2017年4月30日日曜日

新世界アメリカの独立と南北戦争

 1534 年、ヘンリー 8 世の公布した国王至上法によって国教会「イングランド教会」は成立した。これによってイングランドはローマ・カトリック教会から離脱した。

 このころの日本史をみると、織田信長の生まれた天文三年が、西暦で 1534 年のことになる。
 1603 年、スコットランド国王ジェームズ 6 世が、イングランド国王ジェームズ 1 世として統治を開始。「同君連合」のもと、king of Great Britain と自称したという。
 同じ、1603 年(慶長八年)、日本では天下統一を果たした徳川家康が「征夷大将軍」となって、江戸に幕府を置いた。

 1620 年、Mayflower に乗り込み、イギリスから、新世界へと向かった清教徒たちは、「メイフラワーの契約」で結ばれた。彼らが自分たちの居場所を確保するために、新天地アメリカで行なったのは、先住民を追い払うことだった。
 当時、キリスト教徒がまだ到達していないアメリカの西部は〈フロンティア〉と呼ばれた。

 日本語で「清教徒」と翻訳された「ピューリタン」が、祖国イギリスで起こした内戦を「清教徒革命」という。
 最近では「ピューリタン革命」のほうが通じやすいかもしれない。最終的にイギリス国王を処刑するに至った、市民革命のことだ。
 クロムウェルの率いるピューリタンを中心とする議会軍が王軍を打ち破ったこの戦いでは、対立するどちらの陣営も〈神の摂理〉を自軍の大義として掲げた。

1642 年 イギリスで内乱が勃発。
1649 年 国王をギロチン台で処刑して、共和制を樹立。クロムウェルによる軍事独裁の開始。
1660 年 王政復古。ところがまたも議会と対立。
1689 年 名誉革命。プロテスタントによる無血革命で、この年に「権利章典」が制定され、立憲政治の基礎が確立された。

 抗議する者・改革者の意味をもつ「プロテスタント」は、日本語で「新教徒」と翻訳されている。宗教改革でローマ・カトリック教会から分離した新教のキリスト教徒をさすからだろう。
 そのプロテスタントが主流となった植民地、新大陸アメリカの独立革命は、独立戦争と呼ばれている。

1775 年 アメリカ植民地は、ジョージ・ワシントンを独立軍の総司令官とした。
1776 年 アメリカの独立を宣言。
1783 年 パリ条約によりアメリカ合衆国の独立が承認された。

 …………
 われわれは、つぎの事柄を自明の真理と考える。すべての人々は、平等に創られたものである。すべての人々には、彼らの創造主によって、一定の譲渡すべからざる権利があたえられている。これらの中に、生命、自由および幸福追求の権利がある。これらの権利を安全ならしめるために、政府は人々の間に設けられたものであって、その正当なる権力は、被統治者の承諾から引き出されたものである。政府のいかなる形態も、これらの目的を破壊するにいたれば、人民にはいつでも、それを変更あるいは廃止する権利があり、また人民の安全と幸福とに最も効果的と思われる原則に基礎をおき、またそのように権力と形態とが組織されている新しい政府を設ける権利がある。………… 現大ブリテン王の歴史は、くりかえされた侵害と、簒奪の歴史であって、すべてこれらの州に絶対的な暴君政治をうち立てようとするのが、その直接の目的であった。このことを証明するために、事実を公平なる世界の前に提出せしめよ。…………
 故に、われわれアメリカ合衆国の代表は、一般会議に集合して、世界の最高法廷にたいして、われわれの考えの公正なことを訴え、これら連合植民地が自由かつ独立の国家であり、また当然あるべきこと、彼らが英国王にたいするすべての忠誠から解除されたこと、彼らと大ブリテン国とのすべての政治的結合関係が完全に解除されたこと、また当然さるべきであったこと、自由独立の国家として、彼らは宣戦講和、同盟締結、通商その他独立国家が当然なしうるすべての行動および事物にたいし完全な権利を有することを、これら諸州の善良なる人民の名前と権威によって厳かに公示し宣言するものである。しかしてこの宣言を支持するため、われわれは神の冥助に確固たる信頼をもって、われわれの生命、財産およびわれわれの神聖な名誉を賭して相共に誓うのである。
〈世界各国人権宣言集〉より

 アメリカの正義は、帝国支配からの独立を要求して、それを果たした。
 しかしそれは「人民」の解放であって、黒人奴隷はその「人民」に含まれていなかった。
 アメリカの独立戦争で、その事実を非難したイギリスにおいて、奴隷の解放が進んだ。

1807 年 イギリスで、帝国全体での奴隷貿易を違法と定めた奴隷貿易廃止法が成立した。
1833 年 イギリスで「奴隷制度廃止法」。
1850 年 アメリカで「逃亡奴隷取締法」。
1861 年 南北戦争勃発。
1865 年 南北戦争の終結。アメリカ議会は憲法に修正第 13 条(奴隷制の全廃)を制定した。
1870 年代 アメリカ南部の「リデムプション(復古)」で、白人優越主義者が組織化。
1896 年 アメリカの最高裁判所は、ルイジアナ州の鉄道列車での差別が合憲であると判決した。

 ハリエット・ビーチャー・ストウ(ストウ夫人)は、1851 年から『アンクル・トムの小屋』を奴隷制度廃止派の雑誌に連載し、1853 年それは単行本となって出版された。
 1870 年代になってから、ストウ夫人は白人優越主義を主張するようになったという。
 エイブラハム・リンカーンは「人民の人民による人民のための政治」というゲティスバーグの演説で有名だ。
 1863 年の南北戦争下に奴隷解放を宣言し、翌年大統領に再選されたが、南北戦争終結直後の 1865 年に暗殺された。
 1854 年、イリノイ州ペオリアでのリンカーンの演説が残されている。奴隷制廃止論者は黒人にたいしてどのような立場に立つべきかを述べたものだ。

「かれら黒人を自由にし、政治的・社会的にわれわれと同等にするのか。私の個人的な感じでは、それは許されることではない。私がそれを認めたとしても、周知のように、大多数の白人はそれに反対するだろう。こうした感情が、正義にかなった健全な判断かどうかは、どうでもいいこととは言わなくても、たいした問題ではない。一般の人びとの感情は、理にかなっていようといまいと、無視することはできないのである。となれば、われわれは、いずれにせよ、かれらを平等にすることはできない。」
〔ジョン・ホープ・フランクリン『人種と歴史』 (pp.57-58)

 リンカーンにとっても「人民」というのは聖書を信じる「白人」のことだった。
 その当時の一般論としても、白人でない人間は、自由の国アメリカで平等に扱われるべきではなかったのだ。
 南北戦争後に、解放された黒人たちと、人種差別との戦いは、新しいアメリカの正義が世界から問われる継続された闘争だ。

 ところで南北戦争の直前には、アメリカはアジアの極東にも目を向けはじめ、日本に軍艦を派遣した。
 中国とは、すでに貿易が成立している。捕鯨船などの寄港地として日本の開国は求められたのだった。
 1846 年、アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが、浦賀に来航した。
 1853 年 6 月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、軍艦 4 隻とともに、浦賀沖に現れた。
 1854 年 1 月、ペリー提督は、今度は軍艦 7 隻とともに、ふたたび来航した。
 1858 年、日米修好通商条約締結。
 1868 年、江戸幕府崩壊、明治元年。


19 世紀:解放の神学 と アメリカ南北戦争
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