クラウジウスは 1885 年に、資源とエネルギーにかかわる『自然界のエネルギー貯蔵とそれを人類の利益のために利用すること』という講演を行なってそれは論文として刊行されました。
それから世界は資源と領土を巡る二次の大戦を経て、1962 年にレイチェル・カーソンが自然環境に関する告発の書『沈黙の春』を発表します。
その 1960 年代に、経済学がエントロピーに注目しはじめたといえましょう。そしてエントロピーは、魔法の呪文になったようです。
ボールディングによる〝エントロピーの経済学〟が 1960 年の「組織体の測定と評価にかんする諸問題」として問われ、1966 年には、「来たるべき宇宙船地球号の経済学」が同じくボールディングによって発表されました。
その当時、〈フロンティア〉を喪失したアメリカは〈ニューフロンティア〉として、〝月〟を目指していました。
アポロ 11 号による月面着陸の成功は、1969 年のことで、翌年の大阪万博に〝月の石〟が展示されることになります。
宇宙から見た青い地球がエコロジーの象徴ともなります。
国連総会の決議に基づいた報告書、『地球の未来を守るために』が 1987 年に刊行され、地球の資源が枯渇しないように、「持続可能な発展 (sustainable development) 」が定義されました。
「将来の世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、今日の世代の欲求を満たすこと」と邦訳書に紹介されています。
ボールディングの〈宇宙船地球号〉の経済学は、大きな反響を呼びました。が、そこで論じられたエントロピーには、批判的意見もあります。
『思想』誌上( 1983 年 5 号 No. 707 )に掲載されたジョージェスク=レーゲンの「エントロピー法則とその経済的意味」(小出厚之助訳)の解題においても玉野井芳郎は、
「K・ボールディングは、物質をエントロピー法則の妥当する次元から除外するという誤りをおかしている。」
と指摘しています。
一方、ジョージェスク=レーゲンは、数理経済学の立場から 1971 年の著書で(上記論稿でも)、ボルツマンによるエントロピーの確率論的解釈に異議を唱えています。
ボルツマンによれば、宇宙のエントロピー一定ということは、宇宙のなかでたまたまわれわれが住んでいるような部分でのエントロピーの増大が、その他の部分でのエントロピーの減少によってちょうど相殺されるという事実から引き出されたものである。この後者の部分では、熱は、冷たい物体から熱い物体へと流れるのである。…………だが、宇宙のいかなる部分においても、現存のエントロピーは決して減少することはない。例えば、わが太陽系ははっきりと〈熱死〉に、つまり究極的には消滅に向かっている。別の太陽系がそれにとって代るとしても、それはエントロピーの振り子運動によるものではない。
〔N. ジョージェスク ‐ レーゲン著『エントロピー法則と経済過程』 (p.266) 〕
また、人類学者のレヴィ=ストロースは 1955 年に脱稿した『悲しき熱帯』のラストで、人類学が〝アントロポロジー〟といわれることから、次のように記しています。
人類学よりもむしろ「エントロポロジー〔エントロピーの学〕」と書かれるべきかもしれない。
〔レヴィ=ストロース著『悲しき熱帯Ⅱ』 (p.426) 〕
そこでは、人間の機械文明を憂えて、「歩みを止めること」が提言されています。
当時は、日本でも、高度成長の時代に突入して、消費は美徳と信じられていました。
オイルショックが来るまでは。
そしてバブルに浮かれたあとにはまた、空白の 10 年が待っていました。
そんな日本にも全地球的な 21 世紀の情報化社会とインターネットの文明開化が訪れるのです。
レイ・カーツワイルは、20 世紀の機械化文明から類推して、21 世紀には人間が機械化する文明の到来を予言しています。
エントロピーとエコロジー
http://theendoftakechan.web.fc2.com/sStage/entropy/Boulding.html
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