2016年11月26日土曜日

ハイゼンベルクの選択と連合軍の大義

 ドイツ人ハイゼンベルクが亡命せず、母国にとどまったことは、連合国軍を震撼させた。
 彼らは、「ウラン核分裂」を人為的に操作することで原子爆弾の製造が可能になったとき、ハイゼンベルクに恐怖したかもしれない。暗殺の計画もあったといわれる。
 アメリカ合衆国で共同して原爆開発にたずさわった科学者たちはきっと、ハイゼンベルクを非難したい気分だったろう。なにしろ量子力学を最初に確立した天才なのだから。
 ハイゼンベルクさえ、彼の祖国ドイツを選ばなければ、それほどまで慌てずにすんだろう。

 ところが。ドイツよりも先に原子爆弾を完成させるという大義は、1945 年 5 月にはドイツの敗戦とともに失われ、代わって、そのドイツに侵攻・撃破した「ソ連の脅威」が、次なる大義となる。
 そうして、ドイツ敗戦から二ヵ月余、その年 7 月に〈量産型プルトニウム原爆〉の実験が成功した。
 8 月には、実戦で、原爆が二発続けざまに投下された。
 現実として、原子爆弾を戦争で使ったのは、大義ある連合国側なのだ。実際には――。

 ハイゼンベルクの著書には、彼が講演で、ユダヤ人アインシュタインの相対性理論を肯定的に語った記録がある。
 1934 年、すでにドイツはナチス政権下にあった。
 ハイゼンベルクは国内では、〝白いユダヤ人〟としてゲシュタポの尋問さえ受けている。

「精密自然科学の基礎の最近における諸変革」
 一九三四年九月一日ハンノーヴァーでのドイツ自然科学者および 医師協会の総会にあたり最初の一般会議において講演された。『自然科学』 (Naturwissenschaften) 一九三四年、四〇号においてはじめて印刷された。
「古典物理学のこうした基礎的前提は、それの当然の帰結が一九世紀自然科学の世界像だったのだが、アインシュタインの特殊相対性理論においてはじめて反駁を受けた。それの根本思想について、ここでは方法の上での立場を理解するのに必要な程度のことだけを示すにとどめておきたいと思う。」
W.ハイゼンベルク『自然科学的世界像』 第 2 版 田村松平訳
という個所など。

 またハイゼンベルクの回想録には、彼が祖国を選んだ理由のひとつに、
〝原子爆弾が完成するまでにドイツは負けているだろう〟と予想していた記述がある。

しかし移住しさえすれば、そうしたことからのがれられるでしょうか? 今のところ私はその開発は、たとえ政府がすべてに優先させて推進しようとしたとしても、時間を必要とするでしょうし、したがってそれが原子エネルギーの技術的な応用にまで達する以前に、戦争は終るだろうと、はっきり感じています。
W.ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳 (p.274)

 だからドイツに残れば、原爆の完成を見ることはないだろうし、
それが彼にとっては、プランクに提示された課題の、結論でもあった。
 ただ予想外だったのは、ドイツが負けても戦争がまだ終わっていなかったことだ。

人は破局の後に来る時代のことを考えなくてはならない、とプランクは言い、そのことは私にもよくわかった。それは破局の間を通して不変の島をきずき、若い人々を集め、そして彼らをできる限り生き生きと破局を切り抜けさせ、そして破局が終焉した後で、もう一度新しくやり直すのだ、と言うのがプランクによって述べられた課題であった。そのためにはおそらく妥協をし、後になってから当然のこととして罰せられるか――あるいは悪くすればもっとひどいことになること――も不可避的に付随してくるであろう。しかし、それは少なくとも明白に設定された課題であった。
『部分と全体』 (p.248)

 ハイゼンベルクの選択をどう理解、評価・判定するか。
 それぞれの解釈も、各々のひとに与えられた自由な選択のひとつに他ならないだろう。
 そして自由は立場によって異なる。


ハイゼンベルクの哲学と認識論:哲学と原子物理学の課題
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/Heisenberg.html

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