2017年8月31日木曜日

進化した表現型が 遺伝子型に作用する

 ダーウィンが『種の起原』を発表した同じ時代の 19 世紀後半のことです。
 修道士グレゴール・メンデルによって、
1865 年 2 月 8 日と 3 月 8 日の 2 回にわたって、ブルノ自然科学会例会で口頭発表された論文は、その年の、ブルノ自然科学会誌に掲載されました。その巻の実際の出版は 1866 年とされています。
〔メンデル著『雑種植物の研究』岩波文庫(1999年) 解説・岩槻邦男 (p.98)

 メンデルは修道院の庭園の一画で、豆の交配実験を数年にわたって続けていました。
 研究結果を発表した 1865 年の少し前、1856 年から 1862 年にかけて行なわれたといいます。
 彼はその当時すでに「表現型」と「遺伝子型」の違いを認めていたと、次の資料に説かれています。

 メンデルのみちびいた結論でもっとも重要なのは、「最初の世代で優性の形質と劣性の形質の配分に現われる三対一の比率は、優性形質の意味を交雑種と親の形質とに区別するなら、すべての実験で二対一対一の比率に変わる」という点だった。言い換えれば、優性形質が現われる株 ―― エンドウの実験では丸い種子をもつ株 ―― には、ふたつの優性遺伝子をもつもの (AA) と、ひとつの優性遺伝子とひとつの劣性遺伝子をもつもの (Aa) があり、その割合は AA の株が一に対して Aa の株が二となる。ここでメンデルは、現在では「表現型」と呼ばれている形質の外見と、現在では「遺伝子型」と呼ばれている外見の遺伝子的基礎とを区別していたことになる。「表現型 (phenotype) 」の語源は、ギリシャ語で「表面に現わす」ことを意味する phaino 、「遺伝子型 (genotype) 」の語源は、英語で「遺伝子」を意味する gene だ。
〔エドワード・イーデルソン著『メンデル』西田美緒子訳 2008年 大月書店刊 (p.66)

 遺伝子型というのは遺伝子の構成をいいます。表現型は、生き物の見た目のことで、表現形質とも形質ともいうようです。
 自然淘汰(自然選択)は、行動主体となる生物の表現型を通して働きます。
 ということであれば、遺伝子型の変化は、行動主体(エージェント)の表現型(形質)に影響を及ぼさないかぎり、個体の淘汰とは無関係なことになります。

 リチャード・ドーキンス著『延長された表現型』では、この表現型が、道具や影響力としても有効であるとされます。
 マット・リドレー著『繁栄』ではそれをふまえて、百万年間にわたって同じ形で作られ続けた握斧(ハンドアックス)は、人類にとって「延長された表現型」に等しい、と論じられていました。

 このように考えていけば人類は、前回の間氷期 ―― 約 12 万年前のイーミアン間氷期のころから「延長された表現型」を直接に変化させる能力をその表現型のうちに取り込みはじめたかのようです。
 それ以前でも握斧の形状に多少の変化はあったものの、以降の、道具の革新とは、較べようもありません。
 加工した道具に改良のための手を加えていく ―― まぎれもなく、それは確かな手ごたえとともに進んでいくある種の革新であり、着脱自在のオプションとして、表現型が進化していくことになります。
 その覚醒を描いた、有名な映画のシーンが思い出されます。
 ですが、太古の空高くにほうり投げられ、一瞬にして宇宙船にまで変貌を遂げた、技術の起源は、類人猿のもつ棒状の骨や未だ加工されていない道具などではなく、人類の製作した石器だったことに(いまにして思えば)……なるようです。

 またマット・リドレー著『繁栄』では、言葉が「集団的知性」を作り上げ、「集団的頭脳」が人類の文化の進歩をもたらしたとしています。
 すなわち概念の共有が、複雑な意味を共通の言葉に与えました。
 森羅万象という事実に、意味が生じて、それは伝達されていきました。
 意味は、未来予測に有効でした。
 概念や意味に、価値が、生まれました。
 気がつけば意味のない事実は、この世にありませんでした。
 集団同士にも相互のネットワークが生まれて、多くの意味と多くの価値が地域に拡散していきました。

 そのころも技術情報という「延長された表現型」の革新は、すでに「遺伝子型」とは無関係に展開しているわけです。
 現在は、もっぱら情報技術の時代といわれます。
 It is IT.
 電脳の進化が、メンデルの開拓した遺伝子の地平に、ヒトゲノムの全貌をもたらしました。
 進化した表現型が遺伝子型を読み解き、いまや種々の加工までもはじめているのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿