2017年4月2日日曜日

「持続可能な」江戸の〝人口停滞型〟経済

 江戸時代がエコロジーの見本として語られるようになって久しく。
 そりゃ誰だって、のどかな里山の風景を否定したくはないでしょうし。
 だけど心情とは無関係に、時代の人口の推移を同時に語るとなると、「持続型=停滞型」の構図が見えはじめます。
 遠望して朧に見えるのはすでに〈平衡状態〉に達してしまったかのような、まるで限界状態で謳歌している春の景観だったでしょうか。
 開発が極限に達した停滞型の社会に求められる理想は他人よりも多くを望まない、つまり自己実現など考えてはいけないような、閉塞的な春爛漫かもしれません。

 江戸初期の 1600 年代というのは、ヨーロッパでニュートンが科学革命の立役者となった、17 世紀です。
 人類は、真空と大気圧がもたらす大いなる〝力〟の存在に気づきはじめていました。
 一方、新しい潮流に気づきたくないまま、その後の 100 年間で日本の人口は約二倍となり、新田開発も、河川敷にまで押し寄せていくのでした。
 すると人口がたぶん限界近くまでなった 18 世紀以降は、無理な開発の余波で起きる山津波だけでなく、河川の氾濫がそのまま人命を奪ってしまうような時代となっていくのです。
 飢饉のせいばかりでなく。
 18 世紀の前半には 3000 万人を越えていた日本人の数は、それから 19 世紀に向けて、少し減りはじめます。

  1721 年( 3128 万人)
  1750 年( 3101 万人)
  1804 年( 3075 万人)

このような数字が、鬼頭宏著『[図説]人口で見る日本史』の 71 ページと 87 ページにあります。

 他人よりも子宝を望まず、長命も望まず、新しい世界を見ようなどとも考えず、現状維持を見果てぬ夢とする社会。
 江戸時代が必ずしもそうだったとは思いたくもありませんが、自己実現を否定するような時代には生きたくない気がします。

 全人類が、抜け駆けを考えたりしない、他人よりも多くを望まない社会を理想とするのは、19 世紀を生きたイギリスのジョン・スチュアート・ミルによっても語られているらしく。
 〈定常状態〉という概念はそういう状態を理想としていうようです。

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