2016年12月28日水曜日

「なるようにしかならない」と思うか「なるようになる」か

日本時間の本日早朝、日米開戦から 75 年後のパールハーバーを、
安倍総理大臣が訪問して献花、真珠湾を〈和解の象徴〉として記憶してほしいと、
世界の現在と未来に向けて発信した。
オバマ米国大統領がヒロシマの地に立ったのは、今年五月のことだった。


 年の瀬に思う。
今年も「なるようにしかならなかった」とか。
或いは「なるようになった」とか。

 実情は、どちらにしても同じことだ。
 この世がそこここ(其所此所)にあり我々はそのすべてをみることはできない。
 世界があるということは、世界は転変するということだ。
 今年があったということは、今年も移り変わったということだ。
 それを否定的な表現で吐露するか、肯定して思うか。
――自他はそこに、あるようにある。それぞれ別の事態があるわけではない。

 事情はいろいろあるだろう。
 実情はどちらにしても同じことだ。浮き世のありように、特別な境地があるわけでもない。
 道元はこれをして。凡愚は大悟を迷う。と、いったかも知れぬ。
 この迷いの結末はいかに……とて。取り出し参照したのは、日本思想大系版『道元』。

『道元 上』正法眼蔵 (しやうぼふげんざう・しょうぼうげんぞう) 」 第一
現成公按 (げんじやうこうあん・げんじょうこうあん) (p.35)

 自己をはこびて万法(まんぼふ)を修証(しゅしょう)するを迷(まよひ)とす、万法すゝみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟(だいご)するは諸仏なり、悟に大迷(だいめい)なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷(いうめい)の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。


 常用しているアクセスポイントが例年のごとく明日からしばらく使えなくなる。
ブログに新規投稿するたびお越しいただいているらしき数少ないながらも常連の方々に感謝しつつ来年もまた生きていればこそ。

2016年12月27日火曜日

最初からの満場一致は なんだか怪しい

 ドラッカーの著書に、次のような挿話がある。

 GMのスローンは、「それでは全員の意見が一致していると考えてよいか」と聞き、異論が出てこないときには「では、意見の対立を生み出し、問題の意味について理解を深めるための時間が必要と思われるので、次回また検討することにしたい」といった。
〔ドラッカー名著集 14 『マネジメント[中]』上田惇生訳 (p.124)

 アニメにもなったと記憶するいわゆる 『もしドラ』 を読んだことはないが……。
 ドラッカーの解説書を読んで、理解できたのは、ひとは最善の策を模索しつつ、次善の策しか選択できないからだと、いうことだ。
 すべての視点をもつことのできない人間に、唯一の、という解決策は、おそらくまやかしでしかないのだろう。
 ほかのすべての意思と意見を排除してしまうような、美麗なるオンリーワンの見解には警戒が必要なのだという。
 なにごとであろうと、唯一の選択肢しかないのであれば、次善の策など思いもつかない。
 もしその唯一の選択肢が勘違いだったなら、人類はどうやってそれを取り返そうというのか?
――きっと、それなりに、どうにかはなるのだろうが。

 ユダヤの法に、「満場一致の有罪は無罪に等しい」と、解釈できるものがある。
 その法にはまた、民事事件でない場合、つまり刑事事件の裁判に関しての特別な決めごとがある。
 有罪の判決を取り消して無罪にすることはできるけれども、一度無罪とされた事案の有罪への変更は不可とされる。
 どんなに正当化しようと人間の判断は間違っているという前提が常にある。
 不完全な人間に、完全な、判断は不可能なのだから。という根本的な理解が必然なのだ。
 だから人類はいつだって自分が間違っている可能性を忘れてはならない、のだろう。

――そして。
 最初から否定的立場の表明できかねる、唯一の方法は、全体主義への選択をともなう。


〝全体一致の原理〟の逆理 ―― 満場一致は無効の原則
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/unanimity.html

2016年12月24日土曜日

聖夜の奇跡じゃないけども パウリの伝説

 1925 年に、ヴォルフガング・パウリの提唱した原理は、〝パウリの原理〟といわれています。
 〝排他律〟とか〝排他原理〟ともいわれていて、呼称が違う意味はよくわかりません。
 その原理の内容もしかじかにしてよくわからないのですが、たぶん――ですけども、〝パウリの原理〟は内容に〝排他律(排他原理)〟を含む、ということだと、思われます。
――で。英語にも、“Pauli principle”“Pauli exclusion principle” の、ふたつの通り名があるようです。

2 つの電子は全く同一の状態には存在しえないというパウリ排他原理によって、具体的に表される特性を電子波はもっているが、同じことは光子に対しては成り立たない。
〔P.R.ウォレス/著『量子論にパラドックスはない』 (p.36)

――与えられた型のすべての粒子の同一性の原理を “principle of identity” というようです。

すなわち、原子において個々の電子の状態が 4 個の量子数によって指定され(これはスピンの上下の状態をも勘定にいれたことになる)、その一つに同時に 2 個以上の電子が入ることはできないということである。
〔高林武彦/著『量子論の発展史』ちくま学芸文庫 (p.135)

 素粒子の同一性に関係する問題だということは、各資料に共通して解説されています。
 ようするにパウリは、同じ席に、同じ状態の電子は着席できない、という〝排他律(排他原理)〟を唱えたのです。そのあたりは、なんとのう、理解できます。
 ですが、光子は、自己同一性をもたないので、同じ席に無制限に着席できるという話にもなります。
 ここで自己同一性がない、自己同一性をもたないという表現は、区別する理由・手段がない、まったく同じである、ということです。
――
 区別のしようがない粒子の特性である〝粒子の同一性の原理〟を〝自己同一性をもたない〟という表現で説明されると、少々こんがらがることもあるのですが、これは朝永振一郎/著 『量子力学と私』 (岩波文庫)の 「素粒子は粒子であるか」 で用いられているものなのでして、〝個別性をもたない〟という意味で理解すると納得しやすくなります(つまり「ぜんぶ私」)。
 そういうわけで詳しくは『量子力学と私』にありますが、このことから、光子の実験では、例えば、確率の概念に変更を迫られます。

実は以前に、この確率の話は、竹内薫/著 『「場」とはなんだろう』 から引用しておりました。


 投げれば、同じ確率で必ず、A か B のどちらかの箱に入る、ボールを、
二つ用意して、その両方を一度ずつ投げたら、その場合は、

① A と A
② A と B
③ B と A
④ B と B

の、四つの場合に、同じ確率で、入ることになります。
つまり、それぞれの場合は、4 分の 1 ずつの確率になります。

 ところが、これを、ボールではなく、光子の場合で、実験すると、
〝A と B〟の場合と〝B と A〟の場合の区別がつかないので、

① A に 2 個
② A に 1 個と B に 1 個
③ B に 2 個

の、三つの場合に、同じ確率で、入るのです。それぞれ 3 分の 1 ずつの確率です。

 そういうわけで、素粒子に、人類の経験による常識は通じないのです。
 素粒子の常識は人間にとって、常識はずれなのです。
 それやこれやで冒頭にも記したように、〝パウリの排他原理〟の内容は、ほぼわかりません。

――が。伝説となった〈パウリ効果〉とは、そういうのとはまったく違って、
「パウリがいると、実験器具が破壊される。とにかく実験がうまくいかない」
等々と、世の物理学者たちによって、滔々と語り継がれ、伝承されているものです。

 有名な逸話に、旅行中のパウリの乗った列車が近くの駅を通っただけで、実験室の器具が破壊されたという、ありえないが故にまことしやかに語られる〔その尾鰭ばかりが躍動する進化系の物語としての〕説話があります。

 ハイゼンベルクの回想録 『部分と全体』 によると、パウリは学生時代から、そのことを自認していたようです。
 1920 年頃のことです。
僕には実験装置とのおつきあいは一切だめなのだ という、パウリの述懐が、
学生時代のゼミ教室での出来事として、語られているのです。
 パウリは、ミュンヘン大学でハイゼンベルクと同じゼミの、少し先輩なのでした。
 余談として、ユングとパウリの共著 『自然現象と心の構造』 は、因果律に関係するものです。
 1945 年、パウリはノーベル賞を受賞しています。


Pauli : 〝パウリの排他原理〟と〈パウリ効果〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Pauli.html

2016年12月21日水曜日

二番では 選ばれる希望は適わない

 多数決の採用というのは、民主主義の根幹となる原則としてです。。
 多数決によって決まったことがらは、自由意思に基づいて、受け入れなければなりません。
 つまり、民主主義というのは、個人の自由意思に対して、多数意見により、制限をかける合議制です。
 そこには多数決に参加するということが、そもそも自由意思によるものであるという前提があります。

 いっぽう、パレート原理は、いかなる個人の意見にも反してはならない、という縛りがあります。
 したがって、パレート原理を信奉する限りは、時に多数決による決定は受け入れ難い暴挙と、なりましょう。

 ところで、現状の選挙制度では、「二番目」では、投票されるための基準に達することができません。
 ただ一票を与えられた有権者は、最も信頼できる候補者を選択するに違いないのですから。
 一番目に選択された候補者でなければ、ほぼというか、投票されることはないでしょう。
 誰にとっても明白に、二番目の実力では、一票すらも、獲得できないわけなのです。

 また選挙での、オンリーワンというのは、ナンバーワンであることの、別表現にほかなりません。
 人気投票のトップである、あかしとしての、特別な。
 他の追随を許さないほどの、能力・実力を発揮できる……唯一の。


Condorcet : 多数決のパラドックス
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Pareto/Condorcet.html

2016年12月19日月曜日

つまり富の再分配は パレート原理に背く

 アマルティア・センは、こう書いている。

パレート最適性の概念は、まさしく分配に関する価値判断の必要をとり除くために生誕したものにほかならない。経済状態のある変化が誰かをよりよい状況におき、かつ他の誰をもより悪い状況におかないならば、その変化はパレートの意味における改善を意味している。ある経済状態において、他のいかなる実現可能な状態への変化を考えても、その変化がパレートの意味における改善となり得ないとき、当初の経済状態はパレート最適である。したがって、パレート最適性は、他の誰 1 人の状態も悪化させずに、誰かの状態を改善する変化を見つける余地がないことを保証しているに過ぎない。富者と貧者の経済状態にどんなに隔たりがあっても、富者の豊穣を切り詰めずに貧者の分け前を高めることができなければ、その状態はパレート最適なのである。
 われわれがケーキを分配する状況を考えてみよう。どの人間にとってもケーキは多ければ多いほど望ましいことを仮定すれば、すべての分配方法はパレート最適であることになる。ある人をより満足させるようにケーキの分配方法を変えれば、他の誰かの満足を必ず減じてしまうからである。この問題における唯一の主要なイッシューはケーキの分配方法なのだから、パレート最適性はこの論脈では完全に無力であることになる。ひたすらパレート最適性のみに関心を集中してきた結果として、せっかく魅力的な研究領域である現代厚生経済学が、不平等の問題の研究にはあまり関連性をもたないものとなり果てているのである。
〔アマルティア・セン/著『不平等の経済学』鈴村興太郎・須賀晃一/訳 (p.10)

 パレート原理は、全員一致の選好が社会的判断にそのまま反映されるべきことを求めるところから、「全員一致のルール」 (unanimity rule) のことだと解されがちである。ただし、いま問題にしている全員一致は選好全体についてのものではなく、一つのペアだけに関する一致であるから、この解釈は誤解を招きやすい。そこでそのルールの要求事項を次のように弱めたものを、「全員一致のルール」と呼ぶことにしたい――〔あらゆる選好についてではなく〕社会状態の集合全体に関して全員が同一の選好を示すならば、社会的判断はこの選好をそのままの形で反映すべきである、と。
〔A.セン/著『合理的な愚か者』大庭健・川本隆史/訳 (pp.43-44)


 そういうわけで、パレート原理とは、簡単には次のような概念によって、示すことが可能となる。

※ その社会ないし集団の誰も現状から悪くならない前提で、少なくとも 1 人が良くなる。

 これは、パレート改善の内容に一致する。
 これに対して、弱く解釈したパレート原理とは、いわゆる全員一致の原理ともされるようだ。

※ 構成員全体の総意を、その社会ないし集団が選択する。

 ここのところに、問題が潜むわけだ。
 富の再分配は、少しの利得さえ渡したくない勝者からも、奪い、敗者に分け与える。
 これは、単純に、パレート最適な状態からの、変更であり、パレート改善ではない。
 したがって、パレート原理から離れない限りは、勝者による寄付のみが、富の分配を可能にする、と思われる。としか、どうにも思いつけない。
 そのように、いまのところ、理解できたという次第……。


Sen : リベラル・パラドックス
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Pareto/Sen.html

2016年12月17日土曜日

グーグルブックス の奇妙な検索結果

 前回、ケネス・アローの 『社会的選択と個人的評価』 の初版においての、〝パレート原理〟という語の記述の有無について調べていて、妙なことに遭遇したので、今回、その詳しい経緯を記すことにする。

 実は最後になってから、PDF ファイルを Google 検索 した。
 検索の、キーワードは、次の通り。

Social Choice and Individual Values pdf

 この検索結果の上位 2 件が、次の通りであった。


[PDF] Social Choice and Individual Values - Cowles Foundation for ...
cowles.yale.edu/sites/default/files/files/pub/mon/m12-2-all.pdf
▼このページを訳す
COWLES FOUNDATION for Research in Economics at Yale University. SECOND EDITION. Social Choice and. Individual Values. Kenneth J. Arrow. John Wiley & Sons, Inc., New York • London • Sydney ...

[PDF] Social Choice and Individual Values - Cowles Foundation for ...
cowles.yale.edu/sites/default/files/files/pub/mon/m12-all.pdf
▼このページを訳す
into the hands of a single individual or a small group alone deemed qualified. The classification of methods of social choice given here corresponds to Professor. Enight's distinction among custom, authority, and consensus, except that I have.


 リンクをクリックすると、2 件目が、初版のファイルであることがわかる。
 そうしてその 96 ページは、“REFERENCES” の最終ページであることが、確認できる。

 一方、その前に、Google ブックス で、次の検索結果を得ていた。
 その結果の記載をよく見れば、最後のほうに「版 2 」とあるので、2 版の内容が表示されているものと、思われる。
 けれども、その他の情報はほぼ、初版の内容に即したものとなっているようだ。
 Google ブックス における事情がよくわからないので、一応、その 96 ページの表示内容をテキスト化して、参照としておいたが、これは、2 版の 96 ページの記述内容に相当する。
 2 版は 1963 年の刊行で、PDF ファイルでは 124 ページまである。
 混乱させられる検索結果だったため、その表示内容を、以下に記録しておきたい。
 1 行目の記述が、検索条件である。


Arrow "Pareto principle" 期間指定: 1951-1951 年

Social Choice and Individual Values
Kenneth Joseph Arrow
Wiley, 1951 - 99 ページ

この書籍の 5 ページで Arrow "Pareto principle" が見つかりました
96 ページ
97 ページ
98 ページ
検索結果1-3 / 5

書誌情報
書籍名 Social Choice and Individual Values
Cowles commission for research in economics: Monograph 第 第 12 号 巻
Monograph / Cowles Foundation for Research in Economics at Yale University / Cowles Foundation for Research in Economics: Monograph 第 第 12 巻 巻
Monographs of the Cowles Commission for Research in Economics 第 第 12 号 巻
著者 Kenneth Joseph Arrow
版 2
出版社 Wiley, 1951
書籍の提供元 ミシガン大学
デジタル化された日 2010年1月13日
ISBN 0300013639, 9780300013634
ページ数 99 ページ

2016年12月15日木曜日

公正な社会は関係ない 厚生経済学至上主義

 2800 年前のことだとも、風の噂に聞き及ぶ。
 ふたりのあいだのケーキ分割問題にはすでに解答が出ていたようです。
 比較的公平な方が分け、比較的貪欲な方が選ぶ、というものです。

これを、間違えて、いもうとにケーキを切らせ、おねえちゃんに選ばせると、
「おねえちゃん、ずるい。そっちは、あたしの!」などと、クレームが起きかねません。

そういう公正の理念は、さておき、各種文献を読んでおりますと、
〈パレート原理〉に反しないための厚生主義というのがあるようで、
各個人の取り分(分け前)を現状より下げないように気をつけつつ、
組織ないし社会全体の分配可能量を上げていくとするなら、
どうしても、不公平さには目をつぶらなければならないようです。

 そもそもに、その パレート原理 の正体ですが。
 ようやく見つけた、パレート原理 のわかりやすい説明 としては、
社会の構成員全員が一致してある社会状態を選好するならば、社会全体にとってもその状態を選択するのが望ましいと判断されなければならない
という、長沼健一郎氏によるものがあります。
〔「〈書評〉 政策評価とパレート原理」『日本福祉大学経済論集』第 24 号 (p.200) 脚注〕

 この説明だけを読むなら、特段の問題も感じられませんけれども、これをつきつめていくと、あたかも社会厚生の政策が困難窮まる様相となり果てていくがごとしなのです。
 そこで、パレート原理を優先 させようとする政策を、厚生経済学至上主義 ともいうようです。
 脚注を引用させていただいた上記〈書評〉には、199 ~ 201 ページで次のように語られています。

 本論文は「いかなる非・厚生主義の方法による政策評価も、パレート原理に違背する」と題され、論文の趣旨・結論を端的にあらわしたタイトルとなっている。すなわち何らかの政策を評価する際には、厚生主義 (welfarism) ――その政策が個人の「厚生」 (welfare/well-being) に及ぼす影響如何――“のみ”により評価を行うべきであり、「公正」 (fairness) の観念をはじめとする別個の要素を独立して勘案すべきではない(排除すべきである)。そうしないとパレート原理に抵触し、個人の厚生を損ねる (worse off) 結果となってしまう、というものである。

 経済学者の中にも、厚生主義とは別の要素を政策評価の手法に組み入れる論者がいる。たとえばマスグレーブは社会的厚生の指標として水平的公平を取り入れ、またA・センは個人の効用よりは「潜在能力 (capabilities) 」に着目すべきだとしている。実際多くの論者は、公正や正義など、個人の効用以外の独立した要素を社会厚生関数に勘案することを認めている。
 しかしながら、このような非・厚生主義 (non-welfarist) による政策評価(いいかえれば、非・個人主義的な社会的厚生関数)においては、パレート原理に違背する事態が生じる。すなわち個々人の効用以外の要素を勘案すると、その社会の構成員の効用を悪化させる事態につながるのである。このような、個人の厚生と、(それとは離れた)社会的厚生 (social welfare) というコンセプトとの緊張関係は、意外に深刻である。社会的厚生を追求することが、その社会の構成員“全員”の効用を低下させてしまうこともあるからである。

 これらの諸問題は、〈アローのパラドックス〉ともいわれる〈一般可能性定理〉に端を発するようですが、それは民主主義がもしかすると〝夢想〟なのではないかとも疑われかねないパラドックス――〈投票の逆理〉が根本のテーマとなっているようです。
 アロー (Kenneth Joseph Arrow) は、〈不可能性定理〉とも称されるそれの証明を行なったのですが、最初の証明は〈一般可能性定理〉の成立が一般的な状況では不可能であることがじきに証明されてしまいました。
 その次第がごっちゃになって、「一般不可能性定理」と、つい間違って覚えてしまいました。
 その後、1963 年にアローは著書の第二版で〈一般可能性定理〉の証明に修正を施していますが、その修正証明には、日本の村上泰亮(むらかみ やすすけ)などの論文が援用されています。


Arrow : 一般不可能性定理
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Pareto/Arrow.html

2016年12月12日月曜日

イソップ物語 パレート最適なキツネの活躍

 前回、「ケーキ分割問題」を持ち出して、実はうっかりというか〝イソップ物語〟までも思い起こしてしまったのです。あの有名な〝パレート最適なキツネ〟の物語です。
 同等のお話が〝ハンガリー民話〟としてもあるようですが、ここに、猫が脇を固めるイソップ版をもとに脚色してみましょう。さてさて……

 二匹の猫が、けんかをしています。
 いつもは仲良しなのに、見つけたごちそうの、取り合いを始めたのでした。
 けんか、といっても、くちげんかなので、流血騒ぎにはなりません。
 そこへ、通りすがりの、パレート最適なキツネが横車を思いつき、公平に分けてやろうと、口車。
 天秤のはかりを、もってくるようにいいつけて、自分でごちそうを二つに分けました
 そうして天秤のお皿の左右に乗せると、きっちりと、その重さを比べてみま
「あれあれ、右のほうが、重いぞ」ぱくり、右から少し減らします。
「今度は、左のほうが、重くなっちまった」ぱくり、左からちょっと減らします。
 ぱくり、ぱくり。というのは、公平なキツネが、どんどんごちそうを減らしていく擬音です。
 猫たちは、勝手にごちそうを食べていくキツネをあっけにとられて見ているばかり。
「あれれ。こんなに、小さくなってしまっちゃ、もう上手に、はかれやしない」
 ごちそうはもう豆つぶほどの、大きさです。キツネは、猫たちをかわるがわるに見つめます。
「しかたがないから、おじさんが、すっかり片づけてあげよう」ぱくり。
 はい。ごちそうさん。
 パレート最適なキツネに、ほんとは公平さなど、なかったのです。
 どんな理不尽でも、全部なくなれば、〈パレート最適〉なのですから。

 ↓ 〝ハンガリー民話〟版の内容も、こちらに引用させていただきましたので。

イソップ物語:パレート最適なキツネの話
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Pareto/Aesop.html

2016年12月10日土曜日

パレート原理からの「ケーキ分割問題」

 どうも〝パレート原理〟というのが、よくわからなかったので、調べてみた。
 それ以前に「パレートの法則」というものを「二八そばの法則」と覚えていた。
 二割が八割を牛耳るという内容だったかと、記憶する。そばはこのさい関係ない。

 そういう権威の名を冠する、経済の〝原理〟であるが、こちらは後世に成立したもののようだ。
 イタリア人パレート (Vilfredo Federico Damaso Pareto) は、つまり〝パレート原理〟を死ぬまで知らなかったと思われる。
 無論、死後にも、死んでいるので知りようもない。

 しかしながら、その〝原理〟は「厚生経済学」の基本定理にかかわるものらしい。
 そのあたりを研究したアマルティア・セン (Amartya Kumar Sen) は、ノーベル経済学賞を受賞した。
 センが証明したのは 『岩波 哲学・思想事典』 (p.1292) を参照すれば次の如くだ。

パレート原理と最小限の自由(誰もが個人的なことについては自己決定することができるということ)の保証とを同時に満足するような社会的決定は不可能だということである。

 ちなみに、どれほど不公平な結末でも、
〝ケーキが全部食べつくされた状態を「パレート最適」というらしい が……。
 なんだか途方もない「ケーキ分割問題」がこの奥にあるみたいな気がする。


パレート原理
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Pareto/index.html

2016年12月7日水曜日

1949年 教皇による『創世記』と〈進化論〉の研究の奨励

1633 年、有名な裁判でガリレオは有罪とされた。
1665 年、ロンドン王立協会を拠点としたオルデンバーグによる科学雑誌、
『フィロソフィカル・トランザクションズ』 “Philosophical Transactions” が刊行された。
これは新大陸アメリカをも含めた、郵便による科学文献のネットワーク化であった。

 約百年を経て、アメリカ合衆国が「独立宣言」をしたのは 1776 7 4 日だ。
 新たな百年を経て、「南北戦争」が戦われたのが、1861~1865 年の間のことになる。
 ちなみに、ペリーによる日本のいわゆる「開国」は 1854 年のことだ。
 明治維新は 1868 年である。日本はこれを「文明開化」といった。
 そうして〝電信〟が、大陸から日本にもつながった。
 ようするに「文明開化」というのは世界がネットワーク化していく過程の出来事だ。
――その情勢のただなか。

 1859 年、ダーウィンが 『種の起原』 を発表した。
 その後アメリカで〝聖書の無謬性〟を主張するキリスト教「原理主義」の運動が激しいものになったのは、〈進化論〉と対峙するためであったとしてもさして不思議はなかろう。
 1910~1915 年に出版された “The Fundamentals” というパンフレットが、「原理主義」という名称の由来とされる。
〔参考:越後屋朗「アメリカの原理主義における聖書理解」『ユダヤ教・キリスト教・イスラームは共存できるか』所収
 その教義は、科学的に実証できない〈進化論〉を『聖書』の教えに反するとして、学校教育からの追放を主張すると聞くが、カトリック教会の総本山であるバチカンでは、少し事情が異なるようだ。
『新カトリック大事典』 第 3 巻 (p.378) 「進化論」の項には、北原隆氏により、
 1949 年、教皇ピウス 12 世が回勅『フマニ・ゲネリス』において、公に進化と神学の関係の研究を奨励することになる。と記述されている。

 1969 年――それはさておき、米国国防総省によるインターネットの起源は、その年とされている。

2016年12月5日月曜日

さすれば 人生すべて塞翁が馬

 日本のことわざにも「吉凶は糾 (あざな) える縄の如し」とあります。

 これは 『広辞苑』 第六版 に「あざなう」の項で、載っています。
 表題にある塞翁 (さいおう)」「辺境の砦に住む翁。北の翁。」との説明につづいて、

塞翁が馬
淮南子 人間訓 塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻って来た。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、ために戦士とならず命長らえたという故事。人生は吉凶・禍福が予測できないことのたとえ。塞翁失馬。「人間万事塞翁が馬」

と解説されています。
 以前から、このたとえ話を、「いちいち一喜一憂するは愚かなことだ」と、解釈していたのですが、このほどどうやら、「いちいち一喜一憂するのが人間だ」と、思うようになった……のは如何かと。
 それがどうした、といわれたらそれまでですが。

さうすれば新しい〝入口〟だけ作り、「淮南子 (えなんじ) 人間訓」の一部を引用しておきませう。

Principles II :(原理のページ 第二期)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/index.html

2016年12月3日土曜日

問題解決の方策 補足及び修正

 かつて、こう書きました。…今回はその補足と修正です。

1923年 ド・ブロイ 「物質波」 (2016年10月3日月曜日)

 絶対矛盾の自己同一として、………… 神がおのが像に似せて人間を作つたとも云はれる所以である。我々の身体といふものも、既に表現作用的として、超越的なるものによつて媒介せられたものであるが、作られて作るものの極限に於て、我々は絶対に超越的なるものに面すると云ふことができる。そこに我々の自覚があり、自由がある。我々は歴史的因果から脱却し得たかの如く考へるのである。
新版『西田幾多郎全集』第八巻「人間的存在」 (pp.290-291)

 ここで、「神がおのが像に似せて人間を作つたとも云はれる所以である」の「所以(ゆえん)」というのは、「理由・わけ」なので、「その前に提示した理由から、このようにいわれるのはもっともだ」という文脈とあいなります。
 で、その理由というのが、「人間は所謂創造物の頂点である」という一句と解釈されます。
 その一句にある「所謂(いわゆる)」というのは「世間で言われている」という意味なので、まとめますと「人間は世間でいわれているように創造物の頂点なので、神に似せて作られたといわれるのも、もっともな話である」という、意味内容となります。
 どうやら、モンテーニュ式の「人間が神を自分に似せて作った」という〈哲学的〉解釈は、世間の流行からは出なかったもようです。そしてモンテーニュはどうだか知らぬが、自分の意見は〈世俗的〉な多数意見から見てもそうであると、そういうことになりましょうか?
 このあたりが、少々乱暴な理論展開であるように、思われるのです。――自戒を含めて。

 ひとまずは、これにて。

 ……と、そう締めくくりましたが、西田幾多郎はその後、最後の完成論文で、

宗教と云へば、非科学的、非論理的と考へられる、少くもそれは神秘的直観と考へられる。神が自己に似せて人間を作つたのでなく、人間が自己に似せて神を作つたとも云ふ。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「場所的論理と宗教的世界観」 (p.295)

と、記述していますので、今回、そのことを補足させていただきましょう。
 そうして実はもうひとつ、ずっと気がかりなことがあったのですが、ちかごろ、ようよう解決の方策が見えてきました。
 それは〈時間の矢〉についての疑問です。
 便利な解釈が、ただのツジツマ合わせにならぬように、気をつけたつもりではあります。

物質的世界に於ては、時は可逆的と考へられる。生命の世界に至つては、時は非可逆的である。生命は一度的である、死者は甦らない。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「場所的論理と宗教的世界観」 (p.298)

 この個所を最初に見て以来、前後の文脈も含めてこの文章の時は可逆的という記載に不自然さを感じていました。
 だから以前、後悔するのを覚悟で次のように書いたのです。

一即多(いっしょくた) (2016年8月26日金曜日)
 話は変わるが、アインシュタインが、1905 年の〝特殊相対性理論〟を発表した年に、別の論文で言及していることがある。
 〈ボルツマンの原理〉 という。ボルツマンの墓には、〈ボルツマンの方程式〉 が刻んである。
 熱力学の 〈エントロピー増大の法則〉 にかかわるものである。
 ちなみに、〈ボルツマンの方程式〉は、量子論の元祖でもあるプランクが、最初に作成している。
 この、〈エントロピー増大の法則〉は、熱力学の第二法則であり、宇宙はいずれ「熱死」する、という結論を導くものだ。
 だからそれは 〈涅槃原則〉 ともいわれる。
 ひらかなで「ねはんげんそく」、英語は “nirvana principle” である。
 すなわち――。
 時間が、一方通行なのは、「生命」の特権ではない。宇宙全体の〈原則〉なのである。
 ところが、この〈エントロピー増大の法則〉は、物理学を基盤とするはずの西田哲学には含まれないようだ。
 だから、〈時間の矢〉 により繰り返しがきかないのは、「生命」に限って語られることになる。
 西田幾多郎はまた、〝時空の相対性〟を「時間と空間はたがいに相対する」と解釈したりもする。
 西田哲学の基礎となる論理構成が正しいとする前提に立てば、理解が困難になるのは、もっともな話だと思われる。
 西田幾多郎が築いたものはすごいと思う。けれども人間なのだし、欠点もあるのだ。

 ……と、これまたそう決めつけたものの、西田幾多郎はそれ以前に「熱力学」を知っていたはずだし、真意はいずこにあるのだろうと、そのことについてもまた、ずっと不思議に思っていたものです。
 さすれば、こう読み解いてみましょう。
 この場合の「物質的世界」とは「幾何学的空間」のことであると。

然るに物理的世界と云ふのは、何処までも一の自己否定的多として空間的なるが故に、その自己自身を限定する形と云ふのは、数学的たらざるを得ない。物理現象的関係、力の関係は、何処までも数学的に把握せられねばならない。遂には非直観的と考へられるにも到るのである。併し物理学は何処までも幾何学となるのではない、力学は運動学でもない。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「物理の世界」 (p.32)

 空間とは如何なるものであるか。私が此処に問題とする空間とは幾何学的空間を意味するのではない、実在的空間をいふのである。空間といふのは、時と正反対に考へられるものである。空間に於ては物は同時存在的である。空間は物と物との可逆的関係である。物が同時存在的であり、物と物との関係が可逆的であるといふことは、時を否定することである。併し時を否定した実在的空間といふものがあるのではない、実在的空間は時間的なるものを包むものでなければならない。
新版『西田幾多郎全集』第七巻「行為的直観の立場」 (p.86)

 この「幾何学的空間」とは、ニュートンの運動方程式に基づいて計算できる「力学的作用」の考察可能な世界です。
 ここで西田幾多郎は、「実在的空間」=「物理的空間」は、そういうただの「幾何学的空間」ではないとしています。
 たとえば実際の宇宙というか世界で、〈生命〉の生滅するさまを見れば、そこでは時間が一方通行なのは当然となり、ひるがえって、〈物質〉の生滅もまた、非可逆的だと知られるのでした。
 実際〔彼の論文をよく読めば〕、西田幾多郎は熱力学の〈エントロピー〉について、最後の完成論文 (昭和二十年 (1945) 「場所的論理と宗教的世界観」) の直前に書かれた論文で、「非可逆的」世界の肯定として言及していたのです。

そこには、時は何処までも空間面的である。併しそれでも世界は作られたものから作るものへと、絶対意志的に非可逆的である。そこに世界は自己自身の実在性を有つのである(世界はエントロピー的である)。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「生命」 (p.258)

 ボルツマンという記述はそれ以前の昭和十三年 (1938) にあります。

(それでも物質的要素を無数と考へるならば、ボルツマンの如く自然の非可逆性といふことを考へ得るであらう)。
新版『西田幾多郎全集』第八巻「歴史的世界に於ての個物の立場」 (p.320)

 結局、幾何学的と考察される空間はニュートン力学的に可逆だが、物理的である空間はそうではなく時間的でもあるので、非可逆である。
 そこで西田哲学の「空間的時間・時間的空間」という概念が、この解決のバトンを渡します。
この解釈は如何かと。


抜き書きと まとめのページ:周縁ないしは境界なき超越
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2016年11月30日水曜日

弱いからこそ ひとは強くなれる

 まよいがなければ、きっとさとりもなく、闇がなければ光も輝けない。
 仏教の煩悩即菩提というのは、煩悩の自覚がそのまま救済への道標となることを、いう。
 なれば。まよいはさとりの一里塚あたりといったところか。

 道に迷わなければ、道を探す必要すら感じられないだろう。
 孤独すらも、他人にであわなければ、意識されない。
――光なくして闇もなく、正覚なくして迷妄なし、と標語のように妄語してみる、と。
 過去にも、次のタイトルで、このことはすでに言い及んでおりました。

 ジョン・ウェズリ 「悪魔なければ、神もなし」 (2016年2月3日水曜日)
ジョン・ウェズリ(一七〇三-九一年、オクスフォード大学教授、メソジスト派の祖)のことばを借りれば「悪魔なければ、神もなし」というわけであるが(16)
(16) Rudwin 1931 : 106. The Trial of Maist. Dowell (1599, p.8) の「悪魔なければ神もなし」という表現 ( K. Thomas 1978 : 559 で引用されている ) と比較せよ。
ニール・フォーサイス/著『古代悪魔学』序章「悪魔の物語」より
どうやら、1600 年頃にはすでに、そういうことが言われていたようです。
つまり、
――闇がなければ、光も認識できない、ということなのですね。

 ……と、そのときの文章は、そう締めくくっています。
 さて。いっぽうでパスカルは、自覚する人間の生命の尊厳を「考える葦」として語っていました。

 人間はひとくきの葦 (あし) にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
『世界の名著 24』パスカル「パンセ」 (p.204)

 そして……西田幾多郎の哲学においては、たとえば次の如くです。

何処までも否定即肯定、肯定即否定的に、即ち矛盾的自己同一的に、創造的なものがなければならない。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「場所的論理と宗教的世界観」 (p.329)

自己の自己矛盾的存在たることを自覚」〔同上 (p.313)
することが、生きていることの自覚であり、
上記の如き〈矛盾〉の自覚はそのまま〈迷い〉の自覚なのでしょう。

 ……そのような西田哲学というのは。
 西田幾多郎の説き明かす〈矛盾〉は彼自身の〈迷い〉の歴史を物語っているようです。
 発見しつつ、〈矛盾的自己同一〉だと、宣言していくのです。
 結局、何を言っているのかわからないというおおかたの評価でした。
 難解である――というのは、理解し難いことの、別表現でしょう。
 まともな試金石が与えられなかった悲しみがここにあるとは、戦前から指摘されていることでした。

 西田氏は、ただ自分の誠実というものだけに頼って自問自答せざるを得なかった。自問自答ばかりしている試実というものが、どの位惑わしに充ちたものかは、神様だけが知っている。この他人というものの抵抗を全く感じ得ない西田氏の孤独が、氏の奇怪なシステム、日本語では書かれて居らず、勿論外国語でも書かれてはいないという奇怪なシステムを創り上げて了った。氏に才能が欠けていた為でもなければ、創意が不足していた為でもない。
講談社文芸文庫『小林秀雄全文芸時評集 下』昭和十四年「学者と官僚」より

 生きていることの後ろめたさのようなものが、西田幾多郎の哲学の根源にあります。
 自己否定と。そしてそこから派生する使命感と。
 …………
 自己矛盾の自覚と、不安、戸惑いや恐れがひとを強くしました。
 遺伝子的には爬虫類が最大の〔生存〕能力を具えているようです。
 哺乳類としての、人類は、遺伝子から数々の生存能力を削ぎ落して、身軽になり、それらを道具というオプションとして、身に着ける能力を備えます。
 弱くなったからこそ、ひとはそれぞれの強さを求めることができたのです。
 生きていることの自覚と、弱さの自覚が、ひとの得た最大の能力かも知れません。

2016年11月28日月曜日

神の呼声に神を見ることの意味を考える

 もう何か月も前のことになりますが、
「哲学的自我と身体論としての境界線」(2016年7月29日金曜日)
というタイトルでブログに書いた、その最後の部分の問いが、どう説明できるのかを、以来ずっと知りたく思っておりました。
 該当個所をここに再度掲載しますと。

――〔再掲開始〕――

 一方、西田幾多郎は、「場所的論理と宗教的世界観」〔新版『西田幾多郎全集』第 10 巻〕で語る。
外に神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない。 (pp.323-324)
我々の自己の根源に、かゝる神の呼声があるのである。私は我々の自己の奥底に、何処までも自己を越えて、而も自己がそこからと考へられるものがあると云ふ所以である。 (p.334)

 ここで、疑問が生じる。
 西田幾多郎は「内即外」かつ「外即内」等と、「即」の大盤振る舞いを繰り返してきたはずだ。
 ここへきて、「外に神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない」というのであれば、
「内に神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない」とも同時にいえるはずではないのか?

――〔再掲終了〕――

 疑問の要点を、もう一度書いてみますと、次の 2 行になります。。
「外に神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない」と、主張するのであれば、
「内に神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない」とも、同時にいえるはずでしょう。

 そうすると、ただ、
「神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない」
という、表現でこと足りるのではないかと。
 すると、「我々の自己の根源」にある「神の呼声」など無意味にしか思われなくなって……。
 しかしながらよもや、西田幾多郎の最終完成論文が、そんなナンセンスとも思われず。
 全体として、このことに関しては、どう論述されているのか?
 それ以前に語られたことに、ヒントがあると推測して、溯って読んでみました。
 そうしてようやっと、一応の落としどころを、自分なりにみつけました。
 説明としての、そのまとまった文章は、やはり昭和 20 年 (1945) の当該の論文にありましたので、引用いたします。

仏教に於て観ずると云ふことは、対象的に外に仏を観ることではなくして、自己の根源を照すこと、省みることである。外に神を見ると云ふならば、それは魔法に過ぎない。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「場所的論理と宗教的世界観」 (pp. 323-324)

禅宗では、見性成仏と云ふが、かゝる語は誤解せられてはならない。見と云つても、外に対象的に何物かを見ると云ふのではない、又内に内省的に自己自身を見ると云ふのでもない。自己は自己自身を見ることはできない、眼は眼自身を見ることはできないと一般である。然らばと云つて超越的に仏を見ると云ふのではない。さう云ふものが見られるならば、それは妖怪であらう。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「場所的論理と宗教的世界観」 (p. 336)

 ここで西田幾多郎は、西洋的な〈神〉を語る際にも、仏教においての〈仏(ぶつ)〉を〈観ず〉がごとくに、観想しているようです。
 禅宗には「摩訶止観(まかしかん)」という用語がありまして、「摩訶」は「偉大な」とかいうような意味の〈マハー〉というサンスクリット語の音訳であります。
 一方「止観」は、『佛教語大辞典』の記述を要約しますれば、
「乱れぬ心で特定の対象に心を注ぐ」ことをいう「止」と、
「その止によって正しい智慧を起こして対象を観る」という「観」とから成り立ちます。
 天台宗の「止」は「定(じょう)」で「観」は「慧(え)」の意味とされているようです。
 さらに辞書を繙けば。
「定」は「禅定(ぜんじょう)」の「定」で、「瞑想」を意味を意味し、「三昧(さんまい)」ともいいます。
 そもそも「禅」も「禅定」も、同じ「瞑想」という意味であって、言葉が違ってもそれらは大きく区別されるほどの違いはなさそうです。「三昧」も「禅定」と同じ意味なので、ですから「禅三昧」と書けば、仏教的には「禅禅」ということを表現しているわけです。
 現代日本語的に翻訳してみますれば、「禅三昧」とは、
「瞑想また瞑想」の境地を指すこととなりましょう。

 話がそれたようで、実は、このあたりが核心と思われるのです。
 西田幾多郎の論を「止観」というキーワードをもとに再構成すると、
〝内にも外にも、神仏を自分以外の何物かとして対象的に見る、ということは迷いである〟
のであって、そうではなく、
〝対象として見るというのは、姿形(すがたかたち)を追い求めるのではなく、まさに〈観〉ずることなのである〟
ということと、なりましょうか。
 昭和 18 年 (1943) の論文に、
物来つて我を照らすと云ふ。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「知識の客観性について」 (p. 426)
とあります。
 対象としての「何物か」というのは、世界の根源にあって〈わたしを照らし出す〉超越的存在者をいうようです。
 そこには〈照らし出されたわたし〉が、在るのみです。

 それで、〝物として見るんじゃない、観じるんだ〟という、妙な表現に落ち着いてしまいました。
 ちなみに「内即外」と「外即内」という記述は西田幾多郎の論文に、それほど多くはなく、もう少し文字数の多い語法が多用されていることがことのついでに確認できた次第です。

2016年11月26日土曜日

ハイゼンベルクの選択と連合軍の大義

 ドイツ人ハイゼンベルクが亡命せず、母国にとどまったことは、連合国軍を震撼させた。
 彼らは、「ウラン核分裂」を人為的に操作することで原子爆弾の製造が可能になったとき、ハイゼンベルクに恐怖したかもしれない。暗殺の計画もあったといわれる。
 アメリカ合衆国で共同して原爆開発にたずさわった科学者たちはきっと、ハイゼンベルクを非難したい気分だったろう。なにしろ量子力学を最初に確立した天才なのだから。
 ハイゼンベルクさえ、彼の祖国ドイツを選ばなければ、それほどまで慌てずにすんだろう。

 ところが。ドイツよりも先に原子爆弾を完成させるという大義は、1945 年 5 月にはドイツの敗戦とともに失われ、代わって、そのドイツに侵攻・撃破した「ソ連の脅威」が、次なる大義となる。
 そうして、ドイツ敗戦から二ヵ月余、その年 7 月に〈量産型プルトニウム原爆〉の実験が成功した。
 8 月には、実戦で、原爆が二発続けざまに投下された。
 現実として、原子爆弾を戦争で使ったのは、大義ある連合国側なのだ。実際には――。

 ハイゼンベルクの著書には、彼が講演で、ユダヤ人アインシュタインの相対性理論を肯定的に語った記録がある。
 1934 年、すでにドイツはナチス政権下にあった。
 ハイゼンベルクは国内では、〝白いユダヤ人〟としてゲシュタポの尋問さえ受けている。

「精密自然科学の基礎の最近における諸変革」
 一九三四年九月一日ハンノーヴァーでのドイツ自然科学者および 医師協会の総会にあたり最初の一般会議において講演された。『自然科学』 (Naturwissenschaften) 一九三四年、四〇号においてはじめて印刷された。
「古典物理学のこうした基礎的前提は、それの当然の帰結が一九世紀自然科学の世界像だったのだが、アインシュタインの特殊相対性理論においてはじめて反駁を受けた。それの根本思想について、ここでは方法の上での立場を理解するのに必要な程度のことだけを示すにとどめておきたいと思う。」
W.ハイゼンベルク『自然科学的世界像』 第 2 版 田村松平訳
という個所など。

 またハイゼンベルクの回想録には、彼が祖国を選んだ理由のひとつに、
〝原子爆弾が完成するまでにドイツは負けているだろう〟と予想していた記述がある。

しかし移住しさえすれば、そうしたことからのがれられるでしょうか? 今のところ私はその開発は、たとえ政府がすべてに優先させて推進しようとしたとしても、時間を必要とするでしょうし、したがってそれが原子エネルギーの技術的な応用にまで達する以前に、戦争は終るだろうと、はっきり感じています。
W.ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳 (p.274)

 だからドイツに残れば、原爆の完成を見ることはないだろうし、
それが彼にとっては、プランクに提示された課題の、結論でもあった。
 ただ予想外だったのは、ドイツが負けても戦争がまだ終わっていなかったことだ。

人は破局の後に来る時代のことを考えなくてはならない、とプランクは言い、そのことは私にもよくわかった。それは破局の間を通して不変の島をきずき、若い人々を集め、そして彼らをできる限り生き生きと破局を切り抜けさせ、そして破局が終焉した後で、もう一度新しくやり直すのだ、と言うのがプランクによって述べられた課題であった。そのためにはおそらく妥協をし、後になってから当然のこととして罰せられるか――あるいは悪くすればもっとひどいことになること――も不可避的に付随してくるであろう。しかし、それは少なくとも明白に設定された課題であった。
『部分と全体』 (p.248)

 ハイゼンベルクの選択をどう理解、評価・判定するか。
 それぞれの解釈も、各々のひとに与えられた自由な選択のひとつに他ならないだろう。
 そして自由は立場によって異なる。


ハイゼンベルクの哲学と認識論:哲学と原子物理学の課題
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2016年11月24日木曜日

1938年 オットー・ハーン「ウラン核分裂の発見」

一九三三年ナチス政権が確立するや、一夜にして英語が研究所での主要外国語になった。
〔西尾成子『現代物理学の父 ニールス・ボーア』第五章 (p.161)

 デンマークのコペンハーゲンにあるボーア研究所では、それまで、
原子物理学の分野ではドイツ語が国際語であったといいます。

 1932 年 12 月、アインシュタインはドイツを出国して、そのままアメリカに亡命しました。
 その後ナチス政権下でドイツがヨーロッパを席巻していくなか、ドイツ人オットー・ハーンは 1938 年、共同研究者である、リーゼ・マイトナーを亡命させた後に、シュトラスマンと二人で、ウラン原子が核分裂したことをつきとめ、さらにその年内には、マイトナーに研究の結果を知らせています。
 1939 年に、核分裂の最初の検証実験を行なったのは、マイトナーだったということです。
――資料から、引用しますと。

 マイトナーの亡命後は、助手のシュトラスマンと研究を続け、マイトナーがドイツを去った年の暮れに、中性子が衝突したウラニウムからバリウムが生成されることを明らかにした。これは核分裂の発見であり、核兵器の開発につながるものであった。ハーンはこの技術をナチスに応用させまいと努力したと言われている。1944 年、ノーベル化学賞がハーンに贈られることが決定したが、皮肉にもハーンは戦犯の嫌疑をかけられ、連合軍の手でイギリスに監禁されていた。ハーンが実際にノーベル賞を授与されたのは、46 年のことである。
〔東京書籍編集部『ノーベル賞受賞者人物事典 物理学賞・化学賞』 (p.310)

 そういえば自分の科学的業績が、戦争に応用されることを想像して、「これで戦争はなくなるだろう」と楽観的だったのは、ダイナマイトを発明して莫大な財を成したノーベルのことであったと、風の噂に聞いたことがあります。
 が、伝記(ケンネ・ファント 『アルフレッド・ノーベル伝』 )を読めば、444 ページに、
この世の中には、悪用されないものは一つもない」という、考えを持っていたことが綴られています。
 年月を経て、科学者たちは「戦争に人道は考慮されない」ことを痛感します。
 戦争はなくなるどころか、ますます苛烈を極め、むごたらしさを増していくのでしたから。
 そして 1939 年 9 月、科学者の社会的責任 がみずからに問われる、第二次世界大戦がはじまったのです。

2016年11月22日火曜日

アインシュタインとガリレオ 無理解と偏見

 1935 年は、アインシュタインたちのいわゆる EPR 論文、
物理的実在の量子力学的記述は完全だと考えることができるか?
A. Einstein, B. Podolsky and N. Rosen,
“Can quantum‐mechanical description of physical reality be considered complete?”,
Physical Review 47, 777-80 (1935).
という、決定的な量子力学への批判論文が発表された年でもあります。

 そこに至るまでのアインシュタインの、ボーア理論に対する論難・批判は、量子力学にとって最適な〈試金石〉でもありました。
 その前後のいきさつは、次の資料にも記されています。

 第五回ソルヴェイ会議では、会場の内外で、アインシュタインは次々と巧妙な思考実験を示して、ボーアの解釈の内部矛盾をあばくような鋭い批判をあびせたが、ボーアはそのつど答え、反論していった。二人の討論に終始立ち合った共通の親友エーレンフェストは、その模様を、ライデンのホウトスミット、ユーレンベック、G・H・ディーケに宛てた一一月三日付の手紙で次のように書いている。
「…………。アインシュタインとボーアの話し合いにずっと立ち合えて嬉しかった。まるでチェス・ゲームのようだった。アインシュタインは絶えず新しい例をもってきた。ある意味では、不確定性関係をうちやぶるための第二種永久機関のようなものだった。ボーアは哲学的なもやもやした煙の中から、それらを次から次へとたたきつぶす道具を探し出してきた。アインシュタインはびっくり箱のようで、毎朝新しいものがとび出した。それは非常に貴重なものだ。しかし私はほとんど文句なくボーアを支持し、アインシュタインに反対する。彼のボーアに対する態度は、彼に向かって絶対的同時性を擁護する人々がとった態度に酷似している。……」
 アインシュタインはさらに、一九三〇年第六回ソルヴェイ会議においても、新たな思考実験を用意してきた。…………。アインシュタインはボーアの議論が論理的に可能であることを認めた。しかし、「私の科学的直観にあまりにも反するがゆえに、私はさらに完全な概念を探し求めることをやめるわけにはいかない」と書いた。ボーアはこの行きづまりを非常に悲しんだという。
西尾成子/著『現代物理学の父 ニールス・ボーア』中公新書 (pp.154-156)

 アインシュタインのこの最終的(?)な態度は、彼の〝哲学〟の枠組みを示しているでしょう。
 いかなる天才といえど、当面の立脚点なしでは、立っていることすらもできません。
 立花隆氏は、それを「図式」という言葉を用いて、
図式(シェーマ)は脳のソフトに埋めこまれた最も大事な認識装置といっていいんです
と語り、アインシュタインの例を挙げて、シェーマが固定化する弊害を説きます。
――若かりしアインシュタインは、マッハの無理解を残念に思っていたのです。

 ここでアインシュタインが述べている、どのようにすぐれた人でも、その人の持つ哲学的偏見によって正しい事実の解釈が妨げられてしまうということは、実によくあることなんです。
 …………
 人間の脳は基本的にある事実(感覚所与)を解釈しようとするとき、それを何らかのシェーマに従って解釈しようとするものです。……
 ……。柔軟性の最大の敵は偏見(先入見)です。なかでも哲学的偏見というやつは一番のやっかいもので、頭の中身を硬直化させる最大の元凶になります。
 そのような偏見は年齢とともに、どんな人の頭の中にもオリのようにたまっていきます。そのようなものがあまりないのが若者の有利なところで、どのような知の世界でも、その世界全体が閉塞状況に陥ったときに、そこにブレークスルーを切り開いていくのは、若者の柔軟な頭です。
 一九〇五年に特殊相対性理論をはじめとする三大論文を書いていたとき、アインシュタインはわずか二六歳、マッハは六七歳でした。マッハは相対性理論の基本アイデアを作った人だというのに、終生相対性理論が理解できませんでした。
 しかし、そのアインシュタインも、自分が年をとったとき、神がサイコロをもてあそぶとは信じられないといって、量子力学の不確定性を最期まで認めようとしなかったことはよく知られている通りです。
立花隆/著『脳を鍛える』第十回 (pp.293-295)

 ひとつの直観・理解が先入見となる、その他の関連する文献を参照しますと。

一六一八年に天に三つの彗星が観測されたとき、ガリレイには、それを自分では「眺める」ことをしない十分な理由があった。すなわち、それらの彗星に認めなければならないであろう軌道は、彼がそもそも天体を天体として承認したとすれば、あらゆる天体が描く軌道は円形だという、彼が頑強に堅持する教義に矛盾したからである。ガリレイの光学も彼自身の教義学に屈服したのであり、彼は、自分にとって不都合な現象を錯視として説明することによって、敵対者たちが木星の月に使ったのと同じ言い逃れを用いて切り抜けたのである。
ハンス・ブルーメンベルク/著『コペルニクス的宇宙の生成 Ⅲ』第六部「第三章」 (p.186)

 でもって、このふたりの天才の対比のほか、これ以上の語句は不要かと。

2016年11月21日月曜日

1935年 湯川秀樹 「中間子理論」

 戦前の日本の物理学界が必ずしも世界に遅れを取っていたわけではなかった。
 ただ、帝国大学といえども予算が不足していた事実は否めないようだ。
 第二次世界大戦直前に、湯川秀樹が海外からの招待に応じて洋行しようとした際のことだ。
 京都大学には、その旅費が捻出できなかった。それで東京の理研が旅費を出した。
 その経緯を、湯川秀樹本人が、著書で語っている。

 ノーベル賞関連の資料によると、湯川秀樹の「中間子の予言」に関する英語論文は、科学誌 『ネイチャー』 から、掲載を拒否されたという。次の文中では有力な学術雑誌とあるのが、それであろう。

 あくる昭和十年(一九三五年)の二月に、予定どおり論文が掲載された。この時には、まだ中間子の存在を直接証明する事実は何ひとつ知られていなかったのであるが、私は不思議と強い自信をもっていた。そこで私は、ヨーロッパのある国の有力な学術雑誌のひとつに、中間子論の要点だけ書いて送った。すると間もなく原稿は送り返されてきた。私の考えを支持する実験的証拠がないから、雑誌に掲載できないという返事が、それに添えられていた。遠いアジアの一国の無名の研究者の妄想と片づけられたわけである。もっともなことである。
『湯川秀樹著作集 7 』「遍歴」 (p.58)

 つまり当時の枠組みの中では、現実的ではなく、また実験も困難であったから、もっともなのだ。
 しかし日本人の発想力は、大正時代の最後の日に、世界に先駆けて〝ブラウン管に文字を映し出した〟ことでも立証済みなうえに、湯川論文に対する国内の評価は好意的であった。
 湯川秀樹本人は、楽観的だったという。
(〔高柳健次郎/著『テレビ事始』 (p.77) 〕を参照のこと)

 敗戦後の昭和 22 (1947) に、湯川秀樹が予言した「中間子」は、イギリス人パウエルにより発見された。
 そういえば、アインシュタインの「一般相対性理論に基づく重力による空間の歪みの予測値」を非常な困難の末に観測、肯定的な結果を発表したのも、イギリスだった。
 湯川秀樹は 1949 年にノーベル賞を受賞した。


極微の世界:リアルな時間
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2016年11月19日土曜日

物理学的認識におけるバーチャルとリアルの顚倒

 いわゆる「胡蝶の夢」(『荘子』斉物論)から得た題材ではあるようで、そうでない。
 アインシュタインの〈特殊相対性理論〉の何が画期的なのか、という話なのです。
 絶対静止系(絶対基準系)という「実在?」の根本設定を放棄したのは、アインシュタインだったのだ、という物語なのです。
 どういうことか、説明しますと。
 それまでのローレンツ変換式の〈理論〉では、「実際の」長さが変換されて、「見かけの」長さが観測される結果となるのでした。
 ところが、アインシュタインの新しい〈理論〉は、それと同等の式を提出する結果となるけれど、根本の基準とされる「実際の」長さや時間などは設定されず、どれもが「見かけの」ままに、現実だと、するのです。

すると。「見せかけの」現実が、そのまま「リアルな」現実だとすれば、
〝日常経験的に「実際の」現実だと感じられていた森羅万象から客観性が奪われる〟事態となり、
「真に客観的な」事実などは、そもそも「バーチャルな」想定であり、だたの妄想・夢想だった、
ということにも、あいなってしまうのでした。

 つまり物理的に相対的に存在する「感覚器官」あるいは「観測装置の主観的測定」が、それぞれの現実の「客観性」を保証する、だけなのです。
 このことについての先人の文献にある語り口を、参照してみましょう。

ローレンツの場合には絶対的静止系からの観測値が「実際の」長さだとされ、運動系内部での測定は(物差ごと収縮するため「収縮」という事実に気付かないのだとみなされて)格が低い。これに対して、アインシュタインの場合には、絶対的な基準系が存在せず、両観測系は同格なのであるから、〝実際の in reality 〟〝客観的な〟長さということを古典的な発想で云々することはもはや無意味になっている筈である。
『相対性理論の哲学』廣松渉「第一章 相対性理論の哲学的次元」 (pp.78-79)

決定的な一歩をふみだしたのは、アインシュタインの一九〇五年の論文であった。この論文で、ローレンツ変換の「見掛けの」時間を「現実」時間として確立し、ローレンツが現実の時間と名づけたものを放棄した。このことは物理学の基礎そのものの変更であった。これは予期されなかった極めて徹底的な変更で、若い革命的な天才の非常な勇気を要するものであった。この一歩をふみだすには、自然の数学的表現において、ローレンツ変換を首尾一貫して適用しさえすればそれでよい。しかし、その新しい解釈によって、空間と時間の構造は変わったし、物理学の多くの問題は新たな光をあびることになった。
〔W.ハイゼンベルク『現代物理学の思想』「第七章 相対性理論」 (p.106)

 観測された事象をそのまま「客観」と認識してよいなら、問題はないでしょう。しかしそれが、観測した〝時空〟によって異なるものであれば……。
 それまでの〝物理的リアル〟が大きく揺らぐのです。

――そうして。客観的な時間や客観的な大きさというものは、仮想実在であった、
という次第となれば……つまり、絶対時間・絶対空間も、想像の産物だとみなされて、
それでも、ひとは、客観的な世界にあるだろう客観的な意見というものを、期待し続けてやみません。

 ほんのいままで〝揺るぎない現実〟であったものが、架空の――いわゆる、〝仮想現実〟でしかなかったという衝撃は、受け入れるに、忍びないリアルさがあるのです。

2016年11月17日木曜日

一つの立場に拘泥しないという、一つの立場がある

 常識的立場は、新しい時代を予期しない。
 いつだって、常識は、過去のドグマと化していくのだろう。

 新しいひとは常識に囚われない自由な視点を、教条(モットー)とすべき。
 であれば、それはすでに、教条主義と、揶揄されよう。

――だから特定の立場を教義としない、捉われぬ立場を主張しよう。
 それもまた、そういう一つの特定の立場とは、いえないか。
 固定された観念は、おいてけぼりを、まぬがれない。

 時代の、完全なる思想は、変化し得ないが故に、進化もしない。
 忘れ去られた宗教のように。
 きっと多くはあっという間に、古びるのだ。

2016年11月15日火曜日

数学的真理と デカルトの《神》の確実性と

 その鎧(アーマー)は、すべての攻撃を撥ね返そうとするだろう。
 しかしそれは、ある意味で、時代に対する自殺行為でもあろうか――?

 つまりここでの完全勝利を目指せばもしかすると次の時代には生き残れない。
 西田幾多郎の論文にデカルト哲学の一部が要約紹介されていた。

デカルトは「第五省察」に於て再び神の存在問題に触れて居る。そこでは認識論的である。明晰にして判明なるものが真である。神の存在と云ふことは、少くとも数学的真理が確実であると同じ程度に於て自分に確実である。然るに三角形の三つの角の和が二直角であると云ふことが、三角形の本質から離すことができない如くに、神の存在と云ふことは、神の本質から離すことはできぬ。存在と云ふことの欠けた最高完全者と云ふものを考へることは、谷のない山を考へる如く自己撞着である。故に神は存在する。
新版『西田幾多郎全集』第十巻「デカルト哲学について」 (pp.126-127)

 その該当箇所を、『デカルト著作集』 の邦訳で参照する。

そしてそれらが私をして、神を私が識らないとしたならば、容易に意見を転向させることとなり、かくして、いかなる事物 (もの) についても私は、けっして真にして確実な知識をもたず、移ろいやすく変わりやすい意見をのみもつこととなる、ということもありうるからである。このようにして、三角形の本性を私が考察するという場合を例にとるに、なるほどいとも明証的に私に、その私には幾何学の原理が染みこんでいるゆえ、その三つの角の和は二直角に等しいということが明らさまとなるし、その論証に私が注意しているかぎりは、このことは真であると私は信じないではいられないのであるが、精神の眼をその論証から私が背向けた途端、私がいとも明晰にそれを洞察したことを今なおどれほど想起しようとも、しかし [それでも] 、神を私が識らないともしもするならば、そのことが真であるかどうかを私は疑う、という事態が容易に起こりうるのである。
『増補版 デカルト著作集 2』省察「第五省察」所雄章/訳 (pp.90-91)

 あらゆる試金石をものともしない理論は、数は少なくともあるだろうか。
 そして、それぞれの、常識的立場がある。――それが、いわゆる〝いうまでもない〟ところの、前提だったとしても。
 けれど想定外にも、ユークリッド幾何学の常識は、非ユークリッド幾何学では必ずしも通用しない。
 デカルトの時代と異なりいまや、三角形の内角の和は、二直角とは限らなくなったのだ。
 ひとの曇った目には《神》の目も曇ろう。
 さらにくりかえすべきか。

 あまりに頑固というか頑健・強固な鎧は、新しい時代に対しては、自殺行為かも知れない。
――それでもその時代の数学的真理程度には、《神》の存在は確実なのだろう。


多様性の世界:多様なるべき世界
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2016年11月13日日曜日

装甲という拘束具 理論武装という枠組み

自分で新しくなったと思っているほどには、ひとはリニューアルできない――。

 なぜか切り落とすための枠組み、というものが、無意識に働くようなのです。
 衝撃的な新着の概念を受け入れようとして、それを取り込む際に、現在の〔古い〕枠組みからはみ出た部分は、容赦なく、無意識のうちに、伐り落とされ、自分でそのことに気づかないほどなのです。
 だから結果として、都合のいいだけの衝撃しか、手元には残りません。
 理論武装する、といいます。理論の装甲が強固であればあるほどに、それは同時にみずからの自由を奪う拘束具として、自身を縛ってしまいかねません。
 装甲が実は同時に拘束具としても機能していた、というのは、アニメ 『新世紀エヴァンゲリオン』 の設定にもありましたが、同様な設定は、ずっと以前からの記憶にもありまして――。
 原資料で確認してみると、ちょっと違う感じではありましたが。

 永井豪 『バイオレンスジャック』KCコミックス版では第二巻の 190 ページ目から、それは語られています。
キングは 鎧をきなければ 生きていられない からだだ
スラムキングの筋肉は強すぎるのさ だから! つねに その力を外にむかって発揮していないと…
やつの筋肉は 自分自身の 骨や内臓を しめつけてしまう!

 いにしえより、武者の肉体を保護する、鎧(よろい)・兜(かぶと)は、同時に勇者の力を奪い消耗させ、自由な動作を制限する働きを兼ね備えていました。
 同様にして理論は、その理論の枠組みに、自動的に拘束されるものだということが理解されようかと思われ、しかしながら。
 鋼鉄(はがね)の理論はさぞや窮屈なのではと、あんじられても、やはり戦闘には不可欠で……。

2016年11月11日金曜日

予測された結果を追いかけるだけでは新しい発見はできない

自然は人間より古く、人間は自然科学より古い(1) (C・F・フォン・ワイツェッカー)。
(1) この標語の出所とフォン・ワイツェッカー自身の使い方については、Zum Weltbild der Physik (Stuttgart, 1958) S. 369. Die Einheit der Natur (München, 1971) S. 13‑14.
藤田晋吾『意味と実在』「付論 論理学復興をこえて」 (p.211)

 この標語の意味は、『意味と実在』 第三章において、次のように説明されています。
 (前後の文脈は原文で確認してみてください)

「客観的認識の主観的条件と主観を対象世界のなかに組み入れること」が、ともに必要となる。言うまでもなく、これが「自然は人間より古く、人間は自然科学より古い」という標語の本来の意味である。
藤田晋吾『意味と実在』第三章「観測と実在 2 観測と意識」 (pp.180-181)

 ちなみに、ヴァイツゼッカーは 『岩波 哲学・思想事典』 に複数の項目があります。
 こちらのヴァイツゼッカーは、物理学者・哲学者のヴァイツゼッカーのようです。
 かつて、ハイゼンベルク も著書 『現代物理学の思想』 で、このヴァイツゼッカーの言葉の意味を説明して次のように語っています。

もし我々が現在の我々とちがった人間であったとすれば、どんなことができるかということを論じたところで何の役にもたたない。この点について、ヴァイツゼッカーがいったように「自然は人間より前からあるし、人間は自然科学より前から存在していた」ということをはっきりと認めなければならない。この言葉の最初の部分は完全な客観性の理想として古典物理学を正当化している。第二の部分は、量子論のパラドクス、すなわち古典的概念の使用の必然性から逃れることができないのは、なぜであるかを教えている。
…………
我々が観測するものは自然それ自身でなくて、我々の質問の仕方にさらされている自然だということを、考えておかなければならない。
河野伊三郎・富山小太郎 訳『現代物理学の思想』第三章「量子論のコペンハーゲン派の解釈」 (p.35, pp.36-37)

 同書でこのことに関連して、くりかえし語られます。

前に指摘しておいたように、量子論のコペンハーゲン派の解釈においては、なるほど、我々自身を個体としての取り扱いをせずに進んで行くことができるが、しかし我々は自然科学が人によって作られたものだという事実を、無視することはできない。自然科学は単に自然を記述し説明するものではない。それは自然と我々との間の相互作用からできるものである。それは、我々の問いの方法にさらされたものとしての、自然を記述する
〔河野伊三郎・富山小太郎 訳『現代物理学の思想』第五章「哲学的観念の発展と量子論」 (p.65) 〕

 物理学だけでなく、科学の実験の結果は、使用された観測装置の種類と精度に限定される し、実験の内容はその理論によるわけなのです。
 仮説に基づいた結果のみを期待する場合には、ひとがつくった理論の限定から逃れることはできない、のですね。
 だから「予測された結果を追いかけるだけでは新しい発見はできない」と表題しましたが。
 もうちょっと正確に書くとするなら。

 予測された結果を追いかけるだけの実験では何も新しい発見はできないのは当然だ
とでも。

2016年11月9日水曜日

飛ぶ矢は飛ばないにしても移動する

 飛ぶ矢の瞬間を切り取って、止まっているという。
 それは、瞬間を時間ゼロで規定している。
 同様な別の瞬間を切り取ってみても、その矢は止まっているという。
 だが、それが飛んでいる最中の矢の切り取られた瞬間である限り、当然のように別の瞬間には同じ場所に矢はない。
 矢の位置は変わっている。矢の位置は移動しているのである。
 そのように、矢が移動している前提で、矢が移動していないとは、いえまい。
 論理的には、矢が別の瞬間には移動している前提で、移動していないという主張は、主張自体に矛盾がある。
 時間幅をゼロにしてみると止まっているように見えるかも知れないが、その矢には一定の力が働いているので、移動するのである。
 そもそも――にして。時間幅がゼロの瞬間は、この世には、存在できないだろうし、少なくとも見ることはできない。
 そういえば。空中を直線的にあるいは放物線を描いて移動することを「飛ぶ」という。
 だからなのか。的にあたった矢は、飛ばない。
 あの世の矢も、飛ばないかも知れない。

2016年11月7日月曜日

ヘラクレイトス 「万物は流転す」


時空の変化の相を時間というのならば、
紛れもなくそれは、雪のように、
記憶の一片(ひとひら)として降り積もっていく。

映像を逆再生するように
時間を巻き戻すというのは
実は空間を巻き戻しているのだ。


 さて前回は、フッサールが、いきなりどこぞへ吹っ飛び去る有り様となりましたが、改めまして、時間の流れと重力作用の関係についてです。
 日本の古典、鴨長明 『方丈記』 からイメージされるのも当然にして低きへと去る、〝同じ水ではない流れ〟であります。

 ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖 (すみか) と、またかくのごとし。

  流れゆく河のながれは、絶えることはなくて、しかも、もとの水では決してない。河のよどみに浮かぶ水の泡 (あわ) は、片方で消えたかと思うと、片方で生まれ、永くとどまるということはない。世の中にある人間も住まいも、またこれと同じようなものだ。
ちくま学芸文庫『方丈記』浅見和彦訳 (p.39)

 川の水が流れるように時も流れるので、そのまま当然のごとく時の流れにも重力の作用が考えられる、というような、無造作なことではないのでしょうが、それにしても、なぜ、フッサールでは 「過去が沈む」 のか?
 古きギリシャの川の流れとして、ヘラクレイトスの有名な「万物流転 (パンタ・レイ) 」 は、後世に創作されたキャッチ・フレーズのごときらしいのですが、プラトンもそれをヘラクレイトスに代表される言葉として言及しています。

「クラテュロス」 402 A
 ソクラテス たしかヘラクレイトスは「すべては去りつつあり、何ものも止 (とど) まらない」と言っているね。そして有るものを川の流れにたとえて「汝は同じ川に二度と足を踏み入れることはできないであろう」とも言っているようだ。
「テアイテトス」 160 D
 ソクラテス してみると、君が「知識はすなわち感覚にほかならず」と言ったのは、なかなかもって見事なわけだったのだ。つまり、ホメロス、ヘラクレイトスなどの、ああした一族のものが全体となって唱えている「あたかも流れるもののごとく万物は動いているのだ」というのも、…………
『プラトン全集 2』「クラテュロス」 (pp.61-62) 「テアイテトス」 (p.235)

 よく読めば、「流転(るてん)」するのは「万物(ばんぶつ)」で、〝時の流れ〟ではなさげなのですが……。
 それを称して、〝時の流れ〟と普通にいうのでしょう。そして、水の流れと同様に、高きから低きへと。
 だからしてフッサールの語法なども、ただの、文学的な表現であって、他意はないのか。
 だからといって果たして観念的かつ文学的な哲学の論拠は曖昧なままでよかろうかと?
 西田幾多郎の〝縦と横〟は、よもやこのことに影響されているのであろうかと疑われます。

縦に一度的なるものが、何処までも絶対的一者の自己限定として、永遠の今に於て、横の一線となることが働くと云ふことである。絶対否定を媒介として、縦に一度的なるものと、横に永遠なるものとが一となること、多と一との矛盾的自己同一として結合することが、絶対的一者の自己限定として形作ることである。かかる絶対矛盾的自己同一的世界に於て、縦に直線的に消え行くことが働くと云ふことである。而してそれはすぐ横に直線的に、永遠に保たれることである。力とは、かかる世界に於ての世界線である。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「自覚について」 (p.482)

 それにしても、不思議な話だ、と。縦と横の区別は重力以外の何を基準として構築されているのか。
 すると突如として、困ったことには。無重力状態では如何なことになろうやと案じられ。
 おそらくは、縦即横、横即縦で、縦も横も矛盾的自己同一的世界の自己表現であってみれば。
 特別な解決の方法はどうもみつからないわけで。


相補性と自然哲学
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/Bohr.html

2016年11月5日土曜日

1905年 フッサール 「沈下する過去」

 フッサールの現象学によれば、過去は連続体の中を〝沈下〟するものらしい。
 ――おそらく意識の〝流れ〟にも重力概念が不可欠だからだ。

 そう書いて始まった下記( ↓ 最下行)リンクページのフッサールに関する資料を少しばかり語ろうとしたのですが、そのあとの引用文に、前回の仏教の話からつながる西田幾多郎の文章があります。
 タイミング的には、いま一度そのあたりに触れておきたいものなのです。
 岩波文庫 『自覚について』 西田幾多郎哲学論集Ⅲ の 199 ページにある一節ですが、新版『全集』から、以下に引きます。

故に創造的世界は一面に絶対否定の世界、生滅の世界でなければならない。仏教は此の否定面のみ着目して、それが逆に即創造的世界でなければならないことを考へなかつた。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「自覚について」 (p.481)

 やんぬるかな。つまり、哲学者西田幾多郎は仏教の 否定面のみ着目して、それが逆に即創造的世界でなければならないこと を考えなかった、ということでありましょうや。
 せっかくに、この場で仏教の教えの真髄は 「〔無限の〕可能性の世界」 を説くものであると吹聴しはじめても、西田幾多郎のように高名でかつ何年も参禅した経歴の持ち主が、学び理解した仏教がその 否定面のみ着目 したものなのであってみれば、仏教の教えが実は 即創造的世界 なのだという御託(ごたく)なぞ、風前の灯火(ともしび)なのであります。

――きっと、どこぞ、どこに誤解が紛れているのでしょうやらこそ。

物理的立脚点:物理学的視点
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/viewpoint.html

2016年11月3日木曜日

1905年 「イー・イコール・エムシースクエア」

 1666 年は科学史上では、ニュートン奇跡の年といわれるようです。そして――。
 1905 年もまた、アインシュタインの五つの論文が発表された、奇跡の年なのです。
 そのなかにある、「光量子」に関する論文が、その後「物質波」につながります。
 その間、イギリスのエディントンらによって行われた 1919 年の日食観測の結果を受けて、アインシュタインの名は一躍有名になったのですが、それは 1915 年から発表された「一般相対性理論」による予測を肯定するものなのでした。
 それでも、ノーベル賞の栄誉が「相対性理論」に与えられることはありませんでした。
 日食観測で確認されたのは〈重力理論〉で、〝光の進路が空間の歪みによって曲がる〟というものです。――それと同等かどうかは分りませんが、実話。
 ニュートンも〝物体の影響で光が曲がる〟ことを想定していました。

疑問 1
 物体はある距離をおいて光に作用し、その作用によって光の射線を曲げるのではないか。そしてこの作用は(他の事情が同じならば)最小の距離において最も強いのではないか。
Isaac Newton OPTICKS, 3rd ed. 1721 岩波文庫『光学』 (p.302)

 1905 年は、アインシュタインの「特殊相対性理論」が発表された年なわけですが、そこでは、光速の不変が前提とされます。
 その「光速 (c) 」を元に算出される「エネルギー量 (E) 」は、「光速の 2 乗」に「質量 (m) 」をかけたものです。
 この計算式は、1905 年の第四論文である 「物体の慣性は、その物体に含まれるエネルギーに依存するか」 という論文中の
物体の質量は、その物体に含まれるエネルギー量である。
〔ちくま学芸文庫『アインシュタイン論文選』青木薫訳 (p.301)
という一文に示唆されているものですが、完成形の方程式の記述はその論文にはありません。
 それをカタカナでかいたら、「イー・イコール・エム・シー・スクエア」となります。
 四角、正方形を表わす英語「スクエア」は「平方」の意味もあり、この場合には「 2 乗」となります。

 このエネルギー算出の方程式は、『般若心経』 で有名な仏教の「色即是空」とよく対比されます。
 そのこと自体は、誰でも思いつきそうな対比なのですが、かつて仏教を大学で専門的に学んだ過去を持つ身として、漢文の言葉の意味について、無理に現代的な日本語にしてみました。
「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」の部分です。
――聞いてください 『般若波羅蜜多心経』 可能性の世界。

色不異空
空不異色

色即是空
空即是色

 色々な形を表現しているものは、本来的には形をもたないものと、異なることはない。
 本来的に形をもたないものは、さまざまに形を表現しているものと、異なることはない。

 いろいろな形として現れているものは、実は本来的には定まった形をもたないのであって、
 本来的には定まった形をもたないからこそ、いろいろな形として現れることとなる。

2016年11月1日火曜日

時空の奥行き

 時間空間の奥行きというのは、たとえば、雷さまでも感じられる。
 それは、空間の奥行きが時間の奥行きとして、ぼくたちに示される。
 稲妻が遠ければ遠いほど、雷鳴が聞こえるまでの時間も遠くなる。

 その遠近感が衝撃的なのは〝衝撃波〟という現象の到達時間であろう。
 それは〝音の波〟よりも速い。つまり〈音〉よりも早くやってくる。だから前兆となる音は聞こえない。
 技術の進歩により〝衝撃波〟は、マッハで飛行する戦闘機などによって現象する。
 マッハというのは、科学者の名であり、そういえば、パスカルもそうなのだ。
 パスカルは、「考える葦」の哲学者として有名だが、その時代の哲学者は、同時に理系の科学者でもあった。――自然哲学という。
 パスカルの同時代の、「思う、故に、我あり」のデカルトは、「解析幾何学」の創始者とされる。「デカルト座標」という術語は、数学の辞典に項目がある。
 気圧を示す〈ヘクトパスカル〉の〝ヘクト〟は〝百〟という意味のギリシャ語で、〈百パスカル〉という単位は、そもそもパスカルが真空の実験に成功したところから、もたらされている。以前は、日本では〈ミリバール〉といった。
 マッハは、アインシュタインによる相対性理論の創出を導出したとされるが、彼もまたその時代の哲学者でもあった。
 そのマッハの名に由来する〈マッハ〉は音速を示す。毎秒 330 メートル以上が通常の値となる。
 〈マッハ 1 〉を超えて飛来した戦闘機の轟音は、だから飛び去って行く音しか聞こえないようにも感じられる。
 さらには、「遷音速」で、〝衝撃波〟というものまで、おまけについてくる。これは超音速の〝爆発波〟である。
 曖昧な感じでもって少し詳しく説明すると、〈音〉は、おもに空気の振動でありすなわち〝音波〟であるが、〝衝撃波〟は、
「超音速で伝達される大気などの強力な圧力変化」であって、イメージ的には、もっと不正確に言い換えるとすると、
「超音速で通過する空気玉」と……すなわち〝超音速空気玉〟とも、表現できようか。
 戦闘機の轟音はどのように耳に届くか。〝衝撃波〟はどのように到達するか。
――イメージのままに語れば。
 たとえば音速から加速する戦闘機の〝衝撃波〟は、現物の戦闘機よりも遅れてやってくるのだ。
 つまり、六百メートル先で発生した〝衝撃波〟は〈マッハ 1 〉超えの超音速でその場に届くが、その後真上三百メートルに飛来した戦闘機の〝衝撃波〟は、それよりも早くやってくるかも知れない。
 〈マッハ 1 〉の〝音〟が三百メートル進む間に、戦闘機は何倍かを進むのだから、そこから想像するしかないのだが。
――以上の考察の正誤と正確な計算は、専門家に問い合わせてみてください。
 ちなみに。映画『トップガン』で、管制塔の前をおそらく〈マッハ 1 〉超えで通過した、F14 トムキャットの〝爆音〟は、すべてが同時に管制塔を揺さぶる。
 おかげで、お約束として、管制官は二度もコーヒータイムをしくじらなければならない。

 遅れてやってくる、「打ち上げ花火の音」しかり。
 かくして〈音〉だけでも充分に、空間の奥行きは時間の奥行きでもあることが知られるのであった、と。

2016年10月30日日曜日

数値化された時が数直線上を動く

 もともと、というか常識的にというか、〝時〟が動くものであるのは、そもそも基準となった〝太陽〟が動くことで、〝時〟を定めたからだろう。
 つまりおそらくは原初、〝時〟というのは〝太陽〟の動きであり、それはもとより「動く」ものであった。
 けれども実際に動いているのは、〝太陽〟であって、それは、空間的な変化の相に相違ない。
 ちゃう。現在では、実際に動いているのは〝地球〟で、それは「自転」という回転なのだ。

 時を経て技術力により〝時〟は、文字盤上を無限回帰する時計の〝針〟の回転運動で定められるようになった。
 デジタル時計になって、原初に空間の変化の相であった〝時〟は、完全に数値化された。
 それでもあいかわらず、〝時〟は動き続ける。いまでは数字となって。
 そうやって、〝時〟はいつだって「動く」ものなのだと知られる。

 この、大前提は、本当なのだろうか?
――〈現在(いま)〉も同じように、仮想の数直線上を動き続けている。

2016年10月27日木曜日

1927年 ハイゼンベルク 「不確定性原理」

1900 年 量子論元年
1905 年 光量子仮説
1924 年 物質波
1925 年 行列力学(マトリックス力学)
1926 年 波動力学(波動方程式)
1927 年 不確定性原理

 量子論によれば、微視的世界では、〝光〟と同様に〝物質〟の観測結果は、〈粒子(つぶ)〉と〈波動(なみ)〉の両面から把捉する必要がでてくる。
 このことを、ボーアの〈相補性〉の概念というらしいが……。
 一般的には、ハイゼンベルクの「不確定性原理」もまた、〈相補性〉の概念の一翼を担う。
 てわけで、ここはまたも、ハイゼンベルクの著作から、引用させていただきまひょう。

たとえば、原子から出る輻射を扱うときにも「物質波」を使うと便利である。その振動数と強さとを使えば、輻射は原子内で振動する荷電分布についての情報を与えるし、その場合には波の像は粒子の像よりもずっと真相に近い。したがってボーアは両方の像の使用を支持し、互いに「相補的」であるといっている。二つの像はもちろん互いに相容れない、なぜかといえばあるものが同時に粒子(すなわち非常に小さい体積に閉じこめられた物体)であって、波動(すなわち広い空間内に拡がった場)であることはあり得ないが、しかしこの二つは相互に補足する。両方の像をあやつることにより、一方の像からもう一方の像へいき、またもどってくることにより、最後に、我々は原子的実験の背後にある奇妙なリアリティについての正しい印象を得ることができる。ボーアは量子論の解釈に当って数個所で「相補性」の概念を使用している。粒子の位置の知識と、速度または運動量の知識とは相互に補足する。もし我々が一方を高い精密度で知れば、他方を高い精密度で知ることはできない。しかも系の行動を決定するには両方とも知らなければならない。原子的事象の時間空間による記述はこれの決定論的な記述と相補的である。
W.ハイゼンベルク著/新装版『現代物理学の思想』河野伊三郎・富山小太郎訳 (pp.26-27)

物質波について、アインシュタイン関連の資料を追加しました。
(『アインシュタインここに生きる』を参照のこと)
  ↓
物理学の哲学
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/physics.html

2016年10月26日水曜日

1926年12月25日 昭和改元

『広辞苑』 第五版 によれば、かくの如し。

大正
 大正天皇在位期の年号。 (1912.7.30~1926.12.25)
昭和
 昭和天皇在位期の年号。 (1926.12.25~1989.1.7)
平成
 日本の現在の年号。 (1989.1.8~)

なぜか、大正と昭和は、1 日重なるのに、昭和と平成は日の重なりが生じていない。
これには戦前と戦後の意識の相違もあるだろう。

元号の過去 90 年を文章にしてみると。
 大正天皇の崩御の日、大正十五年 (1926) 十二月二十五日に、昭和と改元された。
 12 月を 25, 26, 27, 28, 29, 30, 31 日と、数えて昭和元年は、ちょうど 1 週間で終わる。
 1927 年 1 月 1 日は、昭和二年である。
 そうして、日本は昭和の新時代に突入する。
 昭和維新とも、流言した。そして――。
 昭和六十四年 (1989) 一月七日の昭和天皇の崩御に伴ない、その翌日をもって、平成と改元された。
 昭和六十四年も、これはあえて数えなくとも、ちょうど 1 週間だ。
 てことは昭和の時代は、62 年と 2 週間だったということがにわかにわかる。
 それから幾星霜を経て、今年は、平成二十八年。
 おそるべし。平成元年生まれが、あっという、まもなく三十路なのだ。

 豆知識として……。
昭和の最初の日というのは、日本で改良したテレビ受像用のブラウン管に、
「イ」の文字が映し出された日でもある。

2016年10月24日月曜日

1924年 ド・ブロイ 「物質波」の学位論文

 ちょうど 3 週間前の今月初頭(10月3日月曜日)に、似たような表題で書きました、が。
 その文中には、次のように記しました。

 ド・ブロイが「物質波」の構想を発表したのが、1923 年とされており、…………。

――と。
 今回は、それのフォロー及び訂正となります。というのは――。
 その後、量子力学の歴史を再度ひもといておりますと、ハイゼンベルク関連の書籍には、閲覧したもの(せいぜい二、三冊ですが)すべてに、ド・ブロイが「物質波」の論文を発表したのは、1924 年と、書かれているではありませんか。
 目を移せば、かの 『広辞苑』 第六版 (p.2466) には、次のようにありました。

ぶっしつは【物質波】
電子などの物質粒子が回折・干渉などの波動的性質を示すときの呼称。アインシュタインの光量子説を物質に適用し、一九二四年ド=ブロイが導入。プランクの定数を運動量で割ったものに等しい波長を持つとした。ド=ブロイ波。

 今月 3 日に参考にした資料は、1 年以上前に自分でまとめたメモ――箇条書き数行程度の年表――でしたので、その作成に際して参照した原資料らしきを再度手当たり次第に尋ね求めて、ようよう 『物理学辞典』 (培風館、2005 年)にその記述が発見できました。(参考資料・文献の記録は大切であると、つくづくに身に沁みました。)
 結果、自作年表の該当箇所は〝1924年〟に本日訂正して、おりまして。
 〝構想を発表したのが、1923 年とされて〟いるというのは、不適切であろうというわけなのです。
 〝構想を誰かに伝えた〟というあたりの表現が無難であろうかと……。
 原資料の内容を引用させていただきます。

 ド・ブロイ波
 物質波ともいい、1923 年に、L. de Broglie によって、「物体の運動に付随した仮想的な波」として導入された。粒子の運動量の大きさを p とすると、その波長 λ は、ド・ブロイの関係式 λh / p で与えられる( ℎ はプランク定数)。この波長 λ はド・ブロイ波長とよばれ、古典論の適用限界を示すのによく使われる。…………。
 de Broglie はさらに、…………、幾何光学と波動光学の関係が、古い力学と新しい力学の関係であることを予言した。それが 1926 年のシュレーディンガーの波動方程式の発見につながる。…………。de Broglie の研究は、1924 年の学位論文にまとめられている。
〔『物理学辞典』三訂版 (p.1616)

 この記述によると、すなわち、ド・ブロイが「物質波」の概念を導入したのが 1923 年で、それをまとめた論文は 1924 年に発表され、「それが 1926 年のシュレーディンガーの波動方程式の発見につながる」ことになった、という経緯になるようです。
 ちなみにその間の 1925 年には、マトリックス力学(行列力学)と呼ばれる、量子力学の基礎が完成しています。
 最後に、ハイゼンベルク自身のそのあたりに関する記述も、邦訳で、引用させていただきましょう。

一九二四年に、フランスのドゥ・ブローイは、波動の記述と粒子の記述との間の二重性を、物質の素粒子に、第一にまず電子にまで拡張しようとした。彼は、光波が運動する光量子に対応するのと同じように、ある物質波が運動する電子に「対応」させられることを示した。その時にはこの文章の中の「対応」という語が何を意味するかは明らかでなかった。しかしドゥ・ブローイは、ボーアの理論における量子条件が物質波に関して何を述べているものと解釈されるべきかという考えを出した。核のまわりにまわる波動は、幾何学的な論拠から定常波でなければならない。そうして軌道の周は波長の整数倍でなければならない。このようにしてドゥ・ブローイのアイデアは、電子の力学において常に異分子であった量子条件を、波と粒子との間の二重性と結びつけた。
…………
 量子論の明確な数式化は、ついに二つの相異なる発展から現われてきた。一方はボーアの対応の原理から出発した。…………。一九二五年の夏にマトリックス力学、あるいはもっと一般的に量子力学とよばれる数学的体系に到達した。
…………
シュレーディンガーは、ドゥ・ブローイの核のまわりの定常波に対して、波動方程式を設定することを試みた。一九二六年の初めに、水素原子の安定状態のエネルギーの値を彼の波動方程式の「固有値」として導き出すことに成功し、さらに与えられた一組の古典的な運動方程式をこれに対応する多次元空間の一つの波動方程式に変形する、もっと一般的な処方を与えることができた。もっと後になって、彼の波動力学の式は前にできた量子力学の式と数学的に等値であることを彼は証明することができた。
〔W.ハイゼンベルク著/新装版『現代物理学の思想』河野伊三郎・富山小太郎訳 (pp.12-13, p.14, p.15)

 おそまつさまでございましたがな。

2016年10月21日金曜日

西田哲学的〝時空統一体〟

 単純な見解として、
〝高さの欠落した空間〟は三次元空間として意味をなさない。それを一般に〝平面〟という。
 同様に、
〝時間の欠如した空間〟は四次元時空として意味をなさない。それは通常〝平面的〟に捉えられる。
 相対性理論も、
〝ミンコフスキーが取り入れたローレンツ変換により時空が統一された〟
時間と空間の相互補足性の理論として、哲学的に捉えられたかも知れない。
そこには、〝量子力学の相補性の概念〟も垣間見られる。

 殊にローレンツ Lorentz やミンコウスキー Minkowski などによつて唱へらるゝ物理学上の相対性原理に於てはこの傾向が益々徹底して時間と空間とさへも相対化せられるやうになつた。
新版『西田幾多郎全集』第十二巻「現代に於ける理想主義の哲学(第七講)」 (p.73)

上記引用文は、大正五年 (1916) の講演記録であるが、
次の著作は、昭和十五年 (1940) のものだ。

 物質的世界と云ふのも、右に云つた如く、既に空間時間の矛盾的自己同一の世界、多と一との矛盾的自己同一の世界でなければならない。時間空間の相互補足性と云ふのも、かゝる世界の矛盾的自己同一を意味するものであらう。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「日本文化の問題」 (p.16)

 このように語られる時間と空間の理論は、〝絶対現在〟と表現される〈永遠の今〉においてすべての時空が内包される。

 西田哲学の〝絶対時空〟は、〝時空連続体〟というより、
〈永遠の今〉の表現である〝時空統一体〟とでもいうべきであろうか。


イデア:時空統一体
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/unity.html

2016年10月19日水曜日

〝時を忘れる〟時の構図

 〝時を忘れる〟ひとときというのは、〝我を忘れる〟時間でもあろう。
 するとこの場合には〝時は我なり〟という構図が見えてくる。

 ひとは、そうやって自分の時間を生きているけれど。
――誰かと。
 〝同じ時間を生きた〟ことと、〝同じ時代を生きた〟ことには、空間的な違いが感じられる。
 〝同じ時間〟には、空間的に近接した「景色までも含めて共有する」印象がある。
 〝同じ時代〟で、共有されているのは、きっとどこまでも続く「同じ空」なのだ。
 「同じ空の下にぼくたちは生きてきた」という、空に媒介された距離感を含む風景がそこにある。

 ならば「時間を忘却した時代をぼくたちは生きてきた」というのはどうだろうか。
 それは〝時に追われて生きる時〟を意味するかも知れない。
 おそらくは「ぼくたちは自分の時間よりも時間そのものを大切にしている」。
 動く時計の針によって刻まれる時間をまるで先取りできるかのように。

 生きている自分を意識する時間の至福と不幸がある。

2016年10月17日月曜日

時が「動く」ための絶対基準

 それから現実の世界と云ふものはいつでも何か絶対の現在と云ふやうなものに接して居る。さう云ふ風に考へなければならないと思ふのですな。
新版『西田幾多郎全集』第十三巻「現実の世界の論理的構造(第五講)」 (p.233)

その無数の時をつゝむものが即ち永遠の今なのである。かゝる永遠の今のいづれの点に於ても時は消えて又新に生れる。かくて時は常に新しくどこからでも始まる。その無数の時が表から見られた時、それは一つの点に収まるとも考へられる。その一点がすべての運動をつゝむのである。その永遠の場所に於て種々なる時が可能になる。それ故に種々なる時は場所の意味を有ち、空間的な意味を有つ。
新版『西田幾多郎全集』第十三巻「生と実在と論理」 (p.124)

 すなわちここに、絶対基準が、必然である。
 永遠の場所である〈永遠の今〉において、すべての〈時〉が可能になる、らしい、のだ――。
 無条件に、その〝前提〟を〝根柢〟とする。

 ところで。もし、〈瞬間〉が一瞬前も消えてなくなっているというなら、
どのように〈無数の瞬間〉が同時存在し、
数直線状の〈時間〉を切断した切断面を〈空間〉という如き説明が可能であるか?

 そもそも、これでは直線を切った、一次元の切断面が、
零(ゼロ)次元とはならず、三次元であるというようなイメージを喚起させる
解釈ではあるが、その曖昧さはとりもなおさず基準座標としての、
〈絶対時間〉というような〝観念〟の導入を前提条件としたであろう。

 さらに〈瞬間〉が同時存在する必然として、因果律を楯に説明は可能だ。
 瞬時に消滅する〈時〉において、過去が現在にそして現在が未来にそれぞれ関係性をもって〝働きかける〟ためには、過去と現在、そして、現在と未来が、同時存在的でなければ働きかけることができないのは、存在しないものに〝働きかける〟ことができないことからも自明であろうとされる――。
 これは、プラトンの「パルメニデス」 156D~E あたりをヒントにしたものとみなされているようだ。
 西田幾多郎は論文で、プラトンによる〝イデアの影〟説を援用していう。

私が前論文において、世界が絶対矛盾的自己同一の影を映す所に、イデヤ的といった所以である。
岩波文庫『自覚について』西田幾多郎哲学論集Ⅲ「絶対矛盾的自己同一」 (p.77)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/sublation.html#idea
 ――リンク先は新版『全集』第八巻からの引用文――

 もし〈時〉が〈時〉に対して動くというなら、
対する〈時〉と、
それに対される〈時〉とは、
どう異なるか。異ならないのか。

2016年10月15日土曜日

右往左往する〈瞬間〉の持続と飛躍

 前回にも触れた、昭和七年 (1932) に行なわれた京都大学での講演記録の中に、つぎのようにあります。

時間は真に非連続である。しかもそれを結合するものが Sollen なのである。物理的時間ならぬ真の時間は瞬間から瞬間へ飛躍する。
 …………
我々はあらゆる瞬間に於て死して又生れるのである。そしてその時永遠の今に触れてゐるのである。しかしこゝに意味する瞬間は普通に云ふ瞬間ではない。それは幅のある鈍い瞬間ではなくして鋭いとがつた瞬間である。
新版『西田幾多郎全集』第十三巻「生と実在と論理」 (p.120, p.135)

 Sollen は、「当為」と注釈されています。『広辞苑』によれば「当為」とは、
〝人間の理想として「まさになすべきこと」「まさにあるべきこと」を意味する〟
と、あります。

 おそらくは、西田幾多郎のこの引用文中の〈瞬間〉は、〈ゼロ〉への〝極限〟としての意味をもつものでしょう。
  〈瞬間〉 = 〈ゼロ〉
ではなく、
  〈瞬間〉 → 〈ゼロ〉
と表現すべき、そういう〝極限値〟が前提された概念は、昭和十五年 (1940) の論文においても、新たに述べられています。

すべての絶望はかゝる責任の下に立つのである、而してその持続する各瞬間を通じて。
 絶望といふ不調和が生じたとしても、それがその自らなる結果として持続するのではない。それが持続するならば、それは自己自身に関係する関係から来るのである。即ち不調和が現れる毎に、又それが現存する各瞬間に、それは直接に右の関係から生ずるのである。病の持続は病人が一度自己に招き寄せた結果に過ぎない。各瞬間毎に招き寄せて居るとは云へない。併し絶望はさうでない。絶望の現実的な各瞬間が、その可能性に還元さるべきである。絶望者は彼の絶望して居る各瞬間に、絶望を自己に招き寄せて居るのである。そこにはいつも現在的な時がある。絶望の現実的な各瞬間に、絶望者は可能として予感する凡てのものを、現在的なものとして担つて居るのである。何となれば、絶望すると云ふことは精神の領域に於て起ることであり、人間の中の永遠なるものに関係するが故である。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「実践哲学序論」 (p.104)

 ここで繰り返される「絶望の現実的な各瞬間」とは、〈幅がゼロの時間〉ではなく、
〝微分された (極限まで細かく分けられた) 時間〟としての〈ゼロへ向かう極限としての擬似ゼロ〉とでもいうべき、位置づけにあるようです。
 なぜならば、完全な〈ゼロ〉の「持続」であればそれはやはり〈ゼロ〉にしかならないからです。
 一般的にはどのように考えようとも、〈ゼロ〉が持続する、ということは、ずっと〈ゼロ〉である、としか解釈できないと思われるのです。
 数学者は〈極限値としてのゼロ〉を〈ゼロ〉と同一視するようなのですが、西田幾多郎はどうやらそのふたつを区別しているのでしょうか?
 また「その持続する各瞬間」には「そこにはいつも現在的な時がある」ともされています。
そして、
「真の時間は瞬間から瞬間へ飛躍する」とは、
〈鋭い尖った瞬間〉から〈鋭い尖った瞬間〉への量子力学的な意味での遷移(せんい)をイメージしたものなのでしょうか?
 その曖昧な〈瞬間〉が飛躍する、その〝時ならぬ時〟が、やがては把握できない〈現在〉として語られるのです。
 もはや、飛躍する〈瞬間〉ではなく、暗躍する〈瞬間〉とでも呼べそうな事態ではあります。

無限の過去未来が現在に於てあると考へられると共に、現在は瞬間から瞬間へと動き、現在は把握することのできないものでなければならない。現在は何処にもないものでなければならない。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「実践哲学序論」 (p.118)

 かつて語られた

人間のみが瞬間を有つのである。……。永遠の今の自己限定として時が考へられるといふ立場から云へば、現在は無限大なる円の弧線的意義を有つたものでなければならない。かかる弧線の極限として瞬間といふものが考へられるのである。故に我々は現在は幅を有つと考へる。
新版『西田幾多郎全集』第六巻「現実の世界の論理的構造」 (p.182)

現在を瞬間的と考へるならば直線的な時の形が考へられるが、瞬間を有たない時の形も考へることができる。我々は通常経験的には現在が幅を有つと考へて居る、瞬間は達すべからざるものと考へて居る。
新版『西田幾多郎全集』第七巻「行為的直観の立場」 (p.84)

具体的現在といふのは、無数なる瞬間の同時存在と云ふことであり、多の一と云ふことでなければならない。
新版『西田幾多郎全集』第八巻「絶対矛盾的自己同一」 (pp.368-369)

というような「具体的現在」は、「把握することのできないもの」へと、すなわち移りゆく形而上的〈瞬間〉の飛躍の相へと昇華していくのでした。
 論文「行為的直観の立場」の上記引用文に続く一文ではこうもありました。
時の瞬間を極限点として考へるといふことは、要するに時を空間化することであると。

 すなわち、通常は数直線上の一点として認識される、ベルクソンが表現したところの〝数学的点〟としての〈瞬間〉から、その擬似的な〝極限〟としての〈瞬間〉が考察された際、それが〝時としての幅をもつ現在〟として考えられたにもかかわらず、今回「現在は瞬間から瞬間へと動き、現在は把握することのできないもの」と位置づけられるようになってしまったのです。
 昭和九年 (1934) の京都大学英文学会の講演では次のような表現もありました。

必ずしも瞬間的なものを考へなくとも、時間的なものは一般に生れては消えるのであります。その一々が独立の意味を有してゐる、それだけで生れてそれだけで死ぬ。単に縦の線に於てのみ現はれる一回的のものである。時間とはかかる独立なものが続いて行く事である。
新版『西田幾多郎全集』第十三巻「伝統主義に就て」 (p.250)

 少なくとも、〝一瞬にして消滅を繰り返す〟という、それぞれ独立した〈瞬間〉は〝持続〟するのか〝飛躍〟するのか、それとも両方なのか、曖昧でなく、かつ矛盾しない理解を得たいものです。
 現実としての〈この世の具体的な瞬間〉をどう理解するべきか、というシンプルな問いなのです。


〈時〉の科学 〈場〉の心理学
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2016年10月13日木曜日

球体で表現される〝時空連続体〟

歴史的空間は平面的ではなくして球面的でなければならない、時を内に消すものではなくして時を包むものでなければならない。
〔新版『西田幾多郎全集』第八巻「経験科学」 (p.463)

西田幾多郎のこの論文「経験科学」は昭和十四年 (1939) に書かれたものです。
 上記引用文中の、前半部分は、どうやらイメージできるのですが、後半の、
時を内に消すもの時を包むものとが、具体的にどう違うのかが、さっぱりわかりません。
 同じ「時を包む」表現として、昭和七年 (1932) に行なわれた京都大学での講演において、次の記録が残されています。

現在が現在を限定する時に、限定するものなくして現在が限定されるのである。無にして現在が限定されるのである。そこに無数の時が可能になる。その無数の時をつゝむものが即ち永遠の今なのである。
〔新版『西田幾多郎全集』第十三巻「生と実在と論理」 (p.124)

 また、ヒントになる(かも知れない)似たような発言として、大正八年 (1919) の大谷大学での講演記録がありました。

全体から見れば部分は有限なものであるが、その有限の中に無限が包まれて居ると云ふやうなことである。
〔新版『西田幾多郎全集』第十三巻「 Coincidentia oppositorum と愛」 (p.83)

 そもそもは前提として〈時間〉は〈無限〉なのであって、たとえ〈空間〉が有限であったとしても、この理由でそれは可能となることになります。
 ですがいずれにせよ、当時の西田幾多郎の歴史的空間が、(無限大の)球体を基本として描かれるものだということは、これまでの記述からも明確です。
 パスカルの〝無限の球体〟を参照した論文「永遠の今の自己限定」は昭和六年 (1931) に発表されていますが、昭和九年 (1934) の、京都大学英文学会の講演では次のような表現もあります。

即ち時間は普通には過去無限から未来無限にわたる直線と考へられ、空間はそれを横に切る横断面と考へられる。…………
空間は時間の横断面であるのですが、……。
〔新版『西田幾多郎全集』第十三巻「伝統主義に就て」 (p.250, p.251)

 これは〝時空の層〟が年代とともに〝地層のごとく〟積み重なっていくイメージでしょうか?
 このような〝時空連続体〟構想は、SFではお馴染み(おなじみ)な設定でもあって、いまどきでは珍しいものでもないでしょうが、〈時空〉という言葉が発明された、その当時(ちょうど 100 年前の 20 世紀初頭の昭和初期)であれば、常識の疑われるものであったかもしれません。
 実際、「相対性理論」は発想力の常識を疑われていたようですし、「量子力学」にいたっては研究している学者自身がいまだに自分の常識を疑ってかかっているふしがあります。つまり、
「宇宙のリアルな法則は人間にとって常識的ではないところがある」と。

 それで、四次元時空の連続体が、球体として、もし構想されるとしたなら、
――それぞれの刹那の四次元時空を球体の表面部分として前提した場合――
〝ビッグバン以来の空間の拡大がそのまま、球体の表面として積み重なっていって連続体となったのが、宇宙である〟
という理屈も可能でしょう。
 まるで「木の年輪」みたいな宇宙像ですが……。
 あるいは「宇宙大のタマネギ」とか。

 さて、前回のかけ算の逆、わり算のことを、追加で説明しておきましょう。
〈瞬間〉 × 〈無限大〉 = 〈現在〉
という、この両辺を〈無限大〉で割ると、次のようになります。

〈瞬間〉 = 〈現在〉 ÷ 〈無限大〉

 これは、
〈ゼロ〉 × 〈∞〉 = 〈不定な数〉
でしたので、

〈ゼロ〉 = 〈数値〉 ÷ 〈∞〉

という内容と、同じことになります。
 これらの数式に登場する記号としての〈ゼロ〉や〈∞〉は、数学的極限値としての記号であり、
――また〈∞〉は何らかの〝具体的数値〟でもありませんが――
それら数式の、計算結果の〝極限を示す〟〈値(あたい)〉としての、意味をもつものなのでした。

 それは、
〝〈ゼロ〉に収束する〟
〝〈無限大〉に発散する〟
という言葉で表現されるものです。

 極限値が〈 1 〉であれば、
〝〈 1 〉に収束する〟
となります。

〈ゼロ〉に収束する〟ということについて。
 数学的には、それは、たとえば何らかの数を無限大で割ると、実質ゼロになる、ということを意味していて、
「具体的数値としてはゼロ」
になる、ということであり、それが〝数学的リアル〟なのでした。
 つまり、物質(あるいは宇宙)を際限なく砕いていくと、何もなくなってこれはやはり〝すべては〈ゼロ〉になる〟ということです。
 何も、宇宙には塵すらも残らない、のです。それが〝数学的リアル〟です。

数学的リアル〟と〝この世のリアル〟の違いについて。
 また一方で、〝数学的リアル〟な三角形は、〝この世的リアル〟な宇宙には、いまのところどこにも存在しません。
 西田幾多郎も、それについて大正八年 (1919) の現龍谷大学での講演で、以下のように述べています。

数学者は円とは一つの中心点から等距離にある点の軌跡であるといふが、かゝる厳密なる円はどこにも存在してゐない。
〔新版『西田幾多郎全集』第十三巻「宗教の立場」 (p.89)

2016年10月10日月曜日

〈瞬間〉×〈無数〉=〈現在〉 という魔法

 昭和十四年 (1939) の論文「絶対矛盾的自己同一」で西田幾多郎は、次のように記述しています。

具体的現在といふのは、無数なる瞬間の同時存在と云ふことであり、多の一と云ふことでなければならない。
新版『西田幾多郎全集』第八巻「絶対矛盾的自己同一」 (pp.368-369)

 ここで表現されている無数というのは、文学的な用法としての〝有限だけれども数えきれないほどの数〟ではなく、はっきりと「無限大」を指し示しています。
 それはなぜなら、というと。
 以前から、西田幾多郎の「現在」は「幅を持つ」のであり、今回それと対比されている瞬間とは「幅がゼロの時間」を示していることは述べてきましたが、

〈ゼロ〉 × 〈有限な数〉 = 〈ゼロ〉

なので、もともと〈ゼロ〉の時間がなんらかの「幅を持つ」ためには、〈無限大〉を積算(かけ算)するしかないという、いかんともしがたい理由によります。
 そういうことで、上の引用文は数式的には次の内容をもつことになります。

〈瞬間 (ゼロ) 〉 × 〈無数 (無限大) 〉 = 〈 〔限定された〕 現在〉

さて。この方程式(計算式)は、はたして成立するのでしょうか?

 これまで、多くの先達の資料を参照してきましたが、いまのところ「西田哲学における時間の幅の意味」についてこのように論及したものは見受けられず、見当のつかない状況です。
 この際の「時間の幅」というのは「断絶した連続で成り立つ〈永遠の今〉としての自己限定された現在の幅」をいいます。
 以前(2016年10月1日土曜日)に「歴史的世界は最始から絶対矛盾的自己同一として自己自身を限定するのである。絶対の断絶の連続である、段階的である。」という西田幾多郎の記述から、
〝そうするとなると、〈非連続の連続〉 というのは、現代ふうに表現すれば、〈離散的な連続〉 ともいえましょうか。〟
と書きましたが、西田幾多郎昭和十三年 (1938) の論文「人間的存在」には、

時は断絶の連続と考へられる所以である。
新版『西田幾多郎全集』第八巻「人間的存在」 (p.275)

ともあって、「断絶した連続」は〈非連続の連続〉と同じ意味を含みます。
 すなわち〈永遠の今〉とは、「限定された現在」でありつつも、それが「段階的」に連続していく、いわば〝時空連続体〟的な様相の統合(とうごう)された綜合(そうごう)というような〝リアル〟がイメージされた、〈実体概念〉なのでしょうか?
 その〝リアル〟を構成するのが、擬似〝リアル〟であるところの、形而上的〝バーチャル〟な「瞬間」であるとされています。
 繰り返しますが、ここで「瞬間」というのは「幅がゼロの時間」であり、「無時間」を示します。
 そもそも、最初の引用文の直前の一文で西田幾多郎自身も、瞬間は時の外にあると、しています。
 これは、「瞬間」は現実的な時間で構成されているべき、「〝この世〟の外にある」と、解釈できます。
 そういう〝あの世〟的時間が〈無数〉に集まって〝この世〟の〈現在〉を構成しているという、そういうことなのでしょうか?
 少なくとも事実としては、西田哲学の〈無〉と〈無限〉がここに、同時存在的に語られています。
 さらには、実はこれまで「多の一」という表現は「多」を「有限な数」とみなしてきたのですが、ここで「多」に「無限な数」をも含めて適用する必要が出てきました。
 〈一(いち)〉と〈無限大(∞)〉を対比させるというのは、突然の新しい考え方のような気がします。

 ところで数学者の解説によると、〈無限大(∞)〉が演算に登場した時点で、それは通常の計算式ではなく、数列の計算が求められるのだと、そういうことらしいのですが、そこに記述される「=」は、「→」と同じで、「収束」もしくは「発散」する行き先(到達目標)を示すもののようです。それで、数学的には

〈ゼロ〉 × 〈∞〉 = 〈不定〉

となり、これは、一定の数値にはならないようです。
 高等数学では、〈limit〉 が用いられる世界で、「ロピタルの定理」という〝不定形の極限値を求める〟計算式の一角を占めているようです。

 この、〈ゼロ〉に〈無限大〉をかける方法というのは、また一方で、「時間」とよく対比される「空間」にも適用できるでしょう。
 この世の「空間」は〝三次元的に存在しない幅(大きさ)がゼロの点〟が「無数」に集まって構成されている、という解釈が、同じように可能となるということです。
 数学者は〔量子論的解釈とは関係なく〕、計算上はそれは可能である、とするようです。
 (つまり、素粒子は、際限なく、分割可能となります。)
 それは、「自然数全体の集合」は〈現実的無限〉という、観点から考えられているようです。
 しかしながら「自然数」は、はたして物理的な「現実」といえるのでしょうか。
 厳密にはおそらく、数学は〝リアル〟ではなく、〝リアルの近似値〟を数式で表現するものです。
 つまり形而上的〝バーチャル〟を〝リアル〟にフィードバックするための最強の道具である、ともいえます。
 また現在わかっているのは――、
量子力学は未だ発展途上にあり、最終結論などではない、ということです。


〈場所〉の論理から〈絶対矛盾的自己同一〉へ
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2016年10月8日土曜日

両立せぬ「真・偽」関係の論理学的〈矛盾概念〉

 つまり、論理上
一方が〈真〉であればもう一方は必ず〈偽〉であり、逆に一方が〈偽〉ならばもう一方は必ず〈真〉となる関係
を 〈矛盾関係〉 といい、そういう関係性のあいだに中間的なものの存在しない一対 [いっつい] 〈矛盾概念〉 という、らしいのです。

 それは、現実的に事実として〈矛盾〉しているという〝概念(がいねん)〟のことではなく、論理として、そこで対比されている両者の「論理的な帰結」が、ともに〈真〉となることはなく、さらには、ともに〈偽〉ともならない、排他的でかつ一種相互依存的な、そういう対立的な関係性のことなのだと、思われます。

 ところで普通 (かどうかは意見も異なりましょうが)、〈偽〉といえば 〈False〉 で、それはラテン語の「だます」を語源とするらしいのですが、パソコンのプログラムの世界では、一般的に〝 0 〟の意味を持ちます。
 もう片方の〈真〉は、〈True〉 でそれはコード的には〝 0 以外〟なので、二進法を身上とするパソコンとしては、〝 0 〟以外の数字を〝 1 〟しか持ち合わせてないゆえに、〈True〉 は〝 1 〟と解釈されても仕方のない状況となります。
 通常の初期値は〝 0 〟なので、〈False〉 からすべては始まる前提なのですね。
 この状況下で初期化すると、〝すべては 0 になる〟のです。

 いうなればそれらは「有る」と「無い」の表現でもあります。ここからも、〈真偽(しんぎ)〉は〈有無(うむ)〉の関係性ともいえましょうか。

 ここでにわかに西田哲学の話になるのですが、そういう〈有・無〉の対立が解消されて、すなわち止揚(しよう)していくための、便利な道具が、〈弁証法〉ということになります。
 また「世界は弁証法的でなければならない」というような表現がその過程でよく見受けられるのですが、世界がそのようであるのならば、たちどころにすべての論理的〈矛盾〉など、解決してしまいそうに思われるのに、どうやらそうなっていないのは、ここに至るまでの以上の解釈の過程に、エラーがあったのでしょう。
 それとも。〈弁証法〉で論理的な〈矛盾〉は解決されても、現実の問題は、〈弁証法〉とは関係なく別にあるものなのでしょうか?

2016年10月6日木曜日

捏造(ねつぞう)されかねない〈矛盾〉

 事実としての現実が 〈矛盾〉 するのは困難であるが、概念は容易に 〈矛盾〉 する
――という、現実がある。
 いまここに、〝文字〟という「記号」が何であるかを考えてみる。
 とりあえず、アルファベットの大文字を例にとって考えることにする。

 もし、〝文字〟が〝 A 〟であるならば、〝文字〟は〝 B 〟ではない。
 すなわち〝文字〟が〝 A 〟であると同時に〝 B 〟であることはできない。
 〝文字〟が〝 A 〟であると同時に〝 B 〟であるというのは、矛盾している。
 しかしながら実際には、現実として、〝 A 〟は〝文字〟であり、同時に〝 B 〟も〝文字〟である。

 おそらく。いまこの〝文字〟は、数学的には、未知数〝 x 〟であると、仮定されている。
 そこで、その〝文字〟を記号としての未知数〝 x 〟で表現する。

 未知数〝 x 〟が〝 A 〟であると同時に〝 B 〟であることはできない。
 しかしながら、実際には現実として、〝 A 〟は〝文字〟であり、同時に〝 B 〟も〝文字〟であった。
 ようするに、事実としては、未知数〝 x 〟は〝 A 〟であると同時に〝 B 〟でもあるので、したがって、現実に適用して考えるならば――。
 最初の記号としての、未知数〝 x 〟は〝文字〟ではなく、その〝(限定された)文字〟――〝その文字〟――と、するべきであったろう。

 〝その 〔ひとつの〕 文字〟が〝 A 〟であると同時に〝 B 〟であることはできない。
 しかしながら、〝 A 〟は〝文字〟であり、同時に〝 B 〟も〝文字〟である。
 この場合、未知数〝 x 〟は〝 A 〟であると同時に〝 B 〟ともなる。
 現実に、〝文字〟は〝 A 〟であると同時に〝 B 〟でもあり〝 C 〟などでもある。
 つまりは、未知数〝 x 〟の設定の曖昧さ に、問題の所在があったのであろう。
 〝文字〟なのか、その〝(限定された)文字〟すなわち〝その文字〟なのか。

 〝 A 〟は〝 A~Z 〟という集まりの要素ではあるが、全体ではない。
 また〝 A 〟がなければ〝 A~Z 〟という集まりは成立しない。
 現実には、このことに、矛盾している形跡はどこにも、一向に見受けられない。

 結局はただ、最初の設定で、厳密さを考慮するか、それとも考慮しないか、だけの話であったのか。
 曖昧な概念は、容易に〈矛盾〉と馴れ親しむのだろう。

 蛇足ではあろうが――ここで少し丁寧には――ありましょうが、以上の解釈及び説明と〝 A 〟がそのまま〝 B 〟である世界観とは異なる、ものです。