2017年9月27日水曜日

生存闘争に不利な戦略

 ダーウィンによる雌雄選択 ―― 性淘汰の仮説は、『人間の由来』で改めて詳しく説かれました。
 ここで〝改めて〟と書いたのは、ダーウィンの『種の起原』でこの考えはすでに登場していて、第四章「自然選択」で、それについて若干のことが記されているからなのです。
 たとえば、岩波文庫から引用するなら、種の起原』(の 117 ページに次のようにあります。
雌雄選択は生存闘争に関係するものではない。
それゆえ雌雄選択は、自然選択ほど厳重なものではない。
 また同書の 118 ページと 119 ページには、それぞれ次のような記述があって、今後の著作での展開が予告されているようでもあります。
私はいまここで、この見解を支持するのに必要な詳細をのべる余裕がない。
それは、羽衣はおもに、鳥が繁殖する齢にたっしたときかまたは繁殖季節のあいだに、雌雄選択により変化させられてきたのであるという見解である。このようにして生じた変化は、該当する齢あるいは季節において、雄だけにまたは雌雄にともに遺伝される。しかし、私はいま、この問題に立ちいる余裕をもたない。
とはいえ私は、このような雌雄の差異をことごとくこの作用に帰したいとのぞんでいるのではない。

 ダーウィンは、ここでは〈雌雄選択〉を〈自然選択〉の特殊なきわだった部分とするのか、それとも、それぞれの選択は〝別なふたつの選択基準〟であるとするのか、はっきりしないままに記述を終えます。
 このことは、クジャクのオスの羽根飾りが、生存闘争に実用的な効果をもつのか、あるいは、生存闘争以外の利点によって意味をもつのか、という解釈の差へとつながっていきます。
 簡単にいうと、論点として、その目立つ特徴は実用的か、それともただの装飾なのか、ということなのです。
―― が、いずれにせよ。〈雌雄選択〉の効果がシカの角のようにオス同士の戦闘に有利なものであるにせよ、クジャクのようにただのお荷物としか見えないにせよ、それは〝目立つ特徴〟となって進化することになるわけです。
 そうなると、それは〈暴走過程〉を呼び込んで、オスの生存を危うくするという結果を招いてしまうことにもなりかねません。
 これが〈ランナウェイ・プロセス〉なわけです。

 このプロセスを、遺伝子レベルで考えるなら、その目的はただ〝子孫繁栄〟なわけですから、オスにとっては〝メスに選択される〟という効果が発揮されるまで生き延びること、その一点のみが重用となるので、その目的達成にどんな手段が選ばれそしてどのようないきさつが、かりにあったところで、生存の目的が達成されるかぎりは、じゅうぶんに〝実用的〟であるといえましょうか。

―― ここで遺伝子に〝目的〟ないし目的意識があるというのは、比喩であって、遺伝子はただそのような特性のもとに存在している、という意味になります。また、ダーウィンは品種改良という、〈人為選択〉の現実から〈自然選択〉の理論を説明しているので、〈自然選択〉だけで進化のすべてを説明できるといっているのではないことになります。つまり〈自然選択〉は〈人為選択〉に対比される言葉としてあるのです。

 かつて、遺伝子は単独に存在していたでしょう。
 けれど時代は変わりました。
 正面きっての孤独な生存闘争ばかりが、生存のための戦略ではないことを、遺伝子はとっくに心得ているのですから。
 つまり、より強い敵が現れた際には、より弱い遺伝子はひとまず協力することで、乗り切りました。
 それはやがて、多くのクローン細胞が分裂していき、ひとつの個体内で変異しかつ協力しあう、多細胞生物への進化となって結実していきます。
 このとき細胞内の遺伝子は、遺伝子の変異さえ許容する変化をともないつつ、相互の協力を実現することで、進化していきます。
 子孫繁栄に有利であればこそ、生存闘争に不利な戦略は、淘汰されずに、いまも採用され続けているわけなのでしょう。


ランナウェイ・プロセス
http://theendoftakechan.web.fc2.com/ess/Fisher.html

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