2016年12月19日月曜日

つまり富の再分配は パレート原理に背く

 アマルティア・センは、こう書いている。

パレート最適性の概念は、まさしく分配に関する価値判断の必要をとり除くために生誕したものにほかならない。経済状態のある変化が誰かをよりよい状況におき、かつ他の誰をもより悪い状況におかないならば、その変化はパレートの意味における改善を意味している。ある経済状態において、他のいかなる実現可能な状態への変化を考えても、その変化がパレートの意味における改善となり得ないとき、当初の経済状態はパレート最適である。したがって、パレート最適性は、他の誰 1 人の状態も悪化させずに、誰かの状態を改善する変化を見つける余地がないことを保証しているに過ぎない。富者と貧者の経済状態にどんなに隔たりがあっても、富者の豊穣を切り詰めずに貧者の分け前を高めることができなければ、その状態はパレート最適なのである。
 われわれがケーキを分配する状況を考えてみよう。どの人間にとってもケーキは多ければ多いほど望ましいことを仮定すれば、すべての分配方法はパレート最適であることになる。ある人をより満足させるようにケーキの分配方法を変えれば、他の誰かの満足を必ず減じてしまうからである。この問題における唯一の主要なイッシューはケーキの分配方法なのだから、パレート最適性はこの論脈では完全に無力であることになる。ひたすらパレート最適性のみに関心を集中してきた結果として、せっかく魅力的な研究領域である現代厚生経済学が、不平等の問題の研究にはあまり関連性をもたないものとなり果てているのである。
〔アマルティア・セン/著『不平等の経済学』鈴村興太郎・須賀晃一/訳 (p.10)

 パレート原理は、全員一致の選好が社会的判断にそのまま反映されるべきことを求めるところから、「全員一致のルール」 (unanimity rule) のことだと解されがちである。ただし、いま問題にしている全員一致は選好全体についてのものではなく、一つのペアだけに関する一致であるから、この解釈は誤解を招きやすい。そこでそのルールの要求事項を次のように弱めたものを、「全員一致のルール」と呼ぶことにしたい――〔あらゆる選好についてではなく〕社会状態の集合全体に関して全員が同一の選好を示すならば、社会的判断はこの選好をそのままの形で反映すべきである、と。
〔A.セン/著『合理的な愚か者』大庭健・川本隆史/訳 (pp.43-44)


 そういうわけで、パレート原理とは、簡単には次のような概念によって、示すことが可能となる。

※ その社会ないし集団の誰も現状から悪くならない前提で、少なくとも 1 人が良くなる。

 これは、パレート改善の内容に一致する。
 これに対して、弱く解釈したパレート原理とは、いわゆる全員一致の原理ともされるようだ。

※ 構成員全体の総意を、その社会ないし集団が選択する。

 ここのところに、問題が潜むわけだ。
 富の再分配は、少しの利得さえ渡したくない勝者からも、奪い、敗者に分け与える。
 これは、単純に、パレート最適な状態からの、変更であり、パレート改善ではない。
 したがって、パレート原理から離れない限りは、勝者による寄付のみが、富の分配を可能にする、と思われる。としか、どうにも思いつけない。
 そのように、いまのところ、理解できたという次第……。


Sen : リベラル・パラドックス
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/Pareto/Sen.html

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