なぜか切り落とすための枠組み、というものが、無意識に働くようなのです。
衝撃的な新着の概念を受け入れようとして、それを取り込む際に、現在の〔古い〕枠組みからはみ出た部分は、容赦なく、無意識のうちに、伐り落とされ、自分でそのことに気づかないほどなのです。
だから結果として、都合のいいだけの衝撃しか、手元には残りません。
理論武装する、といいます。理論の装甲が強固であればあるほどに、それは同時にみずからの自由を奪う拘束具として、自身を縛ってしまいかねません。
装甲が実は同時に拘束具としても機能していた、というのは、アニメ 『新世紀エヴァンゲリオン』 の設定にもありましたが、同様な設定は、ずっと以前からの記憶にもありまして――。
原資料で確認してみると、ちょっと違う感じではありましたが。
永井豪 『バイオレンスジャック』 のKCコミックス版では第二巻の 190 ページ目から、それは語られています。
「キングは 鎧をきなければ 生きていられない からだだ」
「スラムキングの筋肉は強すぎるのさ だから! つねに その力を外にむかって発揮していないと…」
「やつの筋肉は 自分自身の 骨や内臓を しめつけてしまう!」
いにしえより、武者の肉体を保護する、鎧(よろい)・兜(かぶと)は、同時に勇者の力を奪い消耗させ、自由な動作を制限する働きを兼ね備えていました。
同様にして理論は、その理論の枠組みに、自動的に拘束されるものだということが理解されようかと思われ、しかしながら。
鋼鉄(はがね)の理論はさぞや窮屈なのではと、あんじられても、やはり戦闘には不可欠で……。
0 件のコメント:
コメントを投稿