2017年9月30日土曜日

〈ハンディキャップ原理〉と〈信号選択〉の理論

〈ハンディキャップ原理 (handicap principle) は、あたらしく、
〈信号選択 (signal selection) の概念をもたらした、という話。
 そこから、捕食者に対してメッセージを駆使する、生き物の実態がかいま見えてくる。

そもそも、アモツ・ザハヴィの提唱した〈ハンディキャップ原理〉は、
当初かなり評判が悪かったけれど、
1990 年にアラン・グラーフェンの二編の論文が発表され、
そこで数理モデルを使ったグラーフェンは、ハンディキャップの原理が一般的に適用できるものであり、競合する生き物のあいだのコミュニケーションの信憑性を保証できるまっとうな法則であることを示したのだという。
〔アモツ・ザハヴィ&アヴィシャグ・ザハヴィ/著『生物進化とハンディキャップ原理』大貫昌子/訳 (p.9)

参考文献を参照すると、ザハヴィによる〈ハンディキャップ (handicap) 〉をタイトルに含んだ論文は、1975 年に発表されている。
1977 年には “The cost of honesty (further remarks on the handicap principle).” というタイトルの論文がある。
―― どうやら 1977 年が、〈ハンディキャップ原理〉の提出された年であるらしい。
ちなみに、一般向けの解説書である『生物進化とハンディキャップ原理 (The Handicap Principle) 』は、原著が 1997 年に、日本語版は 2001 年に刊行されている。日本語版に「解説」を寄せた長谷川眞理子教授は、自著でザハヴィについてのエピソードを紹介していて、そのなかに次のようなものがあった。

ザハヴィという人はおもしろい人で、ハンディキャップ説をきいた学者が、その考えをあざ笑い、もしそんなことがあるならば、どうして世の中はもっと、足が一本だけの動物や目が一つしかない動物で満ち満ちていないのだ、という感想をもらしたところ、「そのとおり、現にわが国の国防大臣は片目ではないか」と答えたというのは有名な話です。当時のイスラエルの国防大臣は、黒い海賊眼帯をした片目の人でした。
〔長谷川眞理子『クジャクの雄はなぜ美しい?』〈増補改訂版〉 (p.98)

ザハヴィに感想をもらした学者というのは、『利己的な遺伝子』を書いたリチャード・ドーキンスで、その有名な本のなかに、自身で、該当のエピソードを語っている。

 私はザハヴィの理論を信じていない。もっとも、私の懐疑に対しては、私自身、初めてこの理論を聞いたときほど確固たる自信をもっているわけではない。この理論を聞いたとき、私は、その考えをつきつめると、脚も一本、眼も一つしかないような雄が進化すべきだということにならないかと指摘した。イスラエル出身のザハヴィは即座に答えてこういったのだ。「わが国最良の将軍の一人は片眼です」。しかし、ハンディキャップ理論に、根本的な矛盾が含まれているようにみえるという問題は依然として残されている。もしハンディキャップが本物であれば ―― 理論の本質上ハンディキャップは本物でなければ困るわけだが ―― それは、雌にとって魅力となりうるのと同じ確実さで子孫に対しては不利をもたらしうるはずだからである。いずれにせよ、そのハンディキャップが娘には伝わらないようにすることが肝心である。
〔リチャード・ドーキンス/著『利己的な遺伝子』〈増補新装版〉 (pp.243-244)

―― ドーキンスの『利己的な遺伝子』初版は、1976 年に発行されている。
 最新の理論に対して、かなりの反論を展開していたのだ、といういきさつがここで知れる。
1989 年に、その〈新版〉が刊行された際には、今度も、かなりの注釈を書き加えて、修正をためらわない姿勢を見せた。

 本書の初版で私は「私はザハヴィの理論を信じていない。もっとも、私の疑惑に対しては、私自身、初めてこの理論を聞いたときほど確固たる自信をもっているわけではない」と書いた。そこに「もっとも」と書き加えておいたのは良かった。当時にくらべ、ザハヴィの理論ははるかにもっともらしいと思われるようになったからである。最近、有名な理論家たちの一部も彼の理論を真剣に検討しはじめた。もっとも困った事態は、私の同僚のアラン・グラフェンもその一人であるということだ。…… 彼はザハヴィの言語モデルを数学的なモデルに翻訳し、妥当性あり、と宣言したのだ。…… ここではグラフェンがはじめにまとめた ESS 型のモデルを紹介する。グラフェンは目下、全面的に遺伝的なモデルを研究中であり、それは ESS 型のモデルよりすぐれた点があるはずである。しかしこれは ESS モデルが誤りだということではない。ESS モデルはよい近似である。…… すべての ESS モデルは同じ意味において近似である。
〔『利己的な遺伝子』〈増補新装版〉 (pp.476-477)

このあとに、グラフェンの、最新理論が、数式なしで、紹介されるのである。
そして結論として、次のように書き記したのは、繰り返すが、1989 年のことなのだ。
―― 今回の冒頭に引用したザハヴィの文などから、グラフェンの正式な論文は、1990 年に発表されていることが、ここで想起され。
『利己的な遺伝子』〈増補新装版〉巻末にあった参考文献のページで確認すると、
80. GRAFEN, A. (forthcoming). Sexual selection unhandicapped by the Fisher process. Manuscript in preparation.
と、記載があった。

 グラフェンが正しければ(私は正しいと思う)、その結論は動物界における信号の研究全体に非常に重要な意義をもつ。…… もし正しければ、ザハヴィ-グラフェン理論は、同性のライバル個体間、親子間、敵対する異種個体間の関係に関する生物学者たちの見解に逆転的な転換をもたらすことになるだろう。この見通しはまことに困ったことである。そうなってしまえば、ほとんど限りなく奇妙奇天烈な諸理論も、常識に反するという基準で拒否するわけにはいかなくなるからだ。たとえばライオンから逃げるかわりに逆立ちをするなどという真実ばかげた行動をする動物を観察したとしても、それは雌に見せびらかすための行為なのかもしれないのである。それどころかその行為はライオンそのものへの宣伝かもしれない。…………。
 ある事態が私たちにどれほど奇怪奇天烈に見えても、自然淘汰は別の見方をしているかもしれない。よだれをたらして近づく捕食者の群れに直面した動物は、そうすることによる危険度の増加より、その危険条件下での宣伝効果のほうが大きければ、バック宙返りをくりかえす、などということになるかもしれない。…… 危険に満ちコストの高いふるまいは私たちには無謀に見えるかもしれない。しかし本当に問題なのは私たちの感想ではない。判断する資格のあるのは自然淘汰だけなのだ。
〔『利己的な遺伝子』〈増補新装版〉 (pp.482-483)

―― だから。
人間の都合ばかりで自然を解釈すると、そこにあるメッセージに気づけなくなる。
自分の都合ばかりで理論を構成すると、誤まったメッセージを修正できなくなる。

 ザハヴィは 1981 年に “Natural selection, sexual selection and the selection of signals.” という論文を発表している。自然選択に、信号による選択を加えたのだった。
 生物はメッセージをやり取りして共進化している。
 用語的な体裁の〈信号選択 (signal selection) 〉をタイトルに含む論文を発表したのは、1987 年のことだ。
文献 : Zahavi, A. 1987. The theory of signal selection and some of its implications. In Proc. Intern. Symp. Biol. Evol., ed. V.P. Delfino, pp. 305-27. Bari, Italy: Adriatica Editrica.

 被食者と捕食者は互いに信頼できる信号を共有していて、そのことが、捕食者の効率的なハンティングにつながるという。
 ザハヴィは、そういう信号のやり取りによる〈自然選択〉のもたらす進化を〈信号選択〉と位置づける理論にいたった。
 信号というのは、〝送り手が受け手を操る〟意図をもつ。受信者が信用しなかったり無視したりする信号は、信号としては役に立たない。生き物が発信する信号には、操作の手段として効果的なものが多く含まれる。
 信号はその意味が、だから、相互で完全に共有されている必要がある。
 そういう信号が進化したのだ。つまり遺伝子に刻まれた。
 健康優良体は、捕食者にアピールすることで、ほかの弱った獲物を探すように仕向けることができる、らしい。
 現実にそういう観察結果が、研究として、発表されている。

 ザハヴィの〈信号選択〉の概念は、ドーキンスの〈延長された表現型〉の議論に通じるものがあるようだ、とここで気づく。
 メッセージという〈表現型〉の効果について、実は両者は同じことを、別の言い方でいっているのではなかろうか?
 ドーキンスの『延長された表現型 (The Extended Phenotype) 』が出版されたのは、1982 年のことで、日本語版発行は 1987 年だ。その後『利己的な遺伝子』〈新版〉で追加された二章のうち「13 遺伝子の長い腕」は、『延長された表現型』の圧縮版として執筆されている。
 その 13 章でまず語られているのは、「いくつかの特定の遺伝子の表現型効果」についてだ。
 〈延長された表現型〉というのは、ほかの生き物への操作を含む。
「自然淘汰は、遺伝子そのものの性質のゆえではなく、その帰結 ―― その表現型効果 ―― のゆえに、ある遺伝子を他の遺伝子よりも優遇する。」
〔『利己的な遺伝子』〈増補新装版〉 (p.366)

 生物進化におけるメッセージの重要性は、人間の〝情報社会〟で新しく始まったような目新しいものではなかったらしい。メッセージのやり取りは人間特有のものですらない。
 それはまさに祖先たちが生死を賭けて身につけた〝情報伝達〟の手段であり、作業であり、行為なのだ。
 ダーウィンが〈雌雄選択〉と呼んだ性淘汰の理論も〈信号選択〉で解釈可能だ。
 健康優良体のオスは、それを正直にメスにアピールすることで、自分を選ぶように仕向けているのだ。
 ザハヴィは、質実剛健とは言い難いフィッシャーの〈ランナウェイ・プロセス〉を否定する。
 フィッシャーの理論では、メスにアピールすることはできても、ライバルを排除する効果は不明で、語りようがない。
 悪循環の、八方ふさがりな〈暴走過程〉は、弱点を露呈する。
 だから、みせかけでない、ほんとうのオスこそが、栄えるのだ、とザハヴィはいう。

2017年9月27日水曜日

生存闘争に不利な戦略

 ダーウィンによる雌雄選択 ―― 性淘汰の仮説は、『人間の由来』で改めて詳しく説かれました。
 ここで〝改めて〟と書いたのは、ダーウィンの『種の起原』でこの考えはすでに登場していて、第四章「自然選択」で、それについて若干のことが記されているからなのです。
 たとえば、岩波文庫から引用するなら、種の起原』(の 117 ページに次のようにあります。
雌雄選択は生存闘争に関係するものではない。
それゆえ雌雄選択は、自然選択ほど厳重なものではない。
 また同書の 118 ページと 119 ページには、それぞれ次のような記述があって、今後の著作での展開が予告されているようでもあります。
私はいまここで、この見解を支持するのに必要な詳細をのべる余裕がない。
それは、羽衣はおもに、鳥が繁殖する齢にたっしたときかまたは繁殖季節のあいだに、雌雄選択により変化させられてきたのであるという見解である。このようにして生じた変化は、該当する齢あるいは季節において、雄だけにまたは雌雄にともに遺伝される。しかし、私はいま、この問題に立ちいる余裕をもたない。
とはいえ私は、このような雌雄の差異をことごとくこの作用に帰したいとのぞんでいるのではない。

 ダーウィンは、ここでは〈雌雄選択〉を〈自然選択〉の特殊なきわだった部分とするのか、それとも、それぞれの選択は〝別なふたつの選択基準〟であるとするのか、はっきりしないままに記述を終えます。
 このことは、クジャクのオスの羽根飾りが、生存闘争に実用的な効果をもつのか、あるいは、生存闘争以外の利点によって意味をもつのか、という解釈の差へとつながっていきます。
 簡単にいうと、論点として、その目立つ特徴は実用的か、それともただの装飾なのか、ということなのです。
―― が、いずれにせよ。〈雌雄選択〉の効果がシカの角のようにオス同士の戦闘に有利なものであるにせよ、クジャクのようにただのお荷物としか見えないにせよ、それは〝目立つ特徴〟となって進化することになるわけです。
 そうなると、それは〈暴走過程〉を呼び込んで、オスの生存を危うくするという結果を招いてしまうことにもなりかねません。
 これが〈ランナウェイ・プロセス〉なわけです。

 このプロセスを、遺伝子レベルで考えるなら、その目的はただ〝子孫繁栄〟なわけですから、オスにとっては〝メスに選択される〟という効果が発揮されるまで生き延びること、その一点のみが重用となるので、その目的達成にどんな手段が選ばれそしてどのようないきさつが、かりにあったところで、生存の目的が達成されるかぎりは、じゅうぶんに〝実用的〟であるといえましょうか。

―― ここで遺伝子に〝目的〟ないし目的意識があるというのは、比喩であって、遺伝子はただそのような特性のもとに存在している、という意味になります。また、ダーウィンは品種改良という、〈人為選択〉の現実から〈自然選択〉の理論を説明しているので、〈自然選択〉だけで進化のすべてを説明できるといっているのではないことになります。つまり〈自然選択〉は〈人為選択〉に対比される言葉としてあるのです。

 かつて、遺伝子は単独に存在していたでしょう。
 けれど時代は変わりました。
 正面きっての孤独な生存闘争ばかりが、生存のための戦略ではないことを、遺伝子はとっくに心得ているのですから。
 つまり、より強い敵が現れた際には、より弱い遺伝子はひとまず協力することで、乗り切りました。
 それはやがて、多くのクローン細胞が分裂していき、ひとつの個体内で変異しかつ協力しあう、多細胞生物への進化となって結実していきます。
 このとき細胞内の遺伝子は、遺伝子の変異さえ許容する変化をともないつつ、相互の協力を実現することで、進化していきます。
 子孫繁栄に有利であればこそ、生存闘争に不利な戦略は、淘汰されずに、いまも採用され続けているわけなのでしょう。


ランナウェイ・プロセス
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/Fisher.html

2017年9月24日日曜日

フィッシャー〈ランナウェイ・プロセス〉の原文

最初は実用的だったにせよ、いまではすっかりお荷物になってしまった、装飾の羽根飾り。
やめられなくなったノリを、正のフィードバックと解釈した理論の、そもそもなのですが。

 フィッシャーの〈暴走プロセス〉とも〈ランナウェイ過程〉とも和訳されています。
 全部カタカナにすれば〈ランナウェイ・プロセス〉となります。
 もともとは、“runaway process” という英語です。
 英国人ロナルド・フィッシャーが、ではどこに、それを記述したのかといいますと。
“The Genetical Theory of Natural Selection” という著作のなかにあります。
 これは「遺伝学 (genetics) 」の「理論 (theory) 」であると、タイトルに書かれています。
 この本の日本語版はないらしく、直訳すれば『自然選択の遺伝学的理論』となるのでしょうが、和訳された書名は一定しません。
 その、第 6 章にある、“Sexual selection” と題されたセクションの 137 ページに、それは説明されています。
 該当の 1 段落をピリオドごとに改行して、引用すると、次のようになります。
 最後の改行部分に、runaway process は説明されています。


資料参照サイトhttps://archive.org/details/geneticaltheoryo031631mbp
資料リンクhttps://ia801407.us.archive.org/12/items/geneticaltheoryo031631mbp/geneticaltheoryo031631mbp.pdf
引用ページ ダイレクト
〔"https://ia801407.us.archive.org/12/items/geneticaltheoryo031631mbp/geneticaltheoryo031631mbp.pdf#page=161"〕

  The two characteristics affected by such a process, namely plumage development in the male, and sexual preference for such developments in the female, must thus advance together, and so long as the process is unchecked by severe counterselection, will advance with ever-increasing speed.
 In the total absence of such checks, it is easy to see that the speed of development will be proportional to the development already attained, which will therefore increase with time exponentially, or in geometric progression.
 There is thus in any bionomic situation, in which sexual selection is capable of conferring a great reproductive advantage, the potentiality of a runaway process, which, however small the beginnings from which it arose, must, unless checked, produce great effects, and in the later stages with great rapidity. 
〔R. A. FISHER “THE GENETICAL THEORY OF NATURAL SELECTION” OXFORD AT THE CLARENDON PRESS 1930 (p.137) 〕


さいわいにも、はじめの二行分には、和訳があります。
リチャード・ドーキンス/著『盲目の時計職人』に、その個所の引用文があるのです。
まあ、ここと同じだろうと、翻訳文から推測できるわけです。
最後の改行個所については、グーグル翻訳を利用して日本語に訳してみますと。

  〔The two characteristics affected by such a process,〕 雄の羽毛の発達およびそうした発達への雌の性的な選好性は、したがって同時に進むにちがいない。そして、その過程が激しい対抗淘汰によって止められないかぎり、それはたえず速度を増しながら進むだろう。
 そうした抑止がまったくない状態では、発達の速度はすでに達成された発達の度合に比例すること、したがって時間とともに指数的に、あるいは等比数列的に増大することは、容易に見てとれる。
〔日本語版『盲目の時計職人』日高敏隆/監修 2004年 早川書房刊 (p.320)

 このように、性的選択は大きな生殖的優位性をもたらすことができるあらゆる生物学的状況にあり、暴走プロセスの可能性は、それが起きた開始点は小さいが、チェックしない限り、大きな影響を及ぼさなければならない。後の段階は非常に迅速です。
〔グーグル翻訳より〕

ドーキンスは、フィッシャーの著作からの引用文に続けて、こう書き記しています。

 いかにもフィッシャーらしいところだが、彼が「容易に見てとれる」と思ったことは半世紀あとになるまで他人には十分理解されなかった。…… 一九三〇年の本につけた「まえがき」のなかで「私のいかなる努力もこの本を読みやすくするのには役立つまい」と述べたフィッシャー自身ほどに私は悲観的ではないつもりだが、それでも私がはじめて出した本のある親切な書評者の言葉にあるように、「読者には心にランニングシューズを履かねばならないと警告しておこう」。私自身これらの難解なアイデアを理解するのに苦闘したのである。
〔日本語版『盲目の時計職人』 (pp.320-321)


 さっするに、フィッシャーの本は、相当に難しい内容の書物と思われ、英語原文の解読は容易ではなさそうです。
 英語を母国語とする、訓練を受けた科学者が、「私自身これらの難解なアイデアを理解するのに苦闘した」と明言を惜しまないのですから。
 われわれは、かくのごとき容易ならざる困難を前にして ……
 幾多の親切な科学者が一般向けに解説してくださった書物を拝読する、ばかりなのです。

2017年9月21日木曜日

進化の総合学説の革新(パラダイムシフト)

 20 世紀の初頭に遺伝学が確立した。
 はじめそれは、ダーウィンの進化論と対立したが、理屈として〈遺伝が〝粒子的〟な遺伝子の混合で親から子へと伝わるのであれば、それは一定範囲内での多様性をともなう変化となる〉ので、〈進化ということは考えられない〉と、いうことなのであろう。
 そこに〈突然変異〉の研究が加わることで、遺伝子の適応的な突然変異が自然選択される、進化の理論となって、統合されていく。
 そのあたりの説明が、まとまって、叙述された文章があるので引用したい。

 フィッシャーは集団内における遺伝子分布を数理統計学的に扱う方法と理論を開発し、『自然淘汰の遺伝学説』において、集団遺伝学の基礎を確立した。ホールデンは、有害な突然変異が集団の適応度に与える影響など、自然淘汰の具体的な側面の理論的研究で集団遺伝学に貢献した。『進化の要因』は、自然淘汰による進化を数学的に説明したもので、総合説の代表的著作の一つといえる。ライトは、ライト効果と呼ばれる遺伝的浮動の発見者として名高い。
 こうした集団遺伝学の発展をもとに、生態学その他の生物学分野を統合して、生物学の統合理論としての進化論をつくろうとする動きが一九三六年から起こり、一九四七年にプリンストンで行われた国際会議で、古生物学者を含めて、多方面の生物学者が合意に達した。この進化論が総合説、あるいはネオ・ダーウィン主義と呼ばれるものである。
 総合説の主張を要約すれば、進化は小さな遺伝的変異に自然淘汰がはたらくことによって生じる漸進的な過程として説明できるというもので、大進化も基本的には、小進化の積み重ねによって説明できると考える。…… 総合説は集団遺伝学をもとにしているので、自然淘汰の単位が個体ではなく遺伝子にあることが暗黙の前提になっている。
 Ronald A. Fisher, The Genetical Theory of Natural Selection, Clarendon Press, 1930.
 J. B. S. Haldane, The Causes of Evolution, Longmans, Green and Co., 1932.
〔垂水雄二著『進化論の何が問題か』2012年 八坂書房刊 (pp.58-59)

 前回の最後に触れたことでもあるけど、第二次世界大戦をはさんで、ウィリアム・D・ハミルトンが、フィッシャーの理論を再発見してその成果を発表したのは、1964 年のことだ。
 こうして、ハミルトンの業績は「進化の総合学説」に新たな展開を示した。
 実は、その前年には、彼は基本となる数式を完成させており、短い論文として発表している。
文献 : William Hamilton, “The Evolution of Altruistic Behavior,” American Naturalist 97 (1963), 354-56.

 ハミルトンは、個体の適応度 (individual fitness) だけでなく、血縁者の適応度も含めた包括適応度 (inclusive fitness) を、自然選択される進化の基準とした。
 メイナード・スミスは査読した論文を二部構成で完成させるよう(ハミルトンに)アドバイスするとともに、1963 年の論文にインスパイアされるかたちで、血縁淘汰 (kin selection) の論文を、なんと、ハミルトンの完成論文よりも、先に、発表してしまった。
 このことがふたりの関係性に、しばらく尾を引いたという。
 Maynard Smith, J. (1964). Group selection and kin selection. Nature, 201, 1145-1147.
 Hamilton, W. D. (1964). The genetical evolution of social behaviour, I, II. Journal of Theoretical Biology, 7, 1-52.

 こうして喜怒哀楽なる人生の悲喜こもごも、遺伝子の適応度が、自然選択の対象として、理論化されていくこととなる。
 分子遺伝学の分野では、分子進化の研究から〈中立説〉が次第に浮上してくる。
 その代表的著作に、木村資生著『分子進化の中立説』がある。
 Motoo Kimura “The Neutral Theory of Molecular Evolution” (Cambridge University Press, 1983)
 日本語版は邦訳されたものであり『分子進化の中立説』(1986年 紀伊國屋書店)として刊行されている。
 ヒトゲノム計画以降の、分子遺伝学の発展により、遺伝子型と表現型の関係は、かつて想定されていたような単純な 1 対 1 の関係ではないことが、明らかになってきている、という。
 場合によっては自然選択の理論さえも淘汰の対象となりかねない、勢いだ。


ネオ・ダーウィニズム
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/Dennett.html

2017年9月18日月曜日

変化をともなう由来 descent with modification

 グールドによれば、スペンサーが〈エヴォリューション (evolution) 〉を「生物の変化という意味で」はじめて使用したのは 1852 年のエッセー『発生の仮説』においてだった。
 1862 年の『第一原理』で、スペンサーはそれに定義を与えて「曖昧でまとまりのない同質から、はっきりとした、まとまりのある異質への変化で、絶えざる分化と統合を経る」とした。
 スティーヴン・J・グールド/著『個体発生と系統発生』〔仁木帝都・渡辺政隆/訳 1987年 工作舎刊〕 2 アナクシマンドロスからボネにいたる類推論法の系譜「付論 ――〈進化 エヴォリューション 〉の革命」に、そう書いてある。
 そもそもが、どうやら、そういうことらしい。
 スペンサーの〈進化〉は〝生物進化〟から〝社会進化〟へと向かう。未来への限りない展望を説き示すスペンサーの進化論は、世間に受けた。
 かくして。〈進化〉という日本語になった〈エヴォリューション〉はもともと〝進歩的な進化〟としての方向性をもつものと流布された。

 1859 年の『種の起原』初版では、ダーウィンは〈エヴォリューション〉という言葉を用いていない。
 ダーウィンが『種の起原』で採用したのは〈変化をともなう由来 (descent with modification) 〉なのだという。
 1869 年の第五版まで、それはただ〈変化をともなう由来〉なのだ。
 1872 年の第六版でようやく『種の起原』に〈進化 (evolution) 〉は登場する。
 このあたりの事情は、『現代思想』 2009 年 4 月臨時増刊号 (vol.37-5)「総特集=ダーウィン」に詳しい。

 ダーウィンが『種の起原』で説いた理論は「自然の選択による生物の変化」であり、それは〈自然淘汰 (natural selection) 〉といわれる。
 一方でダーウィンは、生物の進化はそれだけでは語れず〈雌雄淘汰 (sexual selection) 〉もまた必要だと考えた。
 1871 年初版の『人間の由来 (The Descent of Man) 』でそれが示される。

 邦訳は、チャールズ・ダーウィン著『人間の進化と性淘汰Ⅰ, Ⅱ』長谷川眞理子訳、文一総合出版。
 性淘汰は、どうやらあまり「性選択」とは翻訳されないようだ。

 1858 年 7 月 1 日に、ダーウィンの生物進化の理論は、報告されている。
 同年の 6 月 18 日に、アルフレッド・ラッセル・ウォレスから「変種がもとのタイプから無限に遠ざかる傾向について」という論文を受け取っての急遽の発表だったようだ。
 ウォレスは「自然選択による進化理論」の共同発表者となった。その彼が 1864 年に発表した論文は、人間の魂は超自然の存在によって導かれているとする内容だった。ウォレスは、その論文の前提として、ダーウィンと同じく自然淘汰は主張している。
 けれども、その後の、ダーウィンがあらわした性淘汰仮説については、自然淘汰で説明できるとしたようだ。
 雌雄の関係でも、実用的な選択に基づいた進化が行なわれなければならない、というわけだ。
 つまり、性淘汰といえども、常に実用的な「選択」がなされているはずだという。
 ところが、――
なるほど最初は実用的な選択がなされていたかもしれないけど、そのうち同じ条件でもただ「見た目」だけで選ばれはじめやしないだろうか、と考えて実験した人物が、ついにあらわれた。
 1982 年のことだ。パヴロフの条件反射の、進化論への応用・援用といえようか。それまで、あまり本気で「見た目の流行」に取り組まれてこなかったことが、『人間の由来』初版から 100 年以上が経過していることでも、うかがわれる。

 アンデルソンは、この鳥〔コクホウジャク〕の雄の長い尾羽は、ダーウィンのいう雌の選り好みの結果ではないか、つまり、雌が長い尾羽の雄を好むので、雄の尾羽は、持ち主に不便を感じさせるまでに長くなったのではないか、と考えました。
…………
 アンデルソンは、繁殖期の雄をたくさん捕まえると、そのうちの何羽かの尾をちょん切ってしまい、その切り取った分を別の雄にくっつけてみました。そうしてもとのなわばりに放し、こんなことをする前と後とで、その雄とつがいになりにやってくる雌の数を比較したのです。
〔長谷川眞理子著『クジャクの雄はなぜ美しい?』〈増補改訂版〉2005年 紀伊國屋書店刊 (p.28)

 その研究は、『ネイチャー』誌に発表された。
文献 : Andersson, M (1982) Female choice selects for extreme tail length in a widowbird. Nature 299:818-820.

 結論として、人為的な「見た目」の整形手術で、見栄えの良くなったオスは、急にモテるようになり、見栄えを悪くされたオスは、急にモテなくなった。
 これはもう、死活問題なのである。
 コクホウジャクの場合は、繁殖期ごとにオスの尾羽が長くなり、それが終わればまた短くなるというので、来年にはまた本来の姿が期待できようが。
 こういう研究に関係する、集団遺伝学の基礎を確立したのは、ロナルド・A・フィッシャーの業績とされている。
 この「見た目」にかかわる学説は、フィッシャーの『自然淘汰の遺伝学理論』に述べられている。
文献 : Ronald A. Fisher, The Genetical Theory of Natural Selection, Clarendon Press, 1930.

 この学説は、正のフィードバックが暴走する「ランナウェイ過程」として有名だ。
 そのように生物が見た目を重視するように進化するのは、現在では、生存能力進化においての〝経済的な効率〟が関係すると予想されている。科学では「見た目の流行」も論理的に語られるのである。
 でも、それを確認する実験が行なわれたのは、50 年後の 20 世紀末近くになってからなのだった。
 メンデルの遺伝学とダーウィンの進化論を統合する道が開かれたのも 1930 年代のことといわれる。
 第二次世界大戦をはさんで、ウィリアム・D・ハミルトンが、フィッシャーの理論を再発見してその成果を発表したのは、1964 年のことだ。
 こうして、ハミルトンの業績は「進化の総合学説」に新たな展開を示した。
 集団でも個体でもなく、遺伝子による淘汰が、世間でも語られるようになった。
 進化論もまた進歩していく科学の分野なのだから。

2017年9月14日木曜日

漸進し 前進する進化

 生命進化は、一気呵成(いっきかせい)というわけにいかない。
 突然の変異も、あまりに気宇壮大(きうそうだい)では、命が続かない。
 だから進化論では、進化は漸進的(ぜんしんてき)なのだという。
 漸進 ―― というのは、しだいしだいに、進んでいくようすを示す。
 話し言葉だと「漸進する」というのが「前進する」に聞こえる。
 前進、となれば、進化に進歩の意味が反映されよう。
 じつはそれもあながち、間違いではなさそうだ。

 きっと、環境の変動なんかに対応する漸進的な進化では、その変化は、特に前進とはいえないだろう。
 環境は揺れ動くから。生き延びるために、一定方向への進化で、良しとするわけにはいかない。
 眼も、不要になれば退化する。
 ここで、気づかされる。
 環境への適応では、生存技術も特定の方向性を持続しつつ、進歩したわけではなかろうけど、天敵への対応ではどうだろう、かと。
 おそらく、天敵から逃れるための技術は、特定の方向への進化になるだろう。敵も、適応して、進化するからだ。
 そういうわけだからドーキンスは、天敵などと共進化する際には、進化は進歩といってかまわないと論じる。
 共進化というのは、正のフィードバックが働く進化のことだ。軍拡競争ともいわれる。
人間至上主義と進化的な進歩と題された文章から引用する。

進歩的な進化は短期的あるいは中期的にしか存在を予測できないことを強調しておくのが重要である。共進化的な軍拡競争は何百万年も続くかもしれないが、おそらく何億年とは続かないだろう。非常に長いタイムスケールをとれば、小惑星その他の天変地異が進化を完全に停止させ、主要な分類群とその適応放散全体を絶滅させてしまうだろう。…… こうした順次起こる個別の軍拡競争は、私の感覚での進歩的な一連の進化の原動力となる。しかし、地球規模で見て数億年にわたる進歩というものはなく、絶滅によって終止符を打たれるノコギリの歯形のような小さな進歩の連続があるだけである。にもかかわらず、それぞれのノコギリの歯の斜めに上昇する時期は、正しくかつ明白に進歩的なのである。
〔リチャード・ドーキンス著『悪魔に仕える牧師』 5 章「トスカナの隊列でさえ」より (pp.377-378)

 タイトルに人間至上主義 ……」とあるように、進歩的な進化を認めたがらない考え方は、あまりに人間至上主義に染まっている可能性が示唆される。
 進歩を、頭の良さとか、複雑さなどの、人間の特性を中心に考えると、それが進歩の課題のように思えてくる、という視点から、抜けられなくなる。
 けれども ――。鳥にとっては、空を飛ぶことが、進化であり、進歩だったろう。
 毒蛇にとっては、より強力な毒性をそなえることが進歩だったろう。
 進化にも、ある種の進歩でなければならない場面があるのだ。
 捕食者と被捕食者(被食者)が共進化するとき、そこに、進歩がなければ進化は終わる。
 だから特定の方向性をもった進化については、進歩だと、いえることもあろう、と。
 やっと、そのことに気づくことができる。
 でも、変化は、結果なのであって、努力の賜物でもない。
 たまたまそういう変異を手に入れ発現したものが、優位に立っただけだ。
 努力の賜物が遺伝されることを、獲得形質の遺伝という。
 これはラマルク説といわれるが、ダーウィンの進化論は、このことを認めていた。
 メンデルの遺伝学でそれは否定されて、〈進化の総合学説〉が新しい進化論となった。
 ネオ・ダーウィン主義 ―― ネオ・ダーウィニズムといわれる。


漸進(ぜんしん)する進化
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2017年9月11日月曜日

ネオテニー(幼形化)という 進化形態のこと

 前回引用したグールドの著作は、第一部の終わり近くにこう記されていました。

幼形進化は、遍在する促進の「退化的な例外」ではないのである。変形発生は、本質的には原形発生的な発生の「二次的な変造」ではないのである。かくも長く、例外として忘却の淵に沈んでいた事実が、メンデル遺伝学の発見によって正統という座へと浮上したのである。
〔スティーヴン・J・グールド著『個体発生と系統発生』 (p.299)

 この原著は 1977 年に、日本語版は 1987 年に発行されました。
 第二部「異時性と幼形進化」が本論となるもようで、その幼形進化に関してドーキンスが触れている文章がありましたので……紹介がてら云々

 ネオテニー neoteny
 幼形成熟ともいう。体細胞的な発育の遅滞によって生ずる幼形進化(幼形化)。
〔『個体発生と系統発生』の用語解説から引用〕

 2002 年 5 月に再発した癌のためグールドは他界しました。
 ドーキンスはかけがえのない戦友を失ったのだともいわれます。
 2002 年の「ダーウィンの『人間の由来』の新しい学生版に寄せた序文」で、ドーキンスは次のように書いています。
 エッセイ集〔の第 2 章〕に収録されて、こちらの原著は 2004 年に発行されました(邦訳も同年)。

類人猿は、オタマジャクシやチョウの幼虫のようにはっきりとした幼生段階をもっていないが、人類進化においては、より漸進的な形のネオテニーを認めることができる。赤ん坊のチンパンジーは、大人のチンパンジーよりもはるかに人間によく似ている。人類進化は幼児化と見ることができる。私たちは、形態的にはまだ幼児なのにもかかわらず性的に成熟してしまった類人猿なのである (50) 。もし人間が二〇〇歳まで生きることができたとしたら、最終的に四足歩行し、巨大なチンパンジーのように突き出た顎をもつように「成長する」のだろうか? 風刺小説家、とくに『幾夏をへて』のオルダス・ハクスリーは、その可能性をまだ残している。彼はおそらく、この概念の創始者の一人で、実際にアホロートルにホルモンを注射して、それまでけっして見られなかったサンショウウオに変態させるという驚くべき実験をおこなった兄のジュリアンから、ネオテニーについて学んだのであろう。
 50 S. J. Gould, Ontogeny and Phylogeny (Harvard University Press, 1977).『個体発生と系統発生:進化の観念史と発生学の最前線』仁木帝都・渡辺政隆訳、工作舎 (1987)
〔リチャード・ドーキンス著『悪魔に仕える牧師』垂水雄二訳 2004年 早川書房刊 (p.138)

 同著の後半にグールドへの追悼文が、第 5 章「トスカナの隊列さえ」として捧げられており、章の最後には、未完となったメールのやり取りが公開され、まとめの一文をもって、第 5 章は締めくくられています。―― その一文から。

スティーヴが私に劣らずネオ・ダーウィン主義者であったことを考えれば、私たちは何について言い争っていたのだろう? 大きな意見の不一致は、彼の最後の本『進化理論の構造 (135) 』にはっきりと現れている。私はこの本を彼が亡くなるまで見る機会がなかった。~~。論争の的[まと]となる問いは、次のようなものである。すなわち、進化における遺伝子の役割はいかなるものであるか? グールドの表現を使えば、それは「帳簿係りか因果律か?」。
 グールドは、自然淘汰が、生命の階層構造のさまざまなレベルではたらくものとみなしている。…… 生物学的な自然淘汰は、それをいかなるレベルで理解しようとも、それが遺伝子プールの遺伝子頻度に変化を生じさせるかぎりにおいてのみ、結果として進化的な影響をもたらすことができる。けれどもグールドは、遺伝子を、ほかのレベルで進行中の変化を受動的に跡づけていく「帳簿係り」としか見ない。私の意見では、遺伝子がほかの何であるにせよ、帳簿係り以上のものであるに違いなく、それがなければ、自然淘汰は機能しえないのである。もし遺伝的な変化が、体に、あるいは少なくとも自然淘汰が「見る」ことができる何かに、因果的な影響をまったく及ぼさないのであれば、自然淘汰はそれを選り好みすることも排斥することもできない。結果としていかなる進化的な変化も生じないであろう。
 135 S. J. Gould, The Structure of Evolutionary Theory (Harvard University Press, 2002).
〔同上「あるダーウィン主義の重鎮との未完のやりとり」 (pp.390-391)

 かくのごとくに ――。
 正当に、自論を展開することこそが、死者への最大の敬愛を示す弔辞だったのでしょう。
 彼らは相互に、相手の理論の不具合を指摘し合い、精錬させていく論敵同士だった、とする見解については先にも紹介しました。
 ドーキンスはかけがえのない戦友を失った……。
 ドーキンスは、亡き戦友に真理を追究するための次なる言葉を捧げたのだ。返答は得られない。彼はまさに、激情を秘めた、科学の申し子だったといえましょう。

 第 1 章に収録された「何が真実か」(初出 2000 年)と題した文章で述べられている。
 科学とは、ただの個人的な信仰や信念ではなく、
科学は結果を出せる」〔同上 (p.34)ものであり、それによって、
その主張を真理に押し上げることができる」〔同上 (p.35)ものなのだ、と。

2017年9月8日金曜日

「個体発生は系統発生をくり返す」ように見える

 人間が母親の胎内で、恐竜の時代を生きているという夢想は、壮大な物語の序曲を奏でる。
 前世紀の交響曲の前提に、人間が〈進化樹〉の頂点に位置するという知的勝者によるヒエラルキーの世界が垣間見える。
 ヒエラルキーは階層制・位階制と日本語に訳される。簡単にいって、ピラミッド型の階層構造社会のことだ。
 そういう制度を好む学者がいるのは、学者が制度の上位に位置していると思っているからだろう。
 爬虫類以前の階梯、鰓(えら)の痕跡についてスティーヴン・ジェイ・グールドの著作から引用したい。

 ヘッケルは、系統進化の過程で発育速度が全般的に促進されたことによってヒトの個体発生の初期段階に押し込められた、祖先にあたる成魚の特徴がヒトの胚にみられる鰓裂(さいれつ)であると説明した。一方フォン・ベーアは、ヒトの鰓裂は発生上のタイミングの変化を反映するものではないと主張した。それらは、子孫の胚に押し込められた祖先の成体段階ではない。単にあらゆる背椎動物の個体発生初期に共通する段階を体現しているにすぎないというのである(結局は、魚類の胚も鰓裂をそなえているのだから)。
〔スティーヴン・J・グールド著『個体発生と系統発生』仁木帝都・渡辺政隆訳 1987年 工作舎刊 (pp.26-27)

 生物発生原則 biogenetic law
 個体発生は系統発生をくり返すという自ら提唱した原理に対するヘッケルの用語。
〔この説明も『個体発生と系統発生』の用語解説から引用〕

 生命が無知蒙昧(むちもうまい)な生き物から進化して、自由な意思をもつ人間をめざしてひたすらに梯子(はしご)をよじ登ってきたというのは、目的論を肯定するし、なにしろ世界の頂点に立つというのは気分のいいものだ。
 けれど進化の目的は、ダーウィンの進化論にはないし、メンデルの遺伝理論にも見当たらない。
 また残念なことには、恐竜は鳥類に進化したらしいので、人類は恐竜の時代を経験していないことになる。
 不都合きわまるが、いたしかたがない。
 それでも、アリストテレスを始祖ともする「反復説」は一般社会を中心として流布を続けているのは、結構なことだろう。
 人類のなかで、誰がもっとも梯子段の上位にあるのか?
 誰が、もっとも無知蒙昧から遠いのか?

 いずれにせよ、メンデルの法則が再発見されて、遺伝学の隆盛とともに、ダーウィンの進化論は遺伝子の理論と統合され、どうやら〝人間は誕生までにその都度母親の胎内で進化の歴史をくり返す〟という夢想は実情と合わなくなってきたようだ。
 人間の胎児が「進化の歴史」を、圧縮した時間でくり返しているというのは、「発現する遺伝子の最後に新しい遺伝子の歴史がつけ足され続けてきたから」と解釈したところでどうにもやはり不都合が生じるらしいのだ。

 終端付加が放棄されなければならなかった理由は、形質を支配する遺伝子が最初から存在し、進化的な変化は突然変異による遺伝子の置換によって起こるからだった。このような前提があるのに、新形質は終端に付加されねばならないとする信念に、いかなる正当性が与えられよう。
〔『個体発生と系統発生』 (p.295)

 上記に続けて、ノーベル賞受賞者のトマス・ハント・モーガンを例示していわく。。
モーガンは、そのような置換は個体発生のどの時点にも現われると論じることで生物発生原則を攻撃している」〔同上 (p.295)
 モーガンは遺伝物質をになうものが細胞の染色体上に配列する遺伝子であることをつきとめた研究で有名だ。
 鰓裂については、祖先に由来するものではあるが、それがそのまま、胚に圧縮した形で過去の成体の段階をくり返していることにはならないという立場を表明して語る。
そうなると、哺乳類や鳥類がその発生においてこの発生段階をもっているのは、単にそれを失なわなかったからということにはならないだろうか。こう考える方が、高等動物の胚に見られる鰓裂は、何らかの不思議なしかたで鳥類の胚にまで押し込められてしまった魚類の成体の鰓裂だとするよりは合理的な考え方ではないだろうか」〔同上 (p.296)
と、1916 年に書いているという。

 ダーウィン主義と遺伝学を合わせた新しい「進化の総合学説」が登場するのは、1930 年代のことだ。
 以降はそれが、ダーウィンとメンデルを統合した現代の「正統派進化論」として、主流となる。
一九三〇年代から一九六〇年代にかけて進化理論は、少なくともイギリスとアメリカにおいては、ダーウィン流の厳密な淘汰主義へとどんどんかたくなに傾いていった」〔同上「日本語版への序」 (p.6)
 グールドは、どうやらその多数派に、適応主義へと至る道を見たようだ。
 リチャード・ドーキンスの著書に『盲目の時計職人』があり『不可能の山に登る』がある。
 グールドの主張の核心は〈偶然の進化〉ということにある。
 鳥になるための進化はあったけれど、鳥になるために(鳥になろうとして)進化したわけじゃないのだ。
 目的論が、科学にいつも垣間見えるけれども、進化に目的はない。
 人間になるために、太古のバクテリアが存在したわけじゃない。
 恐竜の絶滅に代表されるような大量絶滅は偶然の産物であって、だから人類の誕生も偶然の結果に過ぎないのだし。
 でも人間は、目的がなければうまく生きられないように、進化しちまったらしい……
 私は、ここに、生きるために生きている、と。


進化の系統樹
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2017年9月5日火曜日

ピテカントロプスを 夢見る進化論

 1859 年、チャールズ・ダーウィンは『種の起原』を出版した。
――「まさに私の目から鱗が落ちた」と、エルンスト・ヘッケルはその衝撃を語る。
 1866 年、ヘッケルは『有機体の一般形態学』という二巻本を著した。目から鱗はその序で述べられた表現だという。
 本の副題は「チャールズ・ダーウィンが改良した進化論によって機械的に根拠づけられた、有機体の形態の一般的な基本特質」とされた。
 その第二巻に、一ヵ所だけ「ピテカントロプス (Pithecanthropus) 」の語がある。ピテカントロプスとは「猿人」の意味だ。
 2 年後の『自然創造史』で、彼はピテカントロプスを〈ミッシングリンク〉と位置づけた。専門家の詳しい説明文を引用する。

『自然創造史』においては、類人猿からヒトに至るミッシングリンクとしての意味合いがピテカントロプスに強く込められるようになる。その生物は直立二足歩行をしているが、まだ人間特有の言語を手に入れていない段階にある「猿人」であると想像したヘッケルは、これに「ピテカントロプス・アラルス (Pithecanthropus alalus) 」( pithec =サル、anthrop =ヒト、alalus =言葉のない)と名づけ、…… いつの日にか化石として発見されることを熱望した。
 このような当時の進化論に強く影響を受けたオランダの若き医師ウジェーヌ・デュボワは、このミッシングリンクの化石を探すべく、一八八七年にインドネシア(当時のオランダ領東インド諸島)に軍医として赴き、自由時間を費やしてスマトラ島の洞窟を調べ始めた。…… 一八九一年の秋に …… 上顎の大臼歯一個と、眉弓(眼窩上隆起)が大きく突き出た平らな頭蓋冠一個を掘り出した。そして翌年の秋に一五メートルほど川上の同じ地層から完全な大腿骨一本を見つける。デュボワは最初は、これらの化石は類人猿のものではないかと考えたが、熟考の末に、この三つは猿から人間に至るミッシングリンクの体の一部だと信じるようになり、この生物に、ヘッケルにあやかって「ピテカントロプス・エレクトス (Pithecanthropus erectus) 」という名をつけることになった。脳は類人猿に近いが、既にしっかりと二足歩行していた直立猿人の意味である。
〔佐藤恵子著『ヘッケルと進化の夢』 2015年 工作舎刊 (pp.209-210)

 現在では「ピテカントロプス・エレクトス」は、「猿人」ではなく「原人」と認定され、ようするに原始のヒトとみなされて「ホモ・エレクトス」という名になっている。。
 1894 年に、デュボワはそれらの化石の発見を論文として発表した。けれども、その霹靂(へきれき)のごとき事実に学界は論争を繰り広げ繰り返すばかりで、彼の功績はストレートには認められず、デュボワはすっかり引きこもってしまったという。
 ヘッケルの〈ミッシングリンク〉にインスパイアされて化石を発見したデュボワは、時代に先行しすぎたのだろうか。

 そもそも猿人からの人類の進化というのは、それまでのまともな学問からは考えれない異端だった。学者たちの多くは敬虔なキリスト教者だったのだ。
―― 異端ではないにしても。
 1865 年の論文が認められないままに修道院長としてメンデルが死んだのは、1884 年 1 月のことだ。

 1863 年、熱力学の研究を行っていたケルヴィン卿は「永続する地球の冷却について」と題する論文を発表したが、その中でケルヴィンは地球の年齢をおよそ 1 億年と推定した。
 生命進化を実現するにはとうてい足りない年数となる。
 一方、これもまたなかなか功績の認めらないまま、1906 年に自殺した統計力学の祖ルードヴィッヒ・ボルツマンは、〝進化とは、言わば一種の統計力学〟と考えて、ダーウィンの理論に共鳴していた。
 物理学界でも、ダーウィンの発表は無視できずに是非を巡って争われていたのだ。

 その間もダーウィンの「進化論」は、ハーバート・スペンサーの目的論的「エボリューション」の語によって、広まっていた。
 ちなみに、ダーウィンの『種の起原』で「エボリューション」という言葉が用いられることは、1872 年の第六版までなかったという。
 スペンサーの「進化論」は、ダーウィンのものとは違い、「前進・進歩」を意味していた。
―― 単純から複雜へと、混乱から秩序へと、未定の配置から决定の配置へと、至る進歩。
『第一原理』( 1862 年)第二編 第十六章 2 〔§ 129 〕には、そう定義されていた。
 つまり生物は人間という高みを目指して「進化」してきたのだし、人間はさらなる高みを目指して「進化」しなければならない。
 それは明らかに、〝変化の由来〟を〈自然選択〉に求めたダーウィンの理論とは異なるものだ。
 しかしながら当時は学者も含めて世間一般に、ダーウィンの「進化論」も進歩の理論と見なされていたようだ。
 現在の日本でも、「進化」は「高度な進歩」を意味する言葉として世間に日々流通している。
 進化は進歩と同じではないといったところで、どう違うのか、進化もまた一般には複雑化するのだから。
 でも、足が退化したあげく「蛇に進化した」というのも本当だ。

2017年9月2日土曜日

自給自足の農作業

 このところ人類の共同生活の成り立ちを追っていて、ようやく気づかされたのですが、農耕を基盤とした集団生活は、ほかの集団との交易を前提として発展したということになります。
 なぜか、というと、いずれは、金属製の道具が農作業の効率化に必須となるでしょうから。
 とすれば、集団内にそういう生産部門がなければ交易でそれらの道具を入手するしかありません。
 考えてみればあたりまえの話です。
 自立した集団にとって、農耕のはじまりは、大きな転機となったでしょう。
 それまではきっと、手作りのキット(道具一式)で、日々の作業はまかなえました。
 農業の進歩と金属製品の出現は必要に応じてそれぞれ独立した専門的な集団を形成し集団同士で協調していくことになるわけです。

 冶金部門は農村から分離して専門化してこそ、洗練されていくでしょう。
 山から砂鉄を採取してきて、それを農機具にまで加工する技術まで含めて考えると、村落内で自給自足が困難であるとなれば、個人での実現はいっそう不可能です。
 ですから、自己矛盾的に、交換経済抜きには「自立した農作業」は考えられません。
 それから、わずか数千年 ――。
 その経済は、いまや地球規模で展開しています。
 以前には百万年もただひたすらに同じ道具を作りつづけてきた人類の後裔たちの物語です。
 繁栄の謳歌とともに集合的な叡知をどんどこ結集して、人類の進歩は実現しました。
 人口の増大と文化・文明の進歩は、正のフィードバックの関係にあります。
 正のフィードバックというのは、これまでの観測では、いずれ頭打ちが到来しますが。

 20 世紀の末に始まって 21 世紀の初頭に終わった、地球規模の人類の共同作業があります。
 ヒトゲノムプロジェクトは、21 世紀の最初の年にその概要論文が発表され、2003 年には解読完了が宣言されました。
 高速化した、電脳の分散型ネットワークが早期の終了にひと役買いました。ちなみに 1969 年が、米国国防総省によるインターネットの起源の年とされています。

 ヒトゲノム計画のおよそ 100 年前。19 世紀が終わる 1900 年にメンデルの業績があいついで再発見されました。
 遺伝学の第一回国際会議は、1906 年にロンドンで開かれ、その席上で「遺伝学 (genetics) 」という名前がその分野につけられたといいます。
 1953 年には、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンが連名で、DNA の二重らせん構造を発表しました。
 2003 年というのは、ちょうどその 50 年後のことになります。
 ヒトゲノムの、数パーセントだけが、タンパク質をコードする DNA からなっていることが判明しました。
 現在では、遺伝子の定義が一律ではなくなっていると、論議されています。

ゲノムは遺伝子を含むが、遺伝子以外の領域もあり、他方、遺伝子はゲノム以外の DNA(例:ミトコンドリア DNA 、プラスミド)にも含まれる。
〔田村隆明著『分子遺伝学』 2014年 裳華房刊 (p.28)

 これまでは、遺伝子の定義が「タンパク質をコードする DNA 」で問題なかったようです。
 ですが、そうなればヒトゲノムの数パーセントだけが、遺伝子ということになります。
 それ以外の DNA は「ジャンク DNA 」と呼ばれてきた歴史があります。「ジャンク」とは〝がらくた〟の意味です。
 古い定義のままだと、人類の染色体は、ほぼ〝がらくた〟で構成されているという話になります。そして、遺伝子以外の遺伝情報があまりにも多くなりすぎることにも。
 古い時代の遺伝子ではもはや通用しなくなっているらしいのです。


メンデルの法則 と その再発見
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