2017年9月2日土曜日

自給自足の農作業

 このところ人類の共同生活の成り立ちを追っていて、ようやく気づかされたのですが、農耕を基盤とした集団生活は、ほかの集団との交易を前提として発展したということになります。
 なぜか、というと、いずれは、金属製の道具が農作業の効率化に必須となるでしょうから。
 とすれば、集団内にそういう生産部門がなければ交易でそれらの道具を入手するしかありません。
 考えてみればあたりまえの話です。
 自立した集団にとって、農耕のはじまりは、大きな転機となったでしょう。
 それまではきっと、手作りのキット(道具一式)で、日々の作業はまかなえました。
 農業の進歩と金属製品の出現は必要に応じてそれぞれ独立した専門的な集団を形成し集団同士で協調していくことになるわけです。

 冶金部門は農村から分離して専門化してこそ、洗練されていくでしょう。
 山から砂鉄を採取してきて、それを農機具にまで加工する技術まで含めて考えると、村落内で自給自足が困難であるとなれば、個人での実現はいっそう不可能です。
 ですから、自己矛盾的に、交換経済抜きには「自立した農作業」は考えられません。
 それから、わずか数千年 ――。
 その経済は、いまや地球規模で展開しています。
 以前には百万年もただひたすらに同じ道具を作りつづけてきた人類の後裔たちの物語です。
 繁栄の謳歌とともに集合的な叡知をどんどこ結集して、人類の進歩は実現しました。
 人口の増大と文化・文明の進歩は、正のフィードバックの関係にあります。
 正のフィードバックというのは、これまでの観測では、いずれ頭打ちが到来しますが。

 20 世紀の末に始まって 21 世紀の初頭に終わった、地球規模の人類の共同作業があります。
 ヒトゲノムプロジェクトは、21 世紀の最初の年にその概要論文が発表され、2003 年には解読完了が宣言されました。
 高速化した、電脳の分散型ネットワークが早期の終了にひと役買いました。ちなみに 1969 年が、米国国防総省によるインターネットの起源の年とされています。

 ヒトゲノム計画のおよそ 100 年前。19 世紀が終わる 1900 年にメンデルの業績があいついで再発見されました。
 遺伝学の第一回国際会議は、1906 年にロンドンで開かれ、その席上で「遺伝学 (genetics) 」という名前がその分野につけられたといいます。
 1953 年には、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンが連名で、DNA の二重らせん構造を発表しました。
 2003 年というのは、ちょうどその 50 年後のことになります。
 ヒトゲノムの、数パーセントだけが、タンパク質をコードする DNA からなっていることが判明しました。
 現在では、遺伝子の定義が一律ではなくなっていると、論議されています。

ゲノムは遺伝子を含むが、遺伝子以外の領域もあり、他方、遺伝子はゲノム以外の DNA(例:ミトコンドリア DNA 、プラスミド)にも含まれる。
〔田村隆明著『分子遺伝学』 2014年 裳華房刊 (p.28)

 これまでは、遺伝子の定義が「タンパク質をコードする DNA 」で問題なかったようです。
 ですが、そうなればヒトゲノムの数パーセントだけが、遺伝子ということになります。
 それ以外の DNA は「ジャンク DNA 」と呼ばれてきた歴史があります。「ジャンク」とは〝がらくた〟の意味です。
 古い定義のままだと、人類の染色体は、ほぼ〝がらくた〟で構成されているという話になります。そして、遺伝子以外の遺伝情報があまりにも多くなりすぎることにも。
 古い時代の遺伝子ではもはや通用しなくなっているらしいのです。


メンデルの法則 と その再発見
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/Mendel.html

0 件のコメント:

コメントを投稿