2020年11月21日土曜日

古代中国の《三分損益法》と《ピタゴラス音律》


♪ どの音を使うかという、音の高さを決める規則を「音律」といいます。

♫ そして、それらの音を、高さの順に並べたものを「音階」といいます。


♩ それでもって ――《ドレミファソラシド》の1オクターブを、

「ハ長調」では「ハ」の音から始めるので「ハ長調」といって、

それは日本語では、カタカナで《ハニホヘトイロハ》の音階になり、

もともとそれは英語のアルファベットでは、 《 C D E F G A B C 》で表現される、

と ―― 記憶しております。


 音の高さは周波数という数で表現することができます。つまり「音律」は、その数値を算出する規則だといえます。


 中国の歴史書『漢書』の「律暦志」に、「音律」の数学的な設定基準が記載されていて、その方法は《三分損益法》と呼ばれています。

 中国の方法は、管楽器を使って、その長さを変えることで、基準とする音程〔つまり周波数〕を調整するのですけれど、いっぽう西欧では、弦の長さと音の高さの関係性を用います。ようするにヨーロッパでは、基準の弦との長さの比率によって、音律を計算しました。

 基準の弦の長さを 1 として、そこから弦の長さの比率を 3 分の 2 にしていく、西欧の《ピタゴラス音律》は、中国の《三分損益法》と同じ考え方になっています。


 ピタゴラスは伝説的な人物で、バビロニアにも旅をして学んだといわれています。

 バビロニアで発祥したという、日時計などの技術と数学が、ナイルのエジプトを経てギリシャに伝わったように、チグリス・ユーフラテス流域(メソポタミア文明)の文化がインド(インダス河流域の文明)を通って、さらに遠く中国の黄河流域の文明ともつながっていたという可能性はあるわけです。


 興味深いことには、新しい音律として、西暦 1600 年頃に《十二平均律》という方法が開発されるのですけれども、ヨーロッパと中国とで、その方法が最初に記録された時期が、あまり違わないということらしいのです。

 かなり文化的な交流があったのではないかと、推察されています。


 ここで日本史を見ますれば、鉄砲伝来は 1543 年で、それからほどなく 1549 年には、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが中国船に乗って日本にやってきます。

 また天正三年 (1575) の〈長篠合戦〉では、現在は疑問視されている伝説的な織田信長の「三段撃ち」が、実戦配備されたといいますが、ヨーロッパでも同じ時期に、マウリッツの〈背進(カウンター・マーチ)〉の訓練が開始されています。

 日本語で読めるカウンターマーチ戦法の内容を『戦争の世界史』という本から紹介しておきましょう。


『戦争の世界史』

ウィリアム・H・マクニール/著

高橋均/訳

2002 年 4 月5 日 刀水書房/発行

 (p.175)

最前列の兵が発射を終えると、全員が各自の後ろに続いている縦列と隣の縦列との間を後方へ走り抜け、最後尾について再装塡にとりかかる、その間に第二の横列の兵が自分の銃を発射する、というものであ


 ちなみに、『大日本史料』「第十二編之十五」(p.878) には、慶長十九年 (1614) の大坂の陣における「三段撃ち」の記録が記されています。


 さて 17 世紀になって、ヨハネス・ケプラーは、ティコ・ブラーエが天体を観測した詳細なデータを元にして、惑星の軌道が楕円であることを発見します。これがケプラーの第一法則です。第二法則も同時に発表されました。

 その数年後には「 2 惑星の公転周期の比は、正確に平均距離つまり軌道そのものの比の 2 分の 3 乗になる」という、ケプラーの第三法則が発表されます。

 そしてこれらのケプラーの発見に導かれて、アイザック・ニュートンは、万有引力を発見したといわれています。


 実際のところ、ケプラーは音楽で宇宙を語るピタゴラスの継承者であることを自認していて、その音律と音階の計算が、ケプラーの法則の発見につながったのです。

 それは世代を超えて、ニュートンが重力の法則を発見する契機となり、やがては、アインシュタインが予想した〈重力波〉も発表から 100 年後の 2016 年に発見されることになるわけです。

 天の科学は、音楽とともにあった、という歴史があるようです。


 実は今回調べていた、もともとのテーマは、古代の中国の時計と暦なのでした。

 で、〈暦(こよみ)〉は、天の運行を観測して作られるわけです。

 ヨーロッパで《十二平均律》を理論的に記録したマラン・メルセンヌは、デカルトとも交流があったフランスの哲学者にして音楽理論家で、数学や天文学などの各分野にも能力を発揮していました。

 そのメルセンヌは「振子の長さと振動数の関係」について、ガリレオ・ガリレイよりも先に気づいたと、書かれている本がありましたので、時計の話題に関連するその箇所を引用しておきましょう。


『近代科学の形成と音楽』

ピーター・ペジック/著

 竹田円/訳

2016 年 12 月 15 日 NTT出版/発行

 (pp.168-169)

 音楽の時間に関するこれらの問題は、メルセンヌの時計そのものの見直しや、時間をより正確に測る方法の見直しに関係している。これもまた「あらゆる種類の物体の運動」(振動する弦の問題もこれに頼っている)に関する著書[『宇宙の調和』]におさめられている。メルセンヌはここでガリレオから大きな影響を受けているが、彼の研究のほうがガリレオの先を行っている場合もある。一六三四年六月、メルセンヌは、振り子の振動数が、振り子の長さの平方根に反比例することに気づいた。ガリレオが気づいたのはそのまる一年後だ。メルセンヌは、この結果を記した表を『調和』に載せて、医者はこういった単純な振り子を使って、「患者の脈が異なる日や時間でどの程度速くなったり遅くなったりするか、怒りなどの強い感情がこれをどの程度速めたり遅くしたりするかをあきらかにできる」だろう、と言っている。また、このしくみを使えば、時計職人は、時計を狂いにくくすることができるだろうと言っている。振り子時計はその後重要な進歩を遂げ、航海やその他の厳格な用途に耐えられるほど正確になり、クリスティアーン・ホイヘンスが一六五六年にはじめて特許を獲得するが、メルセンヌの洞察は重要な一歩だった。


―― 各種資料を参照した詳しい内容のページを、以下のサイトで公開しています。


挈壺:『周礼』の漏刻(ろうこく)

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/hitsuge/kekko.html