今回のタイトルとした話題はその方面ではもっとも有名な話らしいのですが、一般向けに日本語で書かれた詳しい文献がなかなか見つかりませんでした。
このたび発見できた邦訳書だけでも、それなりの収穫と思えたので、そこからの引用文です。
このウイルスは最初、南アメリカのウサギ類縁種の片利共生者だった。最初ウイルスは感染後一~二週間でウサギを殺した。だがこんにちでは、ウイルスは時にはウサギを殺すが、何週間でなく何カ月を要する。この変化は、ウサギに抵抗性が進化してきたことに加えて、ウイルスの毒性も低くなったことから生じたとわかっている。個体群生物学者のロバート・メーとロイ・アンダーソンがこの事例を分析した。宿主を殺さないようにすることは寄生者にとって引き合うだろうが、新しい宿主に非常に効率よく伝わるようにすることもまた引き合うだろうというのが彼らの主張である。最大化されるのは、これら二つの要因、つまり宿主の生き残りと感染性を掛け合わせた積のようなものになるだろう。
〔ジョン・メイナード・スミス エオルシュ・サトマーリ 著『生命進化8つの謎』 (p.166) 〕
粘液腫の進化についてのメイとアンダーソンのモデルによって分析されているのは、この事例である (May & Anderson, 1983) 。共生者は、宿主と寄生体を一緒に殺すような過剰な毒性と、新しい宿主の感染率を下げてしまう不充分な毒性の間で、最適の妥協を進化させるだろう。
〔 J. メイナード・スミス E. サトマーリ 著『進化する階層』 (p.270) 〕
参考文献:
May, R. M. & Anderson, R. M. 1983.
Epidemiology and genetics in the coevolution of parasites and hosts.
Proceedings of the Royal Society of London B219: 281-313.
いろいろと探してみた結果、同じ共著者による記述を合わせれば、おおよその内容と原資料まで、辿れるという次第。
訳者も、同じ方でした。
『進化する階層』長野敬 訳、1997年09月30日 シュプリンガー・フェアラーク東京刊。
『生命進化8つの謎』長野敬 訳、2001年12月10日 朝日新聞社刊。
それにしても不思議なのです。自然界の何が〝淘汰圧〟となって、ウイルスの毒性は弱められたのでしょうか?
群淘汰説によるならば、〔存続するという〕全体の利益のため、と解釈されましょう。
ですが、群淘汰という考え方への支持率は、現在ではほぼ壊滅状態らしいのです。
そうはいっても、このウイルス進化の方向性は、個体淘汰(個体選択)では、ストレートに説明できかねるものと思われます。
利己的遺伝子でも、同様です。
利己的でしかない〔と想定される〕遺伝子に対してどのような〝淘汰圧〟がはたらけば、強い毒性の立場は悪くなるのでしょうか?
考えられるのは、強い毒で宿主が死滅した結果、周辺で目立たなかった弱い毒性のウイルスしか宿主と共に生き残れなかった、というあたりでしょうか。
苦しまぎれな説明ですが、ウイルスは弱毒化したのではなく、強毒性の集団が全滅しただけ、なのでしょうか?
それとも宿主がウイルス遺伝子の表現型にはたらきかけて、弱毒化をもたらしたのでしょうか?
共進化する際には、共生の道が選択されて、ウイルス遺伝子が宿主の遺伝子に組み込まれてしまう場合も考えられるようです。
しかしながらも、利己的遺伝子の宿命でやがては強毒性を獲得した集団が再登場して、そうして歴史は繰り返されるのでしょうか?
いまのところ、弱毒化は個体淘汰によるという日本語での説明文にも、遭遇した記憶はありません。
もしや過去のどっかに落として、もしくは見落としてしまっただけかもしれませんが。
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