2017年6月22日木曜日

優生論者フィッシャーが利他行為理論のきっかけとなる

 ロナルド・フィッシャーは、1890 年にイギリスで生まれた。数学的には比類なき天才だった。彼は優生主義者だったが、視力障害を理由に軍務にはつくことができなかった。その点では自身を無能だと思わざるを得なかったろう。それでも彼はダーウィンの理論に数学的な根拠をもたらして、集団遺伝学の創始者ともいわれることとなる。
 フィッシャーは、少なくとも、若かりし頃には優生主義者だった。そしておそらくは生涯ダーウィン主義者だった。
 ダーウィンの第三子レナード・ダーウィン少佐は、彼に経済的な援助も行なう、有力な支援者の位置にいた。
 優生論者というのは、人類の遺伝子に「優劣」の価値観を投影するものだ。そういう価値判断は自然選択にも当然、影響を与えた。生き残った「適者」は、自然の摂理に選ばれた良いものでなければならない、ということになる。
 フィッシャーの情熱が、自然選択によって性比が 1 対 1 となる条件を明示した。
 たとえ彼の業績はその思想にもとづくものであったにせよ、理論が設定したその数学的な条件というのは思想的価値観とは無関係だ。
 設定された条件とは、遺伝子をとりまく環境のことだ。環境が変われば性比も変わるのは当然となる。
 彼は、優生主義者だったけれども、優生学者ではなく、あくまでも数学者だった。20 世紀最大の数理統計学者ともいわれる。
 フィッシャーの『自然選択の遺伝的理論 (The Genetical Theory of Natural Selection) 』は、1930 年に出版された。

 ウィリアム・ハミルトンは 1936 年、エジプトのナイル川の島で生まれた。両親とも、ニュージーランド人だった。彼はケンブリッジ大学を卒業して、ロンドン大学の大学院に進んだ。
 ハミルトンが、フィッシャーに面会したときには、フィッシャーの心は別の場所にあるようだったと伝えられる。
 その頃のケンブリッジ大学の教授たちは、フィッシャーの理論には触れたくないようすだった。
 ロンドン大学のライオネル・ペンローズは『優生学紀要 (Annals of Eugenics) 』の雑誌名を『人類遺伝学紀要 (Annals of Human Genetics) 』に変更したばかりだった。
 性比が 1 対 1 となるというフィッシャーの理論をもとに、ハミルトンは利他的行為の進化を解明できると確信していた。
 他人には見えないものが見えたのだと思った。当時は周囲の誰もハミルトンを知らなかった。
 けれども。孤立していた彼が 1963 年に『アメリカン・ナチュラリスト』に投稿した 3 ページの短文はそのまま受理され、また別に『理論生物学雑誌』に送っていた長めの論文は、査読者ジョン・メイナード・スミスの指摘を経て、翌年、二部構成で完成されることになる。

  Hamilton, W. D. (1964). The genetical evolution of social behaviour, I, II. Journal of Theoretical Biology, 7, 1‐52.
 その完成のためにハミルトンは、ブラジルのジャングルへと研究に赴いた。

修正した原稿「社会行動の遺伝的進化、第一部および第二部」を再投稿するまでに九か月かかった。世界のことなど忘れていた彼は、この間に、ジョン・メイナード・スミスが、短いほうの『アメリカン・ナチュラリスト』の論文を引用するだけで、論文「血縁淘汰と群淘汰」を執筆・刊行し、その中で、「包括適応度」に「血縁淘汰」という惹句を与えたことを知らなかった。
 …………
ブラジルから戻ったハミルトンは独自のニュースをもっていた。……
メリトビア・アカスタは一例だ。これは小さな寄生バチで、雌はマルハナバチの生きた蛹(さなぎ)の体内に卵を産みつける。卵が孵化すると、幼虫はこの蛹の体を食べて外に出るが、その前に、唯一の男兄弟である一匹だけしかいない雄と交尾してからである。結局のところ、母バチにとって、蛹という限られた肉体を利用するために、できるかぎり多くの卵を産み、ただ一匹の雄に授精させるのは理に適っている。
〔オレン・ハーマン『親切な進化生物学者』 (pp.231-232, p.237)

 上の引用文献のタイトル『親切な進化生物学者』の原題は
“The Price of Altruism” だ。
 主人公ジョージ・プライスの名と「利他主義の対価」がもじってある。
 数学的天分に恵まれ身勝手なジョージは、ボロボロになりつつ、アメリカからイギリスにわたった。彼は、そこでハミルトンの論文に巡りあい、やがて回心して、利他主義者となる。
 プライスがその後『ネイチャー』に投稿した論文は、短くすれば掲載可能という評価をメイナード・スミスから得た。にもかかわらずその論文「枝角、種内闘争、および利他行動」は未発表のままとなった。
 メイナード・スミスは、プライスと共同研究を行なうことになる。
 そうして利他主義者たちは、「進化的に安定な戦略 (ESS) 」のなかに、理論的な根拠を与えられることになった。

  Maynard Smith, J. & Price, G. R. (1973). The logic of animal conflict. Nature, 246, 15‐18.

 ESS (Evolutionarily Stable Strategy) は、メイナード・スミスによって洗練されて
1982 年に『進化とゲーム理論 (Evolution and the Theory of Games) 』という、単行本となった。
 フォン・ノイマン、それに、ナッシュ ―― 時代を築いた利己的な数学の天才たちは、ゲーム理論で、利他主義の秘密と結びつけられる次第となる。
 そのためには、優生主義者フィッシャーの理論に加えて身勝手なプライスの天才がさらに必要なのだった。


George Robert Price ; altruism 利他主義のプライス(利他行動の進化)
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/altruism.html

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