2017年5月15日月曜日

最大効率の神話

「最大多数の最大幸福」に個別性は一律だと塗り潰される
数学的合理性が最大の効率をもたらすというのだろう
…………
 現実のすべてが計算できるわけではないのに。
 功利主義者たちの末裔は、〝幸福度さえも数値化できる〟と考えることをやめられなかった。
 ポアンカレに提示された「三体問題」に衝撃的な限界が見えていた。
 合理的な手順というのも、おそらくはきっとその当時には、合理的だったのだろう。頭の中から、はみでないかぎりは。
 唯一の「解」というのも頭のいいひとたちの、神話でしかない、かもしれない。

 フォン・ノイマンがそもそも考えた〈ゲーム理論〉は、すべてのゲームが有限な可能性によって考察できるかどうか、といったものだったらしい。
 つまりはゲームの有限性が、大前提となる。
 有限であるから、いくら膨大であろうと計算も完結できる。ようするにゲーム理論は現実のすべてに対応できるとは書かれていない。ひとつの視点の提案なのだ。
 現実の諸問題へのアプローチ可能な側面があることの立証を目指したものであることは、その著書の「序文」に述べられている。

その適用は 2 つの種類に分けられる。1 つは、本来の意味でのゲームへの適用であり、もう 1 つは、経済学的問題や社会学的問題のなかで、ゲームの理論の視角から接近するのが最良であるような問題への適用である。
〔フォン・ノイマン/モルゲンシュテルン『ゲームの理論と経済行動 Ⅰ』「第 1 版への序文」 (p.3)

 理論は現実の断面を切り取って示したものでしかない。
 非常に限定された範囲からはじめて、適用範囲をじわじわと拡大していく手法は有効だろう。
 やがてそれは、もはやゲームという範疇におさまらなくなっているかもしれない。
 ゲームの理論はどこまで現実を描き出せるのか。
 戦略ゲームは、進化戦略に適用された。
 生命のいとなみに、「ルール違反」という言葉は通用しない。


Evolutionary Games : 進化戦略のゲーム理論
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/games/index.html

0 件のコメント:

コメントを投稿