……、人間的に「偶然」としかいえない出来事のうえにも神の支配はある、というのが聖書の立場で、箴言 16 : 33 では「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」と記されています。決定が主から来ても、くじは人間にとって「偶然」です。したがって、自然現象を人間の視点に立って説明する科学にとって「偶然」というのは正当な概念であり、神の支配と矛盾することはありません。
さらに、人間は「偶然」の出来事を左右できないので、聖書は「偶然」に積極的な意味を与えています。くじのような偶然による決定は、主による決定で、公平なものである、というのが聖書の立場です。これを箴言 18 : 18 は「くじは争いをやめさせ、強い者の間を解決する」と表現しています。じじつ、聖書のなかに、イスラエルの民や使徒がくじをもちいる例がいくつかあります。イスラエルの民が約束の地カナンにはいったとき、モーセの命(民数 34 : 13 )に従って、ヨシュアがくじを使い土地を分けました。「ヨシュアはシロで主の前に、彼らのため、くじを引いた。こうしてヨシュアは、その地をイスラエル人に、その割り当て地によって分割した」(ヨシュア 18 : 10 )と記されています。…… また、新約聖書の使徒は、イスカリオテのユダの後継者を、くじを使って選びました。「そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた」(使徒 1 : 26 )と記されています。
聖書に叙述されている、さまざまな歴史的な出来事を読むと、人間の目からすれば「偶然」としかよべない状況によって、実に多くの出来事が展開されます。…… これらは、人間の視点からすれば、すべて「たまたま」あるいは「偶然」とよばれる状況を指します。しかし、聖書は、これらの「偶然」とよばれる状況を、神が支配している、と主張します。
〔大谷順彦『進化をめぐる科学と信仰』 (pp.109-110) 〕
―― ここで認めるべきは。繰り返しになるのですけれども、この偶然の支配を〈神のはたらき〉とみるかどうかが、各自の信念と切り離せない関係性をもつということなわけです。
それぞれの文化に応じた、枠組みがあります。ひとが知らずにその環境に縛られる状態は構造主義ともいわれます。
日本では、不信心や〈無神論〉を大言壮語しても、かといって〈神〉やそれに類するものを頑固に否定することはそれほど多くありませんが、西欧での〈無神論〉への賛同は、〈神〉の存在を積極的に否定する立場となります。
日本人は、そのあたりをあいまいにしておける、希少な思想の持ち主といえるかもしれません。思想的には不可知論とか、いうようですが、そういう意識すらも、日本人には無関係なようです。
ところでフォン・ノイマンが開発した〈ゼロサムゲーム〉の理論では、問題となるそういう偶然は考慮されず、すべてが理性的・合理的に決定されると、前提されます。
モルゲンシュテルンとの共著『ゲームの理論と経済行動 Ⅰ』(ちくま学芸文庫)の 51 ページにある脚注を参照すれば、天候などの予測しがたい事態は〝統計的〟な確率計算の手続きによって、《数学的期待値》の概念を導入することで除去可能であるとされています。
その〈ゲーム〉はすべて想定内であるルールが基準となります。
そうしてルール違反も、想定内と計算されます。そこに、想定外の事態は、想定外であるがゆえに、想定内とはならずしたがって記述されません。
けれども、現実のすべてにルールがあるわけではありません。
ルールのないところには、ルール違反もないわけです。ゲームのルールにもとづく戦略とルール違反への対応だけでは、現実の記述は不可能です。
するとどうなるかというと。その〈ゲーム〉の理論は想定外の事態にまったく無力であることを露呈する、と予測されるわけです。
ですから、おそらくその段階では、現実的でないと判断されたのでしょう。そして、ブレイクスルーがありました。
Nash は、シンプルではあるがゲーム理論において重要な(今日では「 Nash 均衡」と呼ばれる)概念を発見した。Nash 均衡は進化的に安定な戦略 (ESS) という概念と非常に似ている。2 つの概念は進化ダイナミクスで重要である。Nash の博士論文は Proceedings of the National Academy of Sciences USA (1950) に載った 1 ページの学術論文であったが、Nash に 1994 年のノーベル経済学賞をもたらした。
〔 Martin A. Nowak 『進化のダイナミクス』 (p.39) 〕
モルゲンシュテルンは経済学者であり、数学者フォン・ノイマンは、ゲーム理論を経済学に応用することを想定していました。
〈ゼロサムゲーム〉は漢字で〈零和遊戯〉と書けましょうか。
その後、当初からの想定内であったかどうか、生物学に援用された〈ゲーム理論〉は、〈進化ゲーム理論〉と呼ばれ、生命のダイナミックな〈遊戯(いとなみ)〉を記述していくことになります。
生命の戦略でも、相手が次の一手をどう考えているかが、最大のジレンマとなるわけです。
新しい生命の力学が生存戦略として進化論に新しい展開をもたらしました。
その力学に「ルールブック」は、極限の状況で役に立たなくなり、パラダイムシフトが余儀なくされていきます。
偶然の支配と進化 及び ジレンマ
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/dilemma.html
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