フォン・ノイマンのゲーム理論ではさらに、ゲームのプレイヤーは完全に理性的だと、制限を受ける。
合理的な経済人であることが、ゲーム参加への必須条件なのだ。
だからゲーム理論でも「ケーキ分割問題」の正解は、二者間の場合、
〝片方が分けて、もう片方が選ぶ〟ということになる。
けれど、その役割は、どのように決まったのか。
分ける方が多少なりとも〝損をする〟と最初から理論づけられた状況で、ケーキを分けるべきはどちらなのか。
これには偶然が、からまざるを得ないだろう。
公平なのは、ジャンケンで、まず一戦を交えることだ。
ふたりとも理性的なのだから、切り分けのジャンケンに負けてナイフを渡されても、いきなり相手を刺し殺したりなどしないし、ケーキをうっかりとけっこうな泥水に落っことすなども、しない。
ゲームを完結するには、相手が必要なのだし、ゼロサムゲームなのだから、資源の総量にも変化は起こらない。
ゲームの前提が、そうなっている。
だから興奮していきなり「いかさまだ!」と叫んで、卓をひっくり返すのは、御法度(ごはっと)だ。
―― てやんでい! と、鼻をこするのはかまわないが。
参加者は、相互に協力して、ゲームを完遂しなければならないのだ。
そもそもが。フォン・ノイマンの〈戦略ゲーム〉の特徴は、協調ゲームだった。
基本が〈ゼロサムゲーム〉という、完全対立の構図になっているので、そこには出し抜こうとする戦略以外は見えてこないような気がする。
しかしながら、それは出発点となる〈ふたり・ゼロサムゲーム〉の場合であって、人数がそれよりも増えた際には、部分的に二者対立の構図を見ていく必要が出てくる。その戦場には二極化された勢力があると仮想しよう。すると、一時的にせよ、自軍の勢力を維持し増強するには味方と数えられる勢力が多いほど都合はよくなる。つまり協力して〝敵〟と戦っていくゲームへと変貌していくのだ。この展開ではどうやら蜀の劉備を第三勢力とした『三国志演義』の想いは、西欧へは届いていない。
この群雄の、統合の過程では、協力ゲームになる。
また〈ゲーム理論〉の大前提が、「経済行動」の解明なので、資源の分配をめぐる戦略としての協調は、必然なのだともされる。
だが勝利のあかつきには、群雄割拠に向かう分散が始まるだろう。
突如として、出し抜く限界へ挑戦した〈ゲーム理論〉が姿をあらわす。
非協力者とのあいだに、「解」としての妥協点は、数学的に存在するのか?
その答えが、〈ナッシュ均衡〉だという。
そのときゲームの総得点は〝ゼロ〟である必要はなくなる。
J. Nash に降臨したのは、宇宙船地球号を舞台とした〈非・零和遊戯〉なのだ。
ゼロサムゲーム:フォン・ノイマンの〈戦略ゲーム〉
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/Neumann.html
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