2017年12月28日木曜日

群体を作る個虫 超個体的個体制の昆虫

 個虫(こちゅう)というのは、群体(コロニー)を構成する生物の各個体で、ヒドロムシ類でのポリプなどです。
 ヒドラのポリプは種によって群体タイプの他に単体タイプもあります。
 群体を形作る珊瑚(サンゴ)のそれぞれの個体は、個虫です。
 今西錦司人間以前の社会』〔1951年 岩波新書〕に、群体の詳しい考察が書かれています。
―― 全集版『人間以前の社会』「第三章から引用しますと。

 腔腸動物で海底に固着生活をしているものは、花虫類(サンゴを含む)でも、ヒドロ虫類(ヒドラを含む)でも、ほとんどその大部分が、群体をつくっている。ただし、偽群体にすぎないものもある。種類がたくさんあって、いろいろな形態を示すが、重要な共通点は、だい一に、一つの群体は、その全体が生理的につながっていること、だい二に、一つの群体には、少なくとも、栄養を担当する部分と繁殖を担当する部分との、分化が見られること、すなわち、栄養を担当する部分が切れて、そこから無性生殖的に繁殖することがあろうとも、いつかは繁殖を担当する部分が生じ、それをとおして有性生殖がおこなわれる、ということである。
〔今西錦司全集 第五巻『人間以前の社会/人間社会の形成』1975年 講談社 (p.68)

―― 続く第四章では、社会性昆虫について、次のように語られています。

親バチは、はじめは、個体維持も種属維持も、一匹でまかなってゆける、社会学的な個体であった。しかしそれが、一匹でまかないきれなくなったところに娘バチの必要が生じた。そこで親バチと娘バチとの分業がはじまり、前者が産卵、後者が産卵以外のいっさいをひきうける。けれどもそれと同時に、自分で食物を求めたり、子供を養ったりすることを放棄した親バチは、もはや社会学的な個体でなくなる。一方で、産卵を放棄した娘バチもまた社会学的な個体ではなくなって、親バチと娘バチとが一体となったところに、はじめて個体維持と種属維持とを全うしてゆく、社会学的な個体に匹敵したものが認められる。それゆえ、これを「超個体的個体」というのである。
〔同上 (p.94)

―― この「超個体的個体」という語は 1951 年に今西錦司が造語したものです。
 いっぽう、超個体“superorganism” の翻訳語としても用いられています。
 そういう超個体をなす社会性昆虫については、ジョン・メイナード・スミスとエオルシュ・サトマーリの共著生命進化8つの謎(“The Origins of Life” 1999) に、次の記述があります。

 さまざまな異なる種での社会性の程度は、強弱の程度の差による物差しに載せてみることができる。大部分の生物学者は「真社会性」と言われるものに興味をもっている。真社会性の動物とは、定義上、次の三つの条件を満たしていなければならない。
 (1) 生殖に関する分業。すなわち一部の個体だけが生殖すること。
 (2) コロニー内部で世代が重なり合っていること。
 (3) 育児個体が協同して子の養育を世話すること。
 この定義によれば、多細胞生物個体の各細胞たちは真社会性となることに注目しておくべきだろう。…… 真社会性はアリ、ミツバチ、スズメバチ、そしてシロアリでよく知られている。似た程度の真社会性がハダカデバネズミ、ブチハイエナ、リカオン(アフリカの野犬)、そして特に顕著なヒメグモの一種 (Anelosimus eximius) の場合をはじめ一部の社会性のクモでも認められることは、それほど知られていない。
 社会性動物のコロニーは、コロニーのレベルで適応性を示しているという意味で「超生物体」と見られることがあり、これはある程度もっともなところがある。たとえばシロアリが築いた塚は、空調システムとして役立つ通気路をもっている。この比喩で言えば、女王と生殖する雄は多細胞生物の生殖系列に当たるし、生殖しない個体は超生物体の体細胞ということになるだろう。けれどもこの比喩には用心しなければならない。数匹、それどころか多数の女王がいても、効率のよいコロニーがある。
〔『生命進化8つの謎』長野敬訳 2001年 朝日新聞社 (pp.197-198)

―― こういう昆虫の社会性について、最初にいわゆる〈超有機体 (super-organism)という表現をしたのは、
ウィリアム・モートン・ホイーラー昆虫の社会生活(“SOCIAL LIFE AMONG THE INSECTS” 1923) でした。

 成虫の生活期間の延長と家族の発達とから、必然的に重大な結果が生じる。すなわち、親と子供との関係がますます緊密になり、相互依存的になるので、われわれは 1 個の新しい有機的単位、あるいは生物(学)的全体、いわゆる超有機体 (super-organism) に直面するのであって、じっさい、その中では生理的分業により、これを構成する各個体が種々の方向に専門化し、相互の安寧や生存そのものにとって不可欠なものにまでなっているのである。
〔『昆虫の社会生活』渋谷寿夫訳 1986年 紀伊國屋書店 (pp.16-17)

―― そういえば以前、「スーパー・オーガニック 超有機的進化」と題してハーバート・スペンサーの進化論を参照したのは、今年の冒頭(1月4日)のことでありました。

 以上考察してきたスペンサーにおける進化概念は、今日の分子生物学の知見における「中立」説にもとづくとその本質的な特徴がより明確に浮上してくる。中立説は、ダーウィンの提示した自然選択における「適者生存」概念に新たな解釈を加えて展開された理論である。従来の「適者生存」概念には、自然環境に対して適用する種が進化を遂げ、逆に適用することのできない種は進化することができずに絶滅する、という二元的な進化現象観が前提におかれていた。しかし、中立説では「適用」と「不適用」のいずれにも属さないニュートラルな位置にある「中立」の変異をミクロレベルで保有する種が理論化されている。すなわち「適用」「不適用」の種は従来通りの進化、絶滅を繰り返し、その一方で「中立」の種も自然環境の影響を受けて存在し続ける。しかしその途上で、「中立」の種も分子や遺伝子といったミクロレベルにおいて確実に多様化し、長い時間をかけて可視的な変化を発現させる場合がある。これが「中立」説の骨子である。
〔挾本佳代『社会システム論と自然/スペンサー社会学の現代性』2000年 法政大学出版局 (pp.191-192)

 ダーウィンの『種の起原』に先立つこと、二年、
 1857 年に、〝スペンサーの〈進化論〉〟は上梓されたといわれています。
 スペンサーは『生物学原理』(1864-7) の第 4 章 (§202) などでポリプについて触れていますが、『社会静学』(1851) からの引用を参照すれば、群体について次のように語られています。

「まさに部位の合体(融合 coalescence )と部位ではないものの分離 ―― これはつまり、機能の細分化の増大と同じことであるが ―― は、社会の構造が複雑化する中で生じる。最も初期の社会有機体はほぼ一つの要素の反復から成る。すべての人間が、戦士、猟師、漁師、大工、農夫、道具職人である。共同体のどの部分も他のあらゆる部分と同じ義務を果たしている。それは、それぞれが薄いひと切れであるポリプの身体が胃であり、筋肉であり、皮膚であり、肺であるかのようなものである」。
〔『社会システム論と自然/スペンサー社会学の現代性』 (p.218)

 地球を超生命体とする〈ガイア仮説〉や、〈地球村(グローバル・ヴィレッジ)〉の思想は、エレクトロニクス時代に、〈グローバル・ブレイン〉の発想をもたらしているようです。
 社会的超有機体の概念は、現代になお強い影響を与えているのです。
 そしてファンタジーの世界でなく、いまや魔法のような科学が日々を席巻しています。
 進化したファンタジーは、いずれ現実と区別がつかなくなるのでしょう。


群生する個体:群体を作るポリプ
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2017年12月26日火曜日

細胞性粘菌の chtA 変異種/抜け駆けするクローン

―― 他人を蹴落としてでも生き残ろうとする習性が、自然の摂理で、もたらされるものなら。
いっそ、その存在を認めたうえで、新しい対策を講じなければならないだろう。
それとも、競争優位の戦略社会に生きるわれわれは、こすっからい生き残りの末裔であるのか。

 細胞性粘菌という、飢餓状態で多細胞化する生物が、ヒューマン』〔NHKスペシャル取材班 2012年 角川書店〕の 90 ページあたりでも取り上げられていました。そこでは単細胞アメーバのそれぞれの個体が遺伝子の命ずるままに分化していき、一部のクローン細胞以外は死んでいくさだめの擬似多細胞生物の映像が活写(ここではもちろん文章で)されていました。
―― たとえばこんな感じです。

 その成果は、圧巻というしかない。粘菌がまるで意志をもっているかのように集合し、まさにナメクジのように移動体を形成し、そして柄を伸ばし、胞子を形成していく。見事な協力の姿が記録されていたのだ。
 ニョキニョキと伸びていくその姿は、まるでキノコか何かが成長していくかのようだ。これがひとつの植物ではなく、10 万単位の粘菌が集まって繰り広げている連係プレーだと思うと、驚愕(きょうがく)してしまう。この協力が見事に感じられるのは、子孫を残すことができるのは胞子を担当した菌だけで、柄の部分を担当した菌は残すことができないということだ。
…………
 柄をつくる粘菌は自らを犠牲にして、胞子となる粘菌に貢献し、種の保存をはかっているわけではない。自分と同じ遺伝子の持ち主だから、自分という個が犠牲になっても、結局は自分の遺伝子が残る。それゆえに協力していると解釈できるのだ。
 遺伝子が命じる行動だけに、同じ条件になれば同じ行動が整然と現れる。しかし、遺伝子の命令である以上、その行動は遺伝子に利するものに限られる。自らのコピーを増やしたいという遺伝子の欲求から外れることはないのだ。

―― 遺伝子の命ずるままに分化して、死に際して役割分担する。
 これは多細胞生物が子孫を残して、自らは死んでいくのと、同じ原理なのでしょうが。
 でもこれが集団化の階層構造の幾重もの段階を経たのちの、多細胞生物同士の協同作業になると、必ずや〝抜け駆け〟を実践しようという突然変異体が発生するわけです。
 ならば、単細胞生物のクローン同士でも、そういう変異体は登場しても不思議じゃございませんな。
―― というわけで、前田靖男『パワフル粘菌には、こうありました。

 子実体における「柄」の形成は死を意味し、柄になろうとする行為は典型的な利他行動とみなされる。では、柄細胞になるのはどのような細胞であろうか。…… すなわち、“細胞が飢餓処理される時点で細胞周期のどの位相にいたかによって、その細胞の細胞集団(個体)内での位置どりが規定され、次いで、そこでの位置情報(位置価)により分化の方向が決定される”のである。この事実は、ある意味では運命論的な空恐ろしいことを暗示している。なぜなら、飢餓処理の時点で、たまたま細胞周期上の G2 の中期付近に位置した細胞は胞子に分化することによって“生”き続けるが、G2 後期、M/S 期、G2 初期にいた細胞は柄細胞に分化して結局は“死”んでしまうからである。別の表現を用いれば、「柄細胞」になるか「胞子」になるかはまったくの“偶然”により支配されていることになる。最近、チーター (cheater : 裏切り者 ) と呼ばれる変異種が後述の REMI 法により分離され、この変異をもたらす遺伝子 (chtA) はタンパク質分解に関与するタンパク質をコードしていることが示された。この chtA 変異種は単独では長い移動体を作るが子実体を形成できず、胞子への分化もほとんど認められない。しかし、これを野生型と共培養してキメラ細胞集団を形成させると、子実体が形成され、その際 chtA 変異種の細胞は優先的に胞子に分化して生き残ろうとする。また、chtA 変異種の胞子分化率は野生型との共培養の継代回数を重ねるのに伴って増大する。このように、野生型は chtA 変異種と競争し、結果として利他行動におよぶのである。この chtA 変異種による“裏切り行為 (?)”の発生学的および分子的機構は今のところ不明であるが、この変異種は野生型と共培養した場合、細胞集団内において胞子分化に有利な部域(集団内での位置)に優先的に選別されると考えられる。
〔『パワフル粘菌』2006年 東北大学出版会 (pp. 15-16)

―― つまりはこの、他人を蹴落としてでも生き残ろうとする習性が、自然の摂理で、もたらされるのなら。
 いっそ、その存在を前提として、自然の摂理は進化する生命に、どのような新しい突然変異種を対抗させ、戦略的に競争優位としたのか。
 それとも、やはりわれわれは、こすっからい生き残りの、その子たる末裔でしかないのか。
 相変わらず、無理が通れば道理は引っ込む世の中ではありますが……。

2017年12月24日日曜日

コンウェイ「ライフゲーム」: ガードナーによる紹介記事

ジョン・ホートン・コンウェイの考案した「ライフゲーム」についての参考資料として、まずは、
『サイエンティフィック・アメリカン』誌にマーチン・ガードナーが連載したコラム「数学ゲーム」があげられます。
―― 参考までに。次のような記述があります。

 1970 年に、コンウェイ (Conway) は「セル・オートマトン」を利用した「ライフ・ゲーム(Game of Life) を提案した。「ライフ・ゲーム」は、数学者ガードナー (Gardner) によって紹介され、有名になった( Gardner (1970, 1971) 参照)。
  Gardner, M.: Mathematical games, Scientific America, 223, 120‐123, 1970.
  Gardner, M.: Mathematical games, Scientific America, 224, 112‐117, 1971.
〔赤間世紀/著『人工生命入門』2010年 工学社/発行 (p.30)

―― さいわいにも、これらの「数学ゲーム」を再録した邦訳書が刊行されています。
別冊日経サイエンス 176『マーチン・ガードナーの数学ゲーム Ⅰ』[新装版]
〔マーチン・ガードナー/著 一松信/訳 2010年 日経サイエンス社/発行〕

このほかにも、「ライフゲーム」を紹介した日本語文献はいろいろとあって、
なかには〝コンピュータ・ゲーム版〟が付属している書籍もあったりします。
数学として、だけでなく、さまざまな分野に影響を与えたゲームなのです。
―― ガードナーの『数学ゲーム Ⅰ』「第 6 話 ライフゲーム」から、一部を引用しますと。

 セル・オートマトンは 1950 年頃にフォン・ノイマン (John von Neumann) が、自己複製オートマトンの可能性の証明という課題と取り組むようになったときに始まった。…………
 フォン・ノイマンは初めて「動的」な機械のモデルを証明した。それは部品の倉庫をうろつきまわり、必要な部品を探して、自分の複製にはめこむ。その後、友人のウラム (Stanislaw M. Ulam) からの霊惑的な忠告を採用して、そうした機械の可能性を、もっとエレガントに、もっと抽象的な形で証明した。
 フォン・ノイマンの新しい証明には、今日では「一様セル空間」と呼ばれる概念が使われる。それは無限のチェッカー盤と同値である。…… マス目は有限状態のオートマトンの基本的部分であり、生きているマス目の配置は、そういう機械の理想化されたモデルである。
 コンウェイのゲームは、まさにこうした空間に基づいている。彼の隣点は、そのマス目を囲む 8 個のマス目であり、各マス目は 2 つの状態(空白または石がある)をとり、そして推移規則は前に述べた誕生、死滅、生存の規則である。フォン・ノイマンは、各マス目が 29 の状態をもち、4 つの縦横の隣点を使った空間に推移規則を適用して、約 20 万個のマス目からなる自己複製的な配置の存在を証明した。
〔『マーチン・ガードナーの数学ゲーム Ⅰ』[新装版] (pp.38-39)

―― この「第 6 話 ライフゲーム」の最後のページに、
「ライフゲームについて訳者からのひとこと」として、

 ライフゲームのおもしろさは、…… きわめて簡単な推移規則で与えられ、初期状態によってすべてが定まってしまう完全決定系であるにもかかわらず、その変化が「予測不可能」だという点にある。これは、1970 年代に相次いで発見された、ある種の非線形漸化式に生じるカオス現象の一種といえるかもしれない。
〔『マーチン・ガードナーの数学ゲーム Ⅰ』[新装版] (p.47)

と、カオス理論に通じるという内容での考察が述べられています。
カオス理論は、決定論的なはずの、確定的な数式が導き出す不確定性を世に示しました。
コンピュータが登場して、進化論に、新しい時代の人工生命と複雑系の理論が絡みはじめるようです。


分化するクローン細胞 / ハイパーサイクル
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2017年12月21日木曜日

ハイパーサイクル/フィードバック・ループ

 マンフレート・アイゲンの〈ハイパーサイクル〉の発想は、いうなれば食物連鎖のような関係性を、ポジティブ・フィードバック・ループに転換して捉えたものといえましょうか。
 見返りを期待することもないままにたまたま誰かの利益になった行為が、巡り巡って、自分の利益となって返ってくるという円環のシステムです。

 それ以前にネガティブ・フィードバック・ループともいえる〈エラー・カタストロフ〉とは、アイゲンが発見し、命名したものらしく ――。
 しくじりが、自分の能力をどんどこ削ぎ落していく、こちらは負の連鎖の過程です。
 アンドレアス・ワグナーの進化の謎を数学で解く(“ARRIVAL OF THE FITTEST” 2014) に、次のような説明がありました。

 ノーベル賞を受賞してから四年後の一九七一年に、マンフレート・アイゲンは、このエラー・カタストロフを避けるのに必要な正確さを計算した。彼は、レプリカーゼが長くなればなるほど、より高い正確さが求められることを見いだした。経験則でいえば、五〇ヌクレオチドのレプリカーゼの場合、誤読は五〇のヌクレオチドにつき一以下でなければならないのに対して、一〇〇ヌクレオチドをもつレプリカーゼは、一〇〇ヌクレオチドにつき一以下でなければならず、もっと長いレプリカーゼについても同様のことが言える。
…………
これはアイゲンのパラドクスとも呼ばれているものである。すなわち、忠実な複製には長くて複雑な分子が必要だが、長い分子は忠実な複製を必要とするのだ。
〔『進化の謎を数学で解く』垂水雄二訳 2015年 文藝春秋 (pp.64-65)

 このアイゲンのパラドクスを解決しようとした考え方が、ハイパーサイクルという仕組みです。
 ダニエル・デネットのダーウィンの危険な思想(“Darwin's Dangerous Idea” 1995) では、次のように紹介されていました。

アイゲンは、悪循環だったものが、二つ以上のエレメントを持つ「ハイパーサイクル」に拡張されることで、私たちに都合のいいものになりうることを示している (Eigen and Schuster 1977) 。これは難解な専門的概念であるが、底辺にある考え方は十分クリアである。次のような環境を考えてみよう。タイプ A の断片は B が大きな塊になる見込みを増すことができ、その B が今度は少しばかりの C の安定を促す。ループを成すように、この C は A の断片の複製がさらに作られることを可能にする。このようなことが、相互に強化を行う要素間で続き、ついにはプロセス全体が始動するに至る。このようにして、遺伝材料のストリングがどんどん長く複製されていくのに役立つような環境が作り上げられるのだ。(ハイパーサイクルの理解には Maynard Smith 1979 が非常に有効。Eigen 1983 も参照のこと)。
  EIGEN, MANFRED. 1983. “Self-Replication and Molecular Evolution.” In D. S. Bendall, ed., Evolution from Molecules to Men (Cambridge: Cambridge University Press), pp. 105-30.
  EIGEN, M., and SCHUSTER, P. 1977. “The Hypercycle: A Principle of Natural Self-Organization. Part A: Emergence of the Hypercycle,” Naturwissenschaften, vol. 64, pp. 541-65.
  MAYNARD SMITH, JOHN. 1979. “Hypercycles and the Origin of Life.” Nature, vol. 280, pp. 445-46. Reprinted in Maynard Smith 1982, pp. 34-38.
〔『ダーウィンの危険な思想』山口泰司監訳 2001年 青土社 (p.219)

 ジョン・メイナード・スミスとエオルシュ・サトマーリの共著である進化する階層(“The Major Transitions in Evolution” 1995) には、次の記述があります。

 アイゲン自身が、このパラドクスを解こうと努力した。
…………
 アイゲンは、異なる RNA 分子間にはある機能的な相互作用が必要であると主張する (Eigen, 1971) 。…… 第一のメンバーが第二のメンバーだけの複製、第二は第三の、第三は第四、そして最後が第一のものの複製を触媒するというのが、ハイパーサイクルである。
…………
 生態系がハイパーサイクルに満ちていることが理解されれば、生物学者にとってハイパーサイクルはそれほど不思議なものとは考えられない。…… 生態学者は通常、食物連鎖という言い方をするが、死んだ動物は結局植物の成長のために栄養を供給していることを忘れないことが重要である。
  Eigen, M. 1971. Self-organization of matter and the evolution of biological macromolecules. Naturwissenschaften 58: 465-523.
〔『進化する階層』長野敬訳 1997年 シュプリンガー・フェアラーク東京 (p.66, p.67, p.68)

 メイナード・スミスとサトマーリによるもうひとつの共著生命進化8つの謎(“The Origins of Life” 1999) では、次のように書かれていました。

マンフレート・アイゲンとペーター・シュスターは特別なタイプの協同的なネットワークが重要だったと主張し、それをハイパーサイクルと呼んだ。…… A 、B 、C 、および D という数種類の複製体があり、それぞれの複製速度は、サイクルの中ですぐ前の複製体の濃度の増加関数になっている。たとえば B の複製速度は A の濃度とともに増加し、同様な関係でサイクルをひと回りする。A の複製速度は D の濃度とともに増すので、サイクルは閉じた環となる。
…………
実際には生態系はハイパーサイクルに満ちている。…… 藻とミジンコとトゲウオは、どれも複製体である。ミジンコの複製速度は藻の濃度とともに増すし、トゲウオはミジンコの数とともに増す。魚は水中に窒素性の化合物を排出し、これが藻の成長を加速するので、環は閉じるのだ。
…………
分子のサイクルの場合には、もし各複製体がサイクルの次のメンバーのコピー作用を行なう「複製酵素[レプリカーゼ]」だと考えるならば、サイクルを改良するような突然変異として二種類のものが考えられる。ある分子をよりよく作用するレプリカーゼにする変異と、その分子が複製のよりよい標的になるようにする変異である。選択では後者の型の変異は有利だが、前者は有利というわけではない。
 けれども、両方のタイプの突然変異がどちらも選択で有利となるような状況が一つある。すべての分子が「区画」の中、つまり細胞の中に閉じ込められているとしよう。複製する分子の総数がもっとも速く増加するような細胞が、同時にもっとも速く分裂もするとすれば、もっとも速く複製するハイパーサイクルを含む細胞は、他の細胞に比べて頻度が高くなっていくだろう。つまり分子が細胞内に閉じ込められることによって、新しい選択のレベルが導入されたのだ。細胞内での分子間の選択とともに、いまや細胞間の選択があることになる。
〔『生命進化8つの謎』長野敬訳 2001年 朝日新聞社 (p.81, p.82, p.83)


 ハイパーサイクル (The Hypercycle) という考え方はバーチャルでなくリアルに、世界最大のネットワークと思われるインターネット環境のなかで実践されているようです。
 互いに見も知らぬ人間同士が、それぞれの共通の言語を介して、掲示板などで知恵と知識を出し合っているのは、どういう仕組みなのかと、自己中心的な計算高い人種には、理解できないかもしれません。
 人間には、誰かの役に立ちたいという欲求があって、それがまわりまわって自分の不足を補ってくれるという、壮大なネットワーク環境が構築されているわけです。
 インターネットの相互補完計画は、ハイパーサイクルのデジタル版ということにもなります。

2017年12月18日月曜日

モンモリロナイトという粘土と生命

 モンモリロナイト (montmorillonite) という粘土鉱物について、今年の 7 月に 2 回とりあげています。
 土と生命の起源を関連づけた科学的な研究の話です。その当時には「モンモリロナイトについては、他の邦訳書でも最近のもののなかに、記述を見ることができましたが、日本人による一般向けの著書では未確認です」と、書いておりました。
 他の邦訳書というのは、ピーター・ウォードとジョゼフ・カーシュヴィンクの共著生物はなぜ誕生したのか(“A NEW HISTORY OF LIFE” 2015) です。

 ヌクレオチド三〇個以上の RNA 鎖を初期の地球上(またはその内部)でつくるには、土台になる粘土が必要だったと思われる。とくに適しているのがモンモリロナイトという粘土鉱物の一種だ。この仮説によれば、液体を漂っていた単体のヌクレオチドが粘土にぶつかる。ヌクレオチドは粘土とゆるやかに結合し、その場に固定される。こうして粘土鉱物のどこかの場所にヌクレオチド三〇個以上の鎖ができる。粘土と強く結びついているわけではないので離れやすい。もしも長い RNA 鎖が何本も集まったものが存在して、それが脂質に富む液体の小さな泡(石鹸の泡のような)の中に取り込まれたとしたら、最初の原始細胞の誕生となる。
〔『生物はなぜ誕生したのか』 梶山あゆみ/訳 2016年 河出書房新社 (p.78)

 これに次いで、ようやく日本人による記述も、一般向けに書かれた出版物のなかに見ることができています。
 以前にも参照した資料の日本宇宙生物科学会編『生命の起源をさぐるに収録された論稿、澤井宏明「生命の情報を担う RNA のはじまりにありました。

 粘土鉱物の一つのモンモリロナイトは重合反応を促進させるはたらきがあり、金属イオン触媒と同じような反応経路により RNA オリゴマーが生成する。粘土鉱物の表面には RNA 合成のモノマーであるヌクレオチドやアミノ酸が吸着する。モノマーが粘土鉱物の表面に吸着した上で一〇量体くらいまで重合することをフェリスらが見出した。このような条件下でモノマー単位を次から次へと加えていくと、縮重合反応が進み、五〇量体くらいまでのびていく。RNA の鎖長が五〇量体くらいまでのびれば、生物的な機能の最低限の役割を果たせるのではないかと考えられるが、このモデル実験で得られた RNA が実際に何らかの生物学的な機能をもつかどうかはわかってない。
〔『生命の起源をさぐる』2010年 東京大学出版会 (pp.48-49)

―― そういえば分子進化の起源に触れ、サイモン・コンウェイ=モリスの著書進化の運命(“Life's Solution” 2003) では、次のように述べられていました。

 まとめよう。もしある種の鉱物が、いやむしろ多くの鉱物が、生命に至る最初のステップで、重合化などの触媒という大事な役割を果たしていなかったとしたら、その方がかえって驚きだ。しかし、どうしたらその次のステップに行けるのかは、あいかわらず五里霧中である。
〔『進化の運命』 遠藤一佳・更科功/訳 2010年 講談社 (p.111)

 モンモリロナイトという粘土鉱物が、生命の起源に関わっているのではないかという研究は、どうやら現代の生命合成の物語へと進撃を開始しているようです。
 粘土をベースに遺伝情報を形成していったというのは、もはや神話や夢物語ではなく、現実の話として展開しつつあるようなのです。


自己触媒ネットワーク
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2017年12月11日月曜日

アトラクタ 収斂する進化

 エントロピーが生成されるというのは、エネルギーが散逸する過程となる。
 散逸したエネルギーはもとに戻らないので、宇宙は平衡になっていくといわれる。平衡とは、一種の静止状態だ。
 イリヤ・プリゴジンは、平衡から遠く離れた条件下で秩序への転移が起こる動的状態を散逸構造と呼んだ。
 それはある与えられた系とその環境との相互作用を反映した状態であるとも混沌からの秩序(“ORDER OUT OF CHAOS” 1984) の 48 ページあたりに書かれている。
 続けてこう説明される。

平衡状態から、平衡を遠く離れた状態へと移行すると、繰り返しや普遍性から離れ、特異性と唯一性に至る。事実、平衡に関する法則は普遍的である。平衡に近い物質は、繰り返し同じ振舞いをする。これに対して、平衡から遠く離れた場合は、種々の散逸構造を発生させる可能性のある、多様な機構が出現する。例えば、平衡から遠く離れた場合、化学時計、すなわちコヒーレントで、リズミカルな挙動を示す化学反応が現れる場合が知られている。また、不均一な構造や非平衡な結晶を生ずるような自己組織化の過程も知られている。
〔プリゴジン(他)/著『混沌からの秩序』 伏見康治(他)/訳 1987年 みすず書房 (p.49)

―― その約 20 年後。
 サイモン・コンウェイ=モリスは、進化の運命(“Life's Solution” 2003) という著書で、収斂(しゅうれん)する進化を散逸系の運動になぞらえた。人類の進化が自然の法則性に導かれたものだという考えは、それ以前からあった。

簡単に言うと、収斂は、進化が膨大な組み合わせからなる生物の「超空間」をどのように進んでいくかを暗示してくれるのである。…… 収斂がなぜ起きるかというと、安定性の「島」があるからだ。カオス理論における「アトラクター」のようなものである。
〔『進化の運命』遠藤一佳・更科功/訳 2010年 講談社 (p.209)

 注釈では、Lee CronkThat complex whole: Culture and the evolution of human behaviour (Westview, Boulder, CO, 1999) を参照して、次の一節が引用される。
「私たちは、人類の文化のグレイト・アトラクターを探している。人類の文化をそちらにひっぱり、そうすることでその多様化にしばりを与えているまだ見ぬ塊を」(p.26)
〔『進化の運命』第10章460頁 注134 (p.514)

 そもそもダーウィンの「自然選択」が、現代進化論の基盤になっている。
 選択ないし淘汰は、個体に対して、行なわれる。その結果は偶然だという。生き物の個体はたまたま生き残ったり死んだりするのだ。
 環境への適応とは、複雑なネットワーク関係にあると、このごろの理論で説かれる。
 〈アトラクタ〉(attractor) というのは、複雑系の本に出てくる単語だ。
 井庭崇・福原義久/著複雑系入門の説明を参考にすれば次のようになっている。

 散逸系の運動は十分な時間がたつと特定の軌跡や点に落ち着く。この運動の過渡状態の後の安定した状態のことを「アトラクタ」という。
〔『複雑系入門』1998年 NTT出版 (p.69)

平衡点 (fixed point)
リミットサイクル (limit cycle)
トーラス (torus)
ストレンジアトラクタ (strange attractor)

の、4 種類があると書かれている。
 平衡点は、静止アトラクタや点アトラクタ、固定点ともいう。ある一点に収束するアトラクタとある。
 コンウェイ=モリスの、収斂する進化は、このアトラクタを想定しているものであろうか。

 いずれにせよ、高速で泳ぐ魚は、流線型にならざるを得ないだろう。
 生き物の形が、物理法則に従うという方向性をもつのは確かなのだ。
 生き物のエネルギーも、化学反応に従って、生み出され消費される。
 少なくとも生命の形に一定の制約があるのはまちがいないところだ。
 木は移動しないからある程度まで巨大化できても ……。
 大暴れする動物では、そうもいかないだろう。


収斂する進化のシステム
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2017年12月9日土曜日

訂正:長崎東京間に電信柱が並んだ年

 間違いを直したついでにまたまた間違えるというのは、負の螺旋に巻き込まれているのかどうか。
 前回、1 年ぶりの修正事項を記録したあと、日本での電信導入の歴史を追ってみました。
が、長崎-東京間の電信開通の年に誤認がありまして、またも訂正事項の確認・修正とあいなります。
 さて、前回の最後にこう書きました。

なお、その間の明治 10 年 (1877)、西南戦争では、通信分断の目的で電信分局が焼かれ、
当時の新聞によれば「野戦電信機」が投入された模様だ。
…………
日本にまだ二台しかない機械で、ドイツ人に注文したことが、記事には書かれている。
大陸と東京が〝電線〟でつながったのは、西南戦争の 1 年後のことだった。

 この最後の一行に、実はなにやら違和感がありまして、コピーしておいた手元の資料をもう一度、確認してみたのです。
 福沢諭吉の祝辞に、解答はありました。前回には、それを次のように紹介しています。

―― 『逓信事業史』にも採録されているが、「電信開業式」に参列した福沢諭吉が祝辞を寄せている。
「電信は國の神經にして、中央の本局は腦の如く、各處の分局は神經叢の如し。」
〔『福澤諭吉全集』第四卷 昭和34年 岩波書店 (p.470) 〕
この「中央電信局開業式の祝詞」は、明治 11 年 3 月 28 日の「郵便報知新聞」 2 頁 (a~b) に掲載された。

 この祝辞をよくよく読んでおけば …… と、あいも変わらず後悔は先に立たず。
 短文なのに肝心な個所をすっ飛ばして読んでおりました。
 同じページに、長崎-東京間の電信開通の年などが、ちゃんと記録されているわけです。

 電信局の年報に據れば、…… 東京長崎の線は明治六年に落成、箱館への通線は七年十月に落成、其前後東京大阪等の市中にも縦横に支線を張て、……。
〔『福澤諭吉全集』第四卷「中央電信局開業式の祝詞」 (p.470)

―― つまり、長崎と東京の間に電信柱が連なったのは、明治 6 年。
 その翌年明治 7 年には、津軽海峡に海底線が通されて、電線は北海道にまでつながっているのです。
 西南戦争で焼かれた電信分局というのは、九州南部の地域でしょう。
 そういうわけで、西南戦争以前に、電信設備はすでに九州と東京とを結んでいたわけです。
 だからこそ、電信局が襲撃されている。ということで、違和感解消の運びとなりました。
 まったくもって、なさけない理解力でありました。
 ですが、電柱をなにゆえ〝電信柱〟というのか、という謎は解けました。

 どころで九州では、明治 9 年にも、「神風連の熊本局襲撃」事件というのがあって、
『逓信事業史』第三巻 (p.94~) の記録に残されています。
 当時の憂国の士が、電信を伴天連(バテレン)の妖術と決めつけ、熊本電信分局に乱入する騒動があったようです。

2017年12月6日水曜日

〝電線〟が大陸から東京に到達した日

 1 年前の、2016年12月7日(水曜日)に
「1949年 教皇による『創世記』と〈進化論〉の研究の奨励」と題し、その最後に、

『新カトリック大事典』 第 3 巻 (p.378) 「進化論」の項には、北原隆氏により、
 1949 年、「教皇ピウス 12 世が回勅『フマニ・ゲネリス』において、公に進化と神学の関係の研究を奨励することになる。」と記述されている。
 1969 年――それはさておき、米国国防総省によるインターネットの起源は、その年とされている。

と、書いたのだけれども、実はその「進化論」の記述内容には偏りがあって、
そのうち修正しようと予定しつつも思い出すたびに忘れていて、結局 1 年が過ぎてしまったのでした。
まるまる 1 年以上も放置となってしまうのは忍びないので、とりあえずここに訂正しておきたい。

『新カトリック大事典』 第 3 巻〔2002年 研究社〕「進化論」の項は、北原隆氏により、記述されている。
―― 378 ページにある、上に引用された該当の段落を全文引用すれば、次のようになっている。

 進化論が生まれた当時の知的状況をみれば, 長い間カトリック教会がその学説に対し非常に慎重な態度を取り続けたことをある程度まで理解できるであろう. 1949 年になって初めて, 教皇 *ピウス 12 世が回勅 *『フマニ・ゲネリス』において, 公に進化と *神学の関係の研究を奨励することになる.

―― この文中の *印は、通常は参照事項を示している。
つまりは「フマニ・ゲネリス」の項目が別途に掲載されているわけで、
『新カトリック大事典』 第 4 巻〔2009年 研究社〕にそれはあった。
―― 370 ページに、久保文彦氏による内容紹介とともに、次の記述がある。

『フマニ・ゲネリス』 Humani generis
教皇ピウス 12 世の回勅( 1950 年 8 月 12 日付)
…………
【原文】 AAS 42 (1950) 561-78; DS 3875-99.

―― このように、一般には『フマニ・ゲネリス』(1950) と、なっている。
第 4 巻のこの個所を一緒に引用し優先させておけば問題なかったろうと、いつものことながら後悔は先に立たず。
というか、だいたいは後悔覚悟で書いている。
そういえば今年の春ごろにも書いた、
世間様にさらす文章なり文字を書くということは、ハジも一緒にかく覚悟なしにはできかねる、のだ。

それはそうとして、『新カトリック大事典』における記述ゆえ、
それから以降は、北原隆氏がその年を 1949 年としている理由が何かあるのだろうと、
「進化論」について資料を調べていくうち何か判明することもあるやも知れず、と想定しつつ、
今のところ根拠はみつからないので、ただの間違いという気もする。

以上、訂正事項はそんなかんじで。さて、

 1969 年――それはさておき、米国国防総省によるインターネットの起源は、その年とされている。

と、最後の 1 行に書いたのは、その日の冒頭を、次のように書きはじめたからだ。

1633 年、有名な裁判でガリレオは有罪とされた。
1665 年、ロンドン王立協会を拠点としたオルデンバーグによる科学雑誌、
『フィロソフィカル・トランザクションズ』 “Philosophical Transactions” が刊行された。
これは新大陸アメリカをも含めた、郵便による科学文献のネットワーク化であった。

―― このあたりについても少々補足しておきたい。
 1665 年から 1969 年まで、おおよそ 300 年間。
 大洋をまたいだ文献の情報ネットワークは、最初は郵便のシステムによっていた。
 それがいまや、光の速度で、情報は伝達されていく。
 電信の設備がユーラシア大陸の東端に達したのは、日本に文明開化が訪れる以前だったようだ。

1853 年 6 月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、軍艦 4 隻とともに、浦賀沖に現れた。
1854 年 1 月、ペリー提督は、軍艦 7 隻とともに、ふたたび来航した。

 このとき、ペリーによって、電信が日本に紹介されたらしい。
 それから苦節 15 年。

明治 2 年 (1869)、東京-横浜間に電信が開通した。

 本邦に電信が開通した歴史を垣間見れば次のごとくである。
遞信省・編纂『遞信事業史』(昭和十五年 遞信協會・發行)によるが、
当時の出版物ゆえ、難しい字で書いてある。

逓信省・編纂『逓信事業史』(昭和 15 年 逓信協会・発行)のように、簡便な字で、引用する。

第三篇 第二節 電信開業式 (p.98)
 九、国際線の開通
 なお電信の普及はただに国内のみでなく、国際間にもおよび、明治 4 年より丁抹(デンマーク)国の大北電信会社 The Great Northern Telegaraph Company の長崎上海間および長崎浦塩間の海底線を経て、早くも海外電信の取扱を開始し、明治 11 年 3 月、万国電信連合加盟の議決して、我国も翌 12 年 1 月より同連合の一員となることとなった。(「通信事業五十年史」に依る)
 十、電信中央局の開設と電信開業式
 かくて明治 11 年 3 月 25 日東京木挽町に電信中央局の開設を見たが、これを機とし、同局に於いて電信開業式を挙げた。けだし従前は電信取扱局所を設置するごとに、まづ試開と称して試験的に通信を送受したが、爾来技術大に進むと共に、秩序ある局所増置の方針をとるようになり、線路の延長および海外電信局との対立等、事業の大綱が完成したので、これを祝賀するものにほかならなかったのである。

―― 引用文中の「浦塩」は「浦塩斯徳(ウラジオストック)」の省略形であろう。原文は「浦鹽」と書かれている。
明治 3 年 8 月 25 日、デンマーク大北電信会社と、条約を交換。
明治 4 年 6 月、長崎-上海間の海底線が開通。
明治 4 年 11 月、長崎-ウラジオストック間も開通。
―― 『逓信事業史』にも採録されているが、「電信開業式」に参列した福沢諭吉が祝辞を寄せている。
電信は國の神經にして、中央の本局は腦の如く、各處の分局は神經叢の如し。
〔『福澤諭吉全集』第四卷 昭和34年 岩波書店 (p.470)
この中央電信局開業式の祝詞は、明治 11 年 3 月 28 日の「郵便報知新聞」 2 頁 (a~b) に掲載された。

祝辞の後半に福翁は、生きてる間に日本で電信の実物を見ようとは思いもよらなかったことをつづっている。
わずか 13 年前の慶応年間に彼が見たままの西洋事情を紹介した際には、
世間は電信なる一種の奇機を信じなかったのであるから、隔世の感もあろうかと想像される。

なお、その間の明治 10 年 (1877)、西南戦争では、通信分断の目的で電信分局が焼かれ、
当時の新聞によれば「野戦電信機」が投入された模様だ。
軍中電信機(ぐんちうでんしんき)」〔参照:「読売新聞」明治 10 年 2 月 27 日 (p.3)
野戰電信機(やせんでんしんき)」〔参照:「読売新聞」明治 10 年 3 月 1 日 (p.2)
日本にまだ二台しかない機械で、ドイツ人に注文したことが、記事には書かれている。
大陸と東京が〝電線〟でつながったのは、西南戦争の 1 年後のことだった。


【訂正】
長崎と東京の間に電信柱が連なったのは、明治 6 年。
その翌年明治 7 年には、津軽海峡に海底線が通されて、電線は北海道にまでつながっている。
次回分に間違いの言い訳などを書く。