2021年7月22日木曜日

絲綢之路/絹の道/瑠璃の道

 絲綢之路がシルクロード(絹の道)の中国語であることはよく知られています。

 ラピスラズリ(青金石)ともいわれる瑠璃は「吠瑠璃」の略で、サンスクリット語の音写による漢訳語です。

 さて。

 古代のメソポタミアを中心に流通していた宝石ラピスラズリは、現在のアフガニスタン北東部ヒンドゥクシュ山脈北側のバダフシャーン(バダクシャン)地方を原産地とするようです。

 紀元前 3500 年頃には、アフガニスタン産のラピスラズリの交易路は、遠くエジプトにまで達していたとされます。

 またいっぽうで、ヒンドゥクシュ山脈の東側にはシルクロードの天山南路があり、そのキジルでは壁画にラピスラズリが青の顔料としてふんだんに用いられているために、「青の石窟」という別名があるようです。



 ◯ 次の資料でシルクロード以前の「ラピスラズリの路」について、詳しく語られていましたので抜粋して紹介しておきたく思います。



『漢代以前のシルクロード』運ばれた馬とラピスラズリ

〔川又正智/著 2006年10月05日 雄山閣/発行〕


 第Ⅲ章 ラピスラズリの路 ― 遠距離交渉の確認 ―

 a くりかえされる交易 ― 原料獲得の路

 (pp.39-40)

 シルクロードという名は絹を交易品代表として命名したものであり、また、絹馬交易・玉[ぎょく]ロードなどの名称もあり、宝貝・ラピスラズリ・ガラス・琥珀・毛皮なども遠距離交易のテーマとしてかたられることがおおいが、これらは生活上いわゆる贅沢品・奢侈品である。そのなかには産地を限定できるものがある。動植物・鉱物には原産地を特定できるものがあり、人工物には製作技術やデザインから生産地を決定できるものがある。ある地域に産しないものがそこにあれば、他地域から持ちこんだものにちがいなく、交易、すくなくとも何か関係のあった証拠である。

 かんがえてみれば、生物はもともと食料の確保できる地に棲息するもので、いわば自給自足で、これは人類も生物である以上おなじである。ただ、人類はある時から、実用品以外の奢侈品、あるいは実用品でもより良い物を、始めは少量であったかもしれないが段々多量に必要とするようになり、また生活技術の進歩によりそれまで知らなかった実用品を必要とする新時代になることもある。金属や石油はその代表である。その類のものはそれまで生きてきた生活圏にあるとはかぎらないし、さらに地球上の資源存在は均一ではなく偏在しているのだから、これを他地域・遠方から入手する必要にせまられるのである。

 実用品でふるくから到来品であったものは石器材料の石である。石などどこにでもあるようにおもうが、メソポタミア下流のような巨大な沖積地には無い。それに、石器はどの石でもおなじようにできるわけではなく、石器としてのよい石・わるい石がある。たとえば新石器時代の西アジアでは、現在のトルコ中・東部産の黒曜石がひろくイスラエルやイラク南部にまで分布している。とおい所は産地から、1000 km ちかくはある[ローフ 1994 pp.34‐35]。交場の実態は不明である。黒曜石は天然の火山ガラスで、非常に鋭利な刃をつくることができる。化学成分によって産地を同定できることがある。

 石器のひろがりが何故なのかはわかる。形によって機能がちがう。あの形につくればこういう場合に便利なのだ、あの形にするにはこうしてつくるのだ、とおもうだろう。それにはあの石質がよいのだ、ともおもうであろう。石器製作方法や石材はひろがっていく。

 土器の紋様のひろがりは何故であろうか。形や質は機能・つかい勝手と関係があるが、紋様まで他の村とおなじにするのは何故か。単に気に入ったデザインだから流行して行くというのか。土器はこの紋様、と決まっているのか(製作者が村々を巡回して行くとか、婚姻で入り込むとか、の説明がある)。我々はこのデザイン、という他族と区別する集団意識のようなものがあるのか。つまり、流行の範囲のことであるが、これがどう決まるのかは不思議である。


 b 〝遠方〟という意識 ― 他世界との交流

 (p.40)

 東西交渉とかシルクロードという言いかたは、文明圏・生活圏・政治圏などを超える他地域・他世界との交流・交渉ということが第一義なので、単に遠距離ということが問題なのではない。結果として遠距離交易などと言い換えることができるだけである。しかし、人は遠古からそんなに遠方と関係をもつものであろうか、ということは当然基本的な疑問としてある。もとより人類はアフリカに発生しそこから世界各地への拡散と推定されており、現生人類もその系統にはまだ諸説あるようであるが、どの説に立っても遠距離のグレイトジャーニーを成し遂げたにはちがいない。しかしこれは無意識の結果としての遠距離である。本書で問題にするのは、人類の拡散よりはずっと後の時代であり、〝遠方〟という意識がともなっている時代である。そこでまず、遠方・遠距離自体ということはやはり重要な要素であるのでそれをかんがえてみよう。〝距離〟は人間活動の上で、歴史の上で意味のあることである。


 c 宝貝の路

 (p.41)

 最古の遠距離到来奢侈品代表は宝貝(子安貝)であろう。

 (p.42)

石器時代から現代までながく、ひろく移動している物質である。

 ラピスラズリもそうであるが、現代の我々はこのような宝貝等を単なる王侯の贅沢品と解釈しがちであるが、当時は、いわば社会的宝物であったので、王侯個人の贅沢・宝物のみではなかったようである。漢字の貝字は宝貝の象形字である。これが貨・貯・財・寶など現在の意味では経済関係の文字にのこっているのは今いう通貨であったからではなくて、文字以前からもっと別な役割をになっていた名残である。


 d 金属器時代への変化

 (p.43)

 金属器時代になると、先に述べたように、金属は生物としてもともと何らかかわりのあった物質ではない新物質であり、さらに実用品でもあるので、金属は細々としたルートによる入手のみでは足らず、大量かつ継続的に原料を確保する必要が生じてくる。金属の入手は社会や経済の仕組をおおきく変えることになる。

 最近の学界では、初期金属器時代の変化としてメソポタミアのウルクや黄河流域の鄭州二里崗が大勢力化することをとりあげて、ウルクエキスパンション・二里崗インパクトなどと呼ばれる用語がつくられて議論されている。これは金属器時代に入った初期に勢力を持ち、大規模な資源探索部隊を遠征させた状況を代表する都市である。これらの都市こそが、金属のみならずラピスラズリや玉をもとめて遠距離交易を促進したのである。


 e ラピスラズリとは

 (p.44)

 ラピスラズリの古代における産地は、現在のアフガニスターン東北部ヒンドゥークシュ山脈北側バダフシャーン地方、ファイザーバード市南方コクチャ河(アム河の支流)ケラノムンジャン渓谷のサルイサング谷周辺に限定でき、現在も採掘している。


 f ラピスラズリの路

 (p.48)

 ラピスラズリの他に紅玉髄[カーネリアン]・トルコ石・容器をつくる凍石[クロライト]などの石も西アジア一帯を運ばれたものであることが最近わかっている[大津・後藤 1999 ; 後藤 2000]。またこれらは、エジプトからインダスにかけて出土するので、いわゆる古代四大文明のうちインダス・メソポタミア・エジプトはつながりのあることがわかるのである、農牧文化複合がおなじ西アジア型であることとともに。

 (pp.48-49)

 ラピスラズリの路については、関係報告書も見がたい本がおおいが、要点は『ラピスラズリの路』[堀・石田 1986]・『古代オリエント商人の世界』[クレンゲル 1983]にまとめてある。


引用・参考文献

[ローフ 1994 pp.34‐35]

  ローフ、マイケル 1994『図説世界文化地理大百科 古代のメソポタミア』(松谷敏雄監訳)朝倉書店

[大津・後藤 1999 ; 後藤 2000]

  大津忠彦・後藤健 1999『石器と石製容器 石にみる中近東の歴史』中近東文化センター

  後藤健 2000『インダスとメソポタミアの間」『NHK スペシャル 四大文明 インダス』(近藤英夫編)日本放送出版協会

[堀・石田 1986]

  堀晄・石田恵子 1986『ラピスラズリの路』古代オリエント博物館

[クレンゲル 1983]

  クレンゲル 1983「古代オリエント商人の世界」(江上・五味訳)山川出版社



―― その他の関連資料を、参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。


〈シルクロード Silk Road 〉の彼方より

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/silkroad.html