間違うことが、どんな場合だって、きっと、優越性を確保することはない。
間違うことで、人間は機械よりも優位に立てるだろうか。
迷宮を撃ち破るための、最大のミスは、合理性だけを頼みとすることか。
予期せぬ失敗から、新しい可能性が展望できることだってある。
進化というものが「継続しつつ現状を破壊する」ことであるなら、生命は、それに従う本能をもつだろう。
ただ現状を維持するのではなく「今よりももっと」と、ベクトルをもつ願いを持ち続けなければならないのだとしたなら。
もしかするとそれが〝希望〟なのかもしれない。
―― ところで、たとえば神と呼ばれる超越的存在は、目的を説明するのに便利な概念らしい。
説明不可能な超越的存在によって与えられた使命というのは、問題のすり替えに過ぎないかもしれないけれど。
使命感をもたない人生は、あまり良い評判は得られないようだ。
―― たとえば、神と呼ばれる超越的存在を否定するという使命感は、どこからくるのだろうか?
われわれを説明する目的は、どこからきたのか、どこへといくのか。
進化したテクノロジーは、それ自体のための使命感を必要とするのだろうか。
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