2017年7月1日土曜日

互恵主義的な戦略の強さと弱点

 繰り返し型の「囚人のジレンマ・ゲーム」のコンピュータ選手権で、〈やられたらやり返す〉戦略は最強だった。
 互恵主義的な戦略の頂点にあるかのようだ。
 けれども、いくつかの弱点は、すでに指摘されている。

 繰り返されるゲームの最中に、前回のゲームで〝協調した〟相手と〝裏切った〟相手の、判断を誤るというミスは容易に想定できる。
 ジレンマ・ゲームの背景に生じたほんの小さなノイズでさえも、結果に大きな影響を与えることになりかねない。
 相手が同じ〈やられたらやり返す〉戦略だって、同様のエラーは起きよう。
 たった一度のエラーが、〝裏切り〟の応酬をもたらすことになる。
 アクセルロッドの想定実験では、多くは二度目のエラーで打ち消されて修正されたというが、そうでなければ、二度目の誤解で、特定の相手同士では〈いつも裏切る〉戦略と見分けがつかなくなってしまうだろう。
 二度目のミスが最初のミスを修正するというのは、ほんの偶然に過ぎない。

 こういう破目に陥らないために、『聖書』の金言はある。
悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
〔口語訳『聖書』「マタイによる福音書」 5 章 39 節〕

 さてここで。さらに重要なポイントとなる弱点は、もっと危機的だ。
 本来的には〈裏切りやすい〉戦略は、この集団に侵入できないといわれる。
 けれども、〈協調しやすい〉戦略であれば、〈やられたらやり返す〉戦略と遭遇したときに、ほとんど見分けがつかないため、たとえばそれが〈いつでも協調〉戦略なのであれば、そういう〝互恵主義的な戦略〟のなかで共存共栄できるだろう。
 いつかその戦略がひとつの集団としてまとまったなら、せいぜい〈やられたらやり返す〉戦略に想定されるエラーが修正されたプログラムとして、安定性の強化が長所として勘違いされる程度だろうか。
 のみならず、相手のエラーさえも、その場でたちどころに修正してしまうのだ。
 その、エラー修正機能を搭載した安定性が特徴の戦略がやがては〝平和ボケ〟した集団全体に、便利なものとして、おそらく拡散するだろう。
 そのとき、〈裏切りやすい〉戦略が接触してきたなら、乗っ取られかねないのだ。
 集団は、修正型〈やられたらやり返す〉戦略ではなく、〝平和ボケ〟戦略に席巻されてしまっているからだ。
 それでもその時点で、本来の〈やられたらやり返す〉戦略が全体の 1 割弱でも残っていたなら、巻き返せるというが。

 そうでなければ〈いつも裏切る〉戦略が台頭して、やがては自滅する。
 集団は全滅するだろう、〈いつも裏切る〉戦略が自滅するのは、その本質が〝寄生者〟だからだ。
 エサとなるべき〝平和ボケ〟集団が絶滅したあとには、飢え散らかした殺伐としたヤツらしか残っていないわけだ。
 ウイルスなどでも、猛威を振るったあとには、〝宿主〟が全滅しないようにか、その毒性を弱めるというけれども。
 〈いつも裏切る〉戦略に、その、ウイルスが発揮する程度の修正プログラムが搭載されているという保証はない。
 だから、決して反撃しない〈いつでも協調〉戦略の蔓延は、世界を滅ぼすと、指摘されている。
 であれば。もともといつだって背後に〝最強〟が控えているのでなければ、右の頬に次いで左の頬を差し出す習性はやめたほうがいいこととなろうか。
 それが〝たまに〟ならいいだろう、けれど〝いつも〟なら、終わりの日はすぐにもやって来る。
 悪人には手向かう必要もある。
 滅びた世界に君臨する〝権力〟を望まないのであれば。

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