2016年12月28日水曜日

「なるようにしかならない」と思うか「なるようになる」か

日本時間の本日早朝、日米開戦から 75 年後のパールハーバーを、
安倍総理大臣が訪問して献花、真珠湾を〈和解の象徴〉として記憶してほしいと、
世界の現在と未来に向けて発信した。
オバマ米国大統領がヒロシマの地に立ったのは、今年五月のことだった。


 年の瀬に思う。
今年も「なるようにしかならなかった」とか。
或いは「なるようになった」とか。

 実情は、どちらにしても同じことだ。
 この世がそこここ(其所此所)にあり我々はそのすべてをみることはできない。
 世界があるということは、世界は転変するということだ。
 今年があったということは、今年も移り変わったということだ。
 それを否定的な表現で吐露するか、肯定して思うか。
――自他はそこに、あるようにある。それぞれ別の事態があるわけではない。

 事情はいろいろあるだろう。
 実情はどちらにしても同じことだ。浮き世のありように、特別な境地があるわけでもない。
 道元はこれをして。凡愚は大悟を迷う。と、いったかも知れぬ。
 この迷いの結末はいかに……とて。取り出し参照したのは、日本思想大系版『道元』。

『道元 上』正法眼蔵 (しやうぼふげんざう・しょうぼうげんぞう) 」 第一
現成公按 (げんじやうこうあん・げんじょうこうあん) (p.35)

 自己をはこびて万法(まんぼふ)を修証(しゅしょう)するを迷(まよひ)とす、万法すゝみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟(だいご)するは諸仏なり、悟に大迷(だいめい)なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷(いうめい)の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。


 常用しているアクセスポイントが例年のごとく明日からしばらく使えなくなる。
ブログに新規投稿するたびお越しいただいているらしき数少ないながらも常連の方々に感謝しつつ来年もまた生きていればこそ。

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