2017年9月18日月曜日

変化をともなう由来 descent with modification

 グールドによれば、スペンサーが〈エヴォリューション (evolution) 〉を「生物の変化という意味で」はじめて使用したのは 1852 年のエッセー『発生の仮説』においてだった。
 1862 年の『第一原理』で、スペンサーはそれに定義を与えて「曖昧でまとまりのない同質から、はっきりとした、まとまりのある異質への変化で、絶えざる分化と統合を経る」とした。
 スティーヴン・J・グールド/著『個体発生と系統発生』〔仁木帝都・渡辺政隆/訳 1987年 工作舎刊〕 2 アナクシマンドロスからボネにいたる類推論法の系譜「付論 ――〈進化 エヴォリューション 〉の革命」に、そう書いてある。
 そもそもが、どうやら、そういうことらしい。
 スペンサーの〈進化〉は〝生物進化〟から〝社会進化〟へと向かう。未来への限りない展望を説き示すスペンサーの進化論は、世間に受けた。
 かくして。〈進化〉という日本語になった〈エヴォリューション〉はもともと〝進歩的な進化〟としての方向性をもつものと流布された。

 1859 年の『種の起原』初版では、ダーウィンは〈エヴォリューション〉という言葉を用いていない。
 ダーウィンが『種の起原』で採用したのは〈変化をともなう由来 (descent with modification) 〉なのだという。
 1869 年の第五版まで、それはただ〈変化をともなう由来〉なのだ。
 1872 年の第六版でようやく『種の起原』に〈進化 (evolution) 〉は登場する。
 このあたりの事情は、『現代思想』 2009 年 4 月臨時増刊号 (vol.37-5)「総特集=ダーウィン」に詳しい。

 ダーウィンが『種の起原』で説いた理論は「自然の選択による生物の変化」であり、それは〈自然淘汰 (natural selection) 〉といわれる。
 一方でダーウィンは、生物の進化はそれだけでは語れず〈雌雄淘汰 (sexual selection) 〉もまた必要だと考えた。
 1871 年初版の『人間の由来 (The Descent of Man) 』でそれが示される。

 邦訳は、チャールズ・ダーウィン著『人間の進化と性淘汰Ⅰ, Ⅱ』長谷川眞理子訳、文一総合出版。
 性淘汰は、どうやらあまり「性選択」とは翻訳されないようだ。

 1858 年 7 月 1 日に、ダーウィンの生物進化の理論は、報告されている。
 同年の 6 月 18 日に、アルフレッド・ラッセル・ウォレスから「変種がもとのタイプから無限に遠ざかる傾向について」という論文を受け取っての急遽の発表だったようだ。
 ウォレスは「自然選択による進化理論」の共同発表者となった。その彼が 1864 年に発表した論文は、人間の魂は超自然の存在によって導かれているとする内容だった。ウォレスは、その論文の前提として、ダーウィンと同じく自然淘汰は主張している。
 けれども、その後の、ダーウィンがあらわした性淘汰仮説については、自然淘汰で説明できるとしたようだ。
 雌雄の関係でも、実用的な選択に基づいた進化が行なわれなければならない、というわけだ。
 つまり、性淘汰といえども、常に実用的な「選択」がなされているはずだという。
 ところが、――
なるほど最初は実用的な選択がなされていたかもしれないけど、そのうち同じ条件でもただ「見た目」だけで選ばれはじめやしないだろうか、と考えて実験した人物が、ついにあらわれた。
 1982 年のことだ。パヴロフの条件反射の、進化論への応用・援用といえようか。それまで、あまり本気で「見た目の流行」に取り組まれてこなかったことが、『人間の由来』初版から 100 年以上が経過していることでも、うかがわれる。

 アンデルソンは、この鳥〔コクホウジャク〕の雄の長い尾羽は、ダーウィンのいう雌の選り好みの結果ではないか、つまり、雌が長い尾羽の雄を好むので、雄の尾羽は、持ち主に不便を感じさせるまでに長くなったのではないか、と考えました。
…………
 アンデルソンは、繁殖期の雄をたくさん捕まえると、そのうちの何羽かの尾をちょん切ってしまい、その切り取った分を別の雄にくっつけてみました。そうしてもとのなわばりに放し、こんなことをする前と後とで、その雄とつがいになりにやってくる雌の数を比較したのです。
〔長谷川眞理子著『クジャクの雄はなぜ美しい?』〈増補改訂版〉2005年 紀伊國屋書店刊 (p.28)

 その研究は、『ネイチャー』誌に発表された。
文献 : Andersson, M (1982) Female choice selects for extreme tail length in a widowbird. Nature 299:818-820.

 結論として、人為的な「見た目」の整形手術で、見栄えの良くなったオスは、急にモテるようになり、見栄えを悪くされたオスは、急にモテなくなった。
 これはもう、死活問題なのである。
 コクホウジャクの場合は、繁殖期ごとにオスの尾羽が長くなり、それが終わればまた短くなるというので、来年にはまた本来の姿が期待できようが。
 こういう研究に関係する、集団遺伝学の基礎を確立したのは、ロナルド・A・フィッシャーの業績とされている。
 この「見た目」にかかわる学説は、フィッシャーの『自然淘汰の遺伝学理論』に述べられている。
文献 : Ronald A. Fisher, The Genetical Theory of Natural Selection, Clarendon Press, 1930.

 この学説は、正のフィードバックが暴走する「ランナウェイ過程」として有名だ。
 そのように生物が見た目を重視するように進化するのは、現在では、生存能力進化においての〝経済的な効率〟が関係すると予想されている。科学では「見た目の流行」も論理的に語られるのである。
 でも、それを確認する実験が行なわれたのは、50 年後の 20 世紀末近くになってからなのだった。
 メンデルの遺伝学とダーウィンの進化論を統合する道が開かれたのも 1930 年代のことといわれる。
 第二次世界大戦をはさんで、ウィリアム・D・ハミルトンが、フィッシャーの理論を再発見してその成果を発表したのは、1964 年のことだ。
 こうして、ハミルトンの業績は「進化の総合学説」に新たな展開を示した。
 集団でも個体でもなく、遺伝子による淘汰が、世間でも語られるようになった。
 進化論もまた進歩していく科学の分野なのだから。

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