養老孟司氏は著書『環境を知るとはどういうことか』( 2009 年 PHP研究所)の、岸由二氏との対談で、次のように語っています。
たとえば、「リンゴ」という言葉について考えてみましょうか。感覚的にとらえると、具体的なリンゴは一つひとつ全部が違います。英語でいえば、それぞれのリンゴが the apple になっちやうわけですね。でもそれを概念化して an apple にすれば全部同じです。さらに、リンゴやナシやブドウをまとめて同じにすると果物、果物と肉や魚を集めると食べ物、言葉の階層はこのようにして築かれていきます。それをとことん突き詰めていくと、最後に一個にまとまる。同じ、同じ、同じで重ねていって、その一個になったのが唯一絶対神ですね。
なるほど、簡潔にして明快とはこういうことかと ――。
階層構造が狭まっていく最尖端には、最終的な統合形態があると予想され、それはたとえば、一神教の絶対神になるというわけです。
ここからさらに、ひるがえって考えてみれば。
一般的に科学というのは、科目別の学という名に示されるように、逆に枝分かれして、細分化される宿命にあるようです。いわゆる「要素還元主義的に細分化」されてから、個別に考察が始まるのです。
そしてこれは、個別性・多様性という、新しい可能性の発見に結びつきます。
現在では〔前回にも見たように〕、階層構造の科学ではなく、ネットワーク構造の科学が、すでに始まっているようなのです。
NASA では、新しい試みを「アストロバイオロジー」という名称で開始したと、松井孝典/著『宇宙人としての生き方』( 2003 年 岩波新書)に書いてありました。知の総合化なくして、その目的は達成できないだろうとも。
この〝知の総合化〟が語られている原文は、次のとおりです。
生命の起源と進化の解明は、二元論と要素還元主義を超えて、あらゆる知の体系を総合化しない限り解明できません。
〔松井孝典『宇宙人としての生き方』「はじめに」最終段落より〕
階層構造という観点を考慮すると、統合と、総合は、異なるもの、と解釈できます。
統合・統一されていない、分散型のネットワークでも、多様な知の個性を総合・結集することは可能なのですから。
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