2016年12月7日水曜日

1949年 教皇による『創世記』と〈進化論〉の研究の奨励

1633 年、有名な裁判でガリレオは有罪とされた。
1665 年、ロンドン王立協会を拠点としたオルデンバーグによる科学雑誌、
『フィロソフィカル・トランザクションズ』 “Philosophical Transactions” が刊行された。
これは新大陸アメリカをも含めた、郵便による科学文献のネットワーク化であった。

 約百年を経て、アメリカ合衆国が「独立宣言」をしたのは 1776 7 4 日だ。
 新たな百年を経て、「南北戦争」が戦われたのが、1861~1865 年の間のことになる。
 ちなみに、ペリーによる日本のいわゆる「開国」は 1854 年のことだ。
 明治維新は 1868 年である。日本はこれを「文明開化」といった。
 そうして〝電信〟が、大陸から日本にもつながった。
 ようするに「文明開化」というのは世界がネットワーク化していく過程の出来事だ。
――その情勢のただなか。

 1859 年、ダーウィンが 『種の起原』 を発表した。
 その後アメリカで〝聖書の無謬性〟を主張するキリスト教「原理主義」の運動が激しいものになったのは、〈進化論〉と対峙するためであったとしてもさして不思議はなかろう。
 1910~1915 年に出版された “The Fundamentals” というパンフレットが、「原理主義」という名称の由来とされる。
〔参考:越後屋朗「アメリカの原理主義における聖書理解」『ユダヤ教・キリスト教・イスラームは共存できるか』所収
 その教義は、科学的に実証できない〈進化論〉を『聖書』の教えに反するとして、学校教育からの追放を主張すると聞くが、カトリック教会の総本山であるバチカンでは、少し事情が異なるようだ。
『新カトリック大事典』 第 3 巻 (p.378) 「進化論」の項には、北原隆氏により、
 1949 年、教皇ピウス 12 世が回勅『フマニ・ゲネリス』において、公に進化と神学の関係の研究を奨励することになる。と記述されている。

 1969 年――それはさておき、米国国防総省によるインターネットの起源は、その年とされている。

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