2016年12月27日火曜日

最初からの満場一致は なんだか怪しい

 ドラッカーの著書に、次のような挿話がある。

 GMのスローンは、「それでは全員の意見が一致していると考えてよいか」と聞き、異論が出てこないときには「では、意見の対立を生み出し、問題の意味について理解を深めるための時間が必要と思われるので、次回また検討することにしたい」といった。
〔ドラッカー名著集 14 『マネジメント[中]』上田惇生訳 (p.124)

 アニメにもなったと記憶するいわゆる 『もしドラ』 を読んだことはないが……。
 ドラッカーの解説書を読んで、理解できたのは、ひとは最善の策を模索しつつ、次善の策しか選択できないからだと、いうことだ。
 すべての視点をもつことのできない人間に、唯一の、という解決策は、おそらくまやかしでしかないのだろう。
 ほかのすべての意思と意見を排除してしまうような、美麗なるオンリーワンの見解には警戒が必要なのだという。
 なにごとであろうと、唯一の選択肢しかないのであれば、次善の策など思いもつかない。
 もしその唯一の選択肢が勘違いだったなら、人類はどうやってそれを取り返そうというのか?
――きっと、それなりに、どうにかはなるのだろうが。

 ユダヤの法に、「満場一致の有罪は無罪に等しい」と、解釈できるものがある。
 その法にはまた、民事事件でない場合、つまり刑事事件の裁判に関しての特別な決めごとがある。
 有罪の判決を取り消して無罪にすることはできるけれども、一度無罪とされた事案の有罪への変更は不可とされる。
 どんなに正当化しようと人間の判断は間違っているという前提が常にある。
 不完全な人間に、完全な、判断は不可能なのだから。という根本的な理解が必然なのだ。
 だから人類はいつだって自分が間違っている可能性を忘れてはならない、のだろう。

――そして。
 最初から否定的立場の表明できかねる、唯一の方法は、全体主義への選択をともなう。


〝全体一致の原理〟の逆理 ―― 満場一致は無効の原則
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/unanimity.html

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