2017年6月12日月曜日

アナバチがコンコルドの誤謬を犯す

 川はだいたい流れを海に注ぎ込むけれど、どの川も「海がどっちにあるか」を知らない。
 生命進化も「どこに向かっているか」を知らない。でも自然選択が、その効果のコストパフォーマンスに勝れているだろうことは予想可能だ。河川がやすきに向かって蛇行するように。
 英国で『利己的な遺伝子』が出版された翌年、リチャード・ドーキンスの研究室にジーン・ブロックマンがやってきた。
 1977 年からはじまった彼らの共同研究は、1980 年に発表された。
 まるで自然選択も「コンコルドの誤謬を犯す」かのような昆虫の生態についての研究だった。


 経済学者たちが注目する、埋没費用(サンク・コスト)の誤謬 ―― 失敗した事業にさらに資金を投じること ―― というものがある。その言葉を聞く以前、私は進化生物学の文脈においても同じ誤りを認めていて、それを「コンコルドの誤謬」と名づけ、一九七六年の《ネイチャー》誌にオックスフォード大学の学生であったタムシン・カーライルとの共著論文で発表し、ついで『利己的な遺伝子』にも書いた。
〔リチャード・ドーキンス『ささやかな知のロウソク』 ドーキンス自伝Ⅱ (pp.136-137)

残念ながら、現在、自然界の諸現象の費用と利益に実際の数値をあてはめるには、あまりにもわかっていることが少なすぎる。われわれは、自分で勝手にきめた数値から簡単に結論をひきださぬよう注意しなければならない。重要な一般的結論は、ESS が進化する傾向があること、ESS が集団の申し合わせによって達成されうる最適条件と同じではないこと、そして常識は誤解を招くことがあるということである。
〔リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』増補版 (pp.123-124)

自然淘汰は、川と同じように、とりあえず利用できる道筋のうちでもっとも抵抗の小さい道筋を次々とたどりながら、盲目的にその道を改良していく。結果として生じる動物は、考えられるもっとも完全なデザインでもなければ、まずまずどうにかやっていくだけのものでもない。それは変化の歴史系列の産物であり、そのときどきの産物は、せいぜいその時たまたままわりにあった代替物の「良い方」を表わしているのである。
…………
 ドーキンスとブロックマン (Dawkins & Brockmann, 1980) は、ブロックマンの研究したアナバチの一種 Sphex ichneumoneus がいささか単純な人間の経済学者から不適応だとの批判を受けそうな方法で行動していることをみいだした。個々のハチは、将来的にそこからどれだけ利益を引き出せそうかではなく、いままでそこにどれだけ投資したかによって資源の価値を決定するという「コンコルドの誤謬」に身をやつしているようにみえた。
〔リチャード・ドーキンス『延長された表現型』 (p.99, p.102)


―― そういえば。
「シストロン内の交叉」の問題点について、『延長された表現型』邦訳 178 ページあたりに、くわしい説明があった。遺伝子にとってはたいして問題ないという説明だった。

 繰り返すけど、どの川も「海がどこにあるか」知らない。
 だから、ときに山を穿(うが)ち、ときに澱(よど)む。
 天変地異がまた、その堤(つつみ)を破る。
 流域は豊穣(ほうじょう)となる。
 進化は有益であろう「適応」によってもたらされた。それは「何に」対して有益だったのか?

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