、ひとつの結論として、神々の本性については曖昧模糊(あいまいもこ)としているのだと、主張して――残念ながら、その後断章となります。
 キケロとしては、神について何をごじゃごじゃわかったようなことをいっているのか、ということなのでしょう。

 そうするってえと、ひとが神について語り、神に対して有罪無罪という、おこがましさは、最も「傲慢(ごうまん)」なのではないかとも思われてくるのでした。


〈介入する神〉の摂理
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2016年5月5日木曜日

神への長い道

 小松左京著 『神への長い道』 が ハヤカワ文庫 JA で発売されたのは、昭和 50 7 15 日のことでした。
 その最後に収録されている 「あとがき」 には、《ハヤカワ・SF・シリーズ「神への長い道」より再録》 と付記されています。219~220 ページより、抜粋しますと、
「先史時代以来、一九四五年までの技術発明を、高さ十センチのグラフにあらわすなら、一九四五年以降、現在まで、わずか二十年間の発明は、十三階建てのビルの高さで表現しなければならない、ということです。」
と、ありますので、「あとがき」が書かれたのは、1965 年頃であることが推測できます。
 それが文庫化された昭和 50 年というのは、1975 年になります。その 5 年前、1970 年には、大阪で万国博覧会が開催されています。
 アポロ 11 号が月に着陸したのが、その前年の 1969 年で、万博会場のアメリカ館には、月の石が展示されていて、まさしく長蛇の列のにぎわいなのでした。

 スタンリー・キューブリック監督が映画化した  2001 年宇宙の旅」の公開 は、1968 年のことです。同年に、作家アーサー・C・クラークが小説版を、発表しています。
 その映画と小説で描かれた、〈スター・チャイルド〉とはまた異なった、宇宙的進化の物語が「神への長い道」なのですが、単行本一冊の分量には遠く、文庫本で 90 ページ分に足りない長さです。したがいまして、文庫本も作品集となっています。
 最初の刊行から、もう、半世紀が過ぎて、小松左京も故人となりました。

 現在の科学が宗教の代替品とみなされてからも、一世紀以上が、経過しました。

「科学は宗教から出て、認識的および知的機能にかんするすべての面で、宗教にとって代ろうとしている。」
デュルケム 1912 『宗教生活の原初形態 下』「結論」(岩波文庫より)

 思えば、人類は、神への長い道を、辿りゆこうとしてあがいているのかも知れません。しかしながら、科学と宗教が合体した暴虐は、かえってその道を遙けく遠くしているようです。
 小松左京が描く 未来のスケッチ は、その最後のシーンに、モノローグを組み入れます。
「おれたちよりも、もっともっとすばらしい存在を、おれたちを踏み台にして、生み出してくれるのでなければ、踏み台にされた猿たちは、浮かばれない。――」
と。

 そして再録された「あとがき」には、宇宙空間から見た地球、という、印象的なフレーズが、221~222 ページに記されています。

SFファンなら、誰でも見たことのあるあの惑星を見てしまった今となっては……裸形の「時間」と「宇宙」の中に吊り下げられた、あのごつごつした惑星を見てしまった今となっては、


〈神のロゴス〉とその義
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2016年5月3日火曜日

アブラハムの〈燔祭〉の物語と……

 海外で、禅について訊かれて「ビーイング・オン・ザ・ロード」と名ゼリフを残したのは、沢木耕太郎著『深夜特急』(第三便)でした。
 道に関する英語表現といえば、日本語では、道を極(きわ)めると書いて「極道(ごくどう)」といいますが、そう自称し、呼ばれるひとたちは、一般的に「ジャパニーズ・マフィア」と翻訳されるようです。

 さて、〈燔祭 (はんさい)というのは、旧約聖書中で最も重要である、《神》にささげる儀式のように理解できるのですが、最近では、その翻訳語を用いなくなっているようです。どうやら、〈燔祭〉のギリシャ語訳を音写した英語の「ホロコースト」がもっぱら「ユダヤ人の大虐殺」を示す用語として一般に流布しているからのようです。
 儀式としての「ホロコースト」の日本語訳が「燔祭」なのです。
 その「ホロコースト」に該当するギリシャ語は、新約聖書中にも、二度記述されているようです。形骸化した儀式ではなく、そのもとになる信仰こそが重要なのだという、文脈においてです。

 アブラハムの燔祭の物語というのは、自分の長男である、たったひとりの子を、〈燔祭〉の犠牲としてささげなさい、と《神》に命じられた男の顚末です。〈燔祭〉とは自分の身代わりとなる犠牲を丸焼きにして《神》に献納するというものですから、これはもう道を極めようとする「極道筋」の物語であると、部外者には思われるのですが、なぜか、「これは旧約聖書中最も美しく語られ、最も感動深い物語である」(『口語 旧約聖書略解』 p.38 )という、解説がありました。

 よくわからないので、今回は、人身御供(ひとみごくう)に関連する旧約聖書の記述と解説を、抜き書きして、羅列してみました。
 それと、新約聖書の、二度の記述の箇所をギリシャ語原文を含めて。

 アブラハムの場合には、その人身御供は結局未遂という結末に終わるのですが、今回の抜き書きで引用しなかった「士師記(ししき)」 11 章では、《神》への誓いを全うするためにイスラエルの《神》に、ひとり娘を燔祭の犠牲としてささげたエフタという人物のことが語られています。
 また、『口語 旧約聖書略解』(p.923) で人身御供譚(たん)として挙げられていた「列王紀上」 16 34 節は、そうではないという説明が、該当箇所の「註解」で行なわれています。
 それについても、引用文を省いたので、この場で以下に抜き書きしてみます。

彼はその基(もとい)をすえる時に長子アビラムを失い、その門を立てる時に末の子セグブを失った。主がヌンの子ヨシュアによって言われた言葉のとおりである。
〔『口語訳聖書』 p.506

二人の子を失ったのは、難事業を遂行するために犠牲にささげた迷信的行為であろうとも解釈されたが、ここではとにかく二人の子を失ったことはヨシュアが誓ったのろい(ヨシ六・二六)が、実現したものと解釈されている。
〔『口語 旧約聖書略解』 p.351

ヨシュ六・二六を見ると、ヨシュアは
 《この町エリコを再建しようとする者は
 主の呪いを受ける。
 基礎を据えたときに長子を失い
 城門を建てたときに末子を失う》
 と誓っている。この誓いが、アハブの治世に成就したというのである。
〔『新共同訳 旧約聖書注解Ⅰ』 p.620

 どうやらこれは、人身御供譚ではなく、《神》の呪いの物語のようです。
 ――そもそもは「ヨシュア記」 6 26 節を引用したものなのですね。

 繰り返しますと、アブラハムの場合は未遂で終わりました。
 その後は、長男は「贖(あがな)われる」ようになったということになりますが、「あがない」には「買い戻す」という意味があります。


アブラハムの燔祭の物語と……
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/quest/burntOffering.html