2021年11月28日日曜日

紀元前 5 世紀「王の道」を早馬の伝令が駆け抜ける

 紀元前 480 年に、ダレイオス 1 世の子で、ペルシャ王のクセルクセス 1 世がギリシャに遠征するのですけれど、サラミスの海戦で大敗して帰国します。その際に、真っ先に急を告げる騎馬伝令がペルシャに向けて走破したのは「王の道」と呼ばれる公道でした。

◎「王の道」とは、アケメネス朝ペルシャで中央集権を確立したダレイオス 1 世 の時代に整備された、スサからサルディスに至る 2400 km に及ぶ帝国の大幹線です。

 紀元前 5 世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスは、「王の道」を駆け抜ける騎馬伝令を〈アンガレイオン〉の名で次のように紹介しています。



ワイド版 岩波文庫 296ヘロドトス 歴史』(下)

〔松平千秋/訳 2008年04月16日 岩波書店/発行〕


 巻八

 サラミスの海戦~クセルクセスの退却

 (p.237)

 九八 クセルクセスは右のように行動すると同時に、現在の苦境を伝える飛脚をペルシアに送った。さておよそこの世に生をうけたもので、このペルシアの飛脚より早く目的地に達しうるものはない。これはペルシア人独自の考案によるものである。全行程に要する日数と同じ数の馬と人員が各所に配置され、一日の行程に馬一頭、人員一人が割当てられているという。雪も雨も炎暑も暗夜も、この飛脚たちが全速で各自分担の区間を疾走し終るのを妨げることはできない。最初の走者が走り終えて託された伝達事項を第二の走者に引き継ぐと、第二走者は第三走者へというふうにして、ちょうどギリシアでヘパイストスの祭礼に行なう松明 [たいまつ] 競争のように、次から次へと中継されて目的地に届くのである。この早馬の飛脚制度のことをペルシア語ではアンガレイオンという。



―― 先月分も含めて、その他資料を参照・引用したページを、以下のサイトで公開しています。


有角神と一角獣の紋章

http://theendoftakechan.web.fc2.com/eII/amrta/horn.html