2017年9月5日火曜日

ピテカントロプスを 夢見る進化論

 1859 年、チャールズ・ダーウィンは『種の起原』を出版した。
――「まさに私の目から鱗が落ちた」と、エルンスト・ヘッケルはその衝撃を語る。
 1866 年、ヘッケルは『有機体の一般形態学』という二巻本を著した。目から鱗はその序で述べられた表現だという。
 本の副題は「チャールズ・ダーウィンが改良した進化論によって機械的に根拠づけられた、有機体の形態の一般的な基本特質」とされた。
 その第二巻に、一ヵ所だけ「ピテカントロプス (Pithecanthropus) 」の語がある。ピテカントロプスとは「猿人」の意味だ。
 2 年後の『自然創造史』で、彼はピテカントロプスを〈ミッシングリンク〉と位置づけた。専門家の詳しい説明文を引用する。

『自然創造史』においては、類人猿からヒトに至るミッシングリンクとしての意味合いがピテカントロプスに強く込められるようになる。その生物は直立二足歩行をしているが、まだ人間特有の言語を手に入れていない段階にある「猿人」であると想像したヘッケルは、これに「ピテカントロプス・アラルス (Pithecanthropus alalus) 」( pithec =サル、anthrop =ヒト、alalus =言葉のない)と名づけ、…… いつの日にか化石として発見されることを熱望した。
 このような当時の進化論に強く影響を受けたオランダの若き医師ウジェーヌ・デュボワは、このミッシングリンクの化石を探すべく、一八八七年にインドネシア(当時のオランダ領東インド諸島)に軍医として赴き、自由時間を費やしてスマトラ島の洞窟を調べ始めた。…… 一八九一年の秋に …… 上顎の大臼歯一個と、眉弓(眼窩上隆起)が大きく突き出た平らな頭蓋冠一個を掘り出した。そして翌年の秋に一五メートルほど川上の同じ地層から完全な大腿骨一本を見つける。デュボワは最初は、これらの化石は類人猿のものではないかと考えたが、熟考の末に、この三つは猿から人間に至るミッシングリンクの体の一部だと信じるようになり、この生物に、ヘッケルにあやかって「ピテカントロプス・エレクトス (Pithecanthropus erectus) 」という名をつけることになった。脳は類人猿に近いが、既にしっかりと二足歩行していた直立猿人の意味である。
〔佐藤恵子著『ヘッケルと進化の夢』 2015年 工作舎刊 (pp.209-210)

 現在では「ピテカントロプス・エレクトス」は、「猿人」ではなく「原人」と認定され、ようするに原始のヒトとみなされて「ホモ・エレクトス」という名になっている。。
 1894 年に、デュボワはそれらの化石の発見を論文として発表した。けれども、その霹靂(へきれき)のごとき事実に学界は論争を繰り広げ繰り返すばかりで、彼の功績はストレートには認められず、デュボワはすっかり引きこもってしまったという。
 ヘッケルの〈ミッシングリンク〉にインスパイアされて化石を発見したデュボワは、時代に先行しすぎたのだろうか。

 そもそも猿人からの人類の進化というのは、それまでのまともな学問からは考えれない異端だった。学者たちの多くは敬虔なキリスト教者だったのだ。
―― 異端ではないにしても。
 1865 年の論文が認められないままに修道院長としてメンデルが死んだのは、1884 年 1 月のことだ。

 1863 年、熱力学の研究を行っていたケルヴィン卿は「永続する地球の冷却について」と題する論文を発表したが、その中でケルヴィンは地球の年齢をおよそ 1 億年と推定した。
 生命進化を実現するにはとうてい足りない年数となる。
 一方、これもまたなかなか功績の認めらないまま、1906 年に自殺した統計力学の祖ルードヴィッヒ・ボルツマンは、〝進化とは、言わば一種の統計力学〟と考えて、ダーウィンの理論に共鳴していた。
 物理学界でも、ダーウィンの発表は無視できずに是非を巡って争われていたのだ。

 その間もダーウィンの「進化論」は、ハーバート・スペンサーの目的論的「エボリューション」の語によって、広まっていた。
 ちなみに、ダーウィンの『種の起原』で「エボリューション」という言葉が用いられることは、1872 年の第六版までなかったという。
 スペンサーの「進化論」は、ダーウィンのものとは違い、「前進・進歩」を意味していた。
―― 単純から複雜へと、混乱から秩序へと、未定の配置から决定の配置へと、至る進歩。
『第一原理』( 1862 年)第二編 第十六章 2 〔§ 129 〕には、そう定義されていた。
 つまり生物は人間という高みを目指して「進化」してきたのだし、人間はさらなる高みを目指して「進化」しなければならない。
 それは明らかに、〝変化の由来〟を〈自然選択〉に求めたダーウィンの理論とは異なるものだ。
 しかしながら当時は学者も含めて世間一般に、ダーウィンの「進化論」も進歩の理論と見なされていたようだ。
 現在の日本でも、「進化」は「高度な進歩」を意味する言葉として世間に日々流通している。
 進化は進歩と同じではないといったところで、どう違うのか、進化もまた一般には複雑化するのだから。
 でも、足が退化したあげく「蛇に進化した」というのも本当だ。

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