2015年9月29日火曜日

神という形而上学

 17世紀初頭というのは、徳川家康が江戸に幕府を置いたころのことになる。
 日本の「江戸時代」は、1603年から始まっている。
 その、2年後、西欧では 1605年に、ベーコン『学問の進歩(学問の発達)』を出版している。
 それは自然哲学を「自然学」と「形而上学」に分離しようとする最初の試みだったと、いえるかも知れない。彼は、想像力ではなく、実験による結果をもとに、「自然の解明」を行うべきであると、繰り返し主張した。

 ニュートン『自然哲学の数学的〔諸〕原理』(1687) を発表したのは、デカルト「幾何学」を附した『方法序説』(1637) 刊行の、ちょうど 50年後のことになる。

 ニュートン力学は、「重力」の説明以外には、神を必要としないものであった。――が、このように幾何学的(数学的)に美しい宇宙体系は、神の実在なしには考えられないといって、ニュートンとしては、確実に神が存在する証明になったと思ったのである、らしい。
 だが、後世、ラプラスにより、神が必要でなくなったのは、ニュートン力学のおかげです、と、彼(ラプラス)はいっているようである。

 このように錯綜する 17世紀の〔神の〕形而上学について、当事者たちはどのように考えていたのか、その文献を追っていて、ガリレオはさすがにそうそうは、書き残していないだろうと思っていたら、20世紀のローマ法王、ヨハネ・パウロ二世により引用されるような、文献を遺していたのである。
 とんでもないことには、それはもともと教会側の人物による言葉であったにもかかわらず、さも、ガリレオの創意であるかのように流布しかねない勢いが、その言葉にはある。

 無論、ヨハネ・パウロ二世は、正しく「バロニウス」による警句とされている、として、引用している

まったくもって、散惨、調べ倒してから、次のような便利なものがあることに、気づいたのであった。

ヨハネ・パウロ2世によるガリレオ・ガリレイの名誉を回復する講演の掲載資料。(国立国会図書館(National Diet Library))
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000006-I000126457-00

――

そういうわけで、思いもかけず「天〔へ〕の道程[みちのり]」。


自然学とメタ自然学 《 Physica et Metaphysica 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/nStage/metaphysica.html

天の行き方と天への行き方 《 How the Heavens Go 》
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/HowtheHeavensGo.html

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