2017年9月8日金曜日

「個体発生は系統発生をくり返す」ように見える

 人間が母親の胎内で、恐竜の時代を生きているという夢想は、壮大な物語の序曲を奏でる。
 前世紀の交響曲の前提に、人間が〈進化樹〉の頂点に位置するという知的勝者によるヒエラルキーの世界が垣間見える。
 ヒエラルキーは階層制・位階制と日本語に訳される。簡単にいって、ピラミッド型の階層構造社会のことだ。
 そういう制度を好む学者がいるのは、学者が制度の上位に位置していると思っているからだろう。
 爬虫類以前の階梯、鰓(えら)の痕跡についてスティーヴン・ジェイ・グールドの著作から引用したい。

 ヘッケルは、系統進化の過程で発育速度が全般的に促進されたことによってヒトの個体発生の初期段階に押し込められた、祖先にあたる成魚の特徴がヒトの胚にみられる鰓裂(さいれつ)であると説明した。一方フォン・ベーアは、ヒトの鰓裂は発生上のタイミングの変化を反映するものではないと主張した。それらは、子孫の胚に押し込められた祖先の成体段階ではない。単にあらゆる背椎動物の個体発生初期に共通する段階を体現しているにすぎないというのである(結局は、魚類の胚も鰓裂をそなえているのだから)。
〔スティーヴン・J・グールド著『個体発生と系統発生』仁木帝都・渡辺政隆訳 1987年 工作舎刊 (pp.26-27)

 生物発生原則 biogenetic law
 個体発生は系統発生をくり返すという自ら提唱した原理に対するヘッケルの用語。
〔この説明も『個体発生と系統発生』の用語解説から引用〕

 生命が無知蒙昧(むちもうまい)な生き物から進化して、自由な意思をもつ人間をめざしてひたすらに梯子(はしご)をよじ登ってきたというのは、目的論を肯定するし、なにしろ世界の頂点に立つというのは気分のいいものだ。
 けれど進化の目的は、ダーウィンの進化論にはないし、メンデルの遺伝理論にも見当たらない。
 また残念なことには、恐竜は鳥類に進化したらしいので、人類は恐竜の時代を経験していないことになる。
 不都合きわまるが、いたしかたがない。
 それでも、アリストテレスを始祖ともする「反復説」は一般社会を中心として流布を続けているのは、結構なことだろう。
 人類のなかで、誰がもっとも梯子段の上位にあるのか?
 誰が、もっとも無知蒙昧から遠いのか?

 いずれにせよ、メンデルの法則が再発見されて、遺伝学の隆盛とともに、ダーウィンの進化論は遺伝子の理論と統合され、どうやら〝人間は誕生までにその都度母親の胎内で進化の歴史をくり返す〟という夢想は実情と合わなくなってきたようだ。
 人間の胎児が「進化の歴史」を、圧縮した時間でくり返しているというのは、「発現する遺伝子の最後に新しい遺伝子の歴史がつけ足され続けてきたから」と解釈したところでどうにもやはり不都合が生じるらしいのだ。

 終端付加が放棄されなければならなかった理由は、形質を支配する遺伝子が最初から存在し、進化的な変化は突然変異による遺伝子の置換によって起こるからだった。このような前提があるのに、新形質は終端に付加されねばならないとする信念に、いかなる正当性が与えられよう。
〔『個体発生と系統発生』 (p.295)

 上記に続けて、ノーベル賞受賞者のトマス・ハント・モーガンを例示していわく。。
モーガンは、そのような置換は個体発生のどの時点にも現われると論じることで生物発生原則を攻撃している」〔同上 (p.295)
 モーガンは遺伝物質をになうものが細胞の染色体上に配列する遺伝子であることをつきとめた研究で有名だ。
 鰓裂については、祖先に由来するものではあるが、それがそのまま、胚に圧縮した形で過去の成体の段階をくり返していることにはならないという立場を表明して語る。
そうなると、哺乳類や鳥類がその発生においてこの発生段階をもっているのは、単にそれを失なわなかったからということにはならないだろうか。こう考える方が、高等動物の胚に見られる鰓裂は、何らかの不思議なしかたで鳥類の胚にまで押し込められてしまった魚類の成体の鰓裂だとするよりは合理的な考え方ではないだろうか」〔同上 (p.296)
と、1916 年に書いているという。

 ダーウィン主義と遺伝学を合わせた新しい「進化の総合学説」が登場するのは、1930 年代のことだ。
 以降はそれが、ダーウィンとメンデルを統合した現代の「正統派進化論」として、主流となる。
一九三〇年代から一九六〇年代にかけて進化理論は、少なくともイギリスとアメリカにおいては、ダーウィン流の厳密な淘汰主義へとどんどんかたくなに傾いていった」〔同上「日本語版への序」 (p.6)
 グールドは、どうやらその多数派に、適応主義へと至る道を見たようだ。
 リチャード・ドーキンスの著書に『盲目の時計職人』があり『不可能の山に登る』がある。
 グールドの主張の核心は〈偶然の進化〉ということにある。
 鳥になるための進化はあったけれど、鳥になるために(鳥になろうとして)進化したわけじゃないのだ。
 目的論が、科学にいつも垣間見えるけれども、進化に目的はない。
 人間になるために、太古のバクテリアが存在したわけじゃない。
 恐竜の絶滅に代表されるような大量絶滅は偶然の産物であって、だから人類の誕生も偶然の結果に過ぎないのだし。
 でも人間は、目的がなければうまく生きられないように、進化しちまったらしい……
 私は、ここに、生きるために生きている、と。


進化の系統樹
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/Haeckel.html

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