2015年7月15日水曜日

プトレマイオス『アルマゲスト』とコペルニクス的転回


たとえば、コペルニクスにより、大いなるちゃぶ台返しの憂き目にあったとかいう噂の、

当時のキリスト教総本山が「天動説」の拠り所として絶大なる信頼を置いていたのが、


プトレマイオスの『アルマゲスト』という、ラテン語の書物なのです。

これはもともとギリシア哲学の流れにある、つまりギリシア語で書かれた、
アリストテレス主義の宇宙体系を決定づけたその代表的理論の書なのであります。

ギリシア語の原題は『数学的総合全 13 巻』
“ ἡ μαθηματικῆς συντάξεως βίβλια ιγ 

それがなぜラテン語の ‘Almagest’ というタイトルで読み継がれているのかというと、

―― 実は そのラテン語は ――


アラビア語に翻訳された際に付けられたタイトルである、
“ al-Majisṭī ” [マジェスティー] という書物の翻訳であり、
そのアラビア語のタイトルをラテン語で音写したのが、“ Almagest ” [アルマゲスト]、
という次第であることが、おおむね明らかではあるのです。

つまり、キリスト教会が後生大事にしていたキリスト教的アリストテレス主義というのは、
大いなるイスラム帝国が中国にまで及ぶ大帝国を築いた際に、
その新たな領土の学術的文化を摂取・保存した図書館を建設するという、
血と汗と涙の、一大事業の結果なのであります。

ようするにその典拠というのは、イスラム帝国の領土拡張の時期に、
当時の学術用語であったシリア語に翻訳されていた、ギリシア哲学原典を、
キリスト教圏が取り戻した際に、
アラビア語で再保存されていたものを、さらに中世風なラテン語化したものであったわけです。

無論、翻訳は、イスラムの思想で理解しやすいように、考慮されていたものなのであります。
それらイスラム的アリストテレス主義は、キリスト教徒が再発見した際には、
その翻訳されたラテン語文献は、当時のキリスト教会により禁書の憂き目にあっています。

「1210年、パリの管区教会会議はアリストテレスの自然学および形而上学を教えることを禁じた。1215年には、第四回ラテラノ公会議が同様の、しかしもっと厳しい反-アリストテレスの勅令を発表した」〔トマス・クーン『コペルニクス革命』常石敬一/訳 (P. 154)〕


それが、トマス・アクィナス『神学大全』などの功績により、
キリスト教のバイブル的扱いを受けるようになったという、次第なのであります。

そしてその結果、悲しいことには――すなわち、

コペルニクスの熱狂的なファンであったジョルダーノ・ブルーノは、
その著書のみならず、本人にまで火をつけられ、焚書と共に、
火あぶりの刑に処せられ、憤死した、という歴史が西暦1600年に刻まれることになりました。

これは、最初に禁書扱いをされたアリストテレスの呪いが、
キリスト教会総本山の感情に、火を点けたのでしょうか?――


そういうような、とても入り組んでいて、二転三転の説明が必要な、
大どんでん返しの、単純なちゃぶ台返しではとてもおさまらない、
ややこしい話になっていて、

――最終確認を怠っていた、

「コペルニクスの原理」の後半部分である、
「コペルニクス的転回」の資料チェックを一応は済ませました。

そもそも、カントが自身の立場を「コペルニクス的転回」で表現したという、
後世の哲学的主張が、
カント自身の直接的表現では確認できない、という話であったはずなのですが……

そこから、そもそも「コペルニクスの原理」は、
「人間原理」に対比されるところの「宇宙原理」に基づくものであるような、
それとも、「宇宙原理」が「コペルニクスの原理」に基づくのか……
日本語とても、かなり混乱するわけのわからなさに、
投げ出した、コペルニクスもびっくりの、お話しなのでした。


コペルニクス的転回
http://theendoftakechan.web.fc2.com/Principles/CopernicanRevolution.html

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