2016年11月5日土曜日

1905年 フッサール 「沈下する過去」

 フッサールの現象学によれば、過去は連続体の中を〝沈下〟するものらしい。
 ――おそらく意識の〝流れ〟にも重力概念が不可欠だからだ。

 そう書いて始まった下記( ↓ 最下行)リンクページのフッサールに関する資料を少しばかり語ろうとしたのですが、そのあとの引用文に、前回の仏教の話からつながる西田幾多郎の文章があります。
 タイミング的には、いま一度そのあたりに触れておきたいものなのです。
 岩波文庫 『自覚について』 西田幾多郎哲学論集Ⅲ の 199 ページにある一節ですが、新版『全集』から、以下に引きます。

故に創造的世界は一面に絶対否定の世界、生滅の世界でなければならない。仏教は此の否定面のみ着目して、それが逆に即創造的世界でなければならないことを考へなかつた。
新版『西田幾多郎全集』第九巻「自覚について」 (p.481)

 やんぬるかな。つまり、哲学者西田幾多郎は仏教の 否定面のみ着目して、それが逆に即創造的世界でなければならないこと を考えなかった、ということでありましょうや。
 せっかくに、この場で仏教の教えの真髄は 「〔無限の〕可能性の世界」 を説くものであると吹聴しはじめても、西田幾多郎のように高名でかつ何年も参禅した経歴の持ち主が、学び理解した仏教がその 否定面のみ着目 したものなのであってみれば、仏教の教えが実は 即創造的世界 なのだという御託(ごたく)なぞ、風前の灯火(ともしび)なのであります。

――きっと、どこぞ、どこに誤解が紛れているのでしょうやらこそ。

物理的立脚点:物理学的視点
http://theendoftakechan.web.fc2.com/atDawn/transcend/viewpoint.html

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